子供大好きRUKAの雑記帳
by RUKA
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
カテゴリ
タグ
以前の記事
2017年 05月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 11月
2015年 08月
2015年 05月
2015年 02月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 07月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 07月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月
2005年 06月
2005年 05月
2005年 04月
2005年 03月
2005年 02月
2005年 01月
最新の記事
ノンアル飲料 結局コレ!
at 2017-05-24 23:00
冷蔵庫の買い替え
at 2017-05-22 23:00
Amazonパントリーの緩衝材
at 2017-03-30 22:44
必要と不要
at 2017-03-25 11:28
ノンアルコールビールの飲み比べ
at 2017-03-08 22:44
ヒラサワ曲を聴こう!
at 2017-02-13 22:42
Amazon ダッシュボタン
at 2017-02-11 22:24
Amazon プライム会員
at 2017-01-16 22:17
VISAデビットカード と ..
at 2017-01-14 22:25
ピンタレスト
at 2016-12-14 23:08
最新のコメント
acさん、はじめまして。..
by rukachas at 12:27
私もHDDの増設半年後に..
by おこのみソース at 16:08
私もこの記事と同じような..
by ac at 23:34
matsudaさん、はじ..
by rukachas at 00:34
管理人様、はじめまして。..
by matsuda at 16:51
タグ:疑問 ( 36 ) タグの人気記事
心を込めたお付き合い (前)
情報収集ネットのコミュニケーションは良い方向へと向かっているのだろうか?心はどこかよそよそしく、しかしうわべだけは妙に馴れ馴れしく・・・。
ダイヤルアップ(電話の音声回線を使った、ブロードバンド以前の低速な接続方法)の頃からサイトを運営してきた人の中には、私と同じことを感じている人も少なくないのでは?

ブロードバンド以前と今とでは明らかにネットの質が違う。今では大抵のページはストレスなく表示され、高画質な動画も快適に見られるようになった。得られる情報量は爆発的に増え、その情報の窓口となるGoogleを始めとしたポータルサイトは今や有数の大企業にまでのし上がった。
ありとあらゆる物がネットに溶け込み、現代の人々にとってネットはまさに生活の一部となった。

しかしそれに伴い、ネットを単なるデータベースとしてしか使わない人の割合が増えたように感じる。
情報を得たいとき、検索してどこかの誰かさんの記事を発見し「フムフムなるほど」と知識を得る。だがその文章を書いた誰かさんのことは気にもしないし、ましてや感謝などしたこともない、そんな人が多くはないだろうか?

私のオフクロも先日、とある一般人のブログに書かれていたお菓子のレシピを見ながら料理していたのだが、美味しいお菓子ができたと喜ぶオフクロに「じゃあそのブログにお礼のコメントでも書いたら?」と言ったら「書くのはちょっと...」と言って躊躇していた。データベースとしては活用しても、一声かけることには抵抗があるようだ。

もちろんデータベースとしての使い道はネットの最大の利点だし、本来の姿なのかもしれない。だが情報の向こう側には同じようにキーボードを打っている人がいる、ネットはデータだけでなく心もやり取りできる、ということをもっと意識してほしい気がする。

これは私の主観だが、情報を得るイメージが、一昔前のネットなら近所の家に行って教えてもらったり本を見せてもらうイメージ。今のネットは、大きな図書館に行って無言で本を見るイメージ。
データベースに特化しすぎると情報にしか目が行かなくなり、行動が無機質になりがちだ。

読む、見る、知る、話す・・・やり取りする情報量はとても増えたが、心を込めたやり取りが増えたかというと、いささか疑問に思う。
次回に続く・・・
[PR]
by rukachas | 2008-06-24 23:56 | Net&Webの話 | Comments(0)
変わらぬ美味しさ
アクエリアス久しぶりに「アクエリアス」というスポーツ飲料を飲んで思った。かなりポカリスエットに近い味になったなと。

厳密には違う味だし、甘みもポカリより少ないのだが、出始めの頃のアクエリアスはもっとプラスチックっぽい、リカちゃん人形を噛んだような味だったと記憶している。他のスポーツ飲料もそうだが、ずいぶんと飲みやすくなったもんだ。

「昔はこんな味じゃなかった気がする」というのは結構あるもので、同じ商品でも原材料が変わったり配合が変わったりしながら、味も少しずつ変化しているのかもしれない。
だからこそ「これって昔からこの味だった?」と妙に気になるときがある。たまに復刻版のチョコやらスナックやらが発売されることがあるが、これだって当時の味とピッタリ同じかどうかはわからない。

