子供大好きRUKAの雑記帳
by RUKA
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核P-MODEL гипноза (Gipnoza)
c0039181_191158.jpg発売日から1ヶ月ほど遅れてしまったが、平沢 進さんによる核P-MODEL名義のセカンドアルバム「гипноза (Gipnoza)」を今週購入した。

前作、2004年の「ビストロン」以来、核P-MODELとしてはじつに9年ぶりのアルバムとなる。
ビストロンはアメリカ軍によるアフガン侵攻やマスメディアへの皮肉を思わせる内容だったが、今作は2011年3月11日の東日本大震災の影響(というよりひとつの引き金と考えられる)が色濃く出ている作品となっている。

歌詞の中のフレーズにも...
「カタストロフ」「瞬間のCrash」「天変地異」「逃げ惑う人」「1000年もキミを待った」「陸海空」「救命ショー」「瓦礫」「臨界値」「気付かれぬようにそっと定義を変えよう」「見えるのは嘘」
などとあり、あの大災害とその後の人間の対応を、思わせぶりな言葉で綴っている。

平沢氏のアルバムでは珍しく、CDのブックレット(歌詞が載っている小冊子)の最初の数ページにひとつの物語が載っている。
『盗まれたアシュオン』と題されたその物語、これがまた面白い。

「なるほどそうだったのか!」1979年から続くアシュオン実験の一連の流れに納得し、しかし同時に疑問符がいくつも湧き出した。
スポットを持ち出した毛糸帽の男は何者なのか?人々の行く末は?と、今後の展開を案じてしまう。

それにしても、まさかPEVOという言葉まで出てくるとは思わなかった。PEVO星人はスポットのない世界を知っているようだ。
この物語と謎解きのような歌詞は、是非CDを買って読んでいただきたい。

早速聴いてみた感想としては、今回はディストーション気味の攻撃的な音が多く、ノリの良い1曲目2曲目でさえも重く訴えかけてくるような印象を受けた。
とくに2曲目の「それ行け!Halycon」は、前アルバムの3曲目「アンチ・ビストロン」のようなポップな曲だが、どこか「不安」で「不穏」で「不審」な、う~ん変な曲だ。(良い意味で)

ソロのときと同様、曲順が絶妙で、聴いていると「ああ、コレね~」と納得してしまう。それはあの大震災とその後のゴタゴタを知っている我々だからこそ共感できるのかもしれない。
とくに3曲目の「排時光」では、震災直後のあの事故の不安な気持ちがよみがえってしまった。
だがラスト10曲目の「Timelineの東」では新たな希望も見えてきた。「白虎野」以来、久々に胸躍るメロディだ。

さて、現在の我々はいったい何曲目にいるのだろう?
「ビストロン」と比べると平沢ソロのテイストが色濃く出ているようにも感じるが、間違いなく核P-MODELの傑作。
あの震災を体験した人にこそ、聴いてもらいたいアルバムだ。

1曲目のタイトル曲はオフィシャルの特設ページで無料ダウンロードできます。
гипноза (Gipnoza)特設ページ
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by rukachas | 2013-12-05 19:18 | 音楽の話 | Comments(0)
天使はリアルかデフォルメか
c0039181_23332184.jpgおそらく私以外にも同じことを感じている人は多いと思いますが、通販サイトで天使の置物(ガーデンオーナメントや室内装飾品)を買うためにあれこれ品定めしていると、思わず口をついて出る言葉があります。

天使なのに・・・
「なんで顔がおっさんなんだ!」
「なんで体がデブデブなんだ!」
「なんでこんなに顔デカイんだ!」

美術館や街角にいる天使の彫像はみな子供らしい可愛い姿をしているのに、どうして安価な置物となると変なデフォルメ(良く言えばコミカル、悪く言えば不気味)になってしまうんでしょう?

