子供大好きRUKAの雑記帳
by RUKA
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人のために・・・
鶴の恩返し人間社会の基本はギブ&テイクだ。してもらったり、してあげたり。恩を受けたり、恩を返したり。

私は子供の頃から、いつも人のために行動することが多かった。ギブ&テイクならぬ、ギブ&ギブ。オフクロのため、親父のため、妹のため、親戚のため、先生のため、友人のため、そしてどこの誰とも分からない誰かさんのため...。
時間を割き、金も使い、モノを作り、用事を引き受け、世話をして、教えて、与えて・・・自分には何のトクもないことでさえ、相手のために骨身を削りながら生きてきた。どんなに疲れても体調が悪くなっても、相手の喜びというたったひとつの報酬を得たいがために。

その本質は今でも変わってはいない。もし私が自分の事しかしない人間になったら、それは私の死を意味するだろう。
人は誰からも必要とされなくなった時に生きる価値を失う。たった1人でも恩恵を感じてくれる人がいるならば、それはとても有り難いことだ。その人のおかげで、生きる価値が得られているのだから。

だが、世話をしてもらった者、恩恵を受けた者は、その恩をどれほど大切にしているのだろうか?
いくらその人のために行動しても、時が経つにつれ、まるで無かったかのように一蹴されることもある。その人は過去を忘れてしまっても、こっちは過去の喜ぶ笑顔を忘れはしない。苦労したあとの、たったひとつの報酬を忘れはしない。

しかし最近ふと思うことがある。もう年齢も40だし、そろそろ自分を中心に考えても良いのではないかと。ワガママというものに罪悪感を感じてしまう性格だからすぐには無理かもしれないが、これからはもっと自分のために、自分の喜びのために生きていこうと思う。

だが子供の頃から根付いた「人のために」という気持ちは、無くそうと思って無くせるものではない。自分を客観視すれば、少しは楽に勝手ができるかな?自分から受けた恩恵は、そう容易く忘れることはないからね。
そしていつか、恩返し。
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by rukachas | 2005-06-27 23:54 | Comments(0)
性善説と性悪説
天使?人は生まれながらにして善であるという「性善説」と、生まれながらにして悪であるという「性悪説」がある。たしか性善説は中国の孟子、性悪説は荀子によって唱えられた説だが、この相反する思想、はたしてどちらが正しいのだろう?

何が善で何が悪か、という解釈によって意見が分かれてしまうだろうから、ここでは他人を思いやる気持ちを善の心、他人を蔑んだり陥れたり、困らせようとする気持ちを悪の心とする。さて、産まれたての赤ん坊にあるのは善の心か、悪の心か?

私は若い頃は「人間は善悪どちらでもない完全無垢な状態で産まれてくる」と思っていたが、今ではどちらかというと性善説寄りではないかと思っている。
たとえば、ある赤ん坊が産まれた時から自分以外の人間との接触を一切断たれ、人の愛情を得ず、何の教育も受けず、ただロボット的に衣食住を提供されるだけの環境で育ったとする(昔、オオカミに育てられた少年の話があったね)。当然言葉も話せないし、野生の哺乳動物なみの行動しかできない子になるだろう。
そんな子がある日暴れまわったとしても、他人の姿を見て襲いかかってきたとしても、はたしてそれは悪心によるものだろうか?

たとえ自分を守る本能的な行為だったり、精神面から起きた行動だったとしても、そこに相手を蔑む感情(利害関係を理解するだけの知識)がなければ、いわゆる悪心とは言えないのではないだろうか。ちょうど、ライオンがシマウマを襲っても、それが悪事ではないのと同じように。

また、もし人間が映画「オーメン」のダミアン少年のように本能的に悪心を持つ生き物だとしたら、それは自らの生命自体を危うくすることにもなる。これは生物学的にもおかしい。よって、赤ん坊に悪の心は無いと、私は思ったわけだ。

