子供大好きRUKAの雑記帳
by RUKA
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温故知新
書くブログはパソコンやネットがあるからこそで、一般的にはキーボードを打って文字入力するわけだが、それでも人はブログを「書く」と表現することが多い。
”書く”という言葉は「文字や記号を記す」という意味だから、ペンをカリカリと走らせる行為とキーをカタカタと打つ行為のどちらも「書く」と表現するのはべつに間違いではない。将来キーボードとはまた違うデバイスが登場したとしても、人は「書く」と表現していくと思う。

技術の進歩と共にモノが変わり、人の動作が変わっても、それを表す言葉をあえて変えないことがある。
たとえばうちの風呂は給湯器でお湯を入れるタイプだが、うちではそれを「風呂を”沸かす”」と言っている。以前使っていた風呂が、風呂釜に火を点けるタイプだったからだ。

さらに、浴槽にお湯なり水なりを入れる行為を「汲む」と呼ぶこともある。”汲む”というのは水などを「すくいとる」という意味なので、まったく逆の使い方をしていることになるが、昔は風呂桶に水を入れるには井戸や川から水を汲むことが必須だったわけで、たぶん親から子、孫へと代々伝わってきた言葉のなごりだろう。

「(テレビの)チャンネルを回す」、「ダイヤルする(電話する)」、音楽プレーヤがデジタルになっても早送りの反対は「”巻き”戻し」、デジカメプリントを店に頼んでも「”焼き”増し」。モノが変わっても表現は古いままのほうがどこか味がある。
もし将来、空を飛ぶ車が現れ、それが当たり前の世の中になったとしても、きっと「空を走る」という表現が使われるんじゃないかなぁ。
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by rukachas | 2006-01-23 21:43 | 言葉の話 | Comments(0)
サーバより鯖?
サーバ私の親父はインターネットのことを「メール」と言う。
新聞やテレビで聞きかじったことをよく私に言ってくるのだが、「メールでお金が下ろせるんだってな?」とか、「メールで個人情報がじゃんじゃん抜き取られてるらしいぞ!」などと言ってくるからややこしい。たぶんお金のはネットバンキング、個人情報のほうはP2Pによるデータ流出のニュースを見てのことだろう。

ネットやコンピュータのことは何もわからないくせに、さも詳しいかのように私やオフクロに説明しようとする親父。だがテレビで見た情報を、自分の頭の中で自分流に変換してからこちらに伝えてくるもんだから、内容のほとんどは親父の思い込みで占めている。
ま、説明してもなかなか解ろうとしないので(その前に素直に聞かないし)、私もオフクロも「フ~ン」と聞いてあげている。

今日も、私が居間で食事をしていると、横にいる親父がライブドアの強制捜査について話をしだした。
テレビのニュースで見たらしいのだが、どうもコンピュータがズラリと並んでいた光景が気になったらしく、「なんなんだアリャ!なんだかデッカイパソコンがズラーッと並んでて、まったくホリエモンはあ~ゆ~ことやってんだからなぁ!」と、べつに怒るようなことでもないことで声を荒げていた。

私はそのニュースを見ていないのでよく分からないが、たぶん親父が見たのはウェブサービスやブログのサーバだったんじゃないだろうか?
きっと親父にとっては『大きなコンピュータが並んでる光景、イコール、悪のアジトもしくは秘密基地』・・・なのかもしれないな。(^-^*)
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by rukachas | 2006-01-19 23:36 | Net&Webの話 | Comments(0)
♂と♀でジェンダー・フリー
男と女最近新聞などで、行き過ぎたジェンダー・フリー教育についての記事をよく見かける。小学校で高学年の男女を同じ教室で着替えさせるとか、運動会の騎馬戦を男女混合で行うとか、一部の教育現場ではまったくおかしなことになっているようだ。
男らしさ女らしさの概念を批判するジェンダー・フリー思想が広がる中で起きたことだが、もしかしたらジェンダー・フリーに対する批判的な意図も多少はあったのかもしれない。もちろん生徒の心を無視したこのような現場は、すぐに改めなくてはいけないが。