「顔がおっさん」について言えば、ガーデン用のものがとくにおっさん度が高いような気がします。しかもただ老け顔なだけでなく、下手な似顔絵みたいにちょっと崩れてたりして。

「体がデブデブ」については、天使はもともとふくよかに描かれているので多少ふっくらしているくらいが可愛いんですが、置物の中にはまるで外国映画に出てくる偽相撲取りのようなブヨブヨのメタボ天使も存在します。
これじゃ飛べね~だろ!というツッコミ以前に、もはや子供の体型でないことに違和感を感じてしまいます。

「顔デカイ」については、これは裸であるがゆえにわざとコミカルにしているんでしょうか?天使の置物の大多数が4頭身ほどです。つまり頭と体の大きさのバランスがちょっとマンガチック。
ぬいぐるみじゃないんだから、もうちょっとリアルな頭身にできないもんかなぁ。

ということで私は天使の置物を買うときはいつも、顔は子供らしく、体は太り過ぎず、頭身はできるだけ実際の子供に近いものを...と思いながら探しています。

しかしこれがなかなか見つからないんですねぇ。あったとしても高価な美術品のみ。
部屋の置物ごときに精巧なものは望みませんが、せめて頭身だけでもリアルな、Tシャツの襟がヨレヨレにならない頭の大きさを望みたいところです。


まぁそれを踏まえてというわけでもないんですが、最近また天使の置物を2点買いました。
どちらも楽器を持っている天使の楽団。置物ではよくあるタイプですね。

c0039181_23221655.jpg
4人の天使がそれぞれハープ、ホルン、アコーディオン、マンドリンを持って並んでいるオブジェ。
アンティーク調で全体に汚れた感じに作られていて、それが立体感の演出にもなっているんですが、顔に土が付いているように見えたり、お尻の割れ目の中が茶色くなっているのはいただけない。
本当の汚れではないので、拭いても取れませんでした。

でも顔が可愛いので気に入りました。なんとなくジュニアモデルのケイスケ君を思い出します。
じゃっかん頭が大きめですが、座りポーズなのでそんなには気になりません。

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天使には珍しい正座ポーズ。
お行儀の良いエンジェル・カルテット(四重奏)でした。


もう1点は別なショップからの購入で、こちらは3個セット。それぞれマンドリン、ハープ、バイオリンを弾いています。
素材のレジン剥き出しで色はアイボリーでした。

c0039181_23222857.jpg
こちらもアンティーク感を出すために頭と翼と楽器と台座に塗料でカスレ感を出していました。
肌が汚れていないので、こちらのほうが綺麗に見えます。

ただ、この天使たちは目つきがちょっと怖い。なんとなく寝不足のチャック・ウィルソンにも見えます。(^^;)
でも特筆すべきは顔ではなく身体のほう。体つきがキュートなので商品ページを見た瞬間一目惚れでした。

3体ともナヨッとしたポーズが可愛いし、なんといっても体型がリアル。ちょっとふくよかな幼児といった感じでしょうか。
頭身のバランスも実際の幼児に近いし、変にデフォルメしていないところに好感が持てます。
だからこそ余計に目つきの怖さが残念なんですけどね。

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背中側もじつにキュート。
どの角度から見ても子供らしい天使たちでした。


今回買った置物もいつものように安い雑貨ですが、癒しを得るには十分でした。
なんにしても、顔がおっさんぽくなく体型がデブ過ぎず頭が大き過ぎず、現実の子供の見た目に近い天使像を見つけたときが、私にとっては「いつ買うの?今でしょ!」のとき。

輸入雑貨店のショップには、ぜひともそういった天使像を優先して仕入れてほしいものです。(´ω`)
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by rukachas | 2013-07-11 23:35 | モノの話 | Comments(0)
ショップの違い、土の違い
多肉植物私は多肉植物を買うとき、主にふたつのネットショップを利用しています。
どちらも多肉ショップを検索するとすぐに見つかる人気店ですが、ここでは仮に「ショップA」「ショップL」としましょう。

ショップAは比較的品揃えが良く、値段も手頃。他の店で見つからなかった多肉がここでは見つかったり、他の店で1つ買う値段で2つ買えたりもします。

【良い点】
○ 商品の種類が多い
○ 他店よりも少し安い

【悪い点】
● 植え方が無造作な商品がある
● 多肉と鉢が汚れている商品がある(土を被っている)

そしてショップLは、値段はごく普通か物によってはちょっと高めですが、いかんせん品揃えが悪い。
リストにはたくさんの種類が表示されていますが在庫なしが多く、欲しいものがなかなか買えないのが残念な点。
でもスタイリッシュな黒鉢はなかなかオシャレで、多肉の姿を引き立てます。

【良い点】
○ オシャレな鉢に丁寧に植えてある
○ 商品としての質が高く、梱包も丁寧

【悪い点】
● 在庫なしが多く、買えるものが少なめ

以上のようなことから、私は安く多く揃えたいときはショップAで買い、気に入った多肉があるときはショップLで買い、と使い分けています。


ところで、今までにどちらのショップからも同じくらいの数を買いましたが、その後弱ってしまった(腐ったり枯れたりした)多肉はすべてショップAから購入したものでした。
もちろん私の管理が原因であることは言うまでもありませんが、どれも同じ育て方をしているのになぜショップAの多肉だけが弱りやすいのか?

