子供大好きRUKAの雑記帳
by RUKA
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写真の挿入位置
文章だけのブログなら関係のない話ですが、途中に画像を挿入するとなるとつい考えてしまうのが、画像と文章の位置関係。

画像を記事の内容をイメージした扉絵として使うなら文章の頭に持ってくるのが良いだろうし(私もほとんどの記事でそうしてます)、「これがその時の◯◯◯です」とばかりにひと通り説明した後に写真を見てもらうなら、当然その下に写真が来ますよね。

迷うのは、文章の途中で画像を貼る場合、説明してから画像を見せるのと、画像を見せてから説明するのではどちらが良いのかってこと。

他の方のブログではだいたい半々てところでしょうか。
文章の構成や話の進行によっても変わるでしょうが、書き手の癖としてほぼ統一されているようですね。

私はと言うと、昔から画像が上で説明文が下でした。(例外もあったかもしれません)
たとえば・・・


私は熱帯魚を飼っています。
コリドラス・ステルバイの「テル君」はいつもエアーストーンに乗っているので、まるで水槽内の置物のようです。
c0039181_11310765.jpg


こういう書き方ではなく・・・


私は熱帯魚を飼っています。
c0039181_11310765.jpg
コリドラス・ステルバイの「テル君」はいつもエアーストーンに乗っているので、まるで水槽内の置物のようです。


こんな書き方がほとんど。
画像を並べて貼って画像ごとのタイトルを書くときも、タイトルは画像の下に添えています。

そのほうがシックリくるのは、おそらく美術館等で展示してある絵画がそうなっているからだと思います。
壁に絵画が掲げられている場合、解説はたいてい額の下側に貼られていますからね。

(´-`).。oO・・・とまぁ、どうでもいいこだわりでした。
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by rukachas | 2017-05-29 23:03 | Net&Webの話 | Comments(0)
おおまいごっど!
c0039181_027919.jpg日本人は英語が下手だという話をよく聞く。
文法ばかり教えて肝心の発声を軽んじてきたかつての英語教育が原因だとは思うが、それだけでなく日本語と英語の成り立ちがまるで違うということもひとつの理由ではあるだろう。
日本語の深みを知れば知るほど、英語は習得しづらいものとなる。(個人の感想です)

そしてもうひとつ感じることは、世界の標準語であるがゆえなのか、英語を母国語とする人はたとえ自分が英語しか話せなくても、外国人(たとえば日本人)が話す英語に対して、多少手厳しいところがあるようだ。

近年は日本のアニメを見る外国人も増え、日本語を聞くためにあえて字幕版を好む人も多い。
ところがそのシーンに日本人が話す英語や和製英語が出てくると、その発音がとても面白く(あるいは馬鹿らしく)感じるようだ。
シリアスなシーンでもそれだけで笑っていることもある。

日本人は昔から、日本語を話す外国人に対してはそれがどんなに下手であっても、日本語を話しているという事実だけで感心し、「日本語お上手ですね〜!」と褒め讃えた。
ところが英語圏の外国人は、相手が英語を勉強したのだという事実などどうでもよく、発音の下手さが真っ先に耳についてしまうらしい。

つまり、日本語であろうと英語であろうと、日本人であろうと外国人であろうと、外国語を話すのが上手い人は上手いし、下手な人は下手。
ようは聞く側、受け入れる側の感情(ある意味人柄や国柄)によって、話す側の評価が左右されてしまっている・・・ということもあるのではないだろうか?

そんなことをふと思った。(´ω`)
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by rukachas | 2016-07-08 00:29 | 言葉の話 | Comments(0)
アメブロやめた!
RUKAのアメブロ昨日、私のブログをひとつ削除した。不定期日記として使っていたAmebaブログ。(以下アメブロ)
アカウントはそのままにして記事をすべて削除したのだが、今後使う予定は一切ないので、そのうち勝手に消えると思う。(消えないか?)

