子供大好きRUKAの雑記帳
by RUKA
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カテゴリ:ニュースの話( 30 )
嘘つきっ子、ネットにはばかる
真実先月27日、お笑いコンビ「爆笑問題」の太田光さんの殺害を予告する書き込みをネットの掲示板にしたとして、32歳の男が逮捕された。
本人は「笑いのネタになると思った。本当に殺す気はなく、冗談のつもりだった」と供述しているが、最近はこのような軽いノリでの殺害予告が相次いでいる。

便所の落書きレベルで逮捕するなんて警察の横暴だ、という意見もあるようだが、実際にネットで予告されていた殺傷事件も少なくないのだから、警察に「こんな書き込み無視しろ」と言うほうが横暴だ。たとえ冗談でも冗談じゃない。

「埼京線の上野駅で...」や「◯◯を投します」(”殺します”に見せかけている)、「小女子を焼き殺す」(小女子は魚の名前)など、まるで言葉遊びでおちょくっているかのような書き込みでも数人が逮捕されているが、これも当然だろう。
たとえ爆弾じゃなくても、爆弾に見せかけて繁華街に置いておき、それで人に警戒心を与えて通常の業務を妨害すればじゅうぶん犯罪だ。あとから「いや、あれは爆弾じゃないから」と言い訳しても無駄なのと同じ。

ネットでの殺害予告が相次いでいる理由として「匿名性の悪い面が出ている」「逮捕されることに対する危機感が薄いのではないか?」と言われているが、私はこうも思っている。
殺害予告を書き込むという行為は、そもそも「平気で嘘がつける」という性格に起因しているのではないだろうか?
「上野駅で」の容疑者も「投します」の容疑者も「小女子を」の容疑者も、はたして逮捕されなかったら実際におこなっていただろうか?いやするはずがない。初めからその気などなく、嘘を書き込んでいたわけだ。

もちろん、実際に実行すれば良いと言っているのではない。殺害予告後に実際の犯行をおこなった者を、正直者と言っているのでもない。
だがカジュアル殺害予告と言えそうなくらい軽いノリの、最近の多くの殺害予告は、予告の名を借りた嘘文章でもある。逮捕された者のお決まりのセリフ、「実行する気はなかった」「ふざけてやった」という言葉は、はからずも自分が嘘つきであると白状しているようなものだ。

ネットがない時代は、たいていの場合、嘘はリスクとして自分に返ってきた。狼と少年の話のように、嘘をついていればいつしか疎外されてしまう。
だがネットでは嘘をついても直接自分が困ることはない。ネットの匿名性は、嘘つきさんに透明人間にも等しい自信を与えてしまった。自由にウソをつける場で羽目を外してしまった結果が、殺害予告での逮捕とはなんとも情けない。

このように、やりもしないことをやると書いたり、やってもいないことをやったと書いたり、フィクションを事実と見せかけている人は意外と多いのだろう。
テレビや新聞の場合は発覚するとやらせ問題として採り上げられ、叩かれ、それなりのペナルティを受けるが、そのてん個人の嘘は大目に見られているところがある。
某巨大掲示板の管理人は「嘘を嘘であると見抜けない人には(掲示板を使うのは)難しい」と言っていたが、その掲示板に嘘が横行しているとしたら、むしろ真実のほうが嘘っぽく見えてしまうかもしれない。

嘘つきは泥棒の始まりとはよく言ったもの。
嘘つきさんの冗談書き込みに警察や市民が翻弄されるくらいなら、いっそのこと「嘘を書き込んだら罰金」というくらいのペナルティを設けたほうが良いのではないかと思うくらいだ。
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by rukachas | 2008-08-03 17:59 | ニュースの話 | Comments(0)
秋葉原の通り魔と引き金の潤滑油
犯行予告8日に秋葉原で起きた通り魔事件の容疑者は、自分の境遇を恨み、自分以外の人間を敵と見なし、計画性を持って無差別殺人をおこなった。どのような心情であったにせよ、その行為は決して許すことはできない。
しかしこうも思う。2000年5月のコラムでも書いたことだが、「なぜこんな理由で人を殺したのか?」ではなく「なぜこんな理由で人を殺すような人間になってしまったのか?」が重要だ。