人間は男か女かどちらかであり、生物学的に明確な違いがある。
性差別は決してあってはならないことだが、これは性別によって格差(上下の差)が生じてはならないということであって、男女の違いを無視するということではない。例えれば、犬と猫どちらも可愛がりましょうということであって、犬にネコジャラシを与えたり猫に首輪を付けて散歩するということではない。
犬には犬の、猫には猫の扱い方がある。だから人間も男と女で向き不向きがあるのは当然のこと。これを差別と呼んではいけない。

しかしその向き不向きにも当然例外があり、性別による選り分けがマイナスに働く人もいる。そういう個人的な能力や精神面の違いを考慮しない現場があることが問題なのであり、これはジェンダーの問題とは分けて考えるべき。

だがジェンダー・フリーを訴える団体なり個人なりが、男らしさ女らしさの概念を批判する意図はよくわかる。とくに女性の場合、作られた「らしさ」に縛られてきた歴史が長いのだから。
しかし時代とともに移り変わるこの「らしさ」。少なくとも私は現代の「女らしさ」という言葉の中に、縛りの意図は見出せない。
雄々しい女、女々しい男が大多数を占める世の中になれば、性差別を高らかに訴える声も減ってくるだろう。だがこれでは「らしさ」が逆転したに過ぎず、ジェンダー・フリーが実現できたことにはならない。そういう意味では、男らしさ女らしさに捕われない文化の出現が、不可欠なのかもしれない。

我々は男らしさ女らしさを口にする前に、はたして人間らしいのだろうか?
鳥は地を歩くよりも大空を飛んでいたほうが鳥らしい。魚は水の中で活き活きしていたほうが魚らしい。人間にもそういう「らしさ」があるはず。
これからの未来、男は男に産まれてきたことを、女は女に産まれてきたことを感謝しつつ、人間らしさについて考えていくことが理想ではないだろうか。
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by rukachas | 2006-01-16 21:39 | ニュースの話 | Comments(0)
G4 Macはまだ現役
New iMac私がメインで使っているパソコン、PowerMac G4 MDDももう買ってから3年になるので、そろそろ新しいMacが欲しくなるはずだが、今のところまったくその気が起きない。
いずれintelMacが出るから、というのも理由としてはあるが、それよりも今の機種に不満点がほとんどないからだ。(ファンの音がデカイのが玉に傷だが、それも慣れた)

思い返してみると、今まで私がパソコンを買った理由はすべて「◯◯をするために必要」というものだった。11年前、最初にMacを買ったのは簡単なグラフィックとMIDIでの音楽作りが目的だった。だが世の中にインターネットが普及し始めた1997年、ネットをするにはこの機種では力不足ということで、より速い機種を購入した。
その2台目はネットだけでなく写真や動画にもかなり重宝したのだが、2001年にネットをブロードバンド化したのに速度があまり上がらなかったため、2002年にG4 MDDに買い替え、それが今でもメインマシンになっている。

つまり今までは、MIDIで音楽を作るため、ネットを体験するため、ブロードバンドに対応するため、と新しい機種が必要になる世間での波のようなものが何かしらあったのだが、ここ数年はパソコン界もさほど大きな変化があったとは言えず、買い替えるほどの理由が見つからない。
実際にパソコンの出荷台数が若干落ち着いてきているのは、そんな理由もあるんじゃないかな? ま、私も現在のG4 MDDで事足りるうちは、買い変えないと思うけどね。

・・・てなことを書いていたら、なんとintelMacがもう発売された~!
 Apple社のサイト
まだNoteBookとiMacだけだけど、デスクトップが発売されたら少しは食指が動くかも。
えっ?Apple以外のPCは買わないのかって? う~ん、一度Macの楽しさを知ってしまうと、やっぱ、ちょっとねぇ・・・。f(^_^;)
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by rukachas | 2006-01-11 21:15 | Mac&Winの話 | Comments(2)
悪の愚かさと人の痛みを知る
悪人悪事とは何か・・・単に法律を破ることではなく、自分以外のものを困らせる事、迷惑をかける事、被害を与える事が悪事だ。被る人が多ければ多いほど、その罪はより重いものとなる。

