子供大好きRUKAの雑記帳
by RUKA
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タグ:犯罪と防犯 ( 31 ) タグの人気記事
小学校のプール
c0039181_144552.jpgあれはたしか1995年の秋。その日の私は野暮用があり某県某市の路上を歩いていた。

実際には、その市に住む知り合いの家に行ったらあいにく不在だったため、その者が帰ってくるまでのあいだ、暇つぶしで町の中を散歩していたというわけ。
初めて行った町だったのでどこに何があるのかまったくわからなかったが、足の向くまま気の向くままに流れる町の景色を楽しんでいた。

しばらく路地を歩いていると、ちょうど曲がり角のあたりでそこに小学校があることに気が付いた。
ところがいきなり目に飛び込んできたのは、その小学校の25mプール。
季節が秋だったので使われてはいなかったが、これにはちょっと驚いた。

なぜ驚いたのかと言うと、その頃すでにほとんどの小学校では外からプールが見えないような配慮がなされていたのに、この小学校はプールが道路に面しており、しかも外から丸見えの状態だったからだ。

これは夏のあいだ、道路にいる人々にもプールの授業が披露されていることになる。
私はそこを通り過ぎながら「このへんはまだ田舎だから、先生も生徒もあまり気にしてないのかな?」などと思ったものだった。
しかしそれ以来一度もその町には行っていないので、やがて忘れてしまった出来事だった。

ところが最近、ふと思い出してGoogleマップのストリートビューでその場所を見て2度目のビックリ!
なんと20年経った今でもほとんど変わっていなかった。

多少植え込みの木が増えたような気はするが、相変わらずの丸見えプール。
金網があるので侵入者は防げるが、いわゆる盗撮犯に対してはどうなのだろうか?
プールのすぐそばに本校舎と校門があるので、不審な車が停まっていたり不審者がいれば先生たちも気付きやすいだろうし、それがセキュリティになっているのだとは思うが。

本来水着というのは公共の場での着衣なので、本人が嫌でないなら隠す必要はないのだが、やはり小学校付近での不審者事案が多発している昨今、怪しい者を近付けないという配慮も必要だろう。

だがもしかしたら、隠すのではなく見通しを良くすることでかえって防犯になっているという面もあるのかもしれない。
見ている者は、見られている者でもあるのだから。

また、何か事故が発生した場合、発見しやすい、対処しやすいという利点もあるだろう。
親や近所の人たちが子供たちの様子を外から見れるというのは、安全面からすれば申し分ないわけだから。

ある人には見られたくない、ある人には見ていてほしい・・・と、人を選びたいのに実際には選べないからこそ、防犯は難しいのだと思う。
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by rukachas | 2016-02-15 01:21 | 子供の話 | Comments(0)
隠すべきか隠さざるべきか
c0039181_19545519.jpg昨今の防犯意識の高まりを受け、各都道府県では街で起こった事件や注意が必要な事案をメールマガジン等で配信している。
各地域のどこでどんな事件、または不審な出来事があったかを知らせてくれるサービスだ。

私は地元の埼玉県警が配信しているメール「犯罪情報官NEWS」を受信して読んでいるが、その中の子供に関する記事のいくつかは自分のTwitterでも引用し、フォロワーに紹介している。
地元の人には、発生場所が近所であった場合は注意してほしいし、それ以外の人にも内容を知ることで防犯意識を高めてほしいからだ。

埼玉県警からの情報だけでも、子供が被害に遭う事案は毎日数多く報告されている。
一県だけでこうなんだから、全国では数え切れないほどの不審者がそれこそ分単位で発生していることになる。それだけこの日本に子供の敵が増えたということか。

事案の内容をよく読んでみると「これはべつに問題ないだろう...」と思うようなものもたまに見受けられるが(児童に道を訊く60歳代の男が出没...などの内容)、9割以上の事案は実際の犯罪に繋がりそうなものであり、通学路における児童の安全確保を真剣に考えさせられる。
突然殴られた、卑猥なことを言われた、車に乗るように言われた(誘拐未遂?)、体を触られた、勝手に写真を撮られた等々、日々起きている事案は様々だ。

私はこの防犯メールで情報を得るまでは、最も発生件数の多い事案は「痴漢」だろうと思っていた。
昔から通学路には「チカンに注意!」と書かれた看板が掲げられていたのだから。

しかし実際の1位は痴漢ではなかった。痴漢事件も決して少なくはないが、最も多く発生しているのは「下半身の露出」であった。なんと不審者情報の3分の2以上を露出の事案が占めている。
つまり露出魔とか露出狂と言われている人間が、1年を通じてあちこちの通学路に出没しているということ。

