子供大好きRUKAの雑記帳
by RUKA
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不便さは慣れで解消?
Winのフォルダ今年の春、Windows XPを使ってみて不便だと感じたことを書きならべてみたが(該当記事)、そのうちいくつかは今ではあまり気にならなくなってきた。

テキスト入力で文章の途中に文字を挿入するとき、キーを打つごとに元からある文字が隠れていってしまう問題は、「iText for Windows」というテキストエディタを使うことで解決したし、ゴミ箱を空にするときに常に確認メッセージが表示されてしまうことも、アプリのウィンドウを閉じるととたんに終了してしまうことも、ショートカットからキーボードショートカットで本体のアイコンを表示できないことも、こういうもんだと割り切って使っているうちに、だいぶ慣れてきた。

しかし、未だにどうしても使いづらく、不便この上ないのが、ウェブブラウザなどのウィンドウの陰に隠れた複数のフォルダウィンドウを、一度に全部手前に表示できない点。
そりゃあ手前のウィンドウを最小化すればその下の隠れた部分が現れるが、そこに他のソフトのウィンドウがあればフォルダは隠れたままだ。また、ウェブブラウザを表示したままで、その上に複数のフォルダを開きたいときもある。
だから一度隠れたフォルダウィンドウを再び手前に表示するには、タスクバーから一つ一つ呼び出さなくてはならない。フォルダが5個なら5回、10個なら10回呼び出すことになる。これは手間がかかりすぎる!

さらに、Windowsはフォルダ内のアイコンの位置をちゃんと憶えないという困った一面もある。Macはアイコンの位置が崩れることは通常の状態ではありえないが、Windowsは後日開くとせっかく並べたアイコンの位置が変わっている、なんてことがよくある。

ウインドウ内のアイコンの位置なんてどうでもいいじゃん、と思う人は、きっとファイルを整理するときはツリー表示させて(エクスプローラなど)、その中でファイルを移動したり放り込んだりしているのだろうが、その仕草はちょっと無造作すぎやしないだろうか。
たとえば机の引出しに書類や小物をしまうとしたら、そのまま引き出しに向かって放り投げたり、隙間から流し込んだりするだろうか?ほとんどの人が引出しを開け、この書類はこの位置に、メモはここに、ペンはここにと、それぞれ使いやすい位置に並べるはずだ。
フォルダ内もそれと同じで、次の日に開けてみたら中身の位置が変わっていた、なんてことでは困ってしまう。

以上、複数のフォルダを呼び出す手間と、フォルダ内のアイコンの崩れ。この二つの事から、Windowsは「ウィンドウ」という名を持ちながらことウィンドウに関してはてんでなっていない、というのが使ってみての感想だ。

もちろんMacにもできないことはある。だがOSの基本操作に関して、手間がかかるという意味での「できないこと」は、Windowsのほうがずっと多い。次期WindowsのVistaでは改善されるのかもしれないが。

ところで、このようにWindowsに苦言を呈することを書くと、Windowsしか使ったことのない人からとかく「Mac信者」などと言われたりする。
いや、私は直接言われたことはないが、MacやWinの掲示板やフォーラムなどでは、よくそのようなやり取りが見受けられる。せめて「Macファン」と言ってほしいところだが。

しかしよくよく考えてみるとおかしなことだ。ボールペンを使っている人に「万年筆は書きやすいよ」と言っても「万年筆信者」とは言われないのに、ことMacに関しては褒めるとMac信者などと言われたりする。
それはたぶんMacユーザーの中に、Macにぞっこん惚れ込んだり、他人に薦める人が多いからだと思うが、大して良くもない物をさも良い物であるかのように薦めているのなら、そりゃあ信者か、さもなければ詐欺師だろう。

だがMacがWindowsよりも簡単に楽しく作業でき、とても便利だってことは、両方使ったことのある人ならよく分かっている。
まるで自分の部屋の中の物に手を伸ばすかのように感覚的に作業できる分、手数も少なくて済むし、余計な時間もかからずに済む。この楽さと楽しさは、まさに個人使用にはうってつけ。
そんな利点を知れば、当然人にも薦めたくなるものだ。

ところが不思議なことに、Mac未経験者の中にはMacの良さを聞いても信じない者が多い。(あくまでもネットでの他人のやり取りを見ての感想だが)
だからこそMacを薦める者に対して「信者」などという言葉が出てくるのだと思うが、何故信じないのか?何故Windowsで満足してしまうのか?次回はそんなことを考えてみようと思う。
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by rukachas | 2006-11-27 21:30 | Mac&Winの話 | Comments(0)
COPY
コピーパソコンやインターネットの普及とともに、音楽や映像関係のニュース記事で「違法コピー」という言葉をよく耳にするようになった。
ネットオークションでソフトのコピーCDを売っていた者を逮捕とか、P2Pで音楽をアップロードしていた者をJASRACが訴えたとか、アメリカの動画アップロードサイトYouTubeが著作権侵害の温床になっているとか、このようなニュースでは違法コピーという言葉がキーワードになっている。