アメブロはもともとジュニアモデルのケイスケ君にコメントを書くために始めたもの。
その後ケイスケ君も私のブログを見てくれるようになり、ハムスターの様子を伝えたり動画を載せたりメッセージ機能で会話したり。

しかしケイスケ君がジュニアモデルを卒業してブログをやめてからは、私のほうも書くことがほとんどなくなり、最近では半年に1記事という放ったらかしブログとなっていた。
本来ならもっと早くに撤去しておくべきだったが、ここまで伸ばし伸ばしになっていた理由は、やはりアメブロの削除のしづらさだ。

ブログをやめるときはいきなりアカウントを消すのではなく、記事や画像を消去してからやめるのがセオリーだが、アメブロはこれがやりづらい。
なんと複数の記事をまとめて削除できない仕様になっている。しかも記事以上に数の多い、画像でさえも同じ。

ひとつ選んでは削除アイコンをクリック、削除しますか?のアラートでOKをクリック、少し間をおいて一覧がリロード・・・ひとつひとつこれの繰り返し。
この面倒くささは他ブログへの移行を少しでも防ぐためではないかと勘ぐってしまうほどだ。

しかし使っていないブログをいつまでもそのままにしておくのもなんなので、時間が空いた時に少しずつ削除を始め、昨日、記事数がゼロになったところで全てまっさらな状態に戻した。

アメブロを使っている人には芸能人や若年層が多いが、それは使いやすいからでも読みやすいからでもない。
じゃあどんな理由なのかと言われれば私もよくわからないが、少なくとも閲覧のしやすさを考えて選んだのではないことは使ってみてわかった。
無料なのだから広告があるのは当然としても、アニメ絵の広告バナーや勝手に始まる動画、芸能人ブログへのリンクを顔写真付きで並べられては、いったいここは誰のブログなのかと虚しくもなる。

今後アメブロを使うことはないと思うし、日記ブログを作ることも、たぶんないと思う。
備忘録としての日記はTwitterで事足りているし、そうそう書くことが見つかるような華のある生活をしているわけでもないし。

ここ「RUKAの雑記ノート」も始めてから11年が過ぎたわけだが、最初の勢いはどこへやら、今では数ヶ月に1記事になってしまった。
でもブログの良さは過去の記事でも埋もれることなく読んでもらえることにある。
有益な情報のあるブログではないが「ああ、こういう考えもあるんだなぁ」と思ってもらえればそれで良いし、個人ブログなんてそんなもんだと思っている。

10年経って人が変わる人、10年経っても人が変わらない人。自分はどっちだろう?と思ったら、10年続けたブログを見れば良い。
でも15年なら? 20年なら?
だからここは、もうしばらく続けてみようと思う。
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by rukachas | 2016-01-30 22:27 | Net&Webの話 | Comments(0)
ここもそろそろ10周年
RUKAの雑記ノートここ「RUKAの雑記ノート」はエキサイトブログを利用していますが、そのエキサイトブログもこのたび誕生10周年を迎えたそうです。

私がこのブログを始めたのは2005年1月。もう9年半も前のこと。
今まであまり意識していませんでしたが、私はエキサイトブログにとってかなりの古参ユーザーだったんですね。

エキサイトブログのサービスもこの10年間紆余曲折ありましたが、シンプルな機能と目立ちすぎない広告、編集のしやすさ、アップした画像を原寸大で見れるなど、今でも使いやすい良いブログサービスだと感じています。

さて、その対極にあると思われるのが、アメブロことAmebaブログ。
私は2010年から簡単な日記やお知らせ(紹介)用にアメブロを使っています。

しかしこのアメブロ、未だに使い勝手が良いとは思えません。
なにしろ目立つ広告が多過ぎるし、アップした画像は自動で横800ピクセルに縮小されてしまうし、アクセス解析は数値がいいかげんだし、スパムコメントは多過ぎるしで、末永く続けていくブログとしては使えないなと思っています。

また読者側にとっても、広告の位置が本文と紛らわしい、ときどき画面の半分を覆うような大きな広告が出現する、オリジナルの画像を見ることができない(横800ピクセル以上の画像をアップすると自動的に縮小された複製画像がサーバに保存される)、その画像も通常の方法ではダウンロードできない、非公開記事がアメブロユーザーだけに限定されるなど、いろいろ不備な点はあります。

気になったものを紹介しているだけのブログなので、そのうちアメブロから他のブログサービスに変更する可能性は大です。
画像メインだとFC2あたりが良いのかな?