「○月○日午後○時ごろ、○市○町○丁目にて、女児に対して下半身を露出する男(○~○歳、○色ジャンパー、○色ズボン)が出没しました。お子さんが被害に遭わないために・・・(以下略)」という記事が毎日数件は届く。
「あれ、このメールさっきも来なかったっけ?」と思ってよく見ると、先ほどとは発生場所が違っている。同じような事案が県内で同時多発的に起きているようだ。
メールで配信されなかった事案も含めると相当な数の露出狂が出没していると思われるが、逮捕したという情報は滅多に来ないので、意外と野放しなのかもしれない。(現行犯逮捕が難しいという意味で)

それにしても犯人はいったい何が目的でこんなことをしているのだろう?
子供が慌てて逃げる様子が面白いのだろうか?それともいわゆるサプライズ的な感覚なのだろうか?
たとえば子供にビックリ箱を開けさせたり、怖いものを見せてからかう人がいるが、それと同じく、子供を驚かせることに面白みを感じているのだろうか?
あるいは自分の下半身に妙な自信を持っていて「どうだスゴイだろう!」という自慢の意味で見せているのだろうか?

しかし見せ付けられた子供は悲惨だ。そんなことをされて気分が良いわけはない。
今どきの子供で大人の裸を見たことがない子は稀だと思うが(親とも入浴するので)、そんな子でも道で露出している人に出会えばそりゃあ驚き、逃げるだろう。

だがそれは見たモノに驚いたのではなく、外で露出するような頭のおかしな人の出現に驚いたのだということを犯人は肝に銘じるべきだ。
そうすれば自分が思い込む上下関係が逆転し、妙な優越感などいとも簡単に崩壊する。
そうでなくとも、いずれは自分の人生が崩壊することになるだろう。

街なかで子供に向かって下半身を露出して良いわけがない。
露出が許されるのは人形か彫像くらいなものだ。たとえばミケランジェロの名作「ダビデ像」や世界中で愛されている「小便小僧」は、むしろ隠さないその姿ゆえに人々を魅了しているとも言える。
何故なら人の体や性器そのものに罪はなく、それをどう使うかという意図こそが重要だからだ。

最近どこかの市で、公園に設置されたダビデ像の股間を隠せと言った市民がいたらしいが、その人にとってはあのダビデ像が道端の露出狂に見えるのだろう。
木を見て森を見ず、チンを見て美術史を見ずといったところか。ある意味、通学路の露出狂と同じ意識を持っている人なのかもしれない。

所かまわず露出する露出狂然り、ダビデ像に猥褻感を感じた市民然り・・・人間の身体もずいぶんと安く見られたものだ。
これからの子供たちは、人間としての自分の「姿」に価値を見出し、そのうえで自分の「行為」に責任を持つ大人へと育ってほしい。
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by rukachas | 2013-02-24 19:54 | ニュースの話 | Comments(0)
連れ去り事件に思うこと
女児今月10日午後1時35分ごろ、大阪府堺市の路上で下校中の小学校低学年の女児が20〜30歳くらいの男に車で連れ去られるという事件があった。

女児の母親が、男の車に乗っている女児を見つけて救出しようとしたところ、男は車を急発進させて女児を乗せたまま逃走。女児は少し離れた場所で解放され自力で帰宅したが、男はまだ捕まっておらず、警察が未成年者誘拐事件として捜査している。
「男が女児を車に乗せ一時逃走」 産経ニュース iza

男は下校中の女児に「写真を撮らせてくれ」と声をかけて撮影し、そのあと女児を追いかけて車内に連れ込んだらしい。
こういうバカがいるから、子供たちだけで登下校ができなくなったり、通りすがりの挨拶がなくなってしまったり、知り合い以外を極端に警戒するような世の中になってしまうわけだ。

どうしてこのような人間が出現するのか?
ひとつ思うのは、こういう人間は子供を勝手にキャラクター化してしまうのではないだろうか?

通常の人間ならば子供を見れば、その子の親や兄弟など、その子を支える周りの人のことも頭に浮かぶはず。
しかしこのような事件を起こす者は、子供をひとつのキャラクターとしてしか捉えないために、「手に入れる」「好きにする」という勝手な考えに及ぶのではないだろうか?
ちょうど、アニメオタクが萌えキャラクターに対し「○○は俺の嫁」と言っているのと同じように、その子を脳内で自分のモノにしてしまう、ということ。

アニメの場合は架空のキャラなので問題はないが、実在の子がそう思われてはたまらない。
数年前にも、家出した小6の女の子を1週間自宅にかくまって逮捕された者がいたが、子供を見たときにその子の家族や人間関係が頭に浮かばない人は、結構多いのかもしれない。