しかし私はこの「違法コピー」という言葉に、ど~も違和感を感じてしまう。いやべつに違法でないと言っているのではなく、言葉そのものに違和感を感じるということ。

文字通りに解釈すれば「違法なコピー行為、または違法なコピー品」ということになるわけだが、個人がするコピーに違法も合法もあるだろうか?
もちろん施してあるプロテクトを解除してのコピーは違法になるが、世間で言われている違法コピーのほとんどはこのことではなく、著作物のコピーを売ったり配布していることに対して言っているわけだ。

ということは、著作権法違反で逮捕された者がどの段階で罪を犯したのか、つまり違法な行為をしたのかというと、決してコピーした段階ではなく、それを売ったり不特定多数に配布・公開した段階で法律的にアウトとなったはず。
ならば「違法コピー」ではなく、「コピー品の違法販売、違法配布、違法公開」と言うべきではないだろうか?違法にコピーしたのではなく、コピーしたものを違法に扱ったという罪なのだから。

誰もが知っているとおり、パソコンは音楽CDを複製することができる。複製とまではいかなくても、圧縮したMP3ファイルなどを作ることもできる。もとのCDが市販されている著作物でも、個人的な用途ならコピーは違法ではない。
また、パソコンを使う上でソフトウェアのバックアップは必要不可欠だが、そのためのコピーも個人使用に限っては違法ではない。

それなのに「違法コピー」という言葉だけが一人歩きし、まるでコピーそのものが違法であるかのような印象を与えている。
たしかにコピーという言葉の印象はあまりヨロシクない。ブランド品の偽者や、他とそっくりな工業製品などは、真似をしたという意味でコピー商品と呼ばれている。

だが我々はコピー技術に多大な恩恵を受けていることも忘れてはならない。市販されているCDもDVDも、正確にはマスターではない。レコード盤と同じように、原盤をプレスして大量のコピーを作り、我々はそれを商品として買っているわけだ。
店に同じCDがたくさん並ぶのは、このような複製技術の恩恵だといえる。

個人的な複製もCD-RやDVD-Rなどにより、簡単におこなえるようになった。私は平沢進さんのCDは、1枚につきCD-R3枚にコピーしている。1枚はラジカセで聴くためのもの。もう1枚はパソコンで再生したりエンコードするときのもの。そしてもう1枚は人に貸すときのもの。
昔、知り合いに平沢さんの「AURORA」というCDを貸したら、見事にキズが付いて返ってきたことがあって、それ以来オリジナルは貸さないようにしている。

このように、記録メディアやハードウェアのメーカーは、我々に個人的なコピーの機会を与えてくれている。
著作権を侵害し違法となるのはコピー行為そのものではなく(プロテクトを外す行為はまた別)、コピーした物をどう扱うかによる。
だがコピー品の違法な販売や違法な配布をすべて「違法コピー」という言葉で語っている昨今の現状には、まるで個人的なコピーさえも悪いことなのだと世間に印象付けたいような、そんな音楽・映画業界の思惑を感じてしまうのだが、どうだろう?
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by rukachas | 2006-11-11 00:06 | 言葉の話 | Comments(0)
どこか身構えて不協和音
サンタ昨日の日曜日、2人の甥っ子と、甥の両親(つまり私の妹と義理の弟)とともに、私の家の近くを散歩し、児童公園に立ち寄った。
遊具が数個置いてあるだけの小さな児童公園では、近所の子供たちが元気に遊んでいた。おじいちゃんおばあちゃんらと来ている子もいる。
甥たちも所狭しと駆け回り、私と妹夫婦もそれを眺めていた。

すると突然、見ず知らずの4、5歳の女の子が義理の弟に向かって「お兄さ~ん、上に乗りた~い、持ち上げて~」と呼びかけた。
どうやら、遊具の上に上がりたいので、ダッコして持ち上げて欲しいということらしい。その子は望みどおり上げてもらうと、満足そうに遊んでいた。

ところがその子は、一度降りるとまた同じようにダッコの注文をしてきて、キリがなくなってしまった。義理の弟は2度ほどやってあげたが、その子は3度目に反応が無いとみるや、今度は私に声をかけてきた。
さすがにお兄さんとは言われなかったが、私もその子を抱えてヨイショと持ち上げ、遊具の上に登らせてあげた。

