子供大好きRUKAの雑記帳
by RUKA
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誰のためのリンクか
リンクページインターネットの基本は自由なリンクである。つまりリンクフリーが基本だ。この「リンクフリー」という言葉は日本独自のもので、海外ではどのサイトへも自由にリンクを張れるのが当たり前になっている。それがネット社会の基本理念だからだ。
だがあまりに「リンクしてもいいですか?」という問い合わせが多いので、トップページに「当サイトはリンクフリーです」だとか「報告する必要はありません」などと明記している人が多い。
中にはリンクフリーと銘打っておきながら「リンクする場合は連絡ください」などと書いているページもあるが、このへんはまだ日本で本当のネットコミュニティが理解されていない表れだろう。

・・・と言ってはみたが、じつは私のサイト「The Light of Smile 笑顔の灯り」も本当のリンクフリーではない。トップページには「子供が見るのを好ましくないサイトからのリンクはお断りします」と明記している。これはアダルトサイトに限らず、犯罪を容認するようなアングラ系のサイトも含むが、いわゆる悪心のある人が見に来る確率を少しでも減らしたいという、制作者のせめてもの希望だ。

だがこのような記述はネットコミュニティのあり方からすればナンセンスだし、第一ほとんど効力はない。リンクしないでくれと書いても、されるときはされるのだ。
じつはそれに関連したことで、昨日こんな記事を読んだ。
スラッシュドット ジャパンの記事

北九州市と仙台市では、小中学校のウェブページに「学校のウェブページにリンクを設定するには、事前に校長の承諾が必要」とする旨を明記するように、としている。実際に各校のページを見てみると、トップページに「リンクを許可なく設定することは一切お断りします」「校長の承諾なくリンクを設定することはできません」などと書かれている。つまり学校のURLを勝手に載せるな(リンクを張るな)ということを言っているのだ。

URLを掲載したりリンクを張ったりするのは、読者にそれを紹介したいからだ。「ここ面白いよ~」「このページは便利だよ~」という親切心もあれば、「ここスゲェくだらねぇぜ!」というようなあくどい理由もあるだろう。だがどのような理由であれ、「人への紹介」をその対象側が規制できるのだろうか?
分かりやすく言えば、私が友だちに「旨いラーメン屋があるよ」と紹介するにあたって、そのラーメン屋の許可が必要なのか? また、「うちを紹介するな!」と言う権利がラーメン屋にはあるのか?・・・ということだ。無断リンク禁止とはそういうこと。

生徒の個人情報の流出や、生徒を狙った犯罪予告が行われている現状では、リンクに対してまでもピリピリするのは当然かもしれない。(生徒の個人情報の流出に関しては、学校側のサイト管理の問題だが)
しかしわらしべ長者ではないが、リンクは辿ればどのようなページにも行き着いてしまう。たとえリンクの許可を出さなくても、許可を出したページにリンクされれば、ツーステップで来られてしまう。
リンクを許可制にすること自体ナンセンスだが、それよりも、これが学校のウェブページから子供を狙う者を遠ざけたいという意図があるのだとしたら、じつはそれこそかえって逆効果だと知って欲しい。

たとえば、子供たちを狙っているような変質者らが集まっているサイトなり掲示板なりに、ある学校のウェブページのURLが書き込まれた(リンクが張られた)とする。そのような者たちには「リンクは校長の承諾が必要」などという記述は何の効果もない。
学校側は急なアクセスの増加を知り、リンク元が不謹慎な内容のページであることを知る。当然学校側は、そのサイトなり掲示板なりの管理者に削除を要請するだろう。だが簡単には削除してもらえない。むしろ逆に削除要請文自体を晒され、よけいにそこからのアクセスが増えることとなる。