では反対に、赤ん坊に善の心、つまり他人を思いやる気持ちはあるのかというと、これはあると思う。
10年以上前にあるテレビ番組で、何かの実験だったのかただのバラエティーショーだったのか忘れてしまったが、まだやっとお座りができるようになった程度の赤ん坊を10人ほどスタジオに集めたシーンが映っていた。大泣きしている子もいれば、キョトンとおとなしくしている子もいる。
そんな中、お座りして哺乳瓶をくわえていた赤ん坊が、となりで大泣きしている赤ん坊にその哺乳瓶を差し出したのだ。しかも明らかに「これあげるから泣かないでね」とでも言っているかのようなしぐさで。
私はそれを見て、こんな赤ん坊でも泣いている子を慰めようという気があるんだなと、番組の進行とは全く関係ないところで感心していたものだった。

こんなところが「産まれた時には悪の心は無いが、善の心は少しはあるかもしれない」と私が思う理由。
孟子が唱えた性善説とは意味が若干違うかもしれないが、少なくとも人間は育つにつれ、得てして善心よりも悪心のほうが身に付きやすい。善は学ぶものではなく、悪に染まらないことで保てるもの。そう考えると、環境って大事だね。

そういえば、今日は私の6番目の姪っ子の満一才の誕生日。きっと今頃は家族で誕生会でもやっていることだろう。
この子のお兄ちゃんも、早いものでもう6歳。今年も夏休みにはお泊まりにくるだろうが、とても頭の良い子なので、来るたびにその成長ぶりに驚かされている。
性善説もそうだが、子供が生まれながらにして持っている能力や特徴は、一生ものの財産ではないだろうか。
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by rukachas | 2005-06-25 21:25 | 子供の話 | Comments(0)
夜中に走ってみた
走れ!ふとした思いつきで、真夜中に近所の路地を走ってみた。最近足腰が弱りがちなので、じゃあ今から走るか!と軽い気持ちで。

するとこれがことのほか気持ちイイ!(゚▽゚*)車の多い大通りは危険だし空気も悪いので、誰もいない路地を通って近隣地区を一回り。人がいない分、周りを気にすることなく走れるし、暗さと静寂の風景が精神も落ち着かせてくれる。
あまり人の家の前ばかりを走っていると怪しく思われかねないので、多少は道路寄りを選んだが、途中で知らない道に入っても気にはしない。月の位置を頼りに、足の向くまま気の向くまま、最後に汗だくになって帰還。

夜にジョギングしている人を見かけると「こんな時間に大変だねぇ~」なんて思っていたけれど、実際自分でやってみると結構気持ちが良いものだ。走る場所さえ選べば、真夜中のジョギングは昼間以上に快適だ。
ただ、夜中にジョギングするなら本当にたま~にか、あるいは毎日かどちらかにするべきだろうね。中途半端に習慣づけてしまうと、見た人に変な誤解を与えかねないから。週末だけならOKかな。

それにしても、最近は昼間も夜も夜中も、ノラ犬をホント見なくなったね。昔は夜中に外へ出たら、ノラ犬がたむろしている光景をよく見かけたものだけど...。

ところで真夜中に走る人・・・といえば、ちょっと強引だが今日の夜中の3時に、サッカーコンフェデ杯日本対ブラジル戦がある。現地は夜中じゃないけどね。
ハッキリ言って日本はまだブラジルには勝てないでしょう。2−0か3−0かな。でもまさかってことがあるかもしれない。もし日本が勝ったら、夜中にニュースが駆けめぐるかもね。
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by rukachas | 2005-06-22 21:39 | スポーツの話 | Comments(0)
マイケル無罪
じゃれあいちょっと前のニュースですが、子供への性的虐待罪に問われていたマイケル・ジャクソン被告の無罪が確定しました。声を荒げて抗議する者もいれば、マイケルおめでとうと涙する者も。

ワイセツ行為の確たる証拠もないので当然の結果とも言えるけれど、あの有名子役のマコーレ・カルキン君も被害を受けていたという話まで出てきたのに、当のマコーレ君はバカげた話だとキッパリ否定しているあたり、どうも子供そっちのけで親や周りの大人たちが誇大解釈していただけのような気がします。