その後この子の動きを見ていると、結構活発な子のようで、実際は本当に自分で上がれなかったというよりも、たんに大人にダッコしてもらいたかっただけのような気がする。
この馴れ馴れしさと図々しさこそが子供の特権だが、それに合わせて大人も馴れ馴れしくして良いのは、たぶん'90年代までだったろう。今は大人のほうから他人の子に馴れ馴れしくするのが危険だということは、誰もが知っていることだ。

昔の私ならこの子としばらく話をしたり一緒に遊んだりもしたろうが、この時は「気をつけてね~」とひとこと言っただけ。しかも内心は「たのむから落ちないでくれよ~」と気が気ではなかった。
というのも、もしこの子がそこから落ちた場合、乗り上げさせた私の責任になるからだ。これは子供から頼まれた事であっても、たとえ怪我をしなかったとしても、世の中にはどんな親がいるか分からない、という意味での不安感である。

ちょっと前のニュースで、ある男性が2歳の子から目を離して歩いていた母親に「子供から目を離すな」という意味で注意をしたら、この母親に「誘拐するぞと脅された」と警察に証言され、逮捕されたという話題があった。
結局この男性は、女性の証言が曖昧だということで無罪になったが、注意されて逆切れする人も多いこの世の中、「誘拐されるぞ」が「誘拐するぞ」に脳内変換されてしまうことも、珍しくないのかもしれない。
以前マイケルジャクソンについての記事でも書いたことだが、大人が子供のことで争い、子供だけが真実を知っているというパターン。

子供の天真爛漫なコミュニケーションの波動にエコーを返してあげて、さらにそこに両親の波動も加わり、心地よい和音に包まれる・・・という光景は決して理想論ではなく、ほんの20年ほど前まではそこら中にあった光景なんだけどね。
現代はサンタクロースでさえも、なんとなく距離を置いた接し方をしなければいけない時代、ということか。
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by rukachas | 2006-11-06 22:25 | 子供の話 | Comments(0)
タダより高いものはない
ケータイソフトバンクが「通話0円、メール0円」などと広告を展開していることについて、公正取引委員会が景品表示法に違反する可能性があるとして調査を始めたらしい。
契約させてしまえばこっちのものとばかりに、意図的にユーザーの誤解を招こうとしたのか、それともどこの宣伝でもやっている、強調したいことを強調していただけのことなのか、それはいずれ白黒ハッキリするだろう。

それにしても、0円てことはタダってことで、通常このようなオイシイ話を聞けば、当然何かしら条件が付くことは安易に予想できる。
実際には、自社同士の通話に限っては無料だが、他社の携帯にかけるときはかなり割高だったり、月額基本料金を安くするためには他の料金プランに入る必要があったり、端末が月賦販売になっていたりと、使い方によっては必ずしもオイシイ話ではない。

しかも「0円」という言葉の響きには、八百屋のおじさんが「はい!おつり3百万円!」と言っているのと同じような茶目っ気というかおふざけというか、つまりとても本気にはできない雰囲気が漂っている。
だから私は最初にこの広告を見たときに、「さすがソフトバンク、そうきたか!」と、むしろ感心したほどだ。これは0円という茶目っ気のあるキャッチコピーを付けた事に感心したのであって、本当にタダ同然にすると思ったわけではない。

ところが不可解なことに、この宣伝で本当に料金がバカ安になると思ってしまった人が結構いるらしい。ちょっと言い方は悪いが、そういう人は詐欺にも引っかかりやすいんじゃないかなぁ。

私は先月後半、自分のパソコン(子供用ソフトてんこ盛りの子供向けiMac)を小さな子供がいる親御さんに差し上げるため、自分のサイトのトップページで欲しい人を募集していた。
結局応募してきた人は4名しかいなかったが、一旦は応募を思い立った人の中にも、「タダであげるなんて怪しいぞ」「詐欺かも」と、応募するのをやめた人も、もしかしたらいたかもしれない。(^^;)
なにしろ小さな子供がいる人限定だし、私に住所と氏名を教えることになるんだからね(お互いにだけど)、多少は警戒してくれたほうが私も安心てもんだ。

私は、うちのiMacを他の子にも使ってもらいたい、と思ったからタダであげたわけだが、企業の場合値下げの目的は、ただただ、集客に他ならない。
昔からタダより高いものはないと言うが、企業が突然無料を口にしたら、ジョークだと思ったほうがいい。
結果的にはソフトバンク、冗談では済まない状態になってしまったようだ。

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ことわざ「只より高いものはない」
タダで物をくれるときは、往々にして条件が付いてくるものであり、その条件が難しいものだったりして、かえって高く付いてしまうということ。
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by rukachas | 2006-11-03 03:45 | ニュースの話 | Comments(0)