私がアクエリアス以外で、味が昔と違うような印象を受けたのは、中野物産の「都こんぶ」、甘酸っぱいロッテのキャンディ「小梅ちゃん」、何故かピーナッツが入っている東ハトの「キャラメルコーン」、お馴染み「ペプシコーラ」などなど。
とくに都こんぶと小梅ちゃんは、もっとクセのある味だったような気がするのだが・・・。

これらは本当はまったく変わっていないのに、単に味に慣れて、つまり味覚が変化しただけなのか?それともやはり時代によって味が変わってきているのか?
もしタイムマシンがあれば、当時に行って食べ比べてみたいね。(゚▽゚*)
[PR]
by rukachas | 2008-06-02 23:12 | 懐古の話 | Comments(0)
極太のボーダーライン
マルとバツこのあいだあるテレビ番組で、数人の主婦タレントが「どこまでなら浮気じゃなくて、どこからが浮気か?」という話をしていた。その中で「ダンナが他の女性とメールすることは浮気?」という質問があったのだが、2名の女性が「イエス」と当然のように答えていたのが印象に残った。

女性とメールしただけで浮気だと思われるなら、結婚とはなんと窮屈なことだろう。
私は現在数十人の女性とメル友になっているが、内容は子育てのことやお悩み相談がほとんど。アッチ系の話はまったくないし、ソッチ系の話で盛り上がることもない。文字どおりただのメール「友達」だ。
だがもし私が結婚して、その嫁が前述した女性タレントのような人だったら、私はアドレス帳から女性のメアドを削除しなくてはならないのかもしれない。

世の中には、法律やルールとして様々なボーダーラインがある。ここまでならOK、ここからはダメ(あるいはその逆)という基準がある。
だが困ったことに、ボーダーラインのライン自体が太すぎて、区切りが曖昧なものがとても多い。

喫煙と飲酒は二十歳から、自動車免許と成人映画は18歳から、と数字で明確に区切れるものは良いのだが、「どこまでが友達付き合いでどこからが浮気か?」「どこまでが親切でどこからがおせっかいか?」などは受け手の心情にもよるので、そのボーダーラインはあまりに極太だ。
道路の速度制限のように、法律で明確に決めていながらも多少の超過はOKというケースもある。

今年2月から導入された、未成年者が使う携帯電話での有害サイトフィルタリングサービス。蓋を開けてみれば結局上手くいかず各社とも苦慮しているようだが、これも有害と無害のボーダーラインが太いことによる。
だいたい明確な基準が無いものを明確に分けようとするから無理が生じるわけで、のちにディー・エヌ・エー、ネットスター、マイクロソフト、ヤフー、楽天のインターネット事業者5社は「青少年インターネット規制法案」に反対声明を出している。

思春期を過ぎた子供たちに携帯を与えておきながら、見て良い・ダメの振り分けをブラックボックス的におこなうやり方は、子供の好奇心をいたずらに煽るだけで教育的効果はほとんど無い。
何が有害で何が無害かは、親子で実際に話し合ってみなければ結論は出ない。なにしろ人によってボーダーラインの位置も太さもまちまちなのだから。

ところでこの「思春期」という言葉もかなり曖昧な意味だと思っていたら、じつは医学的には明確な基準があるらしい。女の子は胸が膨らみはじめたら、男の子は精巣の容量が4ミリリットルを超えたら思春期だそうだ。
女の子の胸はともかく、男の子のほうは外からじゃさっぱり分からないし、本人でさえ自覚できないぞ。
これは細いけれども見えないボーダーラインだな。
[PR]
by rukachas | 2008-05-14 19:41 | 言葉の話 | Comments(0)
消臭芳香剤のジレンマ
消臭芳香剤うちのトイレに置いてある消臭芳香剤から、ほのかな香りが漂っている。
消臭剤は匂いを消すもの。芳香剤は匂いを放つもの。消臭芳香剤はその両方の機能を持つ、一見矛盾した商品。悪臭のみ消すのであっても、人によってどの匂いが悪臭なのかは異なる。ラベンダーの香りにむせ返る人もいるかもしれないし、ウ◯コの匂いが好きという人も、絶対にいないとは言い切れない。
匂いを消しながらも匂いを放つ。まるでクレタ人の嘘つきパラドックスのよう。いったい容器の中で二つの成分はどうなっているんだろう?

