子供大好きRUKAの雑記帳
by RUKA
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ブラックテレホンナンバーワン
c0039181_20271018.jpg現代は子供からお年寄りまで、誰もがなんらかのストレスを抱えている。
もちろんいつの時代もストレスはあるが、生活が便利になった代償としてのストレスは現代人のほうがはるかに多いのではないだろうか。
その最たるものが、他人への連絡が気軽におこなえるようになったことによる、束縛というストレス。

学校や会社、サークル、友達付き合いに近所付き合いに親戚付き合い・・・そんないつも属している繋がりから解き放たれる時間があるからこそ、人は毎日リフレッシュすることができる。

ところが携帯電話やスマホが普及し、他人との距離がより近く確かなものとなったことで、その繋がりに束縛されることも多くなった。
しかもこれは決して繋がりが強固になったのではなく、繋がることのできる時間が増えただけのこと。
つまり軽い繋がりが24時間続くという、人間にとって心休まることのない生活になったわけだ。

現代は子供たちでさえ、LINE等で繋がる人間関係に気を張って生きている。
暇な人は相手も暇なんだと思い込み、忙しい人はその忙しさに他人を巻き込もうとする。
そんな自分勝手を助長したのが、携帯電話やスマホという個人から個人への手軽な連絡手段。

思い起こせば、離れている者同士で話ができるという文明の利器は、あの昔の黒電話こそが理想形だったのではないだろうか?
個人にかけるのではなく家にかけるという行為は、実際に訪問して会うという気持ちに近い。
だから気まぐれで夜中にかけるなんてことはなかったし、かかってくることもなかった。
最初に受話器を取るのが話す相手とは限らないため、まず挨拶から入る礼儀があった。

電話に履歴が残らないため、留守中にかかってきてもその事実を知らずに済み、気疲れもない。
いつでも繋がるわけではないと相手が思えば、便利屋と思われる可能性も低い。
とにかく、時間を束縛されるストレスは黒電話の頃はなかったように思う。

だから私のiPhoneは電話アプリのアイコンを通常は見えないところに隠し、一切履歴が残らないようにしている。
着信を画面上で知らせない設定にし(着信音は鳴る)、通知センターにもロック画面にも表示されない。
つまり昔の黒電話のように、iPhoneのそばにいなければ着信に気付くこともないし、後からそれを知ることもない。

着信拒否にすれば良いと思う人もいるだろうが、着信拒否はこちらから相手を拒絶していることになるので、黒電話とは違う。
あくまでも自分の時間の流れの中に入ってきて良いのは着信音だけ、という状態を作っている。

先日からこの設定にしたため、以前よりも休日のストレスを少しは減らすことができた。
つまり、より人間らしい休日を過ごすことができるようになったというわけ。
めでたしめでたし。(^ω^)
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by rukachas | 2016-10-13 01:29 | 懐古の話 | Comments(0)
おおまいごっど!
c0039181_027919.jpg日本人は英語が下手だという話をよく聞く。
文法ばかり教えて肝心の発声を軽んじてきたかつての英語教育が原因だとは思うが、それだけでなく日本語と英語の成り立ちがまるで違うということもひとつの理由ではあるだろう。
日本語の深みを知れば知るほど、英語は習得しづらいものとなる。(個人の感想です)

そしてもうひとつ感じることは、世界の標準語であるがゆえなのか、英語を母国語とする人はたとえ自分が英語しか話せなくても、外国人(たとえば日本人)が話す英語に対して、多少手厳しいところがあるようだ。

近年は日本のアニメを見る外国人も増え、日本語を聞くためにあえて字幕版を好む人も多い。
ところがそのシーンに日本人が話す英語や和製英語が出てくると、その発音がとても面白く(あるいは馬鹿らしく)感じるようだ。
シリアスなシーンでもそれだけで笑っていることもある。

日本人は昔から、日本語を話す外国人に対してはそれがどんなに下手であっても、日本語を話しているという事実だけで感心し、「日本語お上手ですね〜!」と褒め讃えた。
ところが英語圏の外国人は、相手が英語を勉強したのだという事実などどうでもよく、発音の下手さが真っ先に耳についてしまうらしい。

つまり、日本語であろうと英語であろうと、日本人であろうと外国人であろうと、外国語を話すのが上手い人は上手いし、下手な人は下手。
ようは聞く側、受け入れる側の感情(ある意味人柄や国柄)によって、話す側の評価が左右されてしまっている・・・ということもあるのではないだろうか?

