人気ブログランキング | 話題のタグを見る

RUKAの雑記ノート(現在休止中)

rukachas.exblog.jp
ブログトップ

愛想のパターン化

愛想私がバイク通勤している大通りにとある店があるのだが、そこでは道路端に毎日誘導員が立っていて、お客の車を駐車場に誘導している。しかし会社に向かう私から見ると店が左側にあるので、対向車が右折して入るために、この誘導員によってこちら側の車の通行を停められることがよくある。

まぁ一旦停止する程度だからさほど困りはしないが、ちょっと奇異に感じたのは、その誘導員が停車させた車列に「さぁどうぞ」と発車を促すときに、いちいち丁寧なお辞儀をするのだ。それも直立で深々と頭を下げ、3,4秒くらいかけるような実に几帳面なお辞儀だ。(お辞儀し終わるまではジャマで通れない)
何ごとも丁寧なのは見苦しいことではないし、悪いことではない。だがただでさえ道路工事が多く渋滞気味な通りなのだから、もうちょっと素速く対処してほしい。(ー"ー )

このお辞儀には「お停めして申し訳ございません」という意味があるのだろうが、実際にこの誘導員にそういう気持ちがあるかどうかは分からない。だがたとえあるにせよ、このてのエクスキューズはこの人がするべきことではない。つまり「車に停まってもらってそのあいだに客の車を誘導する」という仕事をこなしているだけなのだから、いちいち詫びのお辞儀などする必要はないということ。
もし誰かしら詫びる必要があるのなら、それは、客の車を入れるために他の車の通行を一時的に停めなければならないような、そんな場所に駐車場を設置した店側の代表がするべきだろう。

企業が市民に対し一歩引いた態度を示すことは、角を立たなくするためには良い。だが詫びの気持ちを持つべき人物が詫びず、直接関係のない人物がパターン化した詫びの表現をすることは多々あることだ。
住民に反対されそうな事(マンションの建設など)をするにあたって「ご迷惑をおかけします」などという状況説明のビラをあらかじめ配ったり、顧客対応のアルバイトが、さも企業の気持ちを代弁するかのようにマニュアル化した謝罪言葉をならべたり・・・。

世の中には社交辞令的な態度が溢れている。気持ちの通わない挨拶も溢れている。少しぐらいできないようでは世渡り上手にはなれないのかもしれないが、本心を無視した愛想のパターン化だけは、たとえ社会的に要求されようとも避けたいと、私は思っている。
by rukachas | 2005-02-28 23:57