何年か前に、新車の車内の香りがする車用芳香剤が好評、という記事を読んだことがある。匂いだけでも新車の気分を味わいたいと、この芳香剤を買っていく人も多いそうだ。
車を車本来の匂いにするための芳香剤があるのなら、トイレをトイレ本来の匂いにするためのトイレ用芳香剤があってもイイんじゃないだろうか。売れるかどうかは微妙だが。

これは言わば白髪染めみたいなものだ。新しい状態に戻すのではなく、新しいときと同じに見える(感じる)ように細工をするわけだ。逆カモフラージュとも言える。
思えば今の世の中、このように”らしくない”ものによって”らしく”作られているものばかりだ。本物の果物よりもジューシーな無果汁ドリンク。本物より活き活きとした造花。本物より美味しそうな食品サンプル。本物よりリアル(?)なデジタル加工写真などなど。

人間もそう。すれ違った女の子から石鹸の香りがすれば、女の子らしいなぁと思うだろう。しかし本来人間は石鹸の香りはしない。石鹸を使うことに女の子らしいと言っているのなら、石鹸は男の子も使うのだから偏見になる。
だがラベンダーやキンモクセイの香りをかいでトイレの匂いだと思う人もいるくらい、らしさの感覚は変化しているのだから、男らしさ女らしさ、人間らしさも変わってきているのだろう。

そのものが本来持っているらしさに、イメージとしてのらしさを加えているのが人間だと思う。だが複数のらしさを有するがゆえのジレンマというのはある。消臭芳香剤のように、そのらしさが互いを打ち消しあうものだとしたらなおさらだ。
「二兎追うものは一兎をも得ず」ということわざの意味に近いが、得なかったのは二兎しか追わなかったからだ、という考えた方をする人もいる。10徳ナイフが100徳ナイフになれば10倍便利かというとそうとも言えないが、互いに打ち消しあわない程度の複数の自分らしさを持つことは、ある意味、社会で生き抜くための術なんじゃないかな。

私は周りの人にとって、嫌な匂いを消している消臭剤なのか、良い香りを与えている芳香剤なのか、それともどっちつかずのただの置物なのか、どっちだろう?と考えてみる。
[PR]
by rukachas | 2007-08-05 19:57 | モノの話 | Comments(0)
暗闇での認識力
おめめどうでもいいことだが、自分で体験していながら何故そう感じるのかよく解らない、ということはよくあること。今回の話はそんな、不思議だな~と感じていることのひとつ。

夜に自分の部屋の灯りを消して、窓は雨戸もカーテンも閉め、外の月明かりや街灯の光さえも一切入ってこないようにする。室内の電気製品の小さなLEDさえも光らないようにし、室内を真っ暗にする。蛍光灯は消したあともぼんやりと光っているが、これは漏れないように覆うなりして、とにかく室内を完全な暗闇状態にする。

この全く見えない状態で、灯りが点いている時と同じ行動をとってみると、これが意外にも結構すんなり行えてしまう。
部屋の隅まで歩いてイスに腰掛けたり、棚の上に手を伸ばし物を取ったり、取った物を反対側の机の上に置いたりなんてことも難なくできる。スタスタと歩き回っても壁にぶつかることもない。多少動作は遅くなるが、ある程度の行動は見えている時と変わらずに行える。
これは、暮らし慣れた自分の部屋だけに、部屋の大きさやモノの位置、距離感をすべて把握しているからだ。

ところが不思議なことに、この状態で目を閉じるととたんに動きがぎこちなくなってしまうのだ。目の前に存在しているであろうモノと自分との距離感がまるでつかめなくなり、スタスタと歩くこともままならない。自分がどれくらい移動したかもピンとこない。両手を前に出していないと不安で、まさに手探り状態のぎこちなさ。
全くの暗闇なのだから、目を開いていても閉じていても状況は変わらないはず。ところが実際にこのような違いが起こるのは何故だろう?・・・と、いくつか理由を考えてみた。

勝手な憶測1
 人間は普段目を開いた状態で行動しているので、目を閉じると脳の活動が一部停止し、距離感をつかむなどの感覚が鈍くなる。
勝手な憶測2
 光が全くない空間でも、人間の瞳は何らかの反射波を受けており、それによってモノの存在を感じている。目を閉じるとそれを受けなくなる。
勝手な憶測3
 そもそも部屋が完全な暗闇にはなっておらず、わずかな光によって目が機能していた(無意識に見えていた)。目を閉じて初めて暗闇になった。
勝手な憶測4
 目を閉じることでさらに見えなくなったと思い込み、大きな動作ができなくなった。
勝手な憶測5
 ただの気のせい。