私は土の違いだと思っています。ショップAの土が悪いということではなく、私の部屋の環境に合わないのではないかと。

ショップAの土は粒が小さくサラサラとしている、一見するとどこにでもあるごく普通の土。水はけは悪いが水分をある程度保つので、よく日の当たる環境に適しています。
ショップLの土は球状の塊が多く含まれる、ショップでオリジナル用土と称している土。水はけが良いので、屋内の窓際など半日陰の環境に適しています。

その違いのせいかはわかりませんが、ショップAの多肉は注文すると土がカラカラ(というかパサパサ)に乾いた状態で届きます。
鉢の周りにも乾いた土が付いているので、よく日の当たる場所で乾燥気味に育てていた鉢植えをそのまま梱包したといった感じ。

ショップLは注文すると、一鉢一鉢、土が十分湿った状態で届きます。発送前に水をたっぷりやってから梱包したといった感じ。
水はけの良い土だからこういうことができるんですね。

私は多肉を部屋の中で育てているので、ショップAの土では水やりのあと湿った状態が長く続きやすく、それで根腐れすることが多かったのでしょう。
最近では ショップLから専用土(約4.5リットル)を購入し、ショップAの多肉もこの土に取り替えるようにしています。

自分の環境に合う多肉、合わない多肉いろいろありますが、それは鉢の中の土にも言えること。
いくつかダメにしてからようやくわかったことでした。(´ω`)
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by rukachas | 2013-06-26 21:47 | 動植物の話 | Comments(0)
私が「寄せ植え」をしない理由
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多肉植物をある程度育てている人なら一度はしたいと思っている、あるいはすでにしているであろう寄せ植え。
ひとつの鉢や皿に複数の種類の植物をまとめて植える、あの「寄せ植え」です。

ネットで検索すると、多肉を寄せ植えしている人たちのブログと、そこに掲載された綺麗な寄せ植え写真がたくさん見つかります。
小さな多肉も様々な種類を寄せ植えればボリュームも増すし、デコレーションの楽しさもあります。専用の鉢や小皿も売っていて、賑やかな雰囲気になりますね。

しかし私はこの「寄せ植え」をあまりしたいとは思いません。たぶんこれから先もすることはないでしょう。
私が寄せ植えをしない理由。それは、寄せ植えすると配置の自由が制限されてしまうから。

育つにつれて形が変わる植物ですから、そのとき最も綺麗に見える角度でディスプレイしたいもの。
1鉢に1多肉ならそのつど鉢の向きを変えるだけで済みますが、寄せ植えしてしまうとそうもいかない。多肉Aの最も綺麗に見える向きが、一緒に植えた多肉B、多肉Cの最も綺麗に見える向きとは限らないからです。

また、私にとっては並べる順番や位置も重要。
あるときは和名の関連性でまとめたり、またあるときは属別でまとめたり、大きさや背の高さ、鉢のサイズ別にまとめたりと、そういうグループ分けの楽しさも鉢植えにはあるわけです。
ところが一度寄せ植えしてしまうとそのまとまりをずっと保持しなくてはなりません。配置を変えたくなるたびにいちいち植え直していたのでは、植物にとってかなりの負担になります。

もちろんこれは、置く場所や並べる順番や鉢の向きをコロコロ変える私には寄せ植えは向かないという話であり、並びや向きをあまり変えたくはならないという人には、寄せ植えは園芸の楽しさのひとつです。

ただ、多肉の気持ちになってみたときに、寄せ植えって正直どうなんだろう?という思いはあります。
ひとつの器にたくさんの多肉を植えているその様子は、人間でいえばひとつの部屋やお風呂にみんなで入っているようなもの。最初は楽しいし、多肉同士で語らいもあるでしょう。
でも年がら年中顔をつき合わせていたらプライバシーなんてありゃしない。もし相性が悪かったらそれだけでストレスになる。出るに出られぬアリ地獄。

