子供大好きRUKAの雑記帳
by RUKA
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人の姿にときめいて・・・
ヌードかつて日本のテレビ界にはお色気番組と呼ばれる定番ジャンルがありました。しかし10年ほど前あたりからでしょうか、低俗だとか子供に悪影響(深夜放送なのに?)などの理由で規制され、次々と消滅してしまいました。
衛星放送やケーブルTVなどの成人向けチャンネルでは盛り上がっているようですが、昔のように地上波で見れるお色気番組はすっかり影を潜めました。
個人的には、テレ東の「ギルガメッシュないと」の終焉がお色気番組の終焉であったように思います。

何故こんな話をしたのかというと、今の子供たちは「性」よりも先に「性行為」を知り、「トキメキ」よりも先に「興奮」を得ることが多いように感じるからです。
未婚の十代の妊娠率が増えているとか、ワイセツ事件を起こす未成年も多いとか、出会い系サイトでは小学生から大人を誘うケースもある、という話を聞くと、子供に悪影響があるはずのお色気番組を一掃したのに未成年の性モラルは低下の一途じゃないか・・・とさえ思ってしまうのです。

しかしそれもそのはず。昭和のテレビでは当たり前だった軽いお色気さえも流さなくなった現代には、代わりにゲームやマンガ、ネットなどのコンテンツに、テレビ放送よりも過激な性描写が溢れているからです。
「それは18禁だから子供には関係ないじゃん」と思うなかれ。エロマンガは子供たちにも読まれており、ネットの18禁サイトにアクセスしたことのある児童も今や半数近くに上っています。
問題なのは、そんなアダルトマンガ、アダルトゲーム、アダルトサイトのほとんどが「性交または性行為」を扱った内容であるということ。

人に対しての思いやりや慈悲というものは、相手を愛しく思うことが前提であり、それはもともとは人間という生き物への好意から生まれるものです。
人間の裸に興味を持ち始める頃(個人差はありますが大体10歳くらい)に美しい裸体を見ることは、人間の尊厳を理解したり、人を敬う心を成長させます。その昔テレビの番組で流れていたヌードモデルの姿などは、ポルノチックな表現をしていない限りは、まさにうってつけの教材だったわけです。

ところが今はどうでしょう。人体そのものがワイセツだと言わんばかりに、ヌードアートさえも18禁にされる世の中。
子供たちは人体の美しさに触れる機会もないまま、小学校4,5年生の授業でいきなり「性行為」の存在を知らされます。「裸」と「性」と「生殖行為」をひとまとめにして意識させられます。
その後、アダルト番組やアダルトサイトなどを興味本位で見たとしても、そこにあるのも「性行為」の描写ばかり。当然のごとく性行為への興味と共に、異性のカラダを性欲の矛先として捉えてしまい、そうして育った結果が、先ほど言った妊娠率や性犯罪の増加へと繋がっていると思うのです。

異論反論あるでしょうが、私はポルノなど、大人向けの性情報は子供に悪影響があると思っていますが、ヌードという視覚情報をすべて遮断することも悪影響だと思っています。
どんな悪影響かは上で述べたとおりですが、大人向けの性を知る前に、人間の姿にときめくことが必要だと思うのです。

あまりハッキリとは憶えていないので正確ではないかもしれませんが、今から20年以上前に見たビデオ映像の話です。
私が行き付けのビデオレンタル店に立ち寄ったとき、アダルトビデオコーナーの棚の下のほうに置いてある1本のビデオテープが目に留まりました。
店員が書いたと思われる「中学生から見れます」というメモ書きが貼ってあったからです。

手に取ってパッケージを見ると、そこには外国の美人モデルがビキニ姿でポーズをとっている写真が載っていました。どうやら数人のグラビアモデルを撮影したキレイなビデオクリップ集のようです。13歳以上推奨と書いてあったのか13歳未満観覧禁止と書いてあったのかは憶えていませんが、とにかくパッケージにもそれらしいことが書いてありました。
「なんだ、中学生も見れるならアダルトコーナーに置くなよ!」と思いましたが、どんなものだろうと気になったので借りてみました。