マイケルは容姿も生活も一般人とはかけ離れていて、しかも自宅の敷地に遊園地まで作って子供たちを招待するほどの子供好き。叩かれるとしたらやはりそこからか。
だいたい子供と一緒に寝たら有罪、身体触ったら有罪っていうんなら、子供と一緒にお風呂に入ってる私は死刑ですか?(^^;)

誰が善い人で誰が悪い人か?
裁判官よりも陪審員よりも、子供たち自身が一番良く分かってるんじゃないかなぁ。
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by rukachas | 2005-06-20 22:43 | ニュースの話 | Comments(0)
ようこそ子供たち
リョウとカラス金曜の夜に小学生の甥っ子4号くんと高校生の姪がやってきて、二晩泊まり日曜の夜に帰っていった。(母親が車で送り迎え)
週末になると突然この子らから「行ってイイ?」と電話がかかってくることが多いのだが、さすがに私もオフクロも親父も暇ではないので、予定が無いときにしかOKは出せない。今回は、夏休みまで待てないこの子たちの、先々週からの約束の日だった。

4号くんはいつも私と遊ぶのを楽しみにしていて、高校生の姪は、私やおじいちゃんおばあちゃんと話をするのを楽しみにしている。遊ぶといっても、公園でボール遊びや虫取りをしたり、家でテレビゲームをしたりアニメのビデオを見たりするだけで、遊園地やアミューズメントなど、いわゆるレジャー施設に行くわけではない。
そのうちこの子たちの両親、つまり私の妹夫婦らも交えて、みんなで一緒に東京ディズニーランドにでも行きたいなとは思っているが、とりあえず週末にやってきたこの子らに言えることは「田舎でノンビリしていきなさい」ってこと。

ドイナカではないが、おじいちゃんおばあちゃんのいる親の実家なのだから、普段とは違う生活を楽しんでもらいたい。近くに山も海も川も無い住宅地なので自然を満喫することはできないが、テレビやゲームの時間を制限して、大人と子供が一緒にいる時間を増やしたいし、何らかの共同作業も増やしたい。ともすれば食生活がジャンクフードに染まりがちな現代の子供たちに、おじいちゃんが育てた野菜でおばあちゃんがこさえた素朴な和食を味わってもらいたい。そしてなにより、しがらみを解いてリラックスしてほしい。

4号くんは普段人に絡みつくことはあまりないが、私にだけはベッタリと絡みついてくる。これは私が絡みつくせいでもあるのだが、スキンシップをタップリととることで、私に対し絶対的な安心感を得ている。だからこそ私が怒ったときには、相当なショックを感じるようだ。

じつは昨日の日曜日、3人で公園で遊んだあと帰ろうとしたら、4号くんがまだ帰りたくないとダダをこね、反抗心のあまり私の前で悪態をついた。その悪態が目に余るものだったので、私はその場で激しく叱咤した。
4号くんはうつむいて黙ったまま、涙を流して泣いた。私は少し突き放すように離れて歩いていたが、しばらくして待ち伏せするように立ち止まり、4号くんを引き寄せた。「もう困らせないでくれよ...」ジックリと言って聞かせると、素直にウンウンとうなずいていた。そのうちまた同じようなダダやカンシャクはあるかもしれないが、イイ意味で蓄積していくべきショックというのも、あると思う。

だが叱られた状態がいつまでも長引いてはいけない。まるで歌舞伎の早変わりのように、私もすぐにいつもの優しいオジサンに戻る必要がある。そして再びスキンシップ&コミュニケーション。こうして子供を笑顔に戻して、そこで初めて「しつけ」の一区切りとなる。