ひとつの鉢に同じ多肉が2株植わっているのは良いと思います。ひとつの部屋を兄弟で使うようなものだから。
でも異種を同じ鉢に植える「寄せ植え」は、まるで他人との共同生活。食事も一緒トイレも一緒。
私にはそれが辛そうに見えるんですよ。

まぁ、私が勝手に感じたイメージですけどね。(´・ω・`)
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by rukachas | 2013-05-29 23:22 | 動植物の話 | Comments(0)
意図しない正しい動作
シニア私が使っていたiPhone 4をオフクロにあげてもうひと月半になるが(該当記事)電話にはならないながらも毎日それなりに使っているようだ。使うというよりもオモチャを弄っているような感じだが。

アイコンの下のアプリ名が小さくて読み取れず、虫眼鏡アプリを探すのに実際の虫眼鏡を使っていたりして、機能をアイコンで憶えるのはお年寄りには難しいのかもしれない。

だが一番厄介なのはやはり操作に関して。タッチパネルは目の前にあるものにすぐ触れてしまうお年寄りには扱いづらいようだ。
オフクロがよく口にするのは「勝手に画面が変わってしまう」「突然違うのが出る」ということ。どうやら指が意図せず画面に触れてしまうのが原因らしい。

指先で操作するのだから操作しないときは指を画面から離すように、と教えてはいるのだが、いつのまにかまた画面の上に指を置いていたりする。
無料アプリの広告領域に触れればその広告のサイトに飛ぶし、設定アイコンに触れれば設定画面が出る。オフクロの言う「勝手に画面が変わる」というのはそういうことのようだ。
しかも本人に画面に触れたという自覚がない。これでは車を運転している者がハンドルを右に回しながら「車が勝手に右折した」と言っているようなもの。

またこれとは逆に、iPhoneがオフクロのおこなうタップをタップと認識しないことがある。何故ならオフクロのタップは若干ドラッグ気味だからだ。
指先で一度触れたあとに、まるでボタンを押し込むようにグイッと押して、そして離す。
指先でポンと叩くようにすれば良いとは言っているのだが、数回に1回はこういう動作になってしまう。(必ずこうするわけではないから余計に修正が難しい)

オフクロはiPhoneでアプリを使っていると、ポンとワンタップで済むことでさえ「ここを押さなきゃいけないの?」「こうしなきゃいけないの?」とよく言う。
いつも家事をテキパキとこなしているオフクロなので、決してめんどくさがりではない。だが操作のための動作が自分の意思と直結していないから、こんなセリフも出るのだろう。

タッチパネルは直感的に操作できる便利なシロモノだが、お年寄りは自分の意思と指の動作が一致しないことがある。
今後スマートフォンが人の意識(画面に触れた意味)も理解するようにならない限りは、万人に使いやすい端末とはならないのだろう。

しかしこういうことを書くと若い人から「なんてドンくさい母親なんだ」「ボケてるんじゃないか?」と言われそうだが、私はこう言いたい。
「キミの若くて綺麗な母親もいずれはこうなるんだよ。そしてやがてはキミ自身もね」
必ずとは言わないが、そうなる可能性は誰もが持っている。

今の電化製品にも、そしておそらく未来の電化製品にも足りないもの。それはユーザーの操作よりもユーザーの意識を重んじる、そんな優しさではないかと思う。
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by rukachas | 2013-01-04 20:51 | iPod&iPad&iPhoneの話 | Comments(0)
「起きる」と「起こる」
起きる昔から気になっていた事のひとつに「起きる」と「起こる」の違いがあった。
地震が「起きる」 地震が「起こる」
大災害が「起きる」 大災害が「起こる」
どう違うんだろう?どう使い分けるべきなんだろう?