そんなことをふと思った。(´ω`)
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by rukachas | 2016-07-08 00:29 | 言葉の話 | Comments(0)
Panasonic スチームフットスパ を購入
スチームフットスパブログの中ではオフクロと呼んでいる私の母親も、早いものでもう74歳になる。
20代後半から小学生までの6人の孫がいるベテランおばあちゃんだ。

先月、近々迫るオフクロの誕生日に何をプレゼントしたら良いかと考えていたら、妹からオフクロに宅配便で一足早い誕生日プレゼントが届いた。

妹はさすが女性、オフクロが欲しがっていたものをみごと当ててみせた。
妹がプレゼントしたのはショッピングバッグとでもいうのだろうか、買い物だけでなく散歩も楽しくなりそうな女性向けのカート式バッグ。
お年寄りにも使いやすいデザインと大きさで、柄もオフクロの好みにピッタリ。届くなり「これ欲しかったのよ~」と喜んでいた。

さて私は何を買ったら良いものか・・・。
妹が外出用のバッグをプレゼントしたので、じゃあ私は家で使えるモノにしようと、PCとにらめっこしながらシニア向け商品をあれこれ検索。

しばらく考えた末、足の疲れを取り、冷え症対策にもなる「足温器」をプレゼントすることにした。
何故ならオフクロはかなりの冷え症だからだ。女性によくある「冷え性」を通り越してすでに「冷え症」と言えるほど。

「足温器」とは読んで字の如く足を温めるものだが、その温め方にもいろいろある。
電気あんかだってコタツだって足は温まるが、やはり最も効果的なのは「足湯」だろう。温泉地などでお馴染みの、足からふくらはぎまでをお湯に浸けるあの足湯。

足湯器またはフットバスと呼ばれる足温器が、今や売れに売れている人気商品だそうだ。
きっかけは今年の2月に放送されたテレビの健康バラエティ番組。20年間毎日足湯をおこなって風邪知らずの元プロボクサーのタレントを紹介していた。彼が自宅で足湯器を使っている様子を放送したところ思わぬ反響があり、家庭で足湯ができる足湯器が売れ出したというわけ。

私は最初そのタレントが使っていたのと同じ足湯器を買おうとした。
しかし心配な点がひとつ。うちで足湯器を使うとなるとオフクロがくつろげる居間でおこなうことになる。つまり下が畳だ。

周りにお湯が飛び散らないだろうか?足を湯から出したときにポタポタと垂れないだろうか?つまずいて畳の上にお湯をぶちまけてしまわないだろうか?
いやそれ以前に、何リットルもの水を入れたり捨てたり、重くなった足湯器を移動させたりがオフクロひとりでできるだろうか?

そう考えると、うちでは足湯は無理だ!という結論に達した・・・はずだったが、すぐにその不安を全て解消する製品を見つけてしまった。
Panasonicの「スチームフットスパ EH2862P-W」という製品。

たった100mlの水を入れるだけで30分間ぽっかぽかの足用スチームサウナ。
蒸気だから足がビシャビシャにならず、周りにお湯が飛び散る心配もない。しかも遠赤外線ヒーター付きでお湯以上にしっかり温まる。直接温めていない上半身まで汗ばむほどだそうだ。
これなら扱いも後片付けもラクだし、とくに女性には良いのではないかと購入決定!

