もう20年以上も前、あのYMO(細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏の3人によるテクノポップユニット)がFM放送の音楽番組に出演したとき、細野さんが他の2人に「モノにはなぜ名前があるの?」と哲学的な問いかけをしていた。たしか坂本氏が出した結論としては、識別のためと・・・あと何だったかなぁ?うろ覚えなのでハッキリとは思い出せない。
モノにはなぜ名前があるのか?という問いに対しては、私は「人に意識してもらうため」だと思っている。つまり人が名前を付けるのは、それを意識したいからではないだろうか。単に識別のためだけでなく。
だからこそ自分の子供が産まれるともなれば、それを特別なモノとして意識したいから、辞書と首っ引きで何週間も頭を悩ませるのだ。
私にもそうして付けられた名前がある。さほど珍しくもないが、かといって在り来たりでもない漢字一字の名前が...。芸能人で同じ名前(漢字も読みも)の人は、私の知る限りでは1人もいない。
さらに私の名字はというと、多い順の全国ランキングでは600番以下とかなり少なめだ。そのためか幼稚園から高校まで、在学中に私と同じ名字の人は1人もいなかった。
そんな私の本名を試しにGoogleで検索してみたら、13件しかヒットしなかった。(ちなみに田中一郎だと14,800件、鈴木一郎だと17,800件もヒットした)
それほど多くないはずの私の名前だが、過去に一度だけ同姓同名の人間に会ったことがある。しかしそれは、今考えてみてもまさに不思議としか言い様がない、奇妙な出会いだった。
あれは私が小学4年生の頃。当時患っていた腎臓病の検査のため定期的にオフクロと市内の病院に通っていたのだが、その日は尿検査があったので尿を紙コップに入れて提出し、待合室で結果が出るのを待っていた。
ところが少しして、医者や看護婦さんたちのいる場所が慌ただしくなってきた。なんだか戸惑っている様子だ。しばらくして呼ばれたら、そこには私とオフクロの他にもう一組の母子がいた。子供は私よりも年下で、1年生くらいの子だった。
なんとその子、私と全くの同姓同名。しかも同時に尿検査を受けたため、尿の入ったコップも検査表も同じ名前のものが2つずつあることで、院内が混乱していたらしいのだ。とりあえず尿を提出したわずかな時間のずれで、取り違えることなく検査は無事に終わったが、病院側も双方の親もみな驚いた出来事だった。
つまり、Googleで検索しても13件しかヒットしないような非ポピュラーな名前をした、漢字も読みも全く同じな同姓同名の子供どうしが、同じ市内に住んでいて、ほぼ同時期に同じ病気にかかり、同じ病院の小児科に通院しており、同じ主治医のもと、同じ日の同じ時間に母親に連れられやってきて、同じ時間に尿検査の尿を提出して同じ待合室にいた・・・。
このような偶然は一生のうち一度あるかないかだと思うが、偶然で片付けるにはもったいない思い出だ。モノのネーミングが商品の流通を左右するように、もしかしたら人のネーミングも人生を左右するものなのかもしれない。
あの同姓同名の子も、もうイイ歳をしたオッサンになってるんだなぁ。今頃はどこで何をしているのかなぁ?
・・・なんて、向こうも思ってくれていたら、嬉しいな。(^^)