家に帰ってから見てみると、内容はいたってシンプル。とても美人でスタイルの良い、水着姿の外国人女性が、ある者はガレージで、ある者はプールサイドで、ある者はスポットライトを浴びたステージでゆっくりとカラダを動かしているだけの映像でした。1人10分ほどの映像で、それが4人分続けて流れる45分ほどの作品でした。

これだけなら日本のアイドルのイメージビデオと変わりませんが、私が感心したのは、モデルたちが途中で水着を脱ぎ、全裸になるということ。そして全裸でありながら、映像がまったくの無修正(モザイクなし)であるということ。
つまり簡単に言えば、水着モデルのストリップショーということになりますね。
しかし日本人がイメージするストリップとは違い、たとえばお尻を突き出したり股を開いたりなどの性的なポーズはまったくなく、ただ音楽に合わせて歩いたり横になったり、クルリとターンしたりとその程度。
西洋女性のカラダの線の美しさが突出して表現されている、まさに人体鑑賞と呼ぶにふさわしい映像でした。

この当時の日本は陰毛の露出が違法でしたが、それを意識して作ったのか、それとも西洋絵画をイメージしたからなのか、このビデオに出演している女性はみな陰毛を処理していました。
女性は男性と違い脚を閉じていれば性器が見えることもありませんので、陰毛も性器も映っていないということでモザイクが必要なしとなったのでしょう。
さらに一般のアダルトビデオと違い、性行為や性的なシーンが一切無いことも制限年齢が下がった理由だと思います。実際、美術館のオブジェを眺めるように落ち着いて鑑賞できる作品でした。

しかしもしこのビデオが今発売されたら、間違いなくアダルトビデオ扱いでしょうね。ヌードというだけで大人の性娯楽作品と見られてしまうでしょう。
現代は中学生どころか、高校生にさえ「ワイセツではないヌード」を知らずに育った子が多いように感じます。つまり端的に言えば、それだけ性欲処理を目的としたエロばかりが巷にあふれているということ。

初めから大人のみを対象とした性娯楽(大人を性的に興奮させることを目的として作られたもの、いわゆるポルノ)は、子供たちに見せるべきではありません。
しかしテレビにしてもネットにしても、裸というものがあまりにもポルノ扱いされ過ぎてはいませんか?
たとえアート作品であっても子供に悪影響、たとえ裸祭りのポスターであっても悪影響、裸に見えるボディスーツも悪影響・・・と、そんなことをしてきた結果、多くの子供たちに「人のカラダはイヤラシイもの」と認識させてしまいました。

ヌードをすべてひっくるめて「裸はけしからん!子供に悪影響だ!」と騒ぐ人がいる家庭と、親子でワイセツさのないヌードを見て、人体美について語り合える家庭と、どちらが「人間愛」を育めるか、考えるまでもありませんね。
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by rukachas | 2008-03-01 00:15 | 子供の話 | Comments(0)
性教育、差別のないモラルあるエロス
エロに注意?私のサイトの掲示板では、議論に幅を持たせるため子供の話題なら何でもござれと、性的な話もふざけたものでなければ無礼講としている。
その掲示板にある日「小学6年生の弟が学校でコンドームの使い方を習った」という内容の投稿があった。
小6といえば11歳か12歳。サイズも合わないであろうに、小学校でコンドームの使い方を教えることなどあるのか?と、私も半信半疑でいたのだが、その後ニュースサイトなどの記事を検索しあれこれ読んでみると、小学校でコンドームの使い方を教えているというのはどうやら事実のようだ。

ただニュース記事を読む限りでは、行き過ぎた性教育の事例として否定的に捉えているので、一部の学校あるいは教師の暴走なのかもしれない。
とはいえ、今やほとんどの小学校で4年生あたりから性教育の授業を行っているのは事実であり、これは感染症(AIDSなど)の予防や性差別(ジェンダーフリー)についての教育も含め、子供たちに必要なこととして扱われている。
小中学校の性教育がコンドーム教育(ある意味、護身術)も含めつつあるのは、必ずしも批判すべきことではないのかもしれない。

私の甥っ子も4年生の頃に初めて性教育の授業があったらしく、その授業内容を教えてくれた。
甥の学校はごくありふれた普通の授業だったようだが(どの程度が普通なのかは判断が難しいが)、話を聞いてみると、各部の名称や仕組みについて習ったはいいが、教えられることが中途半端なので余計に疑問符が増え、その後は自分で勝手にイメージを膨らませているといった感じだ。