ところがこのPanasonicスチームフットスパもかなりの人気商品らしく、どこもかしこも品切れ状態。すぐに購入できる店がなかなか見つからなかった。
次の入荷は7月過ぎ?3ヶ月待ち?4ヶ月待ち?今月の誕生日プレゼントだってのにそんなには待っていられない。

二夜連続で探して探して、ようやく見つけた在庫あり表示。(その店での最後の1個だったらしい)
さっそく注文して代金を振り込み、品物が届くのを待った。そして昨日、宅配便で無事到着。
オフクロにはどんなものを買ったか言っておいたが、現物を見るまでは形も使い道も有り難みも想像できなかったに違いない。

昨夜、とりあえず最初ということで温度を低めにして標準モードで20分ほど使ってみた。(使ったのは私ではなくもちろんオフクロ)
居間のテレビの前でのんびりイスに座りながらの足湯状態。使用中にオフクロが何度も「あ、これイイ~♪」と嬉しそうに言っていたので、気に入ってくれたようだ。
となりにいる親父も興味津々に説明書を読んでいた。

使用後オフクロは「今までこんな色になったことなんてなかったよ!」と、温まった足の裏を私に見せた。その足はまるで若返ったかのように綺麗なピンク色をしていた。
終わってから1時間近く経っても「まだポカポカしてる」と言っていたが、これは遠赤外線の効果だろうか?
まぁ本当の効果は寒い冬になってこそ実感できると思うが。

血管が細くて重度の冷え症であるオフクロの体質改善は私の願いでもある。
久々に良い買い物ができた。(^-^*)
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by rukachas | 2013-05-02 20:05 | 電気製品の話 | Comments(0)
自分の姿を持つ人持たない人
服とズボンいつも同じ服を着て、同じズボンをはいて、いつ見ても代わり映えのしない人。
なにも服が一着しかないわけじゃあない。同じような色、同じようなデザインの服を何着も持っているだけ。そういう人はとかくセンスがないとか、ダサいなどと言われがちだ。

だがその姿は、オリジナルとまではいかないが、それなりに自分というキャラを形作っている。
これが自分だという確固たる思いの中では、おのずと行動にも責任を持つようになる。

周りにいるまったく関係のない人々の頭にも、自然とそのキャラが残る。だがどこの誰かは知られない。名前も知られない。ただ「あの人よく来るね」とか「先週もいたね」と、その程度の認識しかされない。だがそれがイイ。

これはネット上の多くの個人サイトに似ている。作者がどこの誰かはわからなくても、どのような人かは次第にわかってくるし、興味を持つ人が増えれば見る人も増える。
そうして人の記憶に残り、何か事が起きれば、記憶したほうもされたほうも対処しやすくなる。

ネットの匿名性は悪だとも言われているが、その匿名には2種類ある。
真摯な発言をおこなう上でのリスク回避のため、ネットにもうひとりの自分を形作る匿名性。
そして、不真面目な発言で人を困らせることを目的とし、自分を見えなくする隠れ蓑としての匿名性。
規制するのは後者だけでよいのではないだろうか?

掲示板に書き込むたびにハンドルを変えたり、キャラを変えたり、別人になりすましたり、そういう人は実社会でも「自分の姿」を持たないのだろうか?
気分によって様々な格好をするオシャレさんは、ネットでの交流もカジュアルなのかもしれない。

しかし人は、自分のキャラを固定したときに、発言や行動に責任を持てるようになるのだと思う。
これは実名であるか匿名であるかは関係ない。
その人がその人らしく見せているかどうか、それだけ。
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by rukachas | 2012-06-15 21:15 | Comments(0)
はるな愛は何を救うのか?
善意今年1月、地震で大きな被害を受けたハイチに千羽鶴を送る送らないで騒動になったが、過去には日本の被災地でも、明らかに不要なもの(ハッキリ言えば迷惑なもの)が送られてきたこともあったそうだ。

以前ここで「"しない善よりする偽善"という考えは間違っている」と述べたことがある。
該当記事「する偽善より、伝える善心」

偽善とは善の偽物であり、善いことをしているように見せかけること。実際には相手のためになっていないこと。
相手の心情を無視して不要品を送りつけたり、余計な手間を取らせるなど、相手が望まないことをおこなうこと。親切の押し売り、それが偽善。
相手のためになることなら、それは目的はどうであれ、偽善ではなく立派な「善」だ。

人の心とおこないを良いから悪いへ順番にならべてみると・・・

1: 善の心を持ち、善行をおこなうこと。
2: 善の心を持ち、何もしないこと。
3: 偽善の心を持ち、何もしないこと。
4: 偽善の心を持ち、偽善をおこなうこと。
5: 悪の心を持ち、悪行をおこなうこと。