リストラの対象となったと思い込んだことが犯行の引き金になったと言われているが、そもそもいつ発射するかわからない弾丸がセットされているからこその引き金なわけで、そういう性質を持ち合わせた理由は、高校卒業後の自身の身の振り方にある。
さらに、この無責任な人格が形成された大元の原因は、やはり幼少期の育てられ方にあると言って間違いはない。

だが同時に、引き金を引きやすくする潤滑油のようなものがあったことも事実。それはネットの掲示板。容疑者は犯行直前まで計30回、携帯サイトの掲示板に心情を書き綴っていた。悲観的な内容に次第に閲覧者の反応も少なくなり、内容は愚痴、妬みへと変わり、恨み節を書きなぐるようになった。そしてとうとう犯行予告。
人間が事を起こす時はたいてい、その行為は特定の誰かに向けておこなわれている。この男も掲示板に書いた驚くべき内容を実践することで、自分を無視した者たちを振り向かせたいとでも思ったのだろうか?

「電車男」のように、閲覧者のレスが背中を押してくれて良い結果をもたらすなら有り難い。しかしこの男の場合は、自分の書き込みに背中を押されてしまったわけだ。
掲示板でのやり取りなど文章のやり取りに過ぎない。相手はその文章に反応しているのであって、書き込んだ人間に対して反応しているのではない。昔の文通でもパソコン通信でもそうだが、書き込まれた内容の深さを意識するあまり、相手の気持ちまでも深いと勘違いしてしまうことはよくあることだ。

ネットの交流で本当に心が通い合うには何年もかかるもの。私にはこの10年間で数千通ものメールをやり取りしてきたメール友達(少し年下の中年男性)がいる。まだ一度も出会ったことはないが、互いに信頼し合っている仲だ。
相手の言葉を重んじるレベルに達するには長い時間がかかる。他人に失礼な言葉を返す自己中さんを心配する雰囲気など、即席の付き合いにあるわけがない。
この男も自分の掲示板を愚痴と妬みの公開場にするぐらいなら、もっと長い目で見た心の交流を模索するべきだった。

容疑者は警察での調べに「襲撃直前にためらった」と供述している。そのためらいを払拭したのがすでに投稿した書き込みだったとすれば、男は過去の自分に背中を押されたことになる。
最初の書き込みは先月末。たった10日ほどで身勝手な計画を押し進め、そして実行。人の幸せを願うことも人の不幸を悲しむこともできない男は、失われた幼少期を取り戻そうと焦っていたのだろうか?その矛先は死刑台へと向いていたというのに。

「犠牲となった7人の方のご冥福をお祈りいたします」
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by rukachas | 2008-06-14 18:29 | ニュースの話 | Comments(0)
子供に死を教えない親たち
悲しみの天使福岡県のとある小学校で、5年生の担任の男性講師が授業で自殺の方法について言及したとして、学校側と講師が生徒の親に謝罪したというニュースがあった。asahi.comの記事から一部を引用。
asahi.com 5月30日の記事

----- ここから引用 -----
学校の説明によると、担任は28日、国語の授業の冒頭で自殺について触れた。「睡眠薬と多量のアルコールを一緒に飲むと死んでしまう」「投身や溺死(できし)、練炭を使うこともある」などと述べた。そのうえで、「みんなの誕生は多くの人の喜びの中で迎えられた。命を大切に力強く生きてほしい。自殺はしてはいけない」と自殺の防止を訴えた。
担任は学校側に対し、「児童から『こわい話をして』と要望されていた。フリーアナウンサーの自殺を想起し、話した」と事情を説明した。
----- ここまで引用 -----

児童から話を聞いた保護者が県の教育委員会に「先生が授業で自殺の方法を話した」と通報したらしいのだが、私はこれを読んで「またバカ親のクレームか」と正直やるせなくなった。

イジメなど他人の命を軽視したり、自分の命を捨てようとさえする小中学生も少なくないこの現代、この講師がおこなったことは、生徒に自殺への嫌悪感を持たせるためにも有意義なことだ。
「人はこうすると死んでしまう」という情報は、5年生にとっては立派な人間学習。生徒から「なにか怖い話して」と言われたのなら、ありもしないオバケ話をするよりも、人間の命はこんなことで終わってしまう、それこそ怖いことだ、と教えることは教育者としてなんらおかしなことではない。