では、そんな悪事がこの世にまかり通っているのは何故なのか。かの石川五右衛門は「石川や浜の真砂は尽くるとも、世に盗人の種は尽きまじ」という句を残したと言われている。(嘘という説もあるが)
たしかにこの先ずっと、悪人が絶えることはないだろう。だが数を減らすことはできる。現在の子供たちそしてこれから生まれ来る子供たちを、善人とまでは言わないが、悪事に対して嫌悪感を持つ人間に育てていくことが最良の方法だ。

ということは、悪とはなんぞや、悪事の醜態、悪事を行う者の愚かさを子供に知らしめていく必要があるのだが、その方法を考えたとき、現代の児童教育のあり方に不備があるのは否めない。
親の子育ても含め、現代の児童教育は「臭いものにはフタをする」、つまり教えたくないものは教えないという「情報のシャットアウト」によって、正しき道に導こうとしている。だがこれでは、自由意志の発達とともに道を踏み外してしまう子がいるのも無理はない。

これはひとつの例え話だが、こんな物語が頭に浮かんだ。
『悪事』という、決して消えることのない「道」があるとする。この道は外の世界と隔離されてはいない。道の両脇には適度な「垣根」が張られてはいるが、乗り越えようとすれば乗り越えられる高さだ。これを乗り越え、道に入って来る者は後を絶たない。だが一度歩み続けると、なかなか外にはでられない道だ。

悪しき人々はこの道を歩き続けた。だが政府はこれを阻止しようと、人々の行く手に大きな「壁」を建てた。『規制』という名の壁だ。この壁によって、人々はこの道をある地点より進むことが出来なくなった。
政府の思惑どおり、悪事はたしかに減少した。だが壁はその場しのぎ。あとからあとから来る人によって、壁の前にたくさんの人だかりができていたのだ。これは規制によって、規制されるべき人が増えたことを意味する。

1人ではびくともしない壁も、無数の人だかりの前では無力だ。次第に壁は壊されていった。政府は壁をより高く、より分厚く増築し続けたのだが(規制の強化)、もはやイタチゴッコ。どんなに大きな壁を作ろうとも、通る人々の数がそれを上回っていた。すなわち、壁によってある一定以上の行動を食い止めることはできても、悪事の道を歩む者を減少させることはできなかったのだ。

そこで政府は、この道に入ってくる者を元から遮断しようと、それまで道の中が見えていた「垣根」から、まったく中を伺い知ることができない「高い塀」へと造り変えた。これは『情報の遮断』だ。これで、この道を通る者の数は増えないだろうと政府は考えたわけだ。
ところが人間の好奇心は計り知れない。中が見えなくなったとたんに、この道に入りたがる者が続出した。とくに遮断後に産まれた若者に、入りたがる者が多かった。案の定、自ら塀を越えて入る者が現れ、それを見てまた一人、また一人と、その数は垣根のときよりも多くなってしまった。

だがあるとき、政府は思い切った対策に出た。長期的なモラル再生計画だ。それまでとは180度方法を変え、道を隠していた塀を取払い、外に対してオープンにしたのだった。
それにより、今まで隠されていた「悪事の道」の風景がさらけ出された。その道は決してキレイではなく、快適でもなく、我先にと人を蹴落とし、蔑み罵り合う世界だった。一見、快適に歩んでいる者もいるが、それにより被害を被る者の痛みが、ハッキリと映し出される世界だった。

金と性と暴力にまみれた欲望の道を、倒れた人の目を見ることなく歩き続ける人々。政府はこの実態を隠さず、小さな子供たちにも教え諭すようにした。子供には刺激が強すぎるという批判も一部にあったが、真実を知ることの重要性がそれを勝っていた。そしてなにより、子供たちに悪事への嫌悪感を学習させるためには必要なことだった。

十数年後、この道を通る者は激減した。この道を歩めばどうなるのか、行く末はどこにあるのかを知っているのは、外側から中を見続けた者たちだけ。この道を歩みたがる者の愚かさを知っているのは、幼い頃から真実を見続けた者たちだけ・・・。

叱られるから、警察に捕まるからというリスクだけでは、悪事を歩む者の数は減らせない。
この例え話のような思い切った犯罪対策、現在の日本の政府にできるのだろうか?
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by rukachas | 2006-01-09 21:05 | Comments(0)