この順になるはず。
「偽善でもいいからやろう!」という考えが当たり前になってしまうと、人の気持ちを無視した型にはまった行動だけが一人歩きしてしまう。
「正義の対極にあるのは悪ではない、もうひとつの正義だ」と言った人がいたらしいが、まさにそう。

今年の夏も日テレで24時間テレビ「愛は地球を救う」が放送される。
今回のマラソンランナーは、はるな愛さんだそうだ。
半ばバラエティー番組と化しているが、慈善団体への寄付のために募金をおこなっていることは立派な善行であり、チャリティーもマラソンもドキュメンタリーも人々に多大な感動を与えることだろう。

ただ、たくさんの感動の涙の中にひとつでも関係者への怒りの涙が混ざっているのなら、我々は「善とは誰に対して何をすることなのか?」を考え直さなければいけない。

そして「何をしないべきなのか」も、考えなければいけない。
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by rukachas | 2010-06-11 18:00 | 言葉の話 | Comments(0)
未来の自分に嘘をつかない
タヌキ私は今年でネットを始めてから13年、サイトを作ってから11年になるが、これまでただの一度もネットで嘘を書いたことがない。

「一度も嘘をついたことがないと言っている人はたいてい嘘つきだ」と私も思うし、私だって生まれてこのかた嘘をついたことが無いわけはない。自分や子供を守るためにはときには嘘も必要だ。

だが私は本当に、ネットではただの一度も嘘をついた(書いた)ことがない。
それは、私が掲示板やブログを書いている理由が、そのとき自分はどんなことを考えていたか、どんな気持ちでいたか、どんなことがあったかを後日思い返すためのデータベースとして使っているから。

なかったことをあったかのように書いたり、してもいないことをしたと書いたり、思ってもいないことを書いたり、そんな嘘をついてしまうと、下手をすると未来の自分が過去の自分に騙されてしまうことにもなりかねない。
だから私は出来事も自分の考えも、正直に嘘偽りなく書き記してきた。これは子供と接する者にとってとても大切な意識だと思う。

嘘を書かないひとつの予防線のようなものとして、私は「自分のサイトやブログを家族や親戚に教える」という方法をとっている。
私の母も妹も親戚も、みな私のサイトを見て、掲示板やブログを読んでくれている。(と思う)
こうしておけば実際の自分とネット上の自分とに差異が生じれば、それこそ恥になる。ネットでの経験を現実に活かすためにも、多くの人にぜひやってほしいことだ。

ところで私も昨年Twitterにハマり、今はアメーバブログにハマっているが、どちらも使いながら真の子供好きさんを求めていた感がある。
当然相手がどんな人なのかを知るには、まず書いてある文章を読むことから始まるわけだが、多くのブロガーの文章を読んでみて感じたことは、中には、自分を正直に記していないのでは?あるいは嘘を書いているのでは?と思われる人もなん人かいた。

もちろんこれは私がそう感じただけで、実際どうなのかは本人のみぞ知ること。
だがたくさんの子供たちと接してきた子供好き歴35年の私から見て、子供が書いたのか、ママさんが書いたのか、はたまた子供っぽく振る舞っている独身者が書いたのかは、何となくわかる。(^^)

たしかに違う自分を演じることができるのもネットの利点だし、本来の自分を表現できるのもネットの利点。
何を書くかは人それぞれだが、実際の自分を知る人に読まれたときに恥ずかしくない文章であるほど、未来の自分のためにもなるのではないだろうか。

未来の自分に嘘をつかない。それは自分のおこないに自信を持つことから始まる。
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by rukachas | 2010-05-22 18:59 | Net&Webの話 | Comments(0)
通らぬ要求を通そうとする人
イライラさん今月27日に行われたボクシングWBCフライ級王座統一戦は、チャンピオンの亀田興毅が挑戦者ボンサクレックに判定で負け、初防衛に失敗した。
最終ラウンドの終了時点で多くの人がボンサクレックの勝ちを確信し、3人のうち1人亀田寄りだったジャッジに疑惑の目を向ける人もいたほどの、実力差がハッキリ出た試合だったように思う。
ところが試合が終わるとすぐ、セコンドライセンス無期限停止中であるはずの亀田選手の父親が試合結果にクレームをつけた。関係者を呼び出し、採点がおかしいと恫喝した。