と思っていたら、どうやらこの疑問は結構ポピュラーだったようで、Yahoo!知恵袋にも同様の質問があった。
そこでの回答によると、自然発生的なものには「起きる」を使い、誰かが「起こす」ことによって発生したものには「起こる」を使うらしい。
つまり「起こす」「起こした」という原因によってもたらされた結果が「起こる」「起こった」であると。

この回答はたぶん正解だろうし、なるほど!と思わせる。
だが自然現象でさえ神の意思だと言い張る者もいるだろうし、この世のすべてが因果応報であるという考えのもとでは、これだと何から何まで「起こる」になってしまう。

そこで私なりに納得のいく答えを考えてみた。
出た結論は単純だった。動作が目に見える形で認識できること、あるいはその様子を端的に表した言葉については「起きる」「起きた」
目には見えない現象だったり、複数の事柄を総称して表した言葉については「起こる」「起こった」を使うのが一番しっくりくるのではないかと。
簡単に言えば、動作が目に見えてわかるものであるか、そうでないかの違い。

「地震」の場合は、地面が揺れる現象なので「地震が起きる」「地震が起きた」
しかし「災害」と言った場合は、様々な災いを総称した呼び名なので「災害が起こる」「災害が起こった」となる。

「風」の発生は空気が流れる動作なので「風が起きる」となるが、「台風」と言った場合は具体的な動作ではなく気象上の名称なので「台風が起こる」となる。

寒くて震えることは「震えが起きる」だが、二日酔いなどの胸焼けは動作ではないので「胸焼けが起こる」となる。

渋滞が「起きた」のは、交通事故が「起こった」ため。
暴動が「起きた」のは、インフレによる政情不安が「起こった」ため・・・等々。

と、私になりに考えてみたが、この使い分けが正しいのかどうかは正直わからない。
でもこれが自分にとっては一番納得がいくので、今後ブログを書く時はこの使い分けでいこうかなと、勝手に思っている。
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by rukachas | 2011-05-27 18:51 | 言葉の話 | Comments(4)
技術の飛び出し禁止
飛び出し人間は飛び出ることが好きな生き物のようで、勢い良く飛び出るシーンを見ては大人も子供も大興奮。
劇場映画は3D映画が大人気で、家庭用の大画面テレビも3Dタイプが増えてきた。

さらには携帯ゲーム機も3Dになるそうで、任天堂が来年の2月に発売を予定している「3DS」というゲーム機は専用のメガネが必要ない裸眼立体視タイプだそうだ。

映画のスクリーン、テレビやゲームの画面から、ちょっと視線をずらせばそこには立体物が溢れているというのに、人々は娯楽メディアにも立体を求めはじめた。
いや、本当に立体映像を求めているのだろうか?

3Dらしい映像にするため、映画などは奥行きを目立たせたシーンが多くなり、人や物の動きがわざとらしくなり、カメラワークも単調になりがち。
コンテだけで人を感動させられるような作品がますます減ってしまうのではないかと、そんな気もしてしまう。

しかも現在の3D技術はどれも「飛び出しているように見える」だけ。
3DテレビのCM映像のように、サッカー選手がこちらに向かってボールを蹴っても、飛んできたボールが自分の横をすり抜けるわけではないし、ましてや後ろを向いたら(テレビに背を向けたら)遠くに飛んでいくボールが見えるわけでもない。

その昔「飛び出す絵本」というのがあった。(今でもあるかな?)
本を開くと、そこに描かれているイラストがムクッと起き上がってくる絵本。
これは本当に立体だ。紙が紙として手前に近づいてくるわけだし、見る位置によって形が変わったり、見える部分見えない部分が変化するのも実体ならでは。

こんなふうに実体のように映し出す技術というとホログラム(ホログラフィー)になるわけだが、これは実用にはあと50年以上はかかるだろう。もっとかな?
小さくネオンのように映し出すことにはすでに成功しているようだが、実体のような映像となるとまだまだSF映画の中だけだ。

現状の3Dには、専用メガネをかけても裸眼であっても解決できない、致命的な欠点がひとつある。
それは「病気や怪我で片方の目でしか見れない人は立体を認識できない」ということ。

ホログラムであれば、見る位置をずらせば違う角度から見れるし、横から見れば横顔が、後ろから見れば後ろ姿が見れる。
つまり映っている物を立体として認識できるが、現状の3D技術ではそれができない。

目が見えない人のためのテレビ、耳が聞こえない人のためのオーディオ機器、足がない人のための自転車を作れとメーカーに強いることはできないが、今のこの3D流行り、人々のニーズというよりもどこかメーカーの技術主導型に思えてならない。

生まれつき片方の目が見えない人は少ないかもしれないが、年をとって片方の目が見えなくなった人はたくさんいる。
そういう人を切り捨て、五体満足な人のみを楽しませるような技術は決して発展しない。つまり私は、現在の3D人気(需要)はすぐに廃れるだろうと思っている。

