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RUKAの雑記ノート(現在休止中)

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人とモノが共存していた時代

レトロな看板「昔は良かった」というセリフはいつの時代も年寄りの決まり文句みたいなものだが、この21世紀の現代を眺めていると、本当に昔のほうが良い時代だったんじゃないかなぁ・・・と思えてならない。

そりゃあ昔といっても戦時中にまでさかのぼるわけじゃない。私は力道山の空手チョップ、ひばりの歌声、裕次郎の演技を語れる歳でもない。
私は日本の高度経済成長期の中期ごろ、'60年代半ばに生まれ、'70年代を少年として、'80年代を若者として生きてきた。
昔を思い返してみると、生活周りのモノの変化の中に自分もあるのだなと、つくづく感じる。

 その昔、車はマニュアル車ばかりだった。
 駅の改札では、駅員が切符にハサミを入れていた。
 たくさんの10円玉を持って公衆電話をかけていた。
 夜7時以降はどこの店も閉まっていた。

 レコードでプチプチとノイズ混じりの音楽を聴いていた。
 音楽は曲順どおりに聴くものだった。
 テレビに手を伸ばさないとチャンネルを変えられなかった。
 カメラは露出とピントを手で合わせてから撮るものだった。
 写真屋にフィルムを出すと、プリントを受け取るのが数日後だった。

 夏、家の中は蒸し暑かった。
 冬、暖かいのはストーブの前とこたつの中だけだった。
 ぼっとん便所の家ばかりだった。
 トイレの紙はガサガサのちり紙だった。
 台所にハエ取り紙を吊るしていた。

 どこの赤ちゃんも布オムツ(オシメ)をしていた。
 魔法瓶のお湯はすぐに冷めた。
 掃除機はお尻からホコリをまき散らしていた。
 電話は家に一台しかなかった。

それが当たり前だった。
だが、より良く、より便利にという人々の思いが、音の良いオーディオ製品や画質の良いテレビを生んだ。肌に優しい紙オムツを生み、携帯電話や24時間営業の店を生んだ。
しかしどこか空しい。便利になった世の中は、どこか空しい。

昔なら、子供への電話はまず親が出て、そして子供に取り次いでいた。今は、子供が誰とどんな会話をしているのか、親でさえ把握できないでいる。
昔は夜になれば店が閉まるから、子供も親も必要なものは昼間のうちに買っておいた。しかし今はいつでも買える。だから後でもイイ、夜でもイイ。
この時間的な緊張感のなさが、人をダラけさせる一要因になっているとは言えないだろうか。

昔はどのモノも今ほど快適ではなかった。ハッキリ言ってしまえば不便な部分が多かった。
しかし、人とモノがお互い足りない部分を補って、つまり共存していた時代だったように思える。
ところが今は共存というよりもむしろ命令と服従の関係に近い。考えられることをできて当たり前、できないものはダメと、モノに対する要求があまりに高飛車だ。

人間に快適さを提供するためモノがあまりに謙ってきた結果、人々は創意工夫を忘れてしまった。
モノを作る側は、より良くするために創意工夫を凝らしてはいても、提供される側は、快適になればなるほど受け身に甘んじてしまう。
ひとつの例だが、あれほど栄えていたオーディオ人気が今やここまで衰退したのは、機器の値段が高かったからでも操作が面倒だと飽きられたからでもない。デジタルオーディオの登場とともに、便利に、手軽になり過ぎたからだ。

このように私にとっては、'60~'70年代のオモチャや'80年代のオーディオ製品が特別なものに感じる。今の若い人たちも、きっと数十年後には「2000年頃のモノは良かったなぁ」なんて言うんだろうね。
いつの時代も「昔は良かった」と言われ続けるとしたら、はたして人類の歩みは進歩と言えるのだろうか?
ノスタルジーを負かすほどのテクノロジーは未だ存在しない。
by rukachas | 2005-10-14 21:44 | 懐古の話