しかしここ「RUKAの雑記ノート」は、今後もずっとエキサイトブログでやっていこうと思っています。
エキサイトブログが20周年、30周年を迎えたとき、ここも後を追うように20周年、30周年を迎えられたら嬉しいですね。
そのときは「RUKAおじいちゃんの雑記帳」になっているかもしれません。(^ω^)
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by rukachas | 2014-07-21 13:26 | Net&Webの話 | Comments(0)
「起きる」と「起こる」
起きる昔から気になっていた事のひとつに「起きる」と「起こる」の違いがあった。
地震が「起きる」 地震が「起こる」
大災害が「起きる」 大災害が「起こる」
どう違うんだろう?どう使い分けるべきなんだろう?

と思っていたら、どうやらこの疑問は結構ポピュラーだったようで、Yahoo!知恵袋にも同様の質問があった。
そこでの回答によると、自然発生的なものには「起きる」を使い、誰かが「起こす」ことによって発生したものには「起こる」を使うらしい。
つまり「起こす」「起こした」という原因によってもたらされた結果が「起こる」「起こった」であると。

この回答はたぶん正解だろうし、なるほど!と思わせる。
だが自然現象でさえ神の意思だと言い張る者もいるだろうし、この世のすべてが因果応報であるという考えのもとでは、これだと何から何まで「起こる」になってしまう。

そこで私なりに納得のいく答えを考えてみた。
出た結論は単純だった。動作が目に見える形で認識できること、あるいはその様子を端的に表したものについては「起きる」「起きた」。
目には見えない現象だったり、複数の事柄を総称して表したものについては「起こる」「起こった」を使うのが一番しっくりくるのではないかと。
簡単に言えば、その主語の動作が目に見えてわかるものであるか、そうでないかの違い。

「地震」の場合は、地面が揺れる現象なので「地震が起きる」「地震が起きた」
しかし「災害」と言った場合は、様々な災いを総称した呼び名なので「災害が起こる」「災害が起こった」となる。

「風」の発生は空気が流れる動作なので「風が起きる」となるが、「台風」と言った場合は具体的な動作ではなく気象上の名称なので「台風が起こる」となる。

寒くて震えることは「震えが起きる」だが、二日酔いなどの胸焼けは動作ではないので「胸焼けが起こる」となる。

渋滞が「起きた」のは、交通事故が「起こった」ため。
暴動が「起きた」のは、インフレによる政情不安が「起こった」ため・・・等々。

と、私になりに考えてみたが、この使い分けが正しいのかどうかは正直わからない。
でもこれが自分にとっては一番納得がいくので、今後ブログを書く時はこの使い分けでいこうかなと、勝手に思っている。
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by rukachas | 2011-05-27 18:51 | 言葉の話 | Comments(4)
未来の自分に嘘をつかない
タヌキ私は今年でネットを始めてから13年、サイトを作ってから11年になるが、これまでただの一度もネットで嘘を書いたことがない。

「一度も嘘をついたことがないと言っている人はたいてい嘘つきだ」と私も思うし、私だって生まれてこのかた嘘をついたことが無いわけはない。自分や子供を守るためにはときには嘘も必要だ。

だが私は本当に、ネットではただの一度も嘘をついた(書いた)ことがない。
それは、私が掲示板やブログを書いている理由が、そのとき自分はどんなことを考えていたか、どんな気持ちでいたか、どんなことがあったかを後日思い返すためのデータベースとして使っているから。

なかったことをあったかのように書いたり、してもいないことをしたと書いたり、思ってもいないことを書いたり、そんな嘘をついてしまうと、下手をすると未来の自分が過去の自分に騙されてしまうことにもなりかねない。
だから私は出来事も自分の考えも、正直に嘘偽りなく書き記してきた。これは子供と接する者にとってとても大切な意識だと思う。

嘘を書かないひとつの予防線のようなものとして、私は「自分のサイトやブログを家族や親戚に教える」という方法をとっている。
私の母も妹も親戚も、みな私のサイトを見て、掲示板やブログを読んでくれている。(と思う)
こうしておけば実際の自分とネット上の自分とに差異が生じれば、それこそ恥になる。ネットでの経験を現実に活かすためにも、多くの人にぜひやってほしいことだ。

