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子供大好きRUKAの雑記帳
by RUKA
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子供に何を与えよう Part2(物の価値を感じさせる)
与えるもの子供(幼児)を連れて買い物に行ったとき、スーパーのお菓子売り場などで子供にお菓子をねだられることがありますが、このとき「買うのは1個だけ」と言い聞かせている親御さんも多いと思います。
しかし、このようなときはぜひ「1個だけ」ではなく「いくらまで」としてください。スーパーでもコンビニでも20円くらいのお菓子も売っていますから、80円まで、あるいは100円までとするのが良いかもしれません。

なぜ個数ではなく値段で制限するのかというと、店に並ぶものが商品という個別の価値を持ったものであることを、イメージとして理解させるためです。
買うのは1個だけと決めると、当然子供は自分が食べたいお菓子から、どれをより食べたいか(欲しいか)で買うものを決めるでしょう。しかしこれだと「一番食べたいものを選ぶ」という思考しか成り立ちません。つまり、物の価値という感覚が絡んでこないのです。

ところが、たとえば100円までと決めると、100円のお菓子を1個買うのも、60円のお菓子と20円のお菓子を2個買うのも自由なわけです。幼児自らおこなうこの選択は、目の前に並ぶ物が商品であるということを自然とイメージさせます。
計算できない子には親が「これなら2つ買えるけど、これだと1つしか買えないよ」などと指示してあげましょう。

これは幼児期の買い物ごっこのようなものですが、お金のやりくりの学習になるだけでなく、欲しさと価値(値段)のバランスを意識することによって、物を買うということを体感的に理解し、さらに買った物に対する思い入れも高まってくるのです。たかがお菓子でも、この感覚はとても大切なものです。

普段買うお菓子を1個だけと決めているお母さんは、ためしに一度、値段を決めてその範囲で自由に選ばせてみてください(ただし、普段と同じ価格帯で)。
きっと普段よりも、お菓子をダラダラと食べ続けることが少なくなると思います。一度に全部食べず、とっておくこともあるでしょう。

私は店で甥っ子にお菓子をせがまれたときは、必ず「◯◯円まで」という制限を作り、その範囲で自由に選ばせています。また、選び終わるまでは決して急かしません。コンビニで30分以上も待ったこともあります。
もちろんお母さん方が普段の買い物で、子供のお菓子選びにそんなに時間をかけられるはずもありませんが、5分は待つくらいのゆとりは持って欲しいですね。

お菓子は欲しがるたびに買い与えていてはいけませんが、おやつとしてどうせ買うのであれば、その買い方を工夫することもしつけのひとつです。
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by rukachas | 2005-08-28 21:28 | 子供の話 | Comments(0)
子供に何を与えよう Part1(退屈を感じる子感じない子)
与えるもの退屈を楽しむ。あるいは逆に、自分に退屈さを与えない状況を作りそれを楽しむ。現代において、これができる子はどれくらいの割合でいるのでしょうか。
大部分の児童にとっては、退屈は大人が思う以上に辛いものです。家の中で「つまんないよぉ~!」を連発したり、休日にお父さんに「どっか連れてって~!」とせがんでいる子も多いことでしょう。

何も面白いことがなく、退屈さで息が詰まりそう。悲しいほどにつまらない。これは子供にとってごく当たり前の感情ですが、じつは私はこの「子供の退屈さ」が、唯一共感しがたいものなのです。(理解はしていますが)
というのも、私は幼い頃から退屈さを知らない子だったからです。常に自分で何かをして、暇を作らない子でした。もし何もやることが無く暇だったとしても、それならそれで暇を楽しむことができる子でした。
だから私は、現代の子供たちの中に「つまらない」を連発しながら自分で何をするわけでもなく、ただ他人が面白いことをしてくれるのを、あるいは何か事が起こるのを待っている子を見ると切なくなります。何もせずつまらないと愚痴るのは、依存型の性格の表れです。

幼い頃の私なら、休日に何もすることがなく、友達とも遊べず暇なとき、一体どうしたでしょう。きっと外に宝探しに行ったことでしょう。もちろん本当の宝なんてあるはずがありません。周りを細かく観察したり、珍しい虫や草木を見つけたり・・・。自分が「おっ!」と思うことがあれば、その発見こそが宝探しの成果であり、十分に楽しめました。
でもこれは、なんでもない素朴な物事に感動する、ワクワクするといった心の土壌が無いことには無理な話でしょうね。退屈だと愚痴を言う子に「じゃあ何か作ってみたら」と言っても「めんどくさい」、「じゃあ外で遊んできたら」と言っても「面白いものが無い」と言われるのがオチ。