子供を脳内で理想のキャラクター化してしまうような人間は、簡単に言えば人間関係のつながりを理解する能力に欠けているのかもしれないが、もうひとつ、子供に対する理解度(知識)が足らないとも言える。
いくら子供が好きでも、子供に対する感情は萌えだけではダメで、良い面だけでなく悪い面も含めて興味を持たなくてはダメ。自分の好みに当てはめたキャラクター化は、子供の私物化という弊害を生む。

子供との接点が少ない者ほど、子供への理解度も少ない。だから人間は若いときから子供のことを色々と知る必要がある。
それは親による子供への虐待事件も然り。子供への虐待も、子供に対する理解度の少なさがひとつの要因としてある。
虐待する親とイタズラ目的で連れ去ろうとする男を同じ要因だとまとめるのは、一見無理があるように思えるかもしれないが、じつは根底にあるものは同じであるというところに、両方の問題の根深さがある。

とにかく、親による虐待事件にせよ変質者によるイタズラや誘拐事件にせよ、若い頃から子供を十分に知ればそんなことを起こす人間にはならない。
私が若い人たちに子供全般に興味を持って会話をしてほしいと願いのは、そんな理由があるからだ。
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by rukachas | 2009-07-13 20:20 | ニュースの話 | Comments(0)
冤罪
電車私は電車に乗るのが苦手。これでも若い頃は電車通勤していたくちだが、ラッシュ時の窮屈さと息苦しさ、そしてあのなんとも言えない抑圧感が苦手だった。
その後、もう20年以上も電車通勤していないせいか、今ではさらに電車に乗るのが苦手になってしまった。しかも最近は痴漢冤罪の事件も多く、ひと事とは思えない。

先月の14日、電車内で痴漢をしたとして1審2審で有罪判決を受けた大学教授が、最高裁判決で無罪となったというニュースがあった。
被害者の女子高生の供述に信用性がないとして、教授の無罪が確定したのだが、痴漢事件から3年の歳月を費やしたこの教授の心労は如何ばかりだったろうか。ひどい話だ。

私は5歳の時、痴漢に間違われたことがある。といってもそんな大それたことではないが、母親と夕方、バスに乗っているときのこと。母は真ん中あたりの席に座り、私は前のほう、運転手の後ろあたりに立っていた。
私が手すりをつかんでその手をスルスルとスライドして遊んでいたら、ちょうどそこに女性が手すりにお尻をくっつけて立っていたため、私の手の甲と女性のお尻が触れていたらしいのだ。

なにせ幼い子だからなんの悪気もなくそのまま手を動かして遊んでいたのだが、その女性は突然振り向くと私をキッと睨みつけてこう言ったのだ。「あんたなに触ってんのよっ!」
私は見ず知らずのオバサン(お姉さんだったかもしれない)から突然怒られて、ビックリしてしまった。当時は怒られた理由など見当もつかなかったが、成長してから思い起こして「ああ〜なるほど」とわかった出来事だ。

こんな、痴漢などするはずのない幼い子(しかも母親もそばにいるのだから)に対しても、自分が痴漢されたと思い込むほど自意識過剰な女性は決して少なくはない。
そばにいて手が触れてしまったのが中年の男性だったら、決して言い逃れはできないし、もしカバンや傘が偶然に当たったのだとしても、女性が「痴漢された」と訴え始めたらもう男は逃げられない。世にも恐ろしい痴漢冤罪の発生だ。

男性が女性を指差して「この人痴漢です!」と言っても、おそらく周りの誰もが真剣には取り合わないだろう。女性が否定したらそこで終わってしまうこと。
ところが男性の否定は弁解と受け取られ、痴漢が事実であるとの前提で事が進められてしまう。

大学教授の件では、被害者の女性が嘘をついたとは思わない。だが、根拠のない思い込みや、あるいは早く終わりにして忘れたいという思いから、供述時に自分勝手さが露呈してしまったのかもしれない。

また昨日のニュースでは、1990年に4歳の女児を殺害したとして無期懲役が確定した元幼稚園バス運転手のDNA再鑑定の結果、DNA型が一致しなかったという報道がなされた。この事件も冤罪の可能性が限りなく高くなったわけだ。

痴漢とされた大学教授の場合も、殺人者とされた元幼稚園バス運転手の場合も、真の犯人は自分が捕まらずにホッとしている。そこを見逃して良いはずはない。
安易に冤罪を作り上げてしまう背景には、痴漢する者が自分のことしか考えないのと同じように、被害者も警察も自分たちのことしか考えていないという図式があるからではないだろうか?

