「夢」という言葉には、寝ている時に脳内で見る映像と、将来こうなりたいという願いの両方の意味がある。
英語でも同じようにこのふたつをDream(ドリーム)と言うが、かたや睡眠中脳内に勝手に流れる映像、かたや将来への希望、願望。あまり共通点のないこのふたつの事柄に、同じ名前を割り当てているのは何故なのだろう?
寝ている時に見る夢は、人の願望をあらわすことが多いということか?それとも、一攫千金やアメリカンドリームのような夢を持っていても、所詮は睡眠中の夢のように儚いということなのか?
私にとっては願望としての夢よりも、普段の睡眠中の夢の方がより身近に感じる。というのも、私の見る夢はとにかくリアルだからだ。
色のある夢を見たことがないという人もいるが、私は子供の頃から総天然色。しかも色だけでなく、明るさも音も匂いも味覚も触覚もある、ほとんど現実と変わらない夢ばかりだ。あまりに現実的なので、夢の中でこれは夢なのかどうか悩むことさえある。「これって全部夢だったりして、なぁんて、まさかね~」なんて思ってたらハッと目が覚めて「なんだよ、夢かよ~」って思ってるような夢を見ている、という夢を見ていたり・・・。ちょっと極端だがそんな感じ。「エルム街の悪夢」というホラー映画があったが、それに近い感覚がある。
もう随分と前だが、こんなことがあった。その日、夜遅くまでMacに向かっていたら、スウッと吸い込まれそうな眠気に襲われた。たまらずMacの電源を切ってすぐさまベッドに倒れ込み、そのまま眠ってしまった。
しばらくしたら目が覚めたので、そうっと薄目を開けてみたら、消したはずのディスプレイが点いたままになっている。「あれぇ~おかしいなぁ?消し忘れたのかなぁ?」と思ってベッドからムクッと起き上がり、机の前まで行ってディスプレイのスイッチに指をかけて、今度こそ電源をOFFにした。
・・・と、まさにその瞬間、もういちど眠りから覚め、自分はベッドの上。目を開けて机のほうを見たらMacもディスプレイもちゃんと消してあった、というわけ。もうどこからどこまでが夢だったのか?実際にした行動を夢として記憶してしまったのか?とにかくわけがワカラン出来事だった。
子供のころからデジャブーも何度もあったので、感受性が強いのかもしれない。
しかしこんな私でも、夢では未だかつて一度も見たことのないシチュエーションがある。それは、自分を客観的に見ている夢。つまりビデオで撮った映像のように、自分自身の姿を見ている夢だ。これはさすがに経験が無い。
これを現実に当てはめると「自分を客観視できない人」ということになるが、私は逆に、いつも人がどう感じているかを考えてばかりいるので、もしかしたら夢と現実の姿は正反対な関係にあるのかもしれない。
ということは、睡眠中の夢が超リアルな私は、願望としての夢は現実感が希薄ということか。
なるほど、このままではいけないな。映画「マトリックス」のネオのように、夢の世界でリアルな自問自答でもしてみようか・・・。