反面、真面目なサイトの方たちはどうだろう?
私のサイトでも、子供たちのためになる情報をいくつか紹介しているし、各学校の教育内容や設備などでこれは素晴らしいと思う点があれば、ぜひリンクしたいところだ。
教育とは無関係なサイトを作っている方たちだって「この学校の教育方針は良いぞ」とか「ここは私の孫が通っている学校だよ」などとみんなに紹介したくなることもあると思うが、「校長の承諾を得なければいけない」という余計な手間のため、リンクを諦めてしまう人は大勢いるだろう。

結局は、誰でも気軽に自由に張れるはずのリンクを許可制にするということは、不健全な無断リンクの数を相対的に増やしてしまうだけなのだ。
言ってみれば、学校に通ずるみんなが通る大通りに関所を作り、許可した者だけを通してみたが、その一方で、無断で作られた小道を通って子供たち目当ての部外者が大勢やって来ている、という状況だ。

リンクはどこでも張れる。掲示板にも書き込める。
学校側は、リンクは校長の承諾を...などと明記するよりも、写真を小さくして生徒を特定できるような情報は載せないようにしたり、教師、親、生徒間でのやり取り(運動会や遠足のスケジュールなど)はパスワード制のページで行うなど、部外者に知られたくない情報の管理をもっと徹底するべきだろう。
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by rukachas | 2005-10-30 23:57 | Net&Webの話 | Comments(0)
一寸の虫にも50センチの墓
カブトムシこの前の日曜日、甥と姪をつれて、家から3キロほど離れたところにある大きめの公園へ出かけた。
そこでキャッチボールやサッカーをして遊んだのだが、結構カブトムシやカエルなどがよく見つかる公園なので、昆虫好きの甥っ子4号くんはボール遊びも手短かに、目を皿のようにして昆虫探しに没頭していた。

結局欲しい昆虫は見つからなかったが、木の根元でピョンピョン飛んでいるアマガエルを数匹ゲット。でもそんなに捕まえてもあとの餌やりが大変だということで、1匹だけを空き缶に入れて家まで持ち帰った。

家に着くと、親父が庭でカマキリを捕まえたとかで、4号くんのためにビニール袋に入れて置いてあった。
結局4号くんはこの日「アマガエル」と「カマキリ」、さらにこのあいだ親父たちが東北旅行したときに4号くんへのお土産として持ち帰った「3匹の沢ガニ」と、3種類計5匹の生き物をゲットしたわけだ。

ところがその日迎えにきた4号くんのママ、つまり私の妹が、これを見るなり「もぉ~困るよ~!!!」と絶叫。すでに家の中が生き物だらけなんだそうだ。カメにザリガニ、カブトムシにクワガタ、その他いろいろいろいろ...。(^^;)
ママいわく。「すぐ死んじゃって、もう今までに庭に何匹埋めたかわかんないよぉ~」
私はそれを聞いて、庭に埋めるのは誰がやっているのかと訊いたら、「全部あたしがやってんだよ~!」だって。

おいお~い、それじゃダメだろ!
子供が昆虫採集をしたり、虫や小動物を飼うことはそれなりに大切だ。世話する心を学ぶだけでなく、命の尊さと儚さを実感として学ぶことができるからね。
しかしそのためには、死んだら土に埋めて、お墓を作るところまで本人にやらせなきゃまったく意味がない。親が勝手に処分してしまったら、子供は何も学ばず、またすぐに元気な虫を飼おうとするだけだ。

デパートのカブトムシ売り場に、死んでしまったカブトムシを持ってきて、売り場のおじさんに「これ壊れたから直して」と言った少年がいた、という話をどこかで聞いたことがある。
最近は「ムシキング」という、昆虫を戦わせるアニメやらゲームやらが流行っているそうだが(4号くんもこれのファン)、哀れみのない飼い方だけはしてほしくないと思う。

生き物をオモチャのように扱ってはいけないのと同じように、たとえ虫でも、飼っているものが死んだらゴミのように扱うべきではない。最後にお墓を作るところまでやらせて、初めて飼ってきたことの意義が生まれるんじゃないだろうか。
庭がない家は、近所の公園の周りや空き地に埋めるしかないが、いずれにしても、子供たちが自分で土を掘り、埋めて、お墓を作るという行為は、生き物に対する最終的な責任なわけだから、絶対に飼っていた本人にさせなければいけない。(虫や小動物の場合ね)

