子供大好きRUKAの雑記帳
by RUKA
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メールとBBSとブログとTwitter
書く午前中に起きてちょっと遅い朝食をとる。そのあと仕事に出かけ、言われたことを適度にこなす。ときにガミガミと文句を言われながらもあまり気にせずやり過ごし、夜8時ごろ自宅へと帰る。
最近は仕事量の関係で少し早めにシフトすることも多くなったが、冬の夜風の厳しさは7時だろうと8時だろうとあまり変わらない。

単調な繰り返しを毎日のように続けていると、たまには変化が欲しくなる。
子育て中のママさんなら自分にも子供にも様々な変化があり、話題に事欠かない毎日を送っていることだろうが、独身の私の場合はそういつも心に残る出来事があるわけではない。

だからこそ、変化のない毎日だからこそ、ちょっとした体験や発見がもの凄く貴重なことに思えたりする。バイクで走っているときに見かけた光景とか、家の近所から聞こえてきた子供の声とか、そんなどうでもいいようなことが心に残ったりする。
内容の大小や珍しさが、心に刻まれる深さと比例するとは限らない。どうでもいいようなことでも、今日を生きた証としてきちんと記しておきたい。そんな気持ちで掲示板やブログを続けている人は多いのではないだろうか?

私は現在、Eメール、当サイトの掲示板、このブログ、Twitterの4つを使い分けている。
メールは他者に見られないプライベートな会話ツールとして、それを望む人との交流に使い、掲示板は当サイトに関するお知らせと、ふと思ったことを記す備忘録のように使っている。
元々は掲示板はサイトに来た人が気軽に話し合う交流の場であったが、それは最初の数年間だけだった。今や書き込んでくれる人はほとんどいない。
ただし「子供画像掲示板」のほうは、今でも子供好きさんたちによって積極的な会話が成されている。

ブログは、自分の思いや考えを再認識しながらシッカリと書き綴るために使っている。掲示板との使い分けは、文章の長さと内容の思い入れによる。
最初の雑記が「だ・である調」で書いていたため、今でもこの文体で書いているが、たまに「です・ます調」になるところが節操の無さか。(^^;)

最後にTwitterだが、これは多くの人と同様に日々のつぶやきを発信している。掲示板に書くまでもない、ましてやブログで語るほどお堅くもない、そのとき頭に浮かんだフレーズを簡単につぶやいているだけ。
今年のアメリカでの流行語大賞は「Twitter」だったらしい。6月のイラン選挙での騒乱でTwitterが大活躍したというニュースは記憶に新しいし、日本でも今年はユーザー数が大幅に増えたそうだ。

Twitterの日本語版ではツイートを「つぶやき」と訳した。でありながら説明には「いまどうしてる?」に答えるものとある。
これはおかしい。人が本当につぶやくときはたいてい自分の気持ちを語っているもの。ラーメンを食べたら「美味いな〜」「スープがいいねぇ」などとつぶやくもので、「今ラーメンを食べている」と声を出す人はあまりいない。
だから私はTwitterも時系列の状況報告だけでなく、このブログのようにできるだけ自分の思いや考えを書くようにしている。

スパム投稿ばかりなので掲示板をやめてブログにした。誰もコメントしないのでブログをやめてmixiにした。mixiの友達付き合いが疲れるのでTwitterにした。メールなんてもう何年も使っていない。
そんな人も多いと思うが、それぞれ一長一短。ひとつひとつの更新頻度は落ちるが、使い分けてみることも長く続けていけるコツかもしれない。
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by rukachas | 2009-12-22 00:35 | Net&Webの話 | Comments(0)
「嫌い」お断り
敵?味方?「私は人に嫌われたことがない。私を嫌った人がいたとしても、私は嫌われてはいない」
こう書くと「なにワケのわかんないこと言ってんの?」と思うだろうが、そんな気持ちが大切ではないかというお話。

嫌われたと思うことは、人の「嫌い」という感情を自ら受け入れてしまうこと。するとそこで「嫌う者・嫌われる者」という関係ができあがってしまう。
私を嫌う者は嫌いだ、ということで自分も相手を嫌ってしまい、これが人間関係の悪化の始まり。