座頭市のように、目が見えないのに周りの状況を把握できる人がいるが、それはこれとはまた別な理由だと思う(後ろの気配まで感じてるからね)。それともそんな人も、目を開いている時と閉じている時では感じ方が違うのかなぁ?
さて、私の勝手な憶測の中に正解はあるのだろうか?
ま、あろうとなかろうと、ホントど~でもいい疑問だが。(^^;)
[PR]
by rukachas | 2007-06-09 03:02 | Comments(0)
育児系の個人サイトにありがちなこと
サイト制作私のサイトのリンク集にはテーマがら、パパさんママさんたちによる育児系サイトを載せることが多い。
たまに「相互リンクしていただけませんか?」というメールをもらうことがあり、こちらも喜んでリンクを掲載しているのだが、数年前からある傾向に気がついた。

相手のサイトを見に行くと、「あれ?こういうサイト、前にも相互リンクしたような?」と軽いデジャブ状態。つまり相互リンクを依頼してくる方のサイトが、皆とても似通っているのだ。
画面左側に大まかなコーナー名が並び、本編では自らの子育てや子供の様子をエッセイ風に綴っている。病気に関する知識や旅行、ガーデニングの知識など、メインとなる内容は人によって違うが、全体のページ構成は非常によく似ており、プロフィールの書き方、写真が小さめ(あるいは少なめ)、自サイトのバナーが無いところまでそっくりだ。

しかしもっと似ているのが、リンク集が飛びぬけて充実しているところ(掲載数が多い)。最近作ったばかりとは思えないほど、リンクページに並ぶサイト名の多いこと多いこと。言い方は悪いが、子育て系サイトのリンクを巡り、片っ端から相互リンクの依頼をしては載せているといった感じだ。
大量掲載のリンク集は載せてもらっても埋もれてしまい、こちらとしては旨みはほとんどないのだが、まぁうちを選んでくれただけでも有難いことだなと・・・。これからもどうぞヨロシク。<(_ _)>

最近の育児系サイトがどれも似通っているのは、もしかしたらホームページ作成ソフトのテンプレート(雛形、見本)やマニュアルによるところが大きいのかなぁと思えてきた。
ビギナー向けのパソコンは初めから色々なソフトがインストールされているが、最近のホームページ作成ソフトは、指示通り文字を入れていくだけで出来上がってしまうのかもしれない。しかもご丁寧にメニューやプロフィール欄の書き方まで説明してくれるのかもしれない。さらには、読者を増やすためにはリンク集の充実を・・・なんて説明まであるのかもしれない。

そんなことを想像してみたが、実際のところは分からない。
ただハッキリしているのは、こうして相互リンクした育児系サイトのほとんどが、数年で姿を消してしまうということ。サイトを引っ越すのなら連絡くらいくれれば良いのに、大抵はいつの間にかデッドリンクになっている。
他サイトのリンクを貼ってもアクセスは伸びないし、子供が産まれた頃のテンションも数年続かない。だんだんと飽きてきて撤去または放置、というパターンが多いのだろう。

サイトからブログに移行する人も多いと聞くが、そのブログも数年経たずにやめてしまう人も、これまた多いと聞く。自分の思いを気軽に発信できて、やめるときも気軽にやめられるのがネットの良さだが、やめ時は始め時以上に大切かもしれない。
私のサイトは今年で8年。開設した頃の勢いはもうないが、子供をめぐる世間の有様を見る限り、やめ時は当分来そうにない。
[PR]
by rukachas | 2007-06-04 23:31 | Net&Webの話 | Comments(0)
技術者は夢の実現で神になれるか?
セグウェイ
昔、テレビが一般の目に初めて触れたとき、人々はブラウン管に映し出される動く映像に大変驚いた。今では考えられないことだが、中に小さな人間が実際に入っていると思った人もいたそうだ。
数百年前の写真機もそうだ。魂を吸い取られると本気で思っている人も多かった。

当時の人々にとっては、きっと魔法のような装置だったに違いない。仕組みは単純でも、それを最初に発案し作り上げた開発者(技術者)と、科学のかの字も知らない一般人との間には、天と地ほどの「知識差」があったのだから。
ここで言う知識差とは学問のことではなく、頭の良さという意味でもない。その夢の実現を現実のものとして考える発想の差だ。