ウソ発見器(ポリグラフ)といえば容疑者への取り調べでお馴染みの機械だが、公正を期すためには被害者や目撃者、はたまた捜査する警察関係者に使うことも時には必要なのかもしれない。
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by rukachas | 2009-05-09 20:52 | ニュースの話 | Comments(0)
嘘つきっ子、ネットにはばかる
真実先月27日、お笑いコンビ「爆笑問題」の太田光さんの殺害を予告する書き込みをネットの掲示板にしたとして、32歳の男が逮捕された。
本人は「笑いのネタになると思った。本当に殺す気はなく、冗談のつもりだった」と供述しているが、最近はこのような軽いノリでの殺害予告が相次いでいる。

便所の落書きレベルで逮捕するなんて警察の横暴だ、という意見もあるようだが、実際にネットで予告されていた殺傷事件も少なくないのだから、警察に「こんな書き込み無視しろ」と言うほうが横暴だ。たとえ冗談でも冗談じゃない。

「埼京線の上野駅で...」や「◯◯を投します」(”殺します”に見せかけている)、「小女子を焼き殺す」(小女子は魚の名前)など、まるで言葉遊びでおちょくっているかのような書き込みでも数人が逮捕されているが、これも当然だろう。
たとえ爆弾じゃなくても、爆弾に見せかけて繁華街に置いておき、それで人に警戒心を与えて通常の業務を妨害すればじゅうぶん犯罪だ。あとから「いや、あれは爆弾じゃないから」と言い訳しても無駄なのと同じ。

ネットでの殺害予告が相次いでいる理由として「匿名性の悪い面が出ている」「逮捕されることに対する危機感が薄いのではないか?」と言われているが、私はこうも思っている。
殺害予告を書き込むという行為は、そもそも「平気で嘘がつける」という性格に起因しているのではないだろうか?
「上野駅で」の容疑者も「投します」の容疑者も「小女子を」の容疑者も、はたして逮捕されなかったら実際におこなっていただろうか?いやするはずがない。初めからその気などなく、嘘を書き込んでいたわけだ。

もちろん、実際に実行すれば良いと言っているのではない。殺害予告後に実際の犯行をおこなった者を、正直者と言っているのでもない。
だがカジュアル殺害予告と言えそうなくらい軽いノリの、最近の多くの殺害予告は、予告の名を借りた嘘文章でもある。逮捕された者のお決まりのセリフ、「実行する気はなかった」「ふざけてやった」という言葉は、はからずも自分が嘘つきであると白状しているようなものだ。

ネットがない時代は、たいていの場合、嘘はリスクとして自分に返ってきた。狼と少年の話のように、嘘をついていればいつしか疎外されてしまう。
だがネットでは嘘をついても直接自分が困ることはない。ネットの匿名性は、嘘つきさんに透明人間にも等しい自信を与えてしまった。自由にウソをつける場で羽目を外してしまった結果が、殺害予告での逮捕とはなんとも情けない。

このように、やりもしないことをやると書いたり、やってもいないことをやったと書いたり、フィクションを事実と見せかけている人は意外と多いのだろう。
テレビや新聞の場合は発覚するとやらせ問題として採り上げられ、叩かれ、それなりのペナルティを受けるが、そのてん個人の嘘は大目に見られているところがある。
某巨大掲示板の管理人は「嘘を嘘であると見抜けない人には(掲示板を使うのは)難しい」と言っていたが、その掲示板に嘘が横行しているとしたら、むしろ真実のほうが嘘っぽく見えてしまうかもしれない。

嘘つきは泥棒の始まりとはよく言ったもの。
嘘つきさんの冗談書き込みに警察や市民が翻弄されるくらいなら、いっそのこと「嘘を書き込んだら罰金」というくらいのペナルティを設けたほうが良いのではないかと思うくらいだ。
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by rukachas | 2008-08-03 17:59 | ニュースの話 | Comments(0)
秋葉原の通り魔と引き金の潤滑油
犯行予告8日に秋葉原で起きた通り魔事件の容疑者は、自分の境遇を恨み、自分以外の人間を敵と見なし、計画性を持って無差別殺人をおこなった。どのような心情であったにせよ、その行為は決して許すことはできない。
しかしこうも思う。2000年5月のコラムでも書いたことだが、「なぜこんな理由で人を殺したのか?」ではなく「なぜこんな理由で人を殺すような人間になってしまったのか?」が重要だ。

リストラの対象となったと思い込んだことが犯行の引き金になったと言われているが、そもそもいつ発射するかわからない弾丸がセットされているからこその引き金なわけで、そういう性質を持ち合わせた理由は、高校卒業後の自身の身の振り方にある。
さらに、この無責任な人格が形成された大元の原因は、やはり幼少期の育てられ方にあると言って間違いはない。

だが同時に、引き金を引きやすくする潤滑油のようなものがあったことも事実。それはネットの掲示板。容疑者は犯行直前まで計30回、携帯サイトの掲示板に心情を書き綴っていた。悲観的な内容に次第に閲覧者の反応も少なくなり、内容は愚痴、妬みへと変わり、恨み節を書きなぐるようになった。そしてとうとう犯行予告。
人間が事を起こす時はたいてい、その行為は特定の誰かに向けておこなわれている。この男も掲示板に書いた驚くべき内容を実践することで、自分を無視した者たちを振り向かせたいとでも思ったのだろうか?