映画もテレビもゲーム機も、万人に喜ばれるのは「見せ方」ではなく「中身」。
3Dはすぐに飽きられる。何故なら我々の周りには、触れることもできる本物の立体が溢れているのだから。
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by rukachas | 2010-10-06 20:01 | 電気製品の話 | Comments(0)
「子供好き」が無い
RUKAの笑顔の灯りブログその昔、当サイトをYahoo! JAPANに登録しようとしたとき、カテゴリーは何になるのかで非常に迷いました。
Yahoo!の登録カテゴリーには、子育てと教育と児童福祉と芸術鑑賞を合わせたようなカテゴリが無かったからです。

私はそれを「子供好き」と呼んでいますので、子供好きというカテゴリーさえあれば済むのにと悔やんだものです。
そのときの様子は、当時の「独り言」のページに書き記しています。
2001年7月3日「子供好きというカテゴリー」

最近、日記ブログとしてアメーバブログを使っているのですが、ジャンルを登録するとき、自分のブログがどこに属すのかで同じように迷いました
子供に関するジャンルは「新米ママ」「子育てパパ」「妊娠・出産」など、どれも自分の子供に関するものばかり。

私のブログはほとんどが子供たちに関する記事なので「子供論」や「子供好き」というジャンルがあれば良いのですが、まったく無し。
仕方なく「小学生」というジャンルに登録しました。小学生くらいの子について語ることが多いからです。
最初は気が引けましたが、小学生サッカーチームのコーチや、小学校に携わっている人にもこのジャンルで登録している人がいるので、書き手が子供である必要はないのだろうと判断しました。

しかしそんな小学生ブログの中には、大人が小学生を演じているブログもあるようです。あるいは演じてはいなくても、すっかりお母さんの日記になっている子供ブログもあります。
前者は、言葉は悪いですが成り済ましブログ、後者は代理ブログということになりますね。

「小学生」というカテゴリもしくはジャンルは、小学生が書き手であることが重要なのでしょうか?それとも小学生に関する内容であることが重要なのでしょうか?
小学生が政治についてニュース記事を紹介しているブログと、大人が小学生について語っているブログでは、どちらが「小学生」というジャンルに相応しいのでしょうか?
アメブロの場合、そのへんがハッキリしません。

ただひとつ言えるのは、ブログは書き手が何者であるかを伝える手段ではなく、内容を伝える手段であるということ。
だから小学生のRUKAちゃんが書いているのだと思ってランキングページから来てしまった方は、私がオッサンだと知ってすぐ帰るのではなく、ぜひともいくつかの記事を読んで、一緒に子供について考えてもらいたいなと・・・まぁ、そう思うわけです。
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by rukachas | 2010-06-04 19:57 | Net&Webの話 | Comments(0)
不確かさへの確信
キリスト世界中で目撃されている空飛ぶ円盤。これは主にUFO(ユーフォーまたはユー・エフ・オー)と呼ばれているが、非常に良い呼び名だと思う。何故ならUFOとは「Unidentified Flying Object」の略で「未確認飛行物体」という意味。つまり「何なのか確認されていない飛行物」ということ。

その円盤を間近で確認し、捕獲して、調べあげて「正体はこれでした」となればもうこの名称は使えない。宇宙人が乗っていたなら「エイリアンクラフト」、未来から来たものなら「タイムマシン」と呼べば良い。
だが、少なくとも半世紀近くもUFOという名称を使い続けているところに、UFOというものの本質があるような気がする。

イギリスのテレグラフ誌の先月26日の記事によると、ブルガリアの政府機関「科学アカデミー宇宙リサーチ研究所」が「宇宙人はすでに地球に来ていて、我々を観察している」と発表したそうだ。
Aliens 'already exist on earth', Bulgarian scientists claim

宇宙リサーチ研究所の次長、フィリポフ氏が語ったそうなのだが、政府機関が堂々と明言したのだから、きっと世界中の宇宙人地球来訪肯定派のみなさんは「やっぱり!」と喜んだことだろう。
数ヶ月前にも、オバマ米大統領が宇宙人の存在を発表するのでは?という噂が流れたが、どうやら地球外生命体がこの地球にやってきて国レベルで関係しているという話は、UFOに夢を持つ人にはもはや絵空事ではないらしい。

しかしちょっと待ってほしい。ブルガリアの政府機関だろうがアメリカのNASAだろうがどこでもかまわないが、国民に対して宇宙人来訪を発表すればそりゃあ信じる人もいるだろう。
だがもしそのとき「これは事実だ!なぜなら私がその宇宙人だからだ!」と言ったら、それでも信じる人の数は変わらないだろうか?