親は自分の子が可愛いもの。どんなに不細工な子でも可愛く見え、どんなに不器用な子でも出来たことを褒めるもの。
しかしこの父親の怒りは我が子への愛情によるものではないことは明白だ。自分の頭にある青写真どおりの結果にならないこと、あるいは自分たちに不都合が生じることに対しての反発でしかない。

この父親がやるべきは負けた息子への慰めと、次の試合に向けての励ましだったはず。それが日本ボクシングコミッションに牙を向いてまでの猛抗議、そしてなんとWBCへ再戦要望書を提出する意向まであるという。

正々堂々とやれば、勝つこともあれば負けることもある。負ければ悔しいが、同時に相手の勝ちを褒め称えることもできる。正々堂々とやるということは、自分と相手を対等に見るということ。(レベルの差を否定するということではない)
ところが他人を対等に見ることができない者は、自分の要求を通そうとする高慢な気持ちと、その要求を受け付けない者への怒りが、そうでない人に比べて高まりやすい。

私の知っている人に、同じような性格の人がいる。
いつもはそうでもないのだが、たまに電話をかけてきて、こっちが簡単には受け入れられない要求をしてきたりする。
それは無理だよと丁寧に断れば、そのときは一旦引き下がるものの、自分の予定が狂ったことに対する怒りは治まらない。まるでこっちが断ったことで迷惑が生じたかのように被害者意識を持ってしまう。

予定を的確にこなすために先々まで計画を立てるのは良いことだが、その計画の中に他人の行動を勝手に含めてしまう人には困ったものだ。
いや、親しい仲なら多少含めても良いだろう。だが相手にもイエスかノーかを選択する権利はあるのだから、希望と反する言葉が返ってくることは当然想定していなければならない。人間を意のままに操れる神様ではないのだから。

まぁ俗にいう「自分を中心に地球が回っていると思い込んでいる」という人だが、他人の感情を視野に入れない計画を立てる人ほど、その計画は分岐点さえないずさんなものであり、無計画であることとなんら変わりはない。
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by rukachas | 2010-03-29 21:43 | Comments(0)
「嫌い」お断り
敵?味方?「私は人に嫌われたことがない。私を嫌った人がいたとしても、私は嫌われてはいない」
こう書くと「なにワケのわかんないこと言ってんの?」と思うだろうが、そんな気持ちが大切ではないかというお話。

嫌われたと思うことは、人の「嫌い」という感情を自ら受け入れてしまうこと。するとそこで「嫌う者・嫌われる者」という関係ができあがってしまう。
私を嫌う者は嫌いだ、ということで自分も相手を嫌ってしまい、これが人間関係の悪化の始まり。

だが、たとえ相手に「嫌った」という意識があっても、こっちが「嫌われた」という意識を持たなければ物事に対して前向きになれる。
もちろんストーカーのように、相手に被害を与えておいて嫌われていないと言い張るのはおかしなことだが、人からどんなに叱られようと文句を言われようと、反省はしても「嫌われている」という悲観の気持ちは持つべきではない。

私の周りで言えば、会社で私に文句を言っていたあの人。メールで小言をこぼしていたあの人。面と向かってヒステリックに叫んでいたあの人。みな私に言いたいことがあったのであって、私を嫌っているわけではない。
批判は批判として受け入れ、怒りは怒りとして認め、愚痴は愚痴として聞いてあげる。そのうえで「嫌い」という感情だけはシャットアウト。そうすればその人との関係が悪化することもない。

しかしそう思えるためには、自分も人を嫌わないことが条件だ。
だからこそ欠点もある。いがみ合う仲にはならないが、気持ちが伝わりにくいという欠点が。
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by rukachas | 2009-12-15 21:35 | Comments(0)
手から手へ、心をのせて
手今月初めニュースサイトで「コンビニで店員にレシートを渡されたことに激怒し、店側に謝罪を迫った男がいた」という記事を読んだとき、世の中にはおかしな人がいるものだと思った。
ところがどうやら世の中には、レシートを渡されたくないと思っている人も結構いるようだ。それを反映してか、最近のコンビニは客が要求しないとレシートを渡さないところも増えている。