普段家でもしていることだろうが、スキンシップと笑顔のコミュニケーションをたっぷりと味わって、甥と姪は帰っていった。
「夏休みにまた来るからね~」と、笑顔で手を振りながら。
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by rukachas | 2005-06-13 23:02 | 子供の話 | Comments(0)
サッカーの不思議な魅力
サッカー少年昨夜はサッカーワールドカップ最終予選、日本 VS 北朝鮮戦を家族でテレビ観戦した。結果はご存じのとおり日本が2-0で勝ち、世界で一番早くドイツワールドカップ行きのキップを手に入れた。おめでとうジーコジャパン!(*^ー゚)v
試合中は当然のごとくうちでも大盛り上がり。柳沢と大黒が得点を決めたシーンでは、70歳を越えたうちの親父も大声を出して喜んだ。

十数年前Jリーグが誕生した頃、親父はサッカーをとことんバカにしていた。大の野球ファン(というよりも長嶋ファン)だったものだから、野球のほうが断然面白いと豪語していた。
日本の国民的スポーツといえばプロ野球ぐらいしかなかったあの頃、突然プロサッカーたるものが現れ(本当は突然ではないが、サッカーを知らない人たちには突然の出現に思えたろう)、しかもどちらもテレビのゴールデンタイムに流れるスポーツ中継として、比べられるのは致し方ないことだ。
親父は、サッカーはただボールを蹴ってるだけでつまらないとか、サッカーファンはキチガイだが野球ファンは紳士だとか、野球のほうが歴史があるとか、ファンが多いとか、サッカー選手は長生きできないとか言いたい放題。それはすべてサッカーのルールさえも知らない親父の偏見、つまり間違った見解だったわけだが、当時は私も20代だったせいか、よく食ってかかって反論していたものだ。

ところが転機はあの「ジョホールバルの歓喜」の頃だったろうか。日本サッカーが初めてワールドカップ出場を決め、そしてその後日本と韓国が2002年の共同開催で盛り上がってくると、親父もオフクロもサッカーを自主的に見ることが多くなってきた。日本全国がサッカーで盛り上がっている中、まつりごと好きな親父たちがこれを無視できるはずがない。
そしてそんな中、親父のサッカーを見る目も少しずつ変わってきた。年寄りなりにもだんだんとルールが解ってきたのだ。ルールが解れば当然面白さも解ってくる。今では夜のサッカー中継は、開始から終了までずっと目をさらのようにして観戦し、ボールと選手の挙動に一喜一憂している。しかも観戦中はすっかり監督モード。中田やジーコに指示を飛ばすまでになってしまった。(テレビに向かってだけど)

ところが頑固一徹な親父は未だにサッカーを良くは言わない。野球のほうが面白いと言う。
だが私は分かっている。親父はサッカーを見るようになってから、野球をすっかり見なくなったことを。テレビの野球中継がかかっていても、すぐに裏のお笑い番組にチャンネルを変えてしまうことを。
今まで面白いと思っていたものが、より面白いものを知ってしまったためにつまらなくなる、ということはよくあることだ。しかもそれが国民的スポーツどころか、地球規模的スポーツのサッカーなのだから当然といえば当然。

サッカーが世界で一番競技人口が多く、一番ファンの数が多く、一番競技場の数も多く、一番巨額の金が動くスポーツなのは何故か?それは、世界で一番面白いと感じる人が多いスポーツだから。
子供からお年寄りまでサッカーによって世界に視野が拡がり、来年の今日には日本国民の目がドイツに集中する。平成の今、人の心の中に文明開化が再び起きている。
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by rukachas | 2005-06-09 22:37 | スポーツの話 | Comments(0)
タダモノに多くを望まず
メンテ昔から「タダより怖いものは無い」と言われているが(高いものは無いだったかな?)、インターネットには無料のサービスが溢れている。広告費でまかなっているレンタル掲示板やレンタルサーバ、ディスクスペースにチャットにゲームにホームページ素材にエトセトラ。
そうそう、このブログも無料サービスだね。

どんなものでも無料で使っているならば、多少の不具合はあるものだと初めから想定していなければならない。私も過去何度も掲示板が急に使えなくなったりして、そのたびに乗り換えてきたし、レンタルサーバも色々試した末に現在に落ち着いている。ブログもlivedoorブログの使い勝手が私には向かなかったから、このexciteブログに乗り換えたわけだし。