だが人々がラジオに慣れ、テレビに慣れ、様々な家電が生活に浸透し始めると、人々は科学技術をより身近なものとして感じるようになった。そして映画「メトロポリス」(無声映画のほう)のアンドロイドや、漫画「鉄腕アトム」の未来社会など、様々な夢を近未来のこととして楽しんできた。
こうして数十年数百年と、人々の生活(生き死にも含めて)がテクノロジーの発展とともに歩んできた結果、先ほど言った、技術者と一般人とのあいだの「知識差」が縮まってきたと言える。そして今やとうとう、逆転するにまで至ってしまった。

セグウェイという一人乗りのバイクのようなものがあるが(上の写真)、それがまだ発表されておらず、夢の発明品という言葉とジンジャーというコードネームだけが一人歩きしていた頃、世間ではまだ見ぬ夢のマシンに期待を寄せるあまり妙な噂が飛び交っていた。
「世の中を根底から覆す大発明!」「空中に浮かぶ乗り物では?」「タイムマシンかもしれない!」

ところがいざ発表されると、予想が過度な期待だったことを思い知らされる。「これが大発明?」と思った人も少なくなかった。
技術者にとっては最先端技術の塊であり、その発想さえも絶賛されて然るべきものなのに、一般の人々はそれ以上の技術を求めてしまった。つまり一般人が思う「驚きの商品」という発想が、すでに現代の科学技術を超越してしまっているわけだ。
どんなに不思議なマジックを見ても、決してそれを魔法だとは思わないのも、人々が科学技術に慣れてしまっていることによる。

こうなると現代の科学者・技術者はとても神にはなれない。
青色ダイオードを発明した日本人がいたが、現在様々な分野で活用されておりその功績が非常に大きいにも関わらず、一般の人たちにはどこがどう凄いのかイマイチピンとこない。
こういう、崇められることのない神が、現代はとても多いことだろう。

そこで考えてみた。いったいどんなものが発明されれば、写真やテレビが発明されたときと同じレベルの驚きを現代の人々に感じさせることができるだろうか?
遠くの映像を目の前に映し出すテレビはもうお馴染みだから、遠くの物を実際に目の前に出現させる「物質転送装置」はどうだろう?これが発明されれば流通に革命が起こる。なにしろ物を送るのに輸送機関は必要なく、ネットのダウンロードのように商品が届くのだから。

さらに、丸いタイヤがクルクル回って走る自動車はもうお馴染みだから、タイヤのない「自由に空中に浮かぶ自動車」はどうだろう?飛行機と違い滑走路は必要なく、かといってヘリのように強風が起きることもない。ふわりと浮かび空を飛ぶマイカー。
さらにもうひとつ、プログラムどおりに動くロボットはもうお馴染みだから、自分で考え自分で行動する「意思(感情)を持った家庭用ロボット」はどうだろう?人間同士の付き合いさえ上手くいかないこの世の中、ロボットとのあいだに友情や愛情が芽生えれば、そのうちロボットとの結婚もあり得るかも。

しかし科学の発達した現代でも、これらはすべて映画の中でしかありえない。物質転送装置といえば映画「ザ・フライ」、空飛ぶ車といえば「バック・トゥ・ザ・フューチャー 2」、感情のあるロボットといえば「アイ・ロボット」を思い出す。
あの「ドラえもん」の道具でさえ、実現が可能になった"こと"はあっても、実際に実現された"道具"はひとつもない。

科学技術に不可能は無い、ということはおそらく無いだろう。この世に物理的電気的な法則がある以上、まだ頭打ちではないにせよ、その発展は段々と緩やかになっていると思う。
しかし人間の夢(願望)には際限が無い。携帯電話の中身がどうなっているかなんて知りもせず使っている人に、中身うんぬんを説くのは野暮なこと。

産業革命、ロボット、コンピューター、アポロ計画・・・昔は科学の発展により人の夢の幅が広がった。今は人の夢が、本当に夢物語になってしまっている。
ハイテク商品に慣れた頭ではなかなか難しいかもしれないが、普段当たり前に使っているモノに驚いたり感動することも、たまには試みてみようではないか。技術者たちに敬意を表して。
[PR]
by rukachas | 2007-05-14 21:45 | モノの話 | Comments(0)
Winの強みは取り巻く環境
Macのデスクトップ前回は「何故Windowsしか使ったことのない人は、Macの良さを信じないのか?」という疑問で終わったが、今回はそれについて考えてみた。