「電車男」のように、閲覧者のレスが背中を押してくれて良い結果をもたらすなら有り難い。しかしこの男の場合は、自分の書き込みに背中を押されてしまったわけだ。
掲示板でのやり取りなど文章のやり取りに過ぎない。相手はその文章に反応しているのであって、書き込んだ人間に対して反応しているのではない。昔の文通でもパソコン通信でもそうだが、書き込まれた内容の深さを意識するあまり、相手の気持ちまでも深いと勘違いしてしまうことはよくあることだ。

ネットの交流で本当に心が通い合うには何年もかかるもの。私にはこの10年間で数千通ものメールをやり取りしてきたメール友達(少し年下の中年男性)がいる。まだ一度も出会ったことはないが、互いに信頼し合っている仲だ。
相手の言葉を重んじるレベルに達するには長い時間がかかる。他人に失礼な言葉を返す自己中さんを心配する雰囲気など、即席の付き合いにあるわけがない。
この男も自分の掲示板を愚痴と妬みの公開場にするぐらいなら、もっと長い目で見た心の交流を模索するべきだった。

容疑者は警察での調べに「襲撃直前にためらった」と供述している。そのためらいを払拭したのがすでに投稿した書き込みだったとすれば、男は過去の自分に背中を押されたことになる。
最初の書き込みは先月末。たった10日ほどで身勝手な計画を押し進め、そして実行。人の幸せを願うことも人の不幸を悲しむこともできない男は、失われた幼少期を取り戻そうと焦っていたのだろうか?その矛先は死刑台へと向いていたというのに。

「犠牲となった7人の方のご冥福をお祈りいたします」
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by rukachas | 2008-06-14 18:29 | ニュースの話 | Comments(0)
「幼少期の反抗はガス抜き」反社会的な大人を作らないために
反抗期先週、小学生の甥っ子の運動会に出席するため、遠く離れた妹の家まで出かけた。そこで「子供の反抗期」について語る機会があったので30分ほど議論してきたのだが、私は最近この「反抗期」について非常に関心を持っている。
理由は二つ。ひとつは、私の甥っ子4号くんが現在「思春期&反抗期」のまっただ中であること。
そしてもうひとつは、最近「正しい反抗期を経ずに育ってきたであろう者」による犯罪が相次いでいるからだ。

私はその日の夜、家に帰ってきてニュースを見て驚いた。東京・秋葉原で起きた衝撃的な通り魔事件。静岡県に住む25歳の男がトラックで秋葉原の歩行者天国に突っ込み、通行人をはねたあと車から降りてナイフで手当り次第に殺傷したという、7人死亡10人負傷の大惨事。
その後の調べで、この男は携帯電話サイトの掲示板に犯行直前まで逐一書き込みをしていたことが判明した。内容は毎日jpの記事を参照。
毎日jp 6月9日の記事

午前5時21分に「秋葉原で人を殺します」で始まって、犯行直前に「時間です」で終わる断続的な書き込みには、まるで自分が映画の主人公にでもなったかのような身勝手さが表れている。
しかし私がもっとも気になったのは、この男が書き込んだ文面のこの部分。
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午前6時02分 いい人を演じるのには慣れてる みんな簡単に騙される
午前6時03分 大人には評判の良い子だった 大人には
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報道によると、容疑者は高校時代に成績で挫折を味わったらしいが、小中学校時代は優等生で、周りの大人からはとても良い子と見られていたらしい。
しかしその「良い子」も、容疑者本人に言わせれば「いい人を演じるのには慣れている」となるわけだ。なぜ良い人に「なる」のではなく、良い人を「演じる」ことになるのか?