だがexciteブログも最近やけに重くなる時がある。たまに画像が表示されないこともある。おそらく顧客の増えに対してサーバが十分でないのだと思うが、無料で使っている以上、ホリエモン風に言うならこれも想定の範囲内だ。

ところがこういう無料サービスの不具合に対して、やれ早く直せだのやれいいかげんにしろだの、サポートに怒りをあらわにしている書き込みを多々見かける。
建設的な不具合報告なら良いが、荒々しい怒りの文章はとても無料レンタルのユーザーとは思えない。これでもしログが全消滅するようなことがあれば訴訟まで起こしかねない勢いだ。
案の定、他のユーザーの「だったら他に行けば?」という言葉と「無料でもちゃんとするべき!」という言葉がループするという、どこの無料サービスでも一度は見られる光景が展開される。

たしかに突然アクセスできなくなったり重くなったりすれば困惑する。今までの書き込みが消えてしまったのではないかと心配にもなるだろう。だがこういう人に限って、バックアップをとるなど、普段から不具合を想定した行動をとっていないものだ。
ブログにせよ掲示板にせよ、過去ログはその人にとってとても大切なデータだが、それを無料のサービスに全部預けっきりにしておくなんて、私にはとても怖くてできない。

思うのだが、タダで使っているモノの不具合を許せない人って、もともと他人のために行動することが少ない人なのではないだろうか?つまりいつも受け身な人。苦労してものを作って人に提供してみれば、提供する側の苦労が少しは分かろうというもの。
タダだから気軽に使える。でもタダなんだから提供する側のことも考えなきゃ。
国会では救急車を有料化する案も出ているらしいけど、なんとなくわかるなぁ。(* ̄・ ̄)
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by rukachas | 2005-06-07 06:21 | Net&Webの話 | Comments(0)
子供の姿に癒されて
男の子たち先週今週と仕事がキツかったせいか疲れが残っていて、このブログの更新もおろそかになっていた。
だがブログを始めたころに思っていた「毎日書こう!」から「伝えたいことを書こう!」に、目標というか目的を変えてからは、多少は気も楽になったような気がする。
頭に浮かんだことを書いていれば毎日だって更新できるけど、なにも水増ししてまでも記事を増やすこたぁないし、もともと数行の文章書いて終わりにできる性分じゃないし...。

残っているのは体の疲れだけではない。私にだって心のストレスくらいはある。仕事のストレス、人間関係のストレス、家族兄妹とのストレス、自分に対するストレス、そしてRUKAとしてのストレス。
人は定期的にストレスを解消して心を癒しているわけだが、癒しにも「動の癒し」と「静の癒し」がある。ある人はカラオケという動の癒しで溜まったストレスを発散し、週末の魚釣りという静の癒しを満喫している。またある人はスポーツジムで汗を流し、その後の食事を楽しんでいることだろう。これも動の癒しと静の癒しの組み合わせだ。

私にとっての動の癒しは、ユーロビートを聴いて体を動かしながら、物を作ったり掃除をしたりすること。そして静の癒しは、毎日子供たちの写真を見ることと、週末の散歩。
子供たちの写真を見る。これは一見何でもないことのように思えて結構癒し効果が高い。私が見るのは甥や姪の写真ばかりではなく、世界中のどこかにいるであろう(あるいはいたであろう)たくさんの子供たちの写真。それは写真集でも雑誌でもネットでも何でもいいのだが、とにかく楽しそうな表情と子供らしい姿を眺めることが、なによりのストレス解消だ。

本当は実物を目の当たりにできれば一番良いのだが、いつも私のそばに子供はいない。だから部屋に子供の写真を飾って、いつでも眺められるようにしている。パパさんが定期入れに我が子の写真を入れているのと同じことだね。
この写真はべつに自分が子供のころの写真でもいい。自分も他人も関係なく、人種も性別も関係なく、子供を子供として見ること扱うことができる人こそ、本当の子供好きと言えるんじゃないかな。
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by rukachas | 2005-06-04 21:58 | 子供の話 | Comments(0)