ところで私も昨年Twitterにハマり、今はアメーバブログにハマっているが、どちらも使いながら真の子供好きさんを求めていた感がある。
当然相手がどんな人なのかを知るには、まず書いてある文章を読むことから始まるわけだが、多くのブロガーの文章を読んでみて感じたことは、中には、自分を正直に記していないのでは?あるいは嘘を書いているのでは?と思われる人もなん人かいた。

もちろんこれは私がそう感じただけで、実際どうなのかは本人のみぞ知ること。
だがたくさんの子供たちと接してきた子供好き歴35年の私から見て、子供が書いたのか、ママさんが書いたのか、はたまた子供っぽく振る舞っている独身者が書いたのかは、何となくわかる。(^^)

たしかに違う自分を演じることができるのもネットの利点だし、本来の自分を表現できるのもネットの利点。
何を書くかは人それぞれだが、実際の自分を知る人に読まれたときに恥ずかしくない文章であるほど、未来の自分のためにもなるのではないだろうか。

未来の自分に嘘をつかない。それは自分のおこないに自信を持つことから始まる。
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by rukachas | 2010-05-22 18:59 | Net&Webの話 | Comments(0)
翻訳サイトの翻訳精度
翻訳当サイトにはたまに海外からのアクセスがあり、中には自動翻訳サイトを通して見ている人もいます。
サイトの文章を自動で翻訳してくれるサービスは大変便利で、私も海外サイトの内容を詳しく知りたいときなどに使っていますが、困ったことに多少慣れが必要です。

日本語は機械翻訳には不向きなのでしょうか?英語から日本語に翻訳しても、意味が読み取れないおかしな文章になってしまうことが多々あります。
あるいは文章的にはおかしくなくても、元の内容とはまったく逆の意味になってしまったこともありました。そっちほうが誤解が生じるという意味ではマズいですね。

日本ではYahoo!、Google、Exciteの翻訳サービスが有名ですが、そのうちの2つ「Yahoo!翻訳」と「Google翻訳」でちょっとテストをしてみました。ある文章をテキスト翻訳で英語にして、今度はそれを日本語に翻訳する。こうして元の文章にどれだけ近いかで優劣を見てみようかなと。
もしかしたらこんなやり方は翻訳の精度を確かめるには何の意味もないのかもしれません。まぁ、お遊びということでひとつ。(^^;)

当サイトの子供画像紹介ブログ「Flickrの子供たち」に載せている説明文を使いました。
---------- 元の文章 ----------

Flickr とは、画像の著作者(撮影者・制作者)が様々なオリジナル画像を一般に公開(提供)している画像共有コミュニティサイトです。
複製したり素材として利用するには基本的に著作者の許可が必要ですが、掲載元のページを紹介するだけなら Flickr に備わっている「BLOG THIS」という機能で簡単におこなうことができます。

ここはブログです が、コメントやブログリンクなどのコミュニケーション機能はOFFにし、あくまでも Flickr の秀逸な作品を紹介するページとして設置しています。そのため、掲載元よりも小さな240ピクセルのサムネールを使用しています。
サムネールをクリックするとその写真の掲載元ページが開くので、気に入った作品があればぜひ訪れて、作者の他の作品もご鑑賞ください。


---------- Google翻訳で 日本語 → 英語 → 日本語 ----------

Flickrは、元のイメージは、我々は、パブリック(提供)は、写真が共有コミュニティサイトのようなイメージ(作成者撮影者)の著者です。
(Flickrと私が画像の著作者であるかのような文章になってしまいました)
複製または材料として使用して著作権所有者は、"ブログがこの"で提供されるアクセス許可は基本的に、場合にのみFlickr上の元のページに紹介して簡単にその機能を実行できる必要があります。
(意味はなんとなくわかりますが、必要事項にされてしまいました)

このブログは、オフのようなコメントや通信機能、ブログされ、表向きはFlickrのページを優秀作品を紹介するように設定しています。したがって、我々は元のサムネイルを使用して240ピクセルより小さいです。
(表向きは・・・って、まるで裏があるような文章に...)
場合にも、著者の他の作品を鑑賞してください。のように私の写真上の元のページをクリックして開きますZehiを参照してサムネール。
(Google翻訳では"ぜひ"は訳せないのかな?)

