家族にせよ他人との共同生活にせよ、複数の人間が暮らしている家の中では、最もプライバシーを保てる場所はトイレだ。(風呂は必ずひとりで入るとは限らないからね)
では逆に、最も自分をさらけ出す場所というとどこだろう?
それは食卓。人は食事をしているときにこそ、最もその人らしさが表れている。食事中に家族ひとりひとりを眺めてみよう。そのときのそれぞれの態度、言動が、それぞれの人となりだ。もちろん自分も含めてね。
「トイレは自分の本性を見せない所」「食卓は本性を見せている所」と考えると、はたしてインターネットはどっちのようなものなのか?・・・ということを、今日は考えてみた。(゜へ゜)
個人で情報を気軽に発信できるネットには、2つの側面がある。
ひとつは、匿名性を活かして(ネットに完全な匿名性は無いが、いちいち身元を詮索されないという意味で)普段の自分はさらけ出さず、ネット専用のキャラとなって発信すること。
そしてもうひとつは、自分の思いを伝えられる公共性を活かして、普段通りの自分として発信すること。
これは名前が匿名かどうか、身元を明かしているかどうかは関係ない。ようするにネット上の自分と現実社会の自分とで、キャラクターが同じかどうかということだ。
さらに、本音か嘘かという面を考え合わせると、次の数パターンがある。
[1] ネットの自分と現実社会の自分ではキャラが違うが、ネットの自分のほうが本性である。
[2] ネットの自分と現実社会の自分ではキャラが違うが、現実社会の自分のほうが本性である。
[3] ネットの自分と現実社会の自分ではキャラが同じで、どちらも本性である。
[4] ネットの自分と現実社会の自分ではキャラが同じだが、どちらも本性ではない。
あなたはどれに当てはまるだろうか。
私は完全に3番。そうでなければ、6年間も一貫して同じテーマを扱うなんてできないし、ボロもでるだろう。
私はこのブログやメインサイトである
L.O.S.を、家族や兄妹、甥姪、親戚など多数の知り合いに知らせている。オフクロや妹たちはよく見てくれているようだ。だから私は、ネットでのRUKAと現実社会での私とに差異はないと自信を持っている。もしあれば親戚中から信頼を無くすようなものだからね。第一カッコワルイし。
ウェブサイトや掲示板等で、悪を臭わせる発言や卑猥な発言をする者がいるが、その人はそれを自分の家族や子供に見せられるのだろうか?またそれが自分のしわざだと堂々と話せるのだろうか?
いつだったか、ある女性が書いた子供への虐待日誌が話題にのぼり、テレビニュースにまで採り上げられたが、結局はネットで鬼母を演じていただけだった、ということがあった。他人に伝わるのがフィクションの姿で、それで本当に満足なのだろうか?
セキュリティの観点から、身元を明かすことはしなくても良いが、偽善、偽悪はかえって滑稽だ。
だが、本性の発信という側面と演じられるという側面の両方があるからこそ、ネットは普及してきたのだろう。
さて、あなたのネット生活は、トイレの中?それとも食卓?