それは、幼少期の親の育て方に問題がある。
私はこのサイトを通じて過去何度も『軍隊式の子育て』『良い子を強制すること』『児童の無邪気さを奪うこと』は、百害あって一利無し、まともな人間が育つわけがないと警告してきた。今一度、声を大にして警告したい。

親はしつけのため、子供の言動を抑制したり強制することがある。ときには誰にも迷惑をかけていないことで叱ったり、恐怖と威圧で強引に従わせることもある。
しかしそれが子供にとって理不尽な要求であったり、本能的に持っている無邪気さや放縦さ、天真爛漫さを抑え込むようなしつけであった場合は、子供の心に次第に抑圧による膿みがたまっていく。

少年や若者による犯行の事件報道で、過去何度も繰り返されたこの言葉、「子供の頃は良い子だった」「親の言うことをきく素直な子だった」等々。
しかし親や周りの大人たちの前でだけ、良い子を演じていただけなのかもしれない。演じなければいけない状況を、大人たちが作っていたのかもしれない。

事実この容疑者はネットの掲示板に「小さいころから「いい子」を演じさせられてた」と、親への不満を書き連ねていた。
また、幼少期に親に理想を押し付けられ、自分の感情を抑えて育ちながらも、親は下の弟ばかりを可愛がっていた、という報道もなされている。

今回の秋葉原だけでなく、今年はこのような通り魔事件が立て続けに起きている。
記憶に新しいものでは、3月に茨城県土浦市の荒川沖駅で、24歳の男が包丁とナイフで通行人を次々と襲って8人を殺傷した事件があった。
容疑者は高校時代に弓道部に所属し、学校関係者は「まじめで一生懸命やる子だった」と証言している。しかし大人になってからはキレやすい性格だったらしい。

どちらの容疑者にも共通しているのは、世の中がイヤになったという感情が、見ず知らずの人を殺そうという発想に繋がっていること。(幼少期の愛情不足)
自分の身の逆境を、他の人間に責任転嫁していること。殺すのは誰でも良かったと、自分以外の人間をモノのように見ていること。(人との心の繋がりの希薄さ)
大人になるにつれキレやすい性格になった。(幼少期の心の抑圧による)
そして、子供のころ周りの大人には「真面目で良い子」と映っていたこと。

運動会で子供たちの元気な姿を見たあとだけに痛感した。今の子供たちを、こんな性格の大人にしてはいけないと・・・。
そのひとつの対策として、せめて小学生の頃には思いっきり悪ガキになれて、ふざけられて、大人に反抗できる定期的な「ガス抜き」が絶対に必要だ。
「うちの子は反抗ばかりして言うことをきかない」「いたずらばかりしている」と嘆いている親御さんに私は言いたい。親の言うことをなんでもハイハイと聞いて手のかからない子よりも、ずっと安心して良いですよ...と。

とは言っても放任ではいけない。親は子供にモラルを教え、他人に迷惑をかけないためにキチンとしつける必要がある。子供の心を壊さないまま正しくしつけるにはどうしたら良いのだろう?
このブログのサイドにあるタグ「子育て」をクリックすると、私が書いた子育てに関する記事が表示される。その中には子供の心を扱った記事も少なくないので、子育てをしている親御さんにはぜひご覧になっていただきたい。
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by rukachas | 2008-06-10 22:17 | 子供の話 | Comments(0)
匿名制と実名制の功罪
c0039181_2116950.jpgインターネット上の匿名掲示板が誹謗中傷の温床になっているとして、ネットを実名制にしようという動きが最近起きつつある。韓国では昨年7月からすでに導入しているが、日本の総務省も法的な規制を検討しているそうだ。
この実名制というのは、たんに太郎さんが「私は太郎です」と名乗ればそれで良いということではなく、情報発信者の所在を明らかにするために、氏名や住所がわかるシステムにするということらしい。

たしかに2ちゃんねるを始めとした匿名掲示板では、心ない書き込みや誹謗中傷が相次いでいる。犯行予告が書き込まれ、イベントなどが中止に追い込まれたケースも少なくない。
それらを未然に防ぐための手段として、ネット実名制はたしかに効果があるだろう。何か刑事事件が起きたときにも、犯人が特定しやすくなるはずだ。

しかし私はこの「ネット実名制」には反対だ。世間にありふれた名前ならともかく、多くの人は自分の実名を明かしてしまうと、あとは年齢性別、何市に住んでいるかなど普段の会話程度の情報によって、一般の人間にもいとも簡単に個人特定されてしまう。
もちろん個人特定しやすくすることが犯罪抑止に繋がるわけだが、それは一方で健全なディスカッションを抑え込んだり、弱者を危険にさらすことにはならないだろうか?