私はコンビニで買い物をしたとき、お釣りだけが返ってきたり、ちょうどの代金を支払ったときにそこで完結してしまうと「あれ?」と思うことがある。
私はレシート渡されたい派であり、それが店の当たり前の行動だとずっと思っていたからだ。

レシートにはそのとき買った物の名前と値段、買った時刻や対応した店員の名前まで書いてあるので、家計簿を付けているとか、行動の記録としてあとから見直す人には必要な物だろう。

だが私は受け取りはしたいが、いらない派と同じくレシート自体はまったく必要としていない。家に帰ったらすぐにゴミ箱に捨ててしまう。
「それじゃもらう意味ないじゃん」と思うなかれ。必要だからもらう、必要ないからもらわないという単純なことではない。

私は物を他人へ手渡したり、他人から手渡されたりすることがとても大好き。そしてこれは太古の昔から、人間にとって大切な行動のひとつではないかと思っている。
その物が必要かどうかではなく、その行為が必要かどうかで考えてみると、また別な生き方が見えてくる。

2ヶ月前に私の叔母が亡くなり、娘さんから叔母の遺品が私のところにも届いている。母はそれを選別し、兄妹らにも配った。
叔母の姪である私の妹に、私が「叔母さんの遺品、どれでも良いから持っていきなよ」と言うと、妹はこう答えた。「え〜いらないよ。だって使わないもん!」

節約だ、省エネだと無駄を省こうとする世の中。使えるか使えないかで判断される世の中。合理的と言えばそれまでだが、少し寂しい気がする。
人から人へ物が受け渡るのは、ただ物質が移動しているだけではない。渡そうとする心、受けようとする心がもっと尊重される世の中になるべきだと、そう思った。
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by rukachas | 2009-10-22 21:10 | ニュースの話 | Comments(0)
ひとつ貶して二歩下がる
色、いろいろ人間の中には、他人を貶す(けなす)ことで自分の体裁を保っている人がいる。
自分は偉いんだ、あるいは常識人なんだと思い込み、自分とは違う意見の者を変人扱いし、自分がしないことをしている者を頭のおかしな人間だと見下し、議論・討論は好きだが口を突いて出るのは筋の通らない反論ばかり、そんな人はよくいるもの。

他人を罵ったり貶したりする人は、じつは自分のほうが上手くいっていない人であることが多い。自分に不満がなく順風満帆な人生を送っている人は、いちいち他人に腹を立てたりはしないものだ。

他人がしたことで自分が迷惑を被ったのなら、相手に対しての批判は大いに結構。しかし批判と貶しはまったく違う。
貶しは差別の心がさせるもの。すなわち他人を貶している者は、多かれ少なかれ差別的な心も持ち合わせているということ。気に入らないという感情は被害ではない。

人はなぜ人を貶すのか?
生活なり夢や希望なりが上手くいかず、自分のランクが落ちてきたと感じたとき、一部の人間はまず他人のせいにし始める。やれ政治が悪い、社会が悪い、家族が悪い、家柄が悪いなどと。
そして次に、他人を貶すことで自分の心の中で相対的に自分のランクを上げようとする。たとえ落ちぶれても、他人を馬鹿にすることで「自分は馬鹿にされる側ではない、する側だ」という意識を保とうとするわけだ。

しかしこれは哀れだ。他人を貶して自分の体裁を保つなんて、第三者から見てこんな哀れなことはない。
人はみな十人十色。色はそれぞれ他の色に影響を与えないし、他の色が不満に思うこともない。赤は「赤であるべきだ」と青に主張はせず、緑はピンクを変だと笑いはしない。

他人の色が気に入らないという人は、自分の色を客観的に見ることから始めよう。さあ、輝いているだろうか?鮮やかだろうか?思い描いたとおりの色だろうか?
もし自分の色が輝いていないのなら、それはそこに毒素が含まれているからだ。自己中という毒素が。

みんなが混ざれば白になる。他人の色を認め合い、そして自分の色をさらに輝かせよう。
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by rukachas | 2009-10-18 22:52 | Comments(0)