「私が宇宙人だ」と語る人を見てしまうと、人々はその話を急に信じなくなってしまう。霊がテレビに出演して「じつは私、幽霊なんです」と語るのも同じこと。
それはどちらも「不確かなものを信じる」というパターンから外れてしまうから。

宇宙人は我々そっくりに姿を変え(またはもともと同じ姿をしていて)すでに人間社会に紛れ込んでいる、というのはよくある話だし、映画でもお馴染みの設定。
そして死んだ人間の霊魂が成仏できずに我々の周りを漂い、写真に写ったり(心霊写真)人に取り憑いたり、というのもよくある話。

しかし、目の前でマジックを見せられてもそれを魔法だとは思わない現代の人々が、普通に行動し普通に接し、ときにおどけてみせる宇宙人や霊を見ても、「らしくない」と突っぱねるのがオチだ。たとえそれが本物の宇宙人や霊だったとしても、あからさまになればなるほど人々は冷めていく。

人間は何千年ものあいだ神を信仰してきたが、もし神に固有の姿があり、太古の昔から人々と普通に接してきたとしたら、人々は神以外に不確かなものを見つけ、それを神と崇めるだろう。人間とはそういうものだ。
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by rukachas | 2009-12-02 23:23 | ニュースの話 | Comments(0)
非選択結果表示マシン~!
選択の時私は子供の頃、と言ってもたしか15、6歳の頃だったような気がするが、ドラえもんの道具でこんなのはどうだろう?と考えていたものがあった。
それは「もしこっちを選んでいたらどんな結果になったのか?」がわかる装置。
小さい子が考えるほど突拍子の無いものでもなく、ある程度リアルな設定を思い浮かべていた。

この装置は、少し前の出来事で行動しなかったほうの結果が、映像として映し出されるのだ。
たとえばいつも通っている道を通らず、ほんの気まぐれで迂回したとする。その結果、自動車に泥ハネされれば「うわ~こっち通らなきゃよかった」と思うだろう。
だが本当にいつもの道を通っていればイヤな目に遭わなかったのだろうか?この装置を使えばそれがわかる。

もうひとつの例としては、初めてパソコンを買う人がMacとWindowsのどちらを買うか悩んでいたとする。結果としてMacを買ったが、すぐに気に入らなくなり「Windowsにしとけばよかった~!」と嘆いた。
そんな人もこの装置で「もしWindowsを買っていたら?」を知ることができる。「Macにしとけばよかった~」と嘆いている姿が映し出されるというオチもあるが、それはそれで諦めもつく。

あくまでも過去の出来事に対してであり、しかも自分の行動による結果しか調べることができないので、タイムマシンのように過去を変えたり、これから起こることを事前に知ることはできない。よってギャンブルや宝くじの役には立たない。
あとから「こっち選んで良かった~!」となるか、「あっち選んでりゃ良かった...」となるか、それを知りたいという好奇心を満たす目的にしか使えない。あまり実用性はない。

実際にドラえもんの漫画やアニメにこういう道具が登場したかは知らないが、後悔先に立たずと言うように、自分がしなかったほうの結果を知りたいというのは、誰もが思うことではないだろうか?

だが、人間は人生の中でいくつもの分岐を越えて生きている。つまり選択肢の連続。大きい小さいはあれど、まるで迷路の中を歩いているかのように常に行動を選ばされている。
その選択により、場合によっては不幸な人生を送ったり、人を死なせることさえあるだろう。そんな大きな後悔を背負う人は、この装置を使いたがるだろうか?

「別なほうを選んでいたらどうなっていたか?」を知ることができないからこそ、人間は後悔の念に押し潰されずに生きていけるのかもしれない。
この装置がいかに馬鹿げているか、私がそのことに気付いたのは、若い頃の後悔を思い出として話せる歳になってからだった。
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by rukachas | 2009-04-05 19:08 | Comments(0)