実名制推進派のそれは、まるで実名を明かさない者は後ろめたいことがある人間で、実名を明かしている者は清廉潔白な人間であると決めつけているように感じる。
匿名発言と一口に言っても、その他大勢にまぎれてヤジを飛ばすような発言と、一個人として強く主張する発言とを一緒くたにしてはいけない。

実名を伏せたいのは、なにも誹謗中傷をおこなっている連中ばかりではない。実名を明かさないことは(どこの誰なのか特定されないことは)、自分を含め家族や関係者をストーカーから守るという意味もある。
実名を義務づけると、正当な意見を書き込んだ者が、それを不服とする連中から実社会において不当な攻撃を受ける、ということも十分起こり得る。
実名を公表しないと発言できないようなシステムは、ネットの公共性を奪うばかりか、サイバー暴力の根本的解決にはならないように思う。

私はネットを始めてから11年間、ずっとRUKAというハンドル(ネット上の名前)を使い続けている。
昨年11月、とある初老の男性が私のサイトをけなしたことがあった。その人からのメールにはこんなことが書いてあった。「本当に真面目なサイトであれば、偽名などを使わず、名を名乗ってプロフィールを公開し、堂々と作品を発表して下さい。」
この人は人生の大部分をネットの無い時代に過ごしてきたせいか、私のハンドルを偽名だと思ったようだ。偽名とは、人を偽るためのニセの名前のこと。

上に貼った画像は、数年前に作った私の名刺。(URLが古いままだが、近々作り直すつもり)
ネットで不特定多数に実名が知れるのは危険だが、個人的に渡す名刺に住所や電話番号が書かれているのは問題ない。この名刺にも私の住所と電話番号が載っているが、名前は実名ではなくRUKAとしている。サイトの紹介を兼ねているので、名乗るときはもちろんRUKAだ。
この名刺で私を知った人は、私を実社会でもRUKAさんと呼ぶだろう。だが「The Light of Smile 笑顔の灯り」関係の付き合いならそれが正解。むしろ戸籍上の実名は何の意味も持たない。

匿名は透明人間になるための手段だが、ハンドルは被害が実社会に及ばないようにするための手段である。
日本政府もネットでの実名公表を義務づけるくらいなら、いっそのことネット用の戸籍(個人識別ネームまたはID)を作ってそれで管理するほうが、活発な議論に水を差すことなく、違法な書き込みを減らせるのではないだろうか。
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by rukachas | 2008-01-23 21:22 | Net&Webの話 | Comments(0)
我が子の写真を発表しよう、個人情報ぬきで
子供の写真ネットの動画などでお馴染みのフラッシュムービーの中には、迷路や間違い探しの絵を眺めていると突然大きな叫び声とともに不気味な顔が現れてビックリ、というものがある。心臓の悪い人なら本当に死にかねない、たちの悪いジョークコンテンツだ。

先日、小学生の甥が私にこのビックリフラッシュの話をしてきた。「学校でインターネットしてたら誰かがこれ見てて、クラス中ギャー!ってなっちゃった」
とくに気にせず聞いていたためこの話はここで終わったのだが、あとからよくよく考えてみたら、教室のパソコンで小学生がこれを見られることのほうが、ある意味ビックリなんじゃないか?

というのも、このてのジョークコンテンツは結構くだけたサイトに掲載されることが多く、そのサイトにビックリ系があるなら、おふざけや不謹慎、エロやグロがあることだって十分考えられるからだ。
インストールされたフィルタリングソフトが画像や動画の内容まで検閲してくれるかどうかはわからないが、少なくとも小学5,6年生ともなれば、教室のパソコンでくだけたサイトが見られるのは確かなようだ。

とはいえ、子供たちが情報を受けている分にはさほど心配はいらない。情報を選り分ける能力を養うのも必要なことだし、その情報によって教室の秩序が乱れることもないだろう。
心配するべきは生徒による情報の発信だ。そのへんはセキュリティとして、外部の掲示板に書き込めないよう配慮しているとは思うが、学校が用意した生徒専用の掲示板であっても、誹謗中傷や個人情報を書き込まれるといったトラブルがここ数年多くなっている。

自分や他人の個人情報を書き込んではいけない、というのは子供へのネット教育の基本でもあるが、じつは意外にも大人のほうが個人情報の扱いに無頓着であり、しかもこの「個人情報」について誤解している人が多い。
IPやリモートホストを個人情報だと思っている人や、自分のプロフィールを個人情報だと思っている人、店の監視カメラに自分の姿が写ることを個人情報の漏洩だと思っている人もいる。

個人情報とは、どこの誰であるか、個人を特定できる情報のこと。髪型がどうだとかどんな顔をしているかとか、身長体重、年齢、趣味は何かとか、そんなものは個人情報ではない。

ある若いママさんが、幼稚園に通う我が子の成長記録をかねて子育てサイトを立ち上げた。だが子供へのセキュリティを考え、写真はできるだけ小さくし、子供の顔にモザイクをかけた。せっかくの可愛い顔が台無しだが、子供の個人情報を載せすぎないようにと配慮した結果だ。
ところがこのママさん、日記には子供の名前も、住んでいる市町村名も書いている。いやそこまでならまだいいが、なんと子供が通っている幼稚園名や、いつどんなイベントがあったとか、近所の様子まで克明に書いている。しかもスナップ写真付きで。(実話)