だが、たとえ相手に「嫌った」という意識があっても、こっちが「嫌われた」という意識を持たなければ物事に対して前向きになれる。
もちろんストーカーのように、相手に被害を与えておいて嫌われていないと言い張るのはおかしなことだが、人からどんなに叱られようと文句を言われようと、反省はしても「嫌われている」という悲観の気持ちは持つべきではない。

私の周りで言えば、会社で私に文句を言っていたあの人。メールで小言をこぼしていたあの人。面と向かってヒステリックに叫んでいたあの人。みな私に言いたいことがあったのであって、私を嫌っているわけではない。
批判は批判として受け入れ、怒りは怒りとして認め、愚痴は愚痴として聞いてあげる。そのうえで「嫌い」という感情だけはシャットアウト。そうすればその人との関係が悪化することもない。

しかしそう思えるためには、自分も人を嫌わないことが条件だ。これはもしかしたら、鳩山首相の言う「友愛」と通じるところがあるのかもしれない。
だからこそ欠点もある。いがみ合う仲にはならないが、気持ちが伝わりにくいという欠点が。
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by rukachas | 2009-12-15 21:35 | Comments(0)
感情発信ツールTwitter
TwitterとTwilog「Twitterってログがすぐに流れて以前の記事探しにくいし、いくら書いても書き捨てているようで、こりゃ使えないなぁ〜」こう思って7月にやめてしまったTwitter。
ところが先日、思い出したように「Twitter ログ 保存」で検索してみて、Twitterをブログのように表示できる「Twilog(ついろぐ)」というサービスがあることを知った。
ブログのように使えるなら、今までの不満点がほとんど解消する。これならミニブログとして使わない手はないと、再びTwitter欲が頭を持ち上げてきた。

とっくにアカウントを削除していたので、また最初からやり直すしかないと思っていたのだが、何気なく以前のユーザーネームでログインしようとしたら「そのユーザーは削除済みですよ、復活しますか?」みたいなことを訊かれてしまった。
「えっ?復活できんの?」とちょっとビックリ。「ハイ」と答えたらTwitter.comから自動メールが来て、そこに書いているリンクをクリックしたらいとも簡単に復活。
ログインすると、つぶやきもフォローもアイコンもデザインもそっくりそのまま残っていたので驚いた。どうやらTwitterはアカウントを削除しても中身はすぐには削除しないらしい。便利でもあり不安でもあり。

Twitterが復活したので早速Twilogにも登録してみた。Twilogを使ってみると、たしかにこれはイイ!
使いづらかったTwitterが、ちゃんとブログ形式になっている。記事が日付ごとに分けられ、過去記事も見やすく探しやすい。おまけにつぶやき内の画像リンクがサムネール画像で表示されている。
時系列の状況報告がほとんどない私のTwitterは、やはりブログ形式のほうがしっくりくるし、当サイトに来る人にもTwilogのほうが見やすいと思う。Twilog大助かりだ。

ところで、Twitterはゆるいコミュニケーションと言われているが、それは人によってコミュニケーションしやすい便利さだったり、コミュニケーションしなくてよい便利さだったりする。
私は「子供好きを増やしたい」という明確な目的があるので、たとえゆるくても気持ちは繋がっていたいと思うし、そのためにずっと心の交流を大切にしてきた。

2年間設置してきた「子供画像掲示板」を10月からURL非公開としたのも、99.9%の訪問者が交流を避ける(言葉を発しない)という現実にショックを受けたから。
私からすれば、画像を見に来るだけで、話しかけても返事もしない人は、何を考えているのかわからない不気味さがある。

だが逆に言えば訪問者も、感情発信をしない管理人には不気味さを感じるだろうし、怪しくも思うもの。
だから私はできるだけサイトでもブログでも自分の感情を書くようにしている。出来事を書くよりも感情を書くほうが、どういう人間かわかってもらえそうだからだ。
Twitterもそんな感情発信ツールとして使ってきたが、ひとつ不安なのは、ある人にとっての感動は、ある人にとってはちっとも感動ではなく、ときには不快に感じることさえあるということ。

うちのサイトに来る人は、子供のことで検索したり子供関係のリンクを辿ってきた人がほとんどなので、私がブログや掲示板等で子供について語るのは何の問題もないが、Twitterの場合は私が子供のことばかり語っているとは知らずにフォローした人もいるだろうから、その中にもし子供嫌いな人、もしくは子供好き嫌いな人がいたら、私はその人に不快感を与えていることになる。
同じ境遇、同じ仕事、同じ趣味同士でフォローし合ったとしても、考え方は人それぞれ違うもの。私の場合は40代、男性、未婚などという境遇で探していたら波長の合う人はほとんど見つからないし、同じように相手も私との考え方のギャップにうんざりするだろう。