もしこの子らが家庭で自殺のニュース報道などを見たとき、父親に「自殺って他にどういうのがあるの?」などと質問したら、おそらく大部分の親は「そうだなぁ、首吊りとか飛び降りとか・・・あと焼身自殺する人もいるなぁ」という感じで普通に話すことだろう。講師が授業で話したときだけNGとする理由はない。
「睡眠薬と多量のアルコール」「密閉された部屋で練炭を使うと死に至る」という情報は、小学生でもぜひ知っておくべき知識だ。

このようなことにクレームを付ける親は、「死」「犯罪」「性」などの情報をシャットアウトすれば真面目な子供が育つとでも思っているのだろうか?むしろ情報を選り分けたり判断する能力が育っていかない分、思春期を過ぎたあたりで道を踏み外しやすくなるというのに。

ショックを与えるから、子供は知らないでいて欲しいからという理由だけで人間社会の真実を教えない困った親たち。そうしているあいだにも、子供たちはテレビや雑誌などの様々なフィクションに影響を受けている。
自殺の方法を教えたからといって文句を言っている親たちは、道徳教育とは死の概念をも含んだものであるということを知っておいてほしい。
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by rukachas | 2008-05-31 14:14 | ニュースの話 | Comments(0)
公平な不公平
カラオケ今日、気になるニュースを見た。
中日新聞5月21日の記事「深夜入店の子連れ親とトラブル」
----- ここから引用 -----
静岡県教育委員会が青少年に関する条例の「青少年」の定義を、現在の「小学校就学から18歳未満まで」から「18歳未満すべて」と改正を検討していることが分かった。青少年の入店が禁止されている深夜の遊興店で、子ども連れの親が「幼稚園児はいいのに、どうして小学生は駄目なんだ」と店側にクレームを付けるなど、年限がトラブルの元となるケースが増えているためだという。
----- ここまで引用 -----

私から見れば、深夜の遊興店やカラオケ店に子供を連れて行く親は、子供が幼稚園児だろうが小学生だろうがどちらもバカ親としか思えないのだが、抗議した親は小学生も入店OKになると思っての真面目な抗議だったのだろう。

ところが意に反して、条例はどちらもダメの方向で動き出してしまった。不公平さをなくすためにハードルを上げ、より厳しくしたわけだ。おやつの数の違いで文句を言った兄弟に「どっちもおやつ無し!」としたようなもの。
利用していた幼稚園児の親は、抗議した小学生の親に「いらんことすなっ!」と思ったかもしれない。

じつはこれと同じようなことがテレビなどのメディア界でもあった。
かつて日本のテレビ番組には、元気さ、微笑ましさの象徴として裸の男の子が幾度となく登場してきた。ドリフターズのコントで裸の子が走り回って会場を和ませたり、オムツのCMにも赤ちゃんが素っ裸で登場していたものだ。

ところが数年前から「男の子の裸は映すのに、なんで女の子の裸は映さないんだ!」という声がチラホラ。直接テレビ局に抗議した者がどれだけいるかは知らないが、不公平だという言い分だ。
ジェンダーフリー精神のようにも見えるが、おそらくほとんどは男性の好色さによるものだろう。

結果的にはどうなったかというと、なんと今では男の子の裸も映さなくなってしまった、というオチ。
まだ規制ではなく、BPO(放送倫理・番組向上機構)が各テレビ局に自粛を促している状態だが、結局「なんで女の子はダメなんだ!」という意見から「じゃあ両方ダメにしましょう」という結果になるという、先に述べた深夜の子供入店のケースと同じ展開。

海外と日本を比べて、日本のほうが規制が厳しいと抗議することは意味あることだと思う。日本は海外の法律までは動かせず、動かすのは日本側のハードルだからだ。
しかし、日本の法律や条例の中での不公平さに抗議した場合、ともすれば厳しいほうにハードルを合わされてしまうことがある。