たしかにこのママさんにとっては、子供の顔写真は「個人情報」であり、幼稚園名は「個人情報」ではないのだろうが、子供が誰さんちの誰ちゃんであるかを特定される可能性は、地域名や学校名を明らかにした場合のほうがずっと高い。
全国の小学校のホームページで、生徒を識別できないほどに写真を小さくしたり顔を隠しているのは、「この子はこの学校に通っている」という狭い範囲にまで絞り込んだ情報を与えてしまう恐れがあるからだ。

つまり逆に言えば、どこの誰かわからない個人のページなら、公開する情報に気を遣いさえすれば、子供の顔写真を掲載しても十分セキュリティは保たれるのである。
子供の写真の場合は、モザイクをかけたほうが良いのは子供の顔ではなく、むしろ周りの景色や文字である場合が多い。

子供をお持ちのパパさんママさんには二通りのパターンがあって、自分の子供の写真を世間に公表したがるタイプと、公表したがらないタイプとがある。
我が子の写真をネットで公表したがらない親御さんにはそれぞれ理由があるのだろうが、公表している人に対しても「公表すべきでない」とかたくなに訴える人もいる。
だがもしそれがイタズラや誘拐事件などの被害を想定してのものだとしたら、とんだ取り越し苦労だ。

ネットで子供の写真を見た者が、その子に夢中になり固執する確率。その者が犯罪を起こすような変質者である確率。実際にその子に会おうとする確率。実際に会って犯罪を起こす確率。そしてそれ以前に、その写真からその子がどこの誰であるかを突き止められる確率。
それらを考えてみれば、我が子の写真を公表することなど、街を連れて歩くよりもずっと小さなリスクであることが分かる。

それよりも、我が子を他人に見てもらうことで得られる優越感や、それに費やした作業の充実感、そして子供の写真を通じた心の交流、それらの恩恵のほうがはるかに大きいのである。
よく、一度ネットに流れた写真は消すことができない、この先何年も見られ続ける、という話をする人がいるが、人に見られて困る写真ははじめから掲載しなければ良いだけの話。ウィルス感染による情報流出被害の話とゴッチャにしてはいけない。

日々変わる子供の顔の写真を見られることを気にするよりも、ストーキングされる可能性のある個人情報の流出にこそ、気を付けよう。
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by rukachas | 2007-07-04 04:12 | Net&Webの話 | Comments(0)
自分でまいた種
別れストーカーの被害に遭い、警察に被害届けを出している人は少なくないが、中にはその原因を自分で作っておきながら降ってわいた災難であるかのように振舞う人もいる。
しつこく迫っているのがじつは元カレや元カノであり、復縁を迫られているにしても、あるいは何らかの恨みを買ったにしても、過去をきちんと清算せずに一方的に逃げるため、自分を可哀想なストーカー被害者に見立てる者は、それはそれで非道だ。

人は、自分の行動によってトラブルが生じたときでも、いとも簡単に被害者ヅラすることができる。自分からその空間を作り、その関係を作り、その立場を作りあげておきながら、後先考えず行動した結果、自分にとって都合の悪い状況が生じてくると、とたんにきびすを返すようにそこから離れようとする人のことだ。

本当のストーカー被害に遭っている人には心から同情するが、中には自業自得であり同情できない、いやそれどころか「被害者ヅラするな」と言いたくなるほどの人がいることも、これまた事実。
もちろんストーカー行為そのものは犯罪であるし、不快感や身の危険を感じたら警察に通報するのは当たり前だが、火のないところに煙を立てるどころか、自分から炎をメラメラと燃やしておいて、あとから熱いだの火傷するだのと騒いで逃げるのは、かなり無責任なことだ。
(なんか、私が当事者だと思われそうな文章になってしまったが、これは知り合いから聞いた話をもとに、私が受けた印象を書いただけだからね)

これと似ていることだが、春休みに孫に来てほしくて、自分で迎えに行ってまで孫を連れてきたオジイチャンが、数日たって孫の行動がうっとおしくなってくると、今度はイライラし、託児所じゃないんだと文句タラタラ。「早く帰せ!」とまで言うようになった。
孫たちは何も悪くないのに、ただ”いる”ということが不快になってきたわけだ。これは今月、うちで実際にあったこと。

自分から誘っておいて、うっとおしくなってくると離れたがって、そして妙な被害者意識。
結局どっちも勝手なんだよね。ヽ(´・`)ノ
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by rukachas | 2007-04-21 15:12 | Comments(0)