最近の子はそんなときネットで情報を得るのだろう。私が子供の頃は学習雑誌に載っている「カラダのQ&A」的なものや、親兄弟、親戚のお兄さんに訊くことしか手段がなかったが、今の子たちは知りたいと思ったときにすぐネットで調べることができる。
しかし、そうして得る情報はとかく真実でなかったり、嘘とまでは言わなくても誇張しすぎていることがある。

その修正をするのが親であり学校であると思うのだが、では、日本の親たちは普段子供と性について真面目に語り合えているのだろうか?
おそらく勝手に想像をふくらませていく子供をよそに、親はなるべくそのての話題に触れないようにしている、という家庭がほとんどだろう。

昔「覚せい剤やめますか?人間やめますか?」という覚せい剤撲滅キャンペーンのCMがあった。だが覚せい剤の使用者はこのCMで少しは減ったのだろうか?
ドラッグでトリップできるという知識を得た者の好奇心が恐怖心(不安感)を上回ったとき、人の倫理観はいとも簡単に崩壊する。

覚せい剤に手を出す者を確実に減らすには、好奇心よりも恐怖心が上回るようにしなければならない。たとえグロテスクであろうとショッキングであろうと、ドラッグによる害をありのままに人々に伝える必要がある。
これはタバコを例にとるとわかりやすい。世界各国ですでに行っている、グロテスクな患部写真を印刷したタバコのパッケージ。服用しようと自ら手にする物によって、それを行えばどうなるのか教育させられるのだから、それは頭ごなしに禁止されるよりも効果的だ。

麻薬や覚せい剤の場合は法律で使用も所持も禁じられているが、それでも使用者は後を絶たない。脱法ドラッグという抜け道もある。
いっそのこと合法化して、その代わり徹底的に害を教え込んで「それでもやるなら自己責任で」としたほうが使用者が減るのではないか?とさえ思ってしまう。

性教育もこれに似てはいないだろうか?
今の小中学校での性教育は、身体に関する知識だけを与え、子供の好奇心をいたずらに煽っているだけのような気がする。
たしかに現場の先生方の努力には頭が下がるが、はたして事を起こした場合の恐怖心(不安感)が好奇心を上回るほどの知識を子供たちに与えているのかというと、いささか疑問が残る。

日本は性教育に関しては昔から「寝た子を起こすな」という考えが常にあった。しかしこの情報化社会でいつまでも寝ているわけはない。
ならば幼いうちに起こして正しい知識を身に付けさせよう、というのが今の性教育なのだが、性に関する取っ掛かりの知識だけを与え、それ以外は子供には教えられませんとタブー視する風潮がある限り、子供たちは性を後ろめたいものと捉え続けるだろう。

25年くらい前になるが、私が買っていた写真雑誌にあるポルノ男優についての記事が載っていた。男優自ら書いたエッセイだったのか、男優を取材した記事だったのかはよく覚えていない。
おそらくAVではなく日活あたりの成人映画の男優だと思うが、その男優は撮影現場に自分の子供をよく同伴させていたらしい。つまりお父さんの仕事場見学というわけだ。

誌面には大きな見開き写真も載っていて、そこには裸で絡み合う男女、周りには撮影スタッフと監督、そしてそれを楽しそうに見つめる2人の幼い兄弟が写っていた。ひとりは幼稚園くらいで、もうひとりは小学校2年生くらい。どちらもこの男優の子だそうだ。
プライバシー保護のため男の子の目は黒いラインで隠してあったが、口元はおどけているようにも見え、現場は楽しい雰囲気であると感じ取れた。

ポルノ映画の男優もAV女優も、性風俗店の従業員もストリップの踊り子も、皆それぞれに立派な職業であり、その道で極めれば人にも誇れる。そして子供も、そんな親の職業になんら引け目を感じることはない。
「お前の親、エロい仕事してんだろ~」と友達にからかわれる子もいるだろう。だがそんな「性的なこと イコール 後ろめたいこと」という偏見、差別心を取り除くのは親や学校の役目だ。