今日本が抱えている様々な問題に言えることだが、物事が社会に与えている影響によって規制の度合いを量るべきなのに、単純に一律にしようとするからどこかで歪みが生じてしまう。
政治家が個人的な感情でむやみにハードルを上げることは国民のためにならないが、国民も個人的な感情のみで抗議していると、結局は自分たちのためにならない結果が待っているだけかもしれない。
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by rukachas | 2008-05-21 20:50 | ニュースの話 | Comments(0)
宝くじ 当たる気がすりゃ 夢見れる
運勢数ヶ月前、サッカーくじ「toto」の売り上げが伸びないというニュースを聞いたと思ったら、今度は反対に予約が殺到してシステムがパンクというニュース。totoBIGの1等当選金が繰り越されて6億円にもなったので(上限が6億円)、一攫千金を夢見る人が増えたのだろう。

totoBIGは、コンピューターが自動で試合の勝ち負け予想をはじき出すシステムなので、多く売れれば試合結果のパターンが出揃い、1等当選が出やすくはなっている。その確率は約480万分の1と、ジャンボ宝くじの約1000万分の1よりも大きい。
だがこれは1等当選者が出現する確率が増えただけであって、自分が当選する確率が増えたわけではない(ハズレパターンのくじはそれ以上に売れているわけだから)。しかも1等当選者が5人以上いた場合は、その人数で当選金を分けなければいけないらしい。このへんは、当選数が決まっているジャンボ宝くじとはちょっと違うね。

ジャンボ宝くじもtotoBIGも、当たる確率の少なさにこそ夢があると割り切れる人ならイイかもしれないが、私はどうしても「買うだけムダ」と感じてしまう。
だが人は不思議なもので、当たる確率が如何に少ないか分かっていても「もしかしたら自分が...」と、偶然を奇跡に置き換えて期待するものだ。人によってそれは神がかりであったり、超能力であったり、運であったりと思い込みは様々だが、偶然は偶然、ラッキーな偶然を待つほかない。

ここにサイコロがあるとする。なんの仕掛けもなく、どの目も出る確率は同じ6分の1。そのサイコロを振ったら3が出た。そしてもう一度振ったらまた3が出た。さらにもう一度振ったら、またまた3が出た。では、次にサイコロを振って3が出る確率はどのくらいだろう?
答えは、当たり前だが6分の1。ところがほとんどの人が、3が立て続けに出ると次も3が出るのではと思い込んでしまう。
3が3回続けて出たとしても、それは過去に3が3回出たという事実があるだけで、この後に3が出る理由にはならない。

または逆に、もし宝くじを買ってその番号が111111とか123456だったとしたら、おそらく当たる気はしないだろう。それはランダムに選ばれる当選番号が、こんなにキチンと揃った番号になるわけがない、という思い込みがあるからだ。
しかしこれも当然なように、111111だろうが123456だろうがバラバラな数字だろうが、当たる確率はみな同じ。
つまり「未だかつてこんなキチンと揃った当選番号なんて見たことない」というのなら、他のどの数字も、当たる確率はその程度だということ。
言い方を変えれば、自分が持っている宝くじが当選する確率は、111111という当選番号が出る確率と同じなのだ。夢を壊すようなことを言って申し訳ないが。(^^;)

当たるも偶然、当たらぬも偶然。人生には様々な偶然があり、良い悪いひっくるめて無数の偶然の中で暮らしている。
宝くじに当選した人を見ては、自分が当事者になれなかったことを残念がり、災害で被災した人を見ては、自分が当事者にならなかったことに安堵する。(災害は必ずしも偶発的とは言えないが)
必然の中にも偶然の連続、そして結果。人は結果だけを見て、それを「運命」と呼んでいる。
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by rukachas | 2007-05-19 16:05 | ニュースの話 | Comments(0)
タダより高いものはない
ケータイソフトバンクが「通話0円、メール0円」などと広告を展開していることについて、公正取引委員会が景品表示法に違反する可能性があるとして調査を始めたらしい。
契約させてしまえばこっちのものとばかりに、意図的にユーザーの誤解を招こうとしたのか、それともどこの宣伝でもやっている、強調したいことを強調していただけのことなのか、それはいずれ白黒ハッキリするだろう。

それにしても、0円てことはタダってことで、通常このようなオイシイ話を聞けば、当然何かしら条件が付くことは安易に予想できる。
実際には、自社同士の通話に限っては無料だが、他社の携帯にかけるときはかなり割高だったり、月額基本料金を安くするためには他の料金プランに入る必要があったり、端末が月賦販売になっていたりと、使い方によっては必ずしもオイシイ話ではない。

