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RUKAの雑記ノート(現在休止中)

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はるな愛は何を救うのか?

善意今年1月、地震で大きな被害を受けたハイチに千羽鶴を送る送らないで騒動になったが、過去には日本の被災地でも、明らかに不要なもの(ハッキリ言えば迷惑なもの)が送られてきたこともあったそうだ。

以前ここで「"しない善よりする偽善"という考えは間違っている」と述べたことがある。
該当記事「する偽善より、伝える善心」

偽善とは善の偽物であり、善いことをしているように見せかけること。実際には相手のためになっていないこと。
相手の心情を無視して不要品を送りつけたり、余計な手間を取らせるなど、相手が望まないことをおこなうこと。親切の押し売り、それが偽善。
相手のためになることなら、それは目的はどうであれ、偽善ではなく立派な「善」だ。

人の心とおこないを良いから悪いへ順番にならべてみると・・・

1: 善の心を持ち、善行をおこなうこと。
2: 善の心を持ち、何もしないこと。
3: 偽善の心を持ち、何もしないこと。
4: 偽善の心を持ち、偽善をおこなうこと。
5: 悪の心を持ち、悪行をおこなうこと。

この順になるはず。
「偽善でもいいからやろう!」という考えが当たり前になってしまうと、人の気持ちを無視した型にはまった行動だけが一人歩きしてしまう。
「正義の対極にあるのは悪ではない、もうひとつの正義だ」と言った人がいたらしいが、まさにそう。

今年の夏も日テレで24時間テレビ「愛は地球を救う」が放送される。
今回のマラソンランナーは、はるな愛さんだそうだ。
半ばバラエティー番組と化しているが、慈善団体への寄付のために募金をおこなっていることは立派な善行であり、チャリティーもマラソンもドキュメンタリーも人々に多大な感動を与えることだろう。

ただ、たくさんの感動の涙の中にひとつでも関係者への怒りの涙が混ざっているのなら、我々は「善とは誰に対して何をすることなのか?」を考え直さなければいけない。

そして「何をしないべきなのか」も、考えなければいけない。
by rukachas | 2010-06-11 18:00 | 言葉の話