私は境遇や立場ではなく、子供を大切にしている人かどうかでフォローする人を選んでいる。たとえ発言が過激であっても、実は子供に優しい人だと感じた人をフォローしている。
しかしその人の最近の発言だけから子供好きかどうかを読み取るのは非常に難しい。だからフォロー返ししてくれた人に、私の感動が感動として伝わっていないんじゃないか?という不安もつきまとっている。

ゆるい繋がりが特徴のTwitterでそんなことを思うのはかなり滑稽かもしれないが、かつての「子供画像掲示板」で感じてきたあの感情のギャップは、もう味わいたくないのだ。
どこかに私と波長の合う子供好きさんがいるに違いない。そんな思いを胸に、今日もTwitterで感情発信中。
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by rukachas | 2009-12-10 21:28 | Net&Webの話 | Comments(0)
不確かさへの確信
キリスト世界中で目撃されている空飛ぶ円盤。これは主にUFO(ユーフォーまたはユー・エフ・オー)と呼ばれているが、非常に良い呼び名だと思う。何故ならUFOとは「Unidentified Flying Object」の略で「未確認飛行物体」という意味。つまり「何なのか確認されていない飛行物」ということ。

その円盤を間近で確認し、捕獲して、調べあげて「正体はこれでした」となればもうこの名称は使えない。宇宙人が乗っていたなら「エイリアンクラフト」、未来から来たものなら「タイムマシン」と呼べば良い。
だが、少なくとも半世紀近くもUFOという名称を使い続けているところに、UFOというものの本質があるような気がする。

イギリスのテレグラフ誌の先月26日の記事によると、ブルガリアの政府機関「科学アカデミー宇宙リサーチ研究所」が「宇宙人はすでに地球に来ていて、我々を観察している」と発表したそうだ。
Aliens 'already exist on earth', Bulgarian scientists claim

宇宙リサーチ研究所の次長、フィリポフ氏が語ったそうなのだが、政府機関が堂々と明言したのだから、きっと世界中の宇宙人地球来訪肯定派のみなさんは「やっぱり!」と喜んだことだろう。
数ヶ月前にも、オバマ米大統領が宇宙人の存在を発表するのでは?という噂が流れたが、どうやら地球外生命体がこの地球にやってきて国レベルで関係しているという話は、UFOに夢を持つ人にはもはや絵空事ではないらしい。

しかしちょっと待ってほしい。ブルガリアの政府機関だろうがアメリカのNASAだろうがどこでもかまわないが、国民に対して宇宙人来訪を発表すればそりゃあ信じる人もいるだろう。
だがもしそのとき「これは事実だ!なぜなら私がその宇宙人だからだ!」と言ったら、それでも信じる人の数は変わらないだろうか?

「私が宇宙人だ」と語る人を見てしまうと、人々はその話を急に信じなくなってしまう。霊がテレビに出演して「じつは私、幽霊なんです」と語るのも同じこと。
それはどちらも「不確かなものを信じる」というパターンから外れてしまうから。

宇宙人は我々そっくりに姿を変え(またはもともと同じ姿をしていて)すでに人間社会に紛れ込んでいる、というのはよくある話だし、映画でもお馴染みの設定。
そして死んだ人間の霊魂が成仏できずに我々の周りを漂い、写真に写ったり(心霊写真)人に取り憑いたり、というのもよくある話。

しかし、目の前でマジックを見せられてもそれを魔法だとは思わない現代の人々が、普通に行動し普通に接し、ときにおどけてみせる宇宙人や霊を見ても、「らしくない」と突っぱねるのがオチだ。たとえそれが本物の宇宙人や霊だったとしても、あからさまになればなるほど人々は冷めていく。

人間は何千年ものあいだ神を信仰してきたが、もし神に固有の姿があり、太古の昔から人々と普通に接してきたとしたら、人々は神以外に不確かなものを見つけ、それを神と崇めるだろう。人間とはそういうものだ。
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by rukachas | 2009-12-02 23:23 | ニュースの話 | Comments(0)