ところが現実はそう上手くはいかない。先日ネットで読んだ記事だが、ある小学校の性教育の授業で、担任の教師が性風俗で働く人たちについて話をしたところ、生徒の父母たちから抗議が来てしまったらしい。
親たちが性風俗に対してこのような偏見を持っているのでは、学校での性教育が「生殖教育」どまりになるのもうなずける。
性器の仕組みや機能、排泄以外の使い方までしっかり教えておいて、「でも子供はやっちゃいけませんよ」と言うだけでは、子供たちの好奇心に対してあまりに無責任。タバコやドラッグの例と同じく、好奇心を上回り歯止めとなる「真実の知識」を与える責任が、親や学校にはあるのだから。

十代の未婚女性の妊娠率や堕胎率が高まっていると聞くが、性の乱れの原因が小中学校での性教育にあるとすれば本末転倒だ。
性に後ろめたさがあるから親の目に届かないようにする。だから対処も遅れる。モラルを教えただけで歯止めがかかるほど子供たちは天使ではない。

学校での性教育の役目とは、子供たちに正しい性意識を持たせることのはず。
ならば偏見を持ちやすいこと、誤解しやすいことをあえて採り上げ、ちまたに溢れる性に関して良しも悪しも包み隠さず教えていくことが得策である。
親から抗議が来そうな、子供には無縁と思われてきた性情報の中に、子供たちの性の乱れを抑える特効薬が見つかるかもしれない。
あとはこのようなやり方に偏見を持つ、多くの大人たちの意識をどうするかだ。
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by rukachas | 2007-07-21 05:13 | 子供の話 | Comments(3)
♂と♀でジェンダー・フリー
男と女最近新聞などで、行き過ぎたジェンダー・フリー教育についての記事をよく見かける。小学校で高学年の男女を同じ教室で着替えさせるとか、運動会の騎馬戦を男女混合で行うとか、一部の教育現場ではまったくおかしなことになっているようだ。
男らしさ女らしさの概念を批判するジェンダー・フリー思想が広がる中で起きたことだが、もしかしたらジェンダー・フリーに対する批判的な意図も多少はあったのかもしれない。もちろん生徒の心を無視したこのような現場は、すぐに改めなくてはいけないが。

人間は男か女かどちらかであり、生物学的に明確な違いがある。
性差別は決してあってはならないことだが、これは性別によって格差(上下の差)が生じてはならないということであって、男女の違いを無視するということではない。例えれば、犬と猫どちらも可愛がりましょうということであって、犬にネコジャラシを与えたり猫に首輪を付けて散歩するということではない。
犬には犬の、猫には猫の扱い方がある。だから人間も男と女で向き不向きがあるのは当然のこと。これを差別と呼んではいけない。

しかしその向き不向きにも当然例外があり、性別による選り分けがマイナスに働く人もいる。そういう個人的な能力や精神面の違いを考慮しない現場があることが問題なのであり、これはジェンダーの問題とは分けて考えるべき。

だがジェンダー・フリーを訴える団体なり個人なりが、男らしさ女らしさの概念を批判する意図はよくわかる。とくに女性の場合、作られた「らしさ」に縛られてきた歴史が長いのだから。
しかし時代とともに移り変わるこの「らしさ」。少なくとも私は現代の「女らしさ」という言葉の中に、縛りの意図は見出せない。
雄々しい女、女々しい男が大多数を占める世の中になれば、性差別を高らかに訴える声も減ってくるだろう。だがこれでは「らしさ」が逆転したに過ぎず、ジェンダー・フリーが実現できたことにはならない。そういう意味では、男らしさ女らしさに捕われない文化の出現が、不可欠なのかもしれない。

我々は男らしさ女らしさを口にする前に、はたして人間らしいのだろうか?
鳥は地を歩くよりも大空を飛んでいたほうが鳥らしい。魚は水の中で活き活きしていたほうが魚らしい。人間にもそういう「らしさ」があるはず。
これからの未来、男は男に産まれてきたことを、女は女に産まれてきたことを感謝しつつ、人間らしさについて考えていくことが理想ではないだろうか。
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by rukachas | 2006-01-16 21:39 | ニュースの話 | Comments(0)