---------- Yahoo!翻訳で 日本語 → 英語 → 日本語 ----------

Flickrは、イメージの作成者(カメラマン/製作者)が一般にいろいろなオリジナル画像の展示(申し込み)をするイメージ共有権コミュニティサイトです。
(意味はほぼ合ってますね)
著者の許可は基本的に必要であるが、私が出版の起源の私がそれを複写すると自己紹介するならば、Flickrが備えている「BLOG THIS」と呼ばれている機能によってそれを簡単に実行することができます、そして、材料としてそれを使います。
(画像をコピーすると自己紹介したらBlogThisできるかのような文章。しかも素材利用するという反対の意味に...)

それはブログです、しかし、私はコメントまたはブログ関連のようなコミュニケーション機能をオフにして、最後までFlickrの優れた仕事をもたらすページのためにそれをここにインストールします。したがって、私は出版の起源より小さな240ピクセルの親指の爪を使います。
(サムネールが親指の爪と直訳されたことはわかりますが、インストールという言葉はどこから出てきたんでしょう?)
私が親指の爪を鳴らすとき写真の出版ページの起源が開くので、私が好きだった仕事があるならば、私は必ずそれを訪問して、どうか著者の他の作品を評価します。
(私が著作者のページを訪れて作品を評価するという文章になってしまいました)
------------------------------------

こうしてみると、当サイトを自動翻訳して見ている外国の方には、正確な内容が伝わっていない可能性が高いですね。なんとなく意味が通じれば良いのですが、上記のとおりまったく逆の意味にされてしまうこともあります。
見られる立場としてはこんなことで誤解されたくはないので、無料といえども各種翻訳サービスには、ぜひとも精度向上に頑張っていただきたいと思うのでした。(`・ω・´)
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by rukachas | 2010-03-30 21:26 | Net&Webの話 | Comments(0)
メールとBBSとブログとTwitter
書く午前中に起きてちょっと遅い朝食をとる。そのあと仕事に出かけ、言われたことを適度にこなす。ときにガミガミと文句を言われながらもあまり気にせずやり過ごし、夜8時ごろ自宅へと帰る。
最近は仕事量の関係で少し早めにシフトすることも多くなったが、冬の夜風の厳しさは7時だろうと8時だろうとあまり変わらない。

単調な繰り返しを毎日のように続けていると、たまには変化が欲しくなる。
子育て中のママさんなら自分にも子供にも様々な変化があり、話題に事欠かない毎日を送っていることだろうが、独身の私の場合はそういつも心に残る出来事があるわけではない。

だからこそ、変化のない毎日だからこそ、ちょっとした体験や発見がもの凄く貴重なことに思えたりする。バイクで走っているときに見かけた光景とか、家の近所から聞こえてきた子供の声とか、そんなどうでもいいようなことが心に残ったりする。
内容の大小や珍しさが、心に刻まれる深さと比例するとは限らない。どうでもいいようなことでも、今日を生きた証としてきちんと記しておきたい。そんな気持ちで掲示板やブログを続けている人は多いのではないだろうか?

私は現在、Eメール、当サイトの掲示板、このブログ、Twitterの4つを使い分けている。
メールは他者に見られないプライベートな会話ツールとして、それを望む人との交流に使い、掲示板は当サイトに関するお知らせと、ふと思ったことを記す備忘録のように使っている。
元々は掲示板はサイトに来た人が気軽に話し合う交流の場であったが、それは最初の数年間だけだった。今や書き込んでくれる人はほとんどいない。
ただし「子供画像掲示板」のほうは、今でも子供好きさんたちによって積極的な会話が成されている。

ブログは、自分の思いや考えを再認識しながらシッカリと書き綴るために使っている。掲示板との使い分けは、文章の長さと内容の思い入れによる。
最初の雑記が「だ・である調」で書いていたため、今でもこの文体で書いているが、たまに「です・ます調」になるところが節操の無さか。(^^;)

最後にTwitterだが、これは多くの人と同様に日々のつぶやきを発信している。掲示板に書くまでもない、ましてやブログで語るほどお堅くもない、そのとき頭に浮かんだフレーズを簡単につぶやいているだけ。
今年のアメリカでの流行語大賞は「Twitter」だったらしい。6月のイラン選挙での騒乱でTwitterが大活躍したというニュースは記憶に新しいし、日本でも今年はユーザー数が大幅に増えたそうだ。