身近なものにワクワクし、自分であれこれ調べたがる子は、退屈で辛いなんて事はありません。考えてみれば、誰しも物心ついた頃はこうだったはずです。
では、育つにつれ退屈しやすい子とそうでない子ができる違いはなんでしょう?まぁ持って生まれた性格もあるでしょうが、ひとつの要因としては、子供が所有する物の量と、それを手に入れる頻度が関係していると思います。オモチャやテレビゲームなどを豊富に所有したり、買ってもらう頻度が高い子ほど、身近な生活周りに楽しさを感じない(見つけられない)子が多いようです。そしてこれが、飽きやすい、退屈しやすい、自分で事を起こさないということにも繋がるのでしょう。

ではこれを防ぐために、親は子供に対しどう接したら良いのか?
一番良いのは、誕生日やクリスマスなど、特別なイベントのとき以外はオモチャを買い与えないことです。おじいちゃんおばあちゃんが孫可愛さのあまり、頻繁にオモチャを買ってくるというケースもありますが、この場合も相手にハッキリと話をし、分かってもらう必要があります。ようは、本当に欲しい物のみ、我慢のあとにようやく手に入るという状況を作ることです。
また親も、たとえ安い品物であっても衝動買いはなるべく避け、必要のない物は極力買わないようにしましょう。物が無さすぎるのも考えものですが、家の中が無用な物であふれていると、子供たちの創造性を奪いやすくなります。

部屋には家族の手作り品を置き、物作りの楽しさを示すのが良いでしょう。そして、子供たちが身近な物ひとつひとつに目を配ることができるようなシンプルな配置と、それに関する親子の会話も大切です。
また、親が料理や物作りをする姿を子供に見せることも、子供の建設的な行動を促す意味で大切なことです。

全国のお母さん。買った物に頼らずとも我が家が楽しい、そんな家庭を作ってあげてくださいね。
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by rukachas | 2005-08-27 18:01 | 子供の話 | Comments(0)
アスレチックであせりチック
キズ先日6歳の甥っ子と地元の大きな公園に行ったときのこと。アスレチックの広場で遊んでいると、ひとりの男の子が突然私に絡み付いてきた。私の腰に手を回してギュッと抱きついたり、馴れ馴れしくしゃべりかけたりしている。あまりの人なつっこさに、最初は私を父親と間違えているのではないかと思ったほどだ。

ちょっと大阪弁なまりのヤンチャそうなその子は、話をするといろいろ教えてくれた。名前はゆういちろう君。今5歳で、今日はお父さんとお母さんと0歳の弟の4人で車で遊びに来たらしい。お父さんはどこ?と訊くと「あっちの池で釣りしてる」と言っていた。

私も甥っ子もすっかり仲良くなり、一緒にアスレチック遊具で遊んでいたのだが、この子があまりのヤンチャぶりで、所狭しと元気いっぱいに走り回るので、普段おとなしい甥っ子もそれにつられて走る走る、遊具も登る登る。
東京の妹からあずかっている甥っ子に怪我をさせてはならじと、私の行動にも否応なしに焦りの色が出てきた。

木製のアスレチック遊具を登って降りてまた登り、ふたりの後を追いかけながら遊具の階段を降りようとしたそのとき・・・足下がおろそかになっていたのか、見事に滑って下まで転落。ヽ(´・`)ノ
腕には直径20センチほどのデカイ傷を作り、血だらけに。しかしヤバかったのは胸のあばら骨。落ちたときちょうど背中の左側、心臓の斜め後ろあたりに全体重がかかる形で木材の角に打ち付けられたため、落ちたあとしばらくは声も出せなかった。とっさに「折れた!」と思ったほどの衝撃だった。
笑いながら駆け寄って来たふたりに対しては、引きつった表情で応えるのがやっと。しかしこんなことで子供たちのせっかくの良い雰囲気を壊してなるものかと、額にアブラ汗をかきながらライク・ア・スーパーマン。

それにしても、我ながらよく頑張ったと思うのは、もしかしたらあばらが折れているかもしれないほど息苦しい状態で、しかも腕も血だらけになりながらも、そのあと数十分もふたりの遊びに付き添ったことだ。腕が血だらけで胸のあばらを押さえながら前屈みになっている男が遊具のそばにいるのだから、そのあいだ他の親子が近付いてこなかったのもうなずける。(^^;)

ゆういちろう君には「おっちゃんダイジョブかぁ?きぃつけなあかんでぇ~。明日の朝、死んどるんやないかぁ?」と言われてしまった。いやぁマジ、このセリフで正直顔が青ざめたほど、状態としては最悪だった。
現在も背中の左側が紫色に変色しており、少し腫れている。息をすると痛むので、少し経過をみてから思わしくないようなら医者に行こうと思っている。