しかも「0円」という言葉の響きには、八百屋のおじさんが「はい!おつり3百万円!」と言っているのと同じような茶目っ気というかおふざけというか、つまりとても本気にはできない雰囲気が漂っている。
だから私は最初にこの広告を見たときに、「さすがソフトバンク、そうきたか!」と、むしろ感心したほどだ。これは0円という茶目っ気のあるキャッチコピーを付けた事に感心したのであって、本当にタダ同然にすると思ったわけではない。

ところが不可解なことに、この宣伝で本当に料金がバカ安になると思ってしまった人が結構いるらしい。ちょっと言い方は悪いが、そういう人は詐欺にも引っかかりやすいんじゃないかなぁ。

私は先月後半、自分のパソコン(子供用ソフトてんこ盛りの子供向けiMac)を小さな子供がいる親御さんに差し上げるため、自分のサイトのトップページで欲しい人を募集していた。
結局応募してきた人は4名しかいなかったが、一旦は応募を思い立った人の中にも、「タダであげるなんて怪しいぞ」「詐欺かも」と、応募するのをやめた人も、もしかしたらいたかもしれない。(^^;)
なにしろ小さな子供がいる人限定だし、私に住所と氏名を教えることになるんだからね(お互いにだけど)、多少は警戒してくれたほうが私も安心てもんだ。

私は、うちのiMacを他の子にも使ってもらいたい、と思ったからタダであげたわけだが、企業の場合値下げの目的は、ただただ、集客に他ならない。
昔からタダより高いものはないと言うが、企業が突然無料を口にしたら、ジョークだと思ったほうがいい。
結果的にはソフトバンク、冗談では済まない状態になってしまったようだ。

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ことわざ「只より高いものはない」
タダで物をくれるときは、往々にして条件が付いてくるものであり、その条件が難しいものだったりして、かえって高く付いてしまうということ。
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by rukachas | 2006-11-03 03:45 | ニュースの話 | Comments(0)
任せて安心?
消防士このあいだニュースサイトに「放火未遂で消防団の女逮捕」という見出しが載った。その数日前には、男性保育士が保育園で少女のワイセツ写真を撮ったというニュースがあった。

警察官が痴漢をしたり、教師が児童買春をしたり、消防士が放火をしたり、医者が人を傷付けたり、銀行員が金を着服したり、ガードマンが窃盗をしたりとエトセトラ、ああエトセトラ。
木を隠すなら森の中というが、その職業が上手い具合に犯罪の隠れミノ、つまりカモフラージュになっているわけだ。そういえば、水道局の職員が自宅の水道メーターを外して、水をタダで使っていたというニュースもあったね。

本来被害を食い止めるべき立場の者がじつは加害者だったとなると、とかく雇用に問題ありとか、現場の教育がどうだとか言われるが、そもそもこのての犯罪の背景には二通りのパターンがあると思う。

ひとつは、もともと犯罪を起こしやすい性質の者が、欲望の矛先としてその職業を選んだケース。
たとえば少女に対し猥褻心を持つ者が、近づけるからと小学校の教師になったり(簡単なことではないが)、火災を見るのが好きな者が、毎日見れるからと消防士になったり...。
たとえ悪事を起こさなくても、安心を任せられる人間でないことはたしかだ。これは雇用の段階でいかに適性を見抜くかにかかっている。

もうひとつは、もともと犯罪を起こすような性質は無かったが、それが可能な環境で過ごすうちに、出来心というか心変わりというか、ついつい手を染めてしまった、言わば犯罪に導かれたケース。
たとえば金の流れを管理するうち、多少着服してもバレにくい方法を知って実行してしまったり、空港の手荷物検査員が客のカバンから物を盗んだり、個人情報の管理者がつい盗み見てしまったり...。

これは日常化していれば現場に難ありと言えなくもないが、閉ざされた空間での犯罪の抑止には、監視員を監視し、さらにそれを監視し、と管理を多重化していくしかないのか?
鉄壁のセキュリティと素通しの監視体制を両方とも有するのは、なかなか難しい。

そんなことを考えていたらふと思った。自ら紛れ込んだにせよ、現場で誕生したにせよ、もしかしたらこの世の中、職業と実際の適性がまるで正反対の人はかなり多いのではないだろうか?
これは得意不得意、向き不向きのことを言っているのではなく、最初に言った、職業がカモフラージュになっているという意味で。