Twitterの日本語版ではツイートを「つぶやき」と訳した。でありながら説明には「いまどうしてる?」に答えるものとある。
これはおかしい。人が本当につぶやくときはたいてい自分の気持ちを語っているもの。ラーメンを食べたら「美味いな〜」「スープがいいねぇ」などとつぶやくもので、「今ラーメンを食べている」と声を出す人はあまりいない。
だから私はTwitterも時系列の状況報告だけでなく、このブログのようにできるだけ自分の思いや考えを書くようにしている。

スパム投稿ばかりなので掲示板をやめてブログにした。誰もコメントしないのでブログをやめてmixiにした。mixiの友達付き合いが疲れるのでTwitterにした。メールなんてもう何年も使っていない。
そんな人も多いと思うが、それぞれ一長一短。ひとつひとつの更新頻度は落ちるが、使い分けてみることも長く続けていけるコツかもしれない。
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by rukachas | 2009-12-22 00:35 | Net&Webの話 | Comments(0)
Twitterを始めてみた
Twitter4年前、ネット友達にブログのことを教えてもらったときは、最初「何それ?」だったのが詳細を知るうちに興味を持ち、やってみたら「コリャイイ!」となって今に至るわけだが、最近また同じ友達にTwitter(ツイッター)をやらないかと誘われた。
どうやらもう数年の歴史があるネットコミュニティらしいのだが、私はこれを全然知らなかった。ブログのときと同じく最初に「何それ?」と思い、説明を聞いたりネットの記事を読んだりしはじめた。

ところがブログのときとは違い、説明をいくら読んでも興味が湧かないのだ。
「面白すぎて仕事が手につかない」「ハマり過ぎてヤバイ」という記事をそちこちで目にするたびに、私の頭の中は?マークでいっぱいになった。

Twitterとは、もともと海外で開発されたサービスで、ウィキペディアの説明を引用すると、「個々のユーザーが「つぶやき」を投稿し合うことでつながるコミュニケーション・サービス。 各ユーザーは自分専用のサイト(ホーム)を持ち、(いまなにしてる?)の質問に対して140文字以内でつぶやきを投稿する。」というもの。

これだけではピンとこないが、ようするにフォローという操作をすることによって他人のつぶやきを自分のサイトにも表示でき、そうして繋がった数十人数百人もの人間が、他人のつぶやきを見たり自分のつぶやきを書き込んだりし、返事をしたければすれば良い、したくなければ聞き流せば良いという、ゆる~いコミュニケーションを形成するのだそうだ。

私は最初Twitterを見て、あの懐かしのSo-netの大部屋チャットを思い出した。なぜ懐かしいかというと、私が初めて大人数チャットをやったのがもう12年も前だからだ。
なぜSo-netなのかというと、単に当時使っていたのがSo-netのチャットだったというだけなのだが、Twitterも同じようなものじゃないかと思ったわけだ。

だが基本が「今なにしてる?」という質問に答えるものとあって、じつに意味のない書き込みが多い。「◯◯◯食ってる」とか「これから風呂入ってくる」など、ハッキリ言うと他人にはどうでもいい内容ばかり。
前後の書き込みに繋がりもなく、なんの脈絡もなく思い付きで書いているため、いったい何について語っているのかわからない文章が多い。
こんなものを見て何が面白いのかと、頭の中の?マークは増えるばかりだった。

ところがところが、自分でやってみてやっとわかった。Twitterの面白さはつぶやきを眺めることではない。自分の意思表示と、それによって繋がる感覚的なコミュニケーションだ。
最初は「相手を気にしないゆるいつながり」「今何しているのかをつぶやく」ということにイメージが束縛され、便利さがわからなかったが、ようは使いたいように使えば良いということ。

人気のあるTwitterサイトを見ると、それは決して意味のないつぶやきではなく、知識となったりときには深く考えさせられる文章がならんでいる。また、決してゆるいコミュニケーションではない、活発な会話が為されているTwitterもある。
軽いつぶやきやゆるさにこだわらなくて良いとわかったとたん、俄然面白みが湧いてきた。これは使えると。