・・・ということを妹に言ったら、分かったような分からないような表情をしていたが、子供の頃から動物の世話をしてきた妹だからこそ、つい自分でやってしまうのだろう。
4号くん、最後までちゃんと世話しろよ!三日坊主だったらオジサン怒るぞ~!(。・_・。)
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by rukachas | 2005-10-28 01:02 | 子供の話 | Comments(2)
キレる人間
怒り人に対しての「キレる」という言葉は、もともと「頭の働きが良い」という意味だったが、今ではすっかり「我を忘れるほど激怒する」という意味で使われている。
頭の血管(または神経)がプツンと切れる、ということからこう言うようになったのか、それとも諺の「堪忍袋の緒が切れる」からなのかは分からないが、最近の少年犯罪のニュースで頻繁に登場する言葉だ。

ちなみに「ムカつく・ムカムカする」という言葉は本来「吐き気を感じる」という意味だが、その昔、漫画で怒った人を描いたときに「ムカッ」という文字を入れていたことから、次第に一般にも怒りの表現として使われるようになった。「ムカッ」という言葉は多分「ムッとして、頭がカ~ッとなる」ということを表現していたのだと思う。

話を「キレる」に戻そう。「自分はキレたことがある」と言っている人は多いが、その大部分はじつはキレたことがない人だ。頭にきて暴れたりしたことを、キレたと言っているに過ぎない。何故ならそのとき手も足も、自分の意志で動かしていたはずだから。

キレるということが暴力の引き金として考えられている以上、そのときは通常の精神状態ではないとみるべきだろう。つまりキレるとは、怒りのあまり我を忘れるということ。
我を忘れるということは、自分の意志が働かないということ。麻薬などによる心神耗弱状態、あるいはオカルトチックに言えば、悪霊にでも取り付かれた状態と同じだ。当然記憶にも残らない。

その昔、俳優の山城新伍さんがテレビ番組でこんなことを言っていた。「狂気を演じられるのは理性である」。そのとおり、本当に狂った人間は、狂った演技などできないのだ。
では、人に暴力を振るう人間は狂っているのか?いいや、暴力を振るったことのある人は自分が狂っているとは思わないだろう。つまり大部分の人間は「キレる」という精神異常者的な行動を、怒りに任せて演じているだけなのだ。

だがもし本当にキレてしまう人間なのだとしたら、そのまま放っておいてはいけない。すぐに精神科に行くべきだ。最近キレキャラと称して、怒ることをギャグにしているお笑いタレントがいるので誤解されやすいが、キレるのは脳の異常であるということを認識してほしい。
これは刑法第39条(いわゆる、心神耗弱もしくは心神喪失の場合は罪に問わないという法)とも絡んでくる問題だが、最近のニュースでよく目にする「キレて教師に殴り掛かった生徒」や「キレて暴れた子供」の中で、実際に心神うんぬんに当てはまる者はほとんどいない。
皆、後先考えない短絡性、責任感の無さ(他人への依存性)、相手の気持ちを理解しない(コミュニケーション不足)が要因であり、それに至った原因は幼少期の育ち方にある。

「自分はキレたら何すっかわかんねぇ」などと言っている者は「自分は頭がイカレた異常者で~す」と言っているようなもの。自分で自分をコントロールできなくなる、そんな設定に快感など感じなくてもよい。
だが最も悪いのは、子供のワガママを容認している大人たちだ。大人は「キレる」ということを暴力行為の免罪符にさせてはならない。
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by rukachas | 2005-10-19 22:02 | ニュースの話 | Comments(0)
ホリエモンの心は宇宙へ
地球を眺めるホリエモンことlivedoorの堀江社長が次に目指したのは、なんと宇宙旅行ビジネス。世界各国を対象とした宇宙旅行ビジネスに、2008年にも参入する計画だそうだ。