Windowsオンリーのユーザーには、Macに対してある種の偏見が芽生えやすい。「Macなんて大した事ない」「Windowsより優れているはずがない」「シェアの低い使えないパソコン」などなど。
使う前からそう思うのは何故なのか?第一の理由として考えられるのが、やはりWindowsの圧倒的な普及率によるものだろう。

Apple社以外のどのメーカーのパソコンもWindowsを採用しているのだから、そりゃあ一般の個人ユーザーからすれば「一番良いから採用されている」と思ってしまうのも無理はない。
しかし多くのメーカーがWindowsを採用している理由は、事実上これしか選択肢が無いからだ。AppleはMac互換機のライセンスを他のハードメーカーに認めていないし(昔はUmaxやPioneerなどからMacOS搭載機が発売されていた)、かといってUNIXやLinuxなどは、ショップで組んだりユーザーがあとからインストールする分には構わないが、ハードメーカーが初めから一般向けとして搭載することは、売れ行きを考えるとあり得ない。
結局は「Windows搭載!」が売り文句になるが、決して一番使いやすいから、一番安定しているから、一番ウィルス感染の心配が無いから採用した、というわけではない。

また、企業にしても個人ユーザーにしても、ソフトウェアやそのソフトに依存するファイルの互換性を考えると、一度決めたプラットフォームを変えるのは容易ではない。
中には東京大学やあおぞら銀行のように、セキュリティやメンテナンスのしやすさを優先してMacを大量導入、または全面移行した企業もあるが、やはり莫大な費用がかかってしまうし、個人レベルにおいても、ソフトを使いまわせなくなるのが困るという人も多いことだろう。

こうしてその数が決して揺るがないWindowsだからこそ、使っている人には妙な安心感がある。たとえウィルス対策に追われても、操作が解りにくくても、トラブルが生じても、多くの人がやっていることと思えば苦にもならない。
良いモノだから皆に使われている、という思い込みから、使っている人が少ないMacは質が悪いのだと思い込んでしまうのではないだろうか?

第二の理由は、最近ビデオや音楽の配信ページでよく目にする「MacOSには対応しておりません」の文字によるもの。
多くの配信サイトは、MicrosoftのDRM(デジタル著作権管理)を採用している。これも結局は、数が多いプラットフォームが採用されるという理由と、もうひとつ、MicrosoftのDRMはAppleのそれよりコピー制限が厳しいからだ。(つまり配信側に有利)

たとえば、動画配信サイトのGyaO(ギャオ)のFAQには「Macintoshでの動作補償を行っておりません」とあるし、音楽ダウンロードサイトのListenでは視聴しようとすると「当サイトをご利用いただくにはWindowsが必要です」と表示されてしまう。
まぁ動画はYouTubeやGoogleVideo、音楽はiTunes Storeがあるのでべつに困りはしないが、Macでは見れませんWindowsでしか見れませんと表示されれば、そりゃあ「Macはダメだな~」と思ってしまう人もいるだろう。

だがそれこそとんだ誤解。Macがそのサイトに対応していないのではなく、そのサイトがMacに対応していないのが原因。だからサイトがMacを弾いているからといって、Macに非があるわけではない。

じつはMacでGyaOを見る方法があるらしいのだが(私は知らない)、なるほど確かにFAQには「Macでは見れません」とは書かずに「動作補償を行っておりません」と書かれている。
ユーザー登録を受け付けないので事実上見れないのと同じことだが、そこまでしてMacを弾いているのは、Macで見られると困るからだ。
これは前述したDRMの関係でそうなっているのだが、機器を壊すとして散々な評価だったCCCD(コピーコントロールCD)の注意書きに「Macintoshには対応しておりません」と書かれていたのと同じ。CCCDはMacではコピーできてしまうことがあるのと、代替用として入れてある低音質ファイルがWin用なので、Mac非対応と記述していただけのこと。

どちらもMacがWindowsよりも劣ることにはならないが(むしろ有利?)、しかしそのサイトを利用したいMacユーザーにとっては、Windowsのみ対応というのは痛手だ。Mac未経験者がそんな話を聞けば、「Macダメじゃん!」という印象を持ってしまうだろう。これが二つ目の理由。
それにしても、AppleはWindowsユーザーにもiTunesやiTunes Storeを提供しているのに、他の配信サイトはWindowsオンリーでは、フェアではないね。