それにしても、子供を守るべき大人が子供の遊具で怪我をするとは情けない。(/д\)
私の親父が私にこう言った。「オレらは孫を連れていてもそんな怪我するはずがない。年寄りは初めからそんなこと(アスレチック)をしないからだ」
そう、そうなのだ。年配者は年配者なりにわきまえた行動をとり、無茶はしない。子供たちは多少の無茶もするが、そこは子供ならではの柔軟性。アスレチックで大怪我をすることは少ない。

問題は私のような中年だ。気持ちは若いつもりでいても、カラダは確実に老化している。20代のように振る舞いながらも20代のようにはいかない。動きも鈍くなり、危機回避能力だって落ちている。そしていざ怪我をすれば、その回復さえも鈍いときたもんだ。(ー"ー )
一番カラダを壊しやすいのは年寄りではなく、小さな子供を育てている中年かもしれない。そして、一番いたわりが必要な世代も、中年かもしれない。

公園で馴れ馴れしく絡み付いてきたゆういちろう君。キミの大阪弁なまりのキッツイ励ましが嬉しかったよ。(^-^*)
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by rukachas | 2005-08-19 22:15 | Comments(0)
iTunes Music Store
iTMS or CDAppleの音楽ダウンロードストア、iTunes Music Store (iTMS)が日本でもようやく始まった。日本の著作権団体とレコード会社の融通の利かなさで、すべての曲を1曲150円にすることはできなかったようだが、それでも9割の曲を150円で提供できたことはさすがだと言える。

クレジットカード決済のみかと思っていたら、店や通販で購入できる専用のプリペイドカードがあるんだね。これならクレジットカードの無い私でもiTMSを利用できるので、欲しい曲が見つかったらこのカードを買ってみようと思う。

しかし日本ではまだ始まったばかりのせいか、お馴染みのJ-POPばかりが目立つ。試しにと私が好きな曲を検索してみたが、ことごとく玉砕。
ヒカシューの「20世紀の終わりに」、プラスチックスの「コピー」、メロンの「シリアス・ジャパニーズ」、立花ハジメの「タイヨーサン」と「XP41」、クラフトワークの「ツール・ド・フランス」・・・ちょっとマイナー過ぎたかな?(^^;)

しかし、クラフトワークが全曲ないのは大手のダウンロードサイトとしては如何なものか。
平沢 進も「Sim City」以前のアルバムしか置いていないが、これはジャスラックに金が入るものしかレコード会社が許可しなかったということだろうか?よくワカランが。

まぁなんにしても、これでCDが売れなくなるとか、好きな曲が発掘できて、かえってCDも売れるようになるとか色々言われているようだが、少なくとも「銀色円盤なんていらん、オレが欲しいのは音楽だ!」という人たちにとってはありがたい販売形式だね。
あとは500ミリリットル入りの缶ジュース以上の価値が、その曲にあるかどうかだ。私は欲しい曲が見つからない以上、しばらく様子見。(´Д`)
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by rukachas | 2005-08-11 00:24 | 音楽の話 | Comments(0)
爪を隠しすぎたタカ
能ある鷹ちょっと前までテレビのワイドショーや週刊誌は、元横綱、若乃花と貴乃花の確執問題でにぎわっていた。しゃべりすぎる貴乃花は角界にも敵を作り、しゃべらなさすぎる若乃花は疑惑を残すかたちとなった。
テレビを見ている人の中には「兄貴に向かってあの態度はなんだ!」と、貴乃花を非難する人もいたろうし、「弟に言いたい放題言われて、だらしがない兄貴だ!」と若乃花を非難する人もいただろう。しかしあの歳にもなればやれ兄だから弟だからと、立場であれこれ言われることでもない。ようはどちらの言い分が正しいのか?それだけだ。

私には3歳違いと10歳違いの二人の妹がいるが、私は自分が兄であるということで妹に威張ったことは一度もない。兄であることはちっとも偉いことではなく、ただ最初に生まれたというだけだ。兄(姉)だから妹(弟)よりも偉いということはなく、人間の評価はすべて身につけた能力がものを言う。それぞれの事柄において、能力なき者が能力あるものに対し一目置く。このシステムが円滑なコミュニケーションの秘訣だ。

私は子供の頃からタカだった。万能ではないが、長けた能力もそれなりにある。しかし「能あるタカは爪を隠す」。同じ意味で「大賢は愚なるが如し」という諺もあるが、人間は謙虚な態度と、己の謙遜と、相手に対する敬意が大切だ。出しゃばるタカ、爪を見せびらかすタカは嫌われる。