ロシアで'70年代に作られ、実際に利用された実績のある小型宇宙船の前で揚々と記者会見する堀江社長(乗り込むブースのみでも宇宙船と呼ぶのだろうか?)。この事業に数十億円を投資し、現在22億円程度とされる費用を10分の1以下にしたいと、宇宙旅行の低価格化を計っている。

だが宇宙旅行といっても、現在の技術では大気圏を抜けて、地球の軌道上を回って帰ってくるだけ。決して「ハイみなさん、火星に着きましたよ~」ではない。そりゃあ宇宙空間から見る地球の姿は絶景だと思うが、地球を家に例えれば、庭先をグルリと回って帰ってくるようなものだ。しかもずっと乗り物に乗ったままで。

これではたとえ一人当たりの費用が数百万円になったとしても、庶民にとっては割高感は拭えない。堀江社長もこの計画では各国の富裕層を中心に顧客を募集しようと考えているようだし、我々庶民からすれば夢があるようで、じつは無い話だ。

このあいだの選挙活動でせっかく庶民の気持ちに近づいたというのに、庶民と向き合っていても、頭越しにはるか遠くを見ている人なのだな~と、つい思ってしまった。
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by rukachas | 2005-10-17 22:06 | ニュースの話 | Comments(0)
人とモノが共存していた時代
レトロな看板「昔は良かった」というセリフは、いつの時代も年寄りの決まり文句みたいなものだが、この21世紀の現代を眺めていると、本当に昔のほうが良い時代だったんじゃないかなぁ・・・と思えてならない。

そりゃあ昔といっても、戦時中にまでさかのぼるわけじゃない。私は力道山の空手チョップ、ひばりの歌声、裕次郎の演技を語れる歳でもない。
私は日本の高度経済成長期の中期ごろ、'60年代半ばに生まれ、'70年代を少年として、'80年代を若者として生きてきた。昔を思い返してみると、生活周りのモノの変化の中に自分もあるのだなと、つくづく感じる。

 その昔、車はマニュアル車ばかりだった。
 駅の改札では、駅員が切符にハサミを入れていた。
 たくさんの10円玉を持って公衆電話をかけていた。
 夜7時以降はどこの店も閉まっていた。

 レコードでプチプチとノイズ混じりの音楽を聴いていた。
 音楽は曲順どおりに聴くものだった。
 テレビに手を伸ばさないとチャンネルを変えられなかった。
 カメラは露出とピントを手で合わせてから撮るものだった。
 写真屋にフィルムを出すと、プリントを受け取るのが数日後だった。

 夏、家の中は蒸し暑かった。
 冬、暖かいのはストーブの前とこたつの中だけだった。
 ぼっとん便所の家ばかりだった。
 トイレの紙はガサガサのちり紙だった。
 台所にハエ取り紙を吊るしていた。

 どこの赤ちゃんも布オムツ(オシメ)をしていた。
 魔法瓶のお湯はすぐに冷めた。
 掃除機はお尻からホコリをまき散らしていた。
 電話は家に一台しかなかった。

・・・それが当たり前だった。だが、より良く、より便利にという人々の思いが、音の良いオーディオ製品や画質の良いテレビを生んだ。肌に優しい紙オムツを生み、携帯電話や24時間営業の店を生んだ。
しかしどこか空しい。便利になった世の中は、どこか空しい。

昔なら、子供への電話はまず親が出て、そして子供に取り次いでいた。今は、子供が誰とどんな会話をしているのか、親でさえ把握できないでいる。
昔は夜になれば店が閉まるから、子供も親も必要なものは昼間のうちに買っておいた。しかし今はいつでも買える。だから後でもイイ、夜でもイイ。この時間的な緊張感のなさが、ダラけさせる一要因になっているとは言えないだろうか。