教師は生徒のことを第一に考えている。医者は全力で患者を治そうとする。警察官は悪いことをしない。消防士は火災の撲滅を願っている。マスコミは真実を報道している・・・と、我々はこのようなことを信じているからこそ安心して暮らしていけるわけだが、実際にはワイセツ先生もいれば、いい加減な治療をする医者もいて、法を犯す警察官もいれば、放火をする消防士もいる。そして記事を捏造する新聞記者もいるわけだ。

善人と思われていた人が実は悪人だった・・・と分かれば良いが、分からずにいると犯罪を未然に防ぐこともできない。
本心を明かしたがらない人が多いこの世の中、「餅は餅屋」と安心して任せられない時代になってしまったようだ。
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by rukachas | 2006-09-06 21:36 | ニュースの話 | Comments(0)
命で償え
反省!山口県で1999年に起きた母子殺害事件の被告に対する上告審で、最高裁は20日、広島高裁の無期懲役判決を破棄し、審理を高裁に差し戻した。
これにより、差し戻し後に被告に死刑が言い渡される可能性が大きくなった。

死刑・・・法の名の下に犯罪者を死に至らしめる刑罰。
私は今まで自分のサイトで幾度となく『人の命はとても重く、この世で最も価値あるもの』と言ってきた。また『善人であれ罪人であれ、人によって命の価値に差はない』とも言ってきた。
では、私は死刑廃止論者かというと、そうではない。むしろ死刑制度は廃止してはならないものだと思っている。

たしかに死刑は残酷な行いであるし、死刑制度があるからといって殺人事件が減るというものでもない。
だが死刑の存在意義とは、犯罪抑止でも見せしめでもなければ、世間の犯人に対する怒りに応えるためでも、遺族の感情を考慮するためでもない。

では死刑は何のためにあるのだろう?
私は、死刑とは「代償」ではないかと思っている。人のものを奪ったのなら、自分もそれ相応のものを犠牲にして償うのが人の世のシステム。人の命を奪えば自分の命も奪われて然るべきだろう。凶悪な殺人罪に限っては、代償として死刑が必要なのだ。

しかし代償だからといって、自分の命を差し出せば(つまり死亡すれば)それで良いのかというとそうではない。連続幼女誘拐殺人事件の犯人である宮崎勤死刑囚は「絞首刑は残虐なので、死刑は薬物による執行に改めるべき」などと勝手なことを言ったそうだが、この犯人が薬で眠るように死んでいって、果たしてそれがあの事件の代償となるだろうか?
死刑はあくまでも刑罰なので、刑自体が「罰」でなければならない。安楽死では本人が「苦」を感じることなく終わってしまう。苦を感じなければそれは刑罰ではない。

繰り返しになるが、人の命を(わざと)奪うことはこの上なく愚かなことであるが故に、死刑制度は絶対に必要だと思う。それは「目には目を」という意味ではなく、この世に生を受けた者としてのケジメのようなもの。
ただし当たり前のことだが、代償を払ったからといって被害者の死がチャラになるわけでも、遺族が救われるわけでもない。

刑に関してはもうひとつ思うことがある。
殺人事件、とくに未成年による犯罪の場合、加害者の更生の可能性を見込んで減刑されることがよくある。凶悪な猟奇殺人の犯人でさえ、反省しているから、更生の可能性があるからと、死刑にならずに済むことがある。
私は、「反省している」「更生の可能性がある」ということと「減刑」がどうして結びつくのかわからない。

刑は行いに対しての罰であり、過去に行った過ちは、いくら反省しようとこれから更生しようと消えるものではない。然るべき代償を払ったのちに更生すれば良いわけで、その代償が死に値するなら、死して更生を諦めるもやむなしと考えるのが妥当だ。
また、反省とは心から自然とわき上がる被害者への詫びであるのに、そこに減刑というご褒美があれば本心はわからなくなる。

少なくとも、自分勝手な理由で人を死に至らしめた者は、自らの死をもって償うべきだという原則を、この国には持ってほしい。
反省など、褒美があればサルにもできる。
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by rukachas | 2006-06-22 01:20 | ニュースの話 | Comments(0)
♂と♀でジェンダー・フリー
男と女最近新聞などで、行き過ぎたジェンダー・フリー教育についての記事をよく見かける。小学校で高学年の男女を同じ教室で着替えさせるとか、運動会の騎馬戦を男女混合で行うとか、一部の教育現場ではまったくおかしなことになっているようだ。
男らしさ女らしさの概念を批判するジェンダー・フリー思想が広がる中で起きたことだが、もしかしたらジェンダー・フリーに対する批判的な意図も多少はあったのかもしれない。もちろん生徒の心を無視したこのような現場は、すぐに改めなくてはいけないが。