ところが謙遜しすぎるのも注意が必要で、ほどほどにしないと過小評価されてしまう。いや、評価さえもされなくなる。
私の妹は子供の頃からテレビのお笑い番組が大好きな子だった。私は妹の前では三枚目でドジで、くだらないギャグやダジャレを飛ばし、お笑い話で場を盛り上げるそんな兄貴だった。演じていたのではなく、実際に妹の前だとそういう兄貴になってしまうのだ。ふたりでするギャグのやり取りも面白かったし、私自身も三枚目を結構楽しんでいたわけだ。いつしか妹が大人になり結婚し、たまにうちに里帰りしたときも、私はそんな兄貴を続けていた。

しかし女性というものは、結婚するとより堅実的になるものだ。妹の前で爪を隠し続けてきた私は、妹にとっては「能力もなく、たまに面白いことを言うだけのカッコワルい兄貴」というイメージが凝り固まっているのかもしれない。
だがそれは、ピエロを見て本当にバカな奴だと思い込み、じつはピエロこそサーカスの真の実力者である事に気付かないでいることに等しい。

能あるタカは爪を隠す。しかし隠しすぎると、初めから爪の無いダメなタカだと思われてしまう。私は子供の頃からタカだった。ちょっとピエロ柄のタカだった。
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by rukachas | 2005-08-07 00:12 | Comments(0)
私が同じ格好をしている理由
ジーンズとシャツ私は若い頃から服装がほとんど変わらない。下半身は青いジーンズ、上半身は、夏場はチェックか無地の色シャツ、冬場はこれにセーターと黒いジャンパー(ブルゾン)という出で立ちを貫いている。髪型にいたっては、中学生の頃から変えていないという徹底ぶりだ。

同じ服装といっても、べつに同じ服を着続けているわけではなく、同じ種類の服を揃えているだけなのだが、これには自分なりの理由がある。それは「自分はこういう姿をしている」という設定を大切にしたいからだ。
たとえば、もしぬいぐるみショーに真っ赤なドラえもんが出てきたら、きっと誰しも「あれはドラえもんじゃない!」と思うだろうし、もしミッキーマウスがボンデージファッションをしていたら「気でも狂ったのか?」と思うだろう。ドラえもんはボディが青であってこそドラえもんだし、いかがわしい格好をしたミッキーマウスなど、もはやミッキーではないのだ。

つまり、その人にはその人の姿というのがあって然るべきだと思うので、やたらと外見を変えるべきではない、というのが私の持論。
タモリのサングラス。笑福亭笑瓶の黄色いメガネ。楳図かずおの赤ストライプの長袖シャツ。林家ペー&パー子のピンクのハデハデ衣装。みんなそれぞれに、これが自分だという姿を持っている。

しかしそんなことを言うと、こんな声が聞こえてくるわけだ。「お前は芸能人か?」と。
私は芸能人でも、噂になるような人物でもない。ごく普通の一般庶民だ。だから派手な衣装でもないし、変わった格好をするわけでもない。極めて地味に、古くさいジーンズとシャツを着ているだけだ。
しかし芸能人のキャラクター設定と同じく、自分の姿を固定させることこそ、自分の行動に責任を持つことにも繋がるはずだ。

かのリンカーン大統領は「男は40歳になったら自分の顔に責任を持て」と言っていた。これは人の顔がその人の「人となり」や「人格」を表すからだ。
では姿はどうだろう。多くの人は、自分の姿を固定することに不安を感じているのではないだろうか?それは、人に記憶されやすくなるとか、個人を特定されやすくなることへの不安かもしれない。あるいは、人に見透かされたような気分になるからかもしれない。
そう考えると、普段コロコロと服装を変えている人ほど、何か事を起こしたときに責任逃れしがちだとも言える。自分を統率するほどの確固たるキャラが無い、ということも理由としてはあるだろうが。

だが服の色など、ワンポイントだけでも条件を決め、こういう姿をしているのが自分なんだ、という設定を持つと、不思議と自分の行動や発言に責任を持てるようになるものだ。つまりは、責任の取れない言動をむやみにはしなくなる、ということ。

チャップリンは、ダブダブのズボンにドタ靴とステッキという独自のスタイルを確立してから人気を博し、存在感を高めた。SFX作家のマイク・ジトロフ氏は、自身が監督・出演した「マイク・ザ・ウィザード」という映画の中で、緑色こそ魔法の色だと、緑色のTシャツを着続けている。いずれも姿を固定することが、己の自信と責任感にも繋がっているわけだ。

私のメインの服装、青いジーンズに色シャツ、そして黒いジャンパー。この姿に落ち着いたのは22年前、19歳のとき。
ワンパターンだと言われようとも、センスが無いと言われようとも、見た目をコロコロと変えるような、確固たる設定の無い人間にはなりたくないと思っている。
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by rukachas | 2005-08-02 22:28 | Comments(0)