昔はどのモノも今ほど快適ではなかった。ハッキリ言ってしまえば不便な部分が多かった。しかし、人とモノがお互い足りない部分を補って、つまり共存していた時代だったように思える。
ところが今は、共存というよりもむしろ命令と服従の関係に近い。考えられることをできて当たり前、できないものはダメと、モノに対する要求があまりに高飛車だ。

人間に快適さを提供するためモノがあまりに謙ってきた結果、人々は創意工夫を忘れてしまった。モノを作る側は、より良くするために創意工夫を凝らしてはいても、提供される側は、快適になればなるほど受け身に甘んじてしまう。
ひとつの例だが、あれほど栄えていたオーディオ人気が今やここまで衰退したのは、機器の値段が高かったからでも、操作が面倒だと飽きられたからでもない。デジタルオーディオの登場とともに、便利に、手軽になり過ぎたからだ。

このように私にとっては、'60~'70年代のオモチャや、'80年代のオーディオ製品が特別なものに感じる。今の若い人たちも、きっと数十年後には「2000年頃のモノは良かったなぁ」なんて言うんだろうね。
いつの時代も「昔は良かった」と言われ続けるとしたら、はたして人類の歩みは進歩と言えるのだろうか?ノスタルジーを負かすほどのテクノロジーは未だ存在しない。
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by rukachas | 2005-10-14 21:44 | 懐古の話 | Comments(0)
愛 と 恋
LOVE愛と恋、英語ではどちらもLOVEだが、日本語でのニュアンスは大きく違う。

愛は人のために、恋は自分のために。
愛は与えるもの、恋は奪うもの。
愛は包み込むもの、恋は解き放つもの。
このままではいけないと思うのが愛、このままでいたいと思うのが恋。
「無償の愛」という言葉は聞くが、「無償の恋」というのは聞いたことがない。

愛という字は真ん中に心があるから「真心」
恋という字は下に心があるから「下心」
という話を聞いたことがある。
こじつけかもしれないが、なんとなく納得してしまう。

「愛は地球を救う」と題したテレビ番組があった。
本当に愛が地球を救うかどうかは分からないが、恋が地球を救いそうにないのは確かだ。
人は恋をすればするほど盲目になるのだから。

恋は地球は救わないが、人の足はすくうかもしれない。
あなたも足をすくわれないように、ご用心ご用心。
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by rukachas | 2005-10-12 23:21 | 言葉の話 | Comments(0)
あなたはだぁれ?
想像音楽を止めて、目を閉じてじっとしてみる。
かすかに遠くを走る車の音が聞こえてくる。

ブオォ~~ン・・・少し間があいてまたブオォ~~ン。
この音の主は、いったいどこからどこへ向かっているのだろう? どんな人なのだろう?
目を閉じてただ想像するのみ。

こうして文章を書いていても思ってしまう。
このブログを読んでいる人は、いったいどんな人なのだろう?
普段どんなことをしているのだろう?
幸せな人なのか? 不幸せな人なのか?
答えなど出るわけがない。ただ想像するのみ。

駅前に出かけた帰り道。
店で買い物をしてレジに並ぶと、私の前には2つのカゴいっぱいに商品を詰めた女性。
案の定、会計にかなり時間がかかっていた。
待っている私を気遣ってか、パートの女性店員が慌てているのがわかる。
客である女性も、時間がかかって申し訳なさそうな表情をしている。

私はこれがつらかった。
「私は全然急いでません。焦ってもいません。怒ってもいないんです。どうかごゆっくりなさってください!」
この気持ちを伝えたくてしょうがなかった。

世の中には、人の意識が無数に散らばっている。
だが悲しいかな、人は自分の意識しか感じることができない。
自分の記憶しか持つことができない。

この人はどう思っているのだろう? 何を考えているのだろう?
そして、どんな人なのだろう?

答えなど出るわけがない。お互いただ、想像するのみ。
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by rukachas | 2005-10-11 23:27 | Comments(2)
納豆を食べたあと
納豆かけごはん納豆でご飯を食べたあとって、どうしてあんなに臭くなるんだろう?