第三の理由だが、私はWindows95、2000、XPと使ってきてつくづく感じるのは、Windowsのデザインと操作方法にはどこか「統率」というイメージが付きまとう、ということ。
言ってみればOSによるユーザーの導き。「ここはこうしなさい」「このように作られている」と常に感じさせるような雰囲気。同じ形のボタンが並んだアプリケーション、やたらと説明文が多い画面、ウィザードという設定の手引きなどはその典型だろう。

質実剛健、ビジネス的、管理社会の最適OSとも言えるが、だからこそ「これを使っていれば間違いない!」とも思わせてくれる。頻繁におこなわれるWindowsアップデートも、バグや脆弱性を積極的に改善しているという良い印象を与えるし(初めから無いに越したことはないが)、決められたとおりに操作しているような使用感も、確実に作業をこなしているという安心感がある。つまりWindowsに対する(Microsoftに対するではない)絶対的な信頼だ。

とりあえず以上3つの理由があるのではないかと、私は思った。
世界中で9割以上の人が使っていて、このOSでないと使えないサービスも多く、確実に作業をこなしている印象を与えるデザインと操作感。それがWindows。
Mac未経験のWindowsユーザーに「Macはイイよ~」と言っても、そりゃあ信じてもらえないはずだ。

しかし、じゃあMacユーザーはどうなんだ?というと、Windows未経験のMacユーザーは「Windowsはもっと使いやすいのかなぁ?もっと便利なのかなぁ?」という気持ちが常にある。「Windowsなんて大したことない」と、使いもしないで思っている人は少ないのである。
前述した3つの理由の最初の2つで「やっぱりWindowsのほうが良いのでは?」という気にもなるものだ。

だからこそ、両者を使い比べてみないと分からない。ぜひ使い比べてみて、Win→Macの人はMacの良さを知ってほしいし、Mac→Winの人はMacの良さを再認識してほしい。
だがそれはWindowsがダメなOSだと言っているのではない。OSの出来として、Macのほうが一歩抜きん出ているという意味。Windowsには「◯◯というソフトが使える」「◯◯というサービスが利用できる」という利点があるのだし、だからこそMacユーザーも、Windowsを使う意味は大いにあるわけだ。

Macも今やIntelプロセッサを採用し、MacOSとWindowsの両方をインストールして切り替えて使えるようになった。
普及率の有利さを活かして、Windowsでしか使えないソフトやサービスはWindowsでおこない、使いやすさの有利さを活かして、主要な作業はMacでおこなうというのが、賢い使い方かもしれない。
[PR]
by rukachas | 2006-12-01 23:35 | Mac&Winの話 | Comments(0)
ストレス発電
カミナリくん激しい雷雨。カミナリがゴロゴロと大きな音を立てている。
聞くところによると、カミナリのエネルギーはたった一回のピカッ!で、東京都の1日の電気使用量に匹敵するらしい。もしこれを溜めておくことができたならエネルギー不足は即解消。全国の原発もかなり減らせることだろう。

私は子供の頃「身の回りの物にかかる物理的な負担をエネルギーに変えられないのだろうか?」と考えていた時期があった。
たとえば電線や吊橋の突っ張りや、ビルの真下で地面が受けている重さ、標識を止めているボルトとナットの締め付けなど、とにかく物にギシギシと負担がかかっていれば、その負担を何らかのエネルギーにできないか?・・・という子供っぽい発想だ。

重力をエネルギーに換える反重力エンジンという発想はすでにあるが、私が思っていたのは物質にかかるストレスを利用すること。
まぁ実際には物理的なストレスは物理的に処理するしかないわけで、どう取り出すかという問題もあり、現実的にはあり得ない。

ではあり得ないついでにさらに飛躍させて、人間のストレスからエネルギーを取り出すという発想はどうだろう。
この世の中、どこもかしこもイライラしている人でいっぱいだ。このイライラはときに人の命を奪ったり、ときに歴史を変えてしまうことだってある。そんな精神的ストレスを、たとえば電気エネルギーにでも換えられるなら、毎月の電気代もかなり浮くだろう。
もしかしたら「今月光熱費ヤバいからさぁ、しばらくオレをイライラさせてくんない?」なんて会話があるかもしれない。電気代が浮いてストレスが減るという弊害(?)もありそうだが。

怒りっぽい人ほど得をするイライラ発電。もしあれば、私はどのくらいの電気が作れるだろう。
毎日使うパソコンの電気量はさすがにまかなえないだろうなぁ。シェーバーの充電くらいかな?寝るときに点けている小さな豆電球くらいかな?