人間は男か女かどちらかであり、生物学的に明確な違いがある。
性差別は決してあってはならないことだが、これは性別によって格差(上下の差)が生じてはならないということであって、男女の違いを無視するということではない。例えれば、犬と猫どちらも可愛がりましょうということであって、犬にネコジャラシを与えたり猫に首輪を付けて散歩するということではない。
犬には犬の、猫には猫の扱い方がある。だから人間も男と女で向き不向きがあるのは当然のこと。これを差別と呼んではいけない。

しかしその向き不向きにも当然例外があり、性別による選り分けがマイナスに働く人もいる。そういう個人的な能力や精神面の違いを考慮しない現場があることが問題なのであり、これはジェンダーの問題とは分けて考えるべき。

だがジェンダー・フリーを訴える団体なり個人なりが、男らしさ女らしさの概念を批判する意図はよくわかる。とくに女性の場合、作られた「らしさ」に縛られてきた歴史が長いのだから。
しかし時代とともに移り変わるこの「らしさ」。少なくとも私は現代の「女らしさ」という言葉の中に、縛りの意図は見出せない。
雄々しい女、女々しい男が大多数を占める世の中になれば、性差別を高らかに訴える声も減ってくるだろう。だがこれでは「らしさ」が逆転したに過ぎず、ジェンダー・フリーが実現できたことにはならない。そういう意味では、男らしさ女らしさに捕われない文化の出現が、不可欠なのかもしれない。

我々は男らしさ女らしさを口にする前に、はたして人間らしいのだろうか?
鳥は地を歩くよりも大空を飛んでいたほうが鳥らしい。魚は水の中で活き活きしていたほうが魚らしい。人間にもそういう「らしさ」があるはず。
これからの未来、男は男に産まれてきたことを、女は女に産まれてきたことを感謝しつつ、人間らしさについて考えていくことが理想ではないだろうか。
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by rukachas | 2006-01-16 21:39 | ニュースの話 | Comments(0)
親のように兄のように
男の子女の子子供が犠牲になる痛ましい事件が立て続けに起きているため、全国で子供を守る本格的な対策が早急に求められている。
通学路に防犯カメラを設置したり、ガードマンを配置したり、親が送り迎えをしたりと、まるで街中が厳戒態勢を敷いたかのようだ。こんなピリピリした社会で子供がまともに育つのか心配になってしまうが、背に腹は代えられぬといったところか。
私も警備を強化することには大賛成だ。今の子供たちを犯罪者から守るには、それしか方法がないのだから。

子供に対する犯罪は最も卑劣なものだ。だが「くさい臭いは元から絶たなきゃ」というCMが昔あったが、犯罪者を生み出している土壌を何とかしない限りは同じことの繰り返しだろう。
今回の女児殺害事件では、ロリコンという、少女に恋愛感情を持つ者の犯行ではないかと言われている。日本にはロリコンが多いらしいが、テレビや雑誌、芸能界も行き過ぎた面を反省する部分があるのではないだろうか?

このあいだテレビで、11歳の少女タレントの水着DVD発売&サイン会の様子が放映された。来ていた客は同年代の子ではなく、イイ歳をしたオッサンばかり。少年の心を持ち続けている、と言えば聞こえも良いが、発売元は水着姿や大人っぽさをセールスポイントにしており、成人男性をターゲットにしている印象は拭えない。マスメディアなどによって子供が大人の恋愛対象として形作られている状況を、このまま黙認して良いのだろうか?

私は子供好きだがロリコンではないので、少女に恋するという感情がイマイチ理解できない。もちろん好くほうも好かれるほうも悪くはないし、こういう方たちが犯罪を犯しやすいと言っているのでもない。
だが、これだけ悲惨な事件が立て続けに起きているのだから、政府はマスメディアでの少女タレントの扱われ方を含め、なぜ子供が被害に遭うことが多くなったのかを、総合的に考えてみる必要があるだろう。
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by rukachas | 2005-12-07 07:50 | ニュースの話 | Comments(0)