いや、自分がじゃないよ。
食べたあとの食器をそのまま部屋に置いておくと、すぐに部屋中が臭くなる。
その匂いは納豆というよりも、まるで◯◯の◯◯◯◯。
におわなっとうとか言って宣伝している「金の粒」なら、多少はましだけどね。

納豆は好きだが、納豆くさいのは嫌い。
青色は好きだが、青くさいのは嫌い。
水は好きだが、水くさいのも嫌い。

逆もある。
ぬかみそは嫌いだが、ぬかみそくさい(所帯じみた)女性は好きだ。
カビは嫌いだが、かびくさい(古い)ことは好きだ。

両方とも嫌いなのは
酒と酒臭い、面倒と面倒くさいぐらいか。

両方とも好きなのは
乳と乳くさい・・・かな。(^_^;)
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by rukachas | 2005-10-10 21:15 | 言葉の話 | Comments(0)
人間の価値
王様の象徴「gooブログ」のテーマサロンで「生きるということ。人間の価値。」と題されたテーマを見つけた。このテーマを最初に投稿した女性は「私がいなくなっても、誰も気付かないし悲しまない。そう思い始めるともう号泣」なんてことを書いている。
この悲観的な文章を受け、私も思うことを書いてみることにした。

人の価値ってなんだろう?価値ある人とはどういう人のことをいうのだろう?
家柄が良い人? 金持ちな人? 収入が多い人? エリート社員? 学歴が高い人? 頭の良い人? 顔が良い人?・・・
すべてノー! 大企業のエリートであろうとフリーターであろうと、豪邸に住んでいようとホームレスであろうと、大学院卒であろうと中卒であろうと、秀才であろうとオツムが弱かろうと、都会に住んでいようとド田舎に住んでいようと、五体満足であろうとカタワであろうと、そしてどの国に生まれようともどんな血筋に生まれようとも、それで人の価値に差が出るものではない。

では、人の価値はなにで決まるのか。それは『どれだけ他人のために尽くしたか』だ。言い換えれば、たくさんの人が恩恵を受けている人こそ、より価値の高い人だといえる。
他人のために何かを・・・それは普段会社でしている業務でも、隣近所にしている手伝いでもいい。人のためにいかに努力したか、努力しようとしたか、その積み重ねが価値を高める。
逆に言えば、たとえイイコトのおぼっちゃんであっても、大邸宅に住む大金持ちであっても、自分本位だったり他人への情が希薄ならば、その人の人間的価値は低いということだ。愚かともいう。

他人への情。すなわち愛情や感謝の情、哀れみや慈しみの情。それを持たぬ者は他人からも必要とされなくなる。人との繋がりが極めてもろいものとなる。
この世の中は、必要とされないものは淘汰される運命にあるが、いざ自分が無用の長物となったとき、大きな家や札束がいったい何をしてくれるというのだろう。数百万円の高級腕時計でさえも、止まってしまえば時計としての役目を失うのだから。
価値とはそういうことだ。人もまた然り。

自分は生きる価値がない、などと自分で決めつけてはいけない。
人を妬まず、恨まず、たとえ小さなことでも人への情を忘れずに生きていれば、自然と「生けるべき人」になれるはず。もっと自信を持ってほしい。
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by rukachas | 2005-10-09 21:41 | Comments(0)
しゃぼんだま子供のころ、超能力は本当にあると思っていた。
 大人になって、トリックだと知った。

子供のころ、UFOやネッシーは存在すると思っていた。
 大人になって、作り話だと知った。

子供のころ、大昔の妖精伝説を信じていた。
 大人になって、ただのおとぎ話だと知った。

子供のころ、数えきれないほどの夢があった。
 大人になって、それが本当の夢だと知った。

子供のころ、夢は想像して待つものだった。
 大人になって、夢は自分で創造するものだと知った。
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by rukachas | 2005-10-08 19:45 | 懐古の話 | Comments(0)