できてから2年半ほど経つこのサービス、今ではミニブログとも呼ばれているらしい。つい長文になってしまいがちな私のブログだが、短文ブログとして使うなら(140字なので短文過ぎるが)便利なツールだし、楽しく使えそうだ。
さらに、本来のTwitterの用途とは違うかもしれないが、サイトのトップに表示用のウィジェットを置いて、サイトの案内や内容説明としても使ってみることにした。

巷には「ラーメン美味かった」とつぶやく人もいれば、ラーメンの歴史を学術的につぶやく人もいる。
どんなつぶやきが見たいのか?どんなつぶやきを発したいのか?そんな人たちのお互いの波長を探り合う場が、Twitterなんだと思う。
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by rukachas | 2009-03-26 12:44 | Net&Webの話 | Comments(0)
文字入れ
文字入れYouTubeと似たような動画投稿サイトで「ニコニコ動画」というのがある。結構人気のあるサイトなのだが、私はどうもあのシステムが苦手だ。苦手というのはつまり、あまり好きになれないということ。
これは個人の好みであり決して非難しているわけではないので、ニコニコ動画が好きな人はこれを読んでも気分を悪くしないでほしい。

まず何よりも、動画を文字列で隠してしまっているのがイヤだ。動画が始まると同時に画面右から左へとたくさんの文字が現れ、ときにはそれで画面が埋め尽くされ、何が映っているのかさえわからなくなることもある。あれでは動画が台無しだ。文字が邪魔でしょうがない。
しかもその文字列はどれも内容の無い文章ばかり。耳障りなおしゃべりやWの羅列を見て何が楽しいというのだろう?

文字列はボタンひとつで消すこともできるが、表示することをデフォルトとしているところが好きになれない理由だ。
私にとってニコニコ動画とは「文字列で動画の鑑賞を邪魔する意地悪サイト」という印象しかない。もし映画館で、まわりのおしゃべりで映画の音が聞こえなかったら誰だって嫌になるだろう。

動画の作者にとってはすでに出来上がった作品であるのに、そこに第三者が文字を入れるというのは、作品を汚していることにはならないのだろうか?
セリフを訳した字幕ならかまわないが、必要性の無いおしゃべりは映像に重ねないで欲しい、と思っている作者は多いのではないだろうか?

「文字を重ねる」というと思い出すのが、既存の画像に文字を入れ、携帯の待ち受け画像として公開している個人サイト。「待ち受け 文字入れ」などで検索するとこのてのサイトが多数見つかる。
個人で使うために画像を加工するのは、これはどんな画像を使おうと問題はない。ただし不特定多数に公開する場合は、元の画像は公開および改変が許されているものでなくてはならない。

著作権には「同一性保持権」というのがあって、著作者が改変禁止、つまり作り変えちゃいかんと言っているものを勝手に作り変えちゃいかん、という法律がある。たとえフリー・ライセンスで誰もが自由に利用できるものであっても、改変や二次的著作物の作成を禁止している場合もある。
待ち受け画像サイトにある画像は被写体に重ねて文章を書き込んでいるものも多く、その中には改変してよい画像なのか怪しいものもある。

私は人物写真を撮影してきた人間だからか、人物に文字を重ねるのにかなり抵抗がある。壁紙などの制作でやむなく文字を入れる場合は、できるだけ人物に重ならないようにしたり、文字を小さくするなどしている。
ところが待ち受け用に文字入れしている人の画像を見ると、結構大胆に重ね書きしているようだ。これはきっと、文章は自分で考えているために、自分の作品としての主張があるからだろう。
だが、もしその元画像が二次的著作物の作成を許されていない画像だとしたら、被写体を覆うような文字入れはするべきではないと思うのだが、どうだろう?

私はどちらかと言うと作品を作ってきた立場なので、公開に関しては比較的緩く、改変に関しては比較的厳しい見方をしている。
良心的なクリエイターのほとんどがそうだと思うが、「みなさん自由に見てください。でも勝手に作り変えないでくださいね」といった気持ち。「ライセンスはフリーですが、著作権は放棄していません」というセリフもそう。

今の若者が画像や映像の上に文字を重ねることに抵抗が無いのは、街の殺風景な塀にポップアートを描いてしまう感覚と似ている気がする。
それが良いか悪いかは別としても、これは世代の違いが大きいのかもしれない。
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by rukachas | 2009-03-22 17:22 | Net&Webの話 | Comments(0)