なんてくだらないことを考えているうちに、カミナリは遠ざかっていった。
[PR]
by rukachas | 2006-05-24 22:03 | Comments(1)
XPで◯◯ができましぇ~ん(T^T)
c0039181_23461377.jpgこのところパソコンのことばかり書いているが、今回も使い始めたWindowsXPについて。
あれからさらにいじってみた。あまり代わり映えはしないが、画面解像度を1152×864にし、右端にウィジェットをいくつか置いてみた。(写真クリックで原寸大)

しかし、使っているうちに不便なところも目立ってきた。Macでは当たり前にできることが、Winではできないか、できたとしても手間がかかってしまう。私がやり方を知らないだけかもしれないので、やり方を知っている方はぜひ教えてください。<(_ _)>

不便その1。
メモ帳で文章の途中にカーソルを合わせて文字を挿入するとき、新たに打ち込んだ文字でそれ以降の文字が隠れてしまい、Enterで確定するまで文章のつながりが確認できない。
Macのテキストエディットは、文字を打ち込んだ時点で、それ以降の文字が後ろにずれていくので挿入しやすい。

不便その2。
ブラウザのアドレスバーなどで、文字列の途中から前全部を、または途中から最後までを選択状態にするとき、マウスをその文字の分、横に動かさなくてはならない。
Macではクリックしてちょっと斜め前にずらすとそれより前を、ちょっと斜め後ろにずらすとそれより後をすべて選択してくれる。

不便その3。
フォルダのウィンドウがアプリケーションのウィンドウに隠れたとき、そのフォルダウィンドウを前面に出すのに、いちいちタスクバーから該当するボタンを探してクリックしないと出てこない。ボタンをグループ化する機能を使っているときはさらに面倒で、クリックしてメニューを出してそこから選んでと、ただウインドウを表示するだけなのに手間がかかりすぎる。
MacではDockのFinderアイコンをクリックするか、デスクトップのどこか好きなところをクリックするだけで、フォルダウィンドウが前面に出てくる。

不便その4。
ごみ箱のプロパティで「削除の確認メッセージを表示」のチェックを外していても、ごみ箱を空にするときに必ず確認メッセージが表示されてしまう。ごみ箱を空にする行為は、その中身がいらないから空にするのであって、メッセージが出てもOKを押すのだからメッセージが出なくても同じこと。
Macではゴミ箱を空にするときに確認メッセージを表示するかしないかを、自由に選択できる。

不便その5。
スタートメニューなどで、フォルダの中身が階層表示されているとき、そこを辿るときにマウスポインタが他のフォルダアイコンに少しでも乗ると、そのフォルダの階層表示に切り変わってしまう。つまり、辿るときにポインタを真横→縦→真横→縦、と動かさなければならない。
Macはマウスが縦移動なのか斜め移動なのかを検知し、縦移動の場合はポインタが乗ったフォルダの階層をすぐ表示するが、斜め移動の場合はポインタが他のフォルダアイコンに乗ってもすぐには表示せず、現在開いているメニューを維持する。そのため、かなりアバウトな(斜めな)マウスさばきでも楽に目的のアイコンに辿り着ける。

不便その6。
タスクバー右端の時計をカスタマイズするソフトはあるが、標準で12時間表記にしたり曜日を表示することができないのは残念。
Macでは標準で12時間24時間表記の切り替え、AMPM表示、秒表示、曜日表示、アラーム設定ができる。
(訂正:Winはコントロールパネルの「地域と言語のオプション」で12時間表記にできました)

不便その7。
ショートカットアイコンの本体(オリジナル)を探したいとき、アイコンを右クリックしてプロパティを表示し、「リンク先を探す」のボタンを押さないと表示されないのでちょっと面倒。
Macではアイコンを選択して、キーボードのコマンドキーとRキーを押せばすぐに本体が見つかる。

不便その8。
アプリによって、ファイルメニューの一番下が「終了」となっていたり「閉じる」となっていたりと統一性が無い。ファイルメニューの「終了」と右上の閉じるボタンの挙動の違いも曖昧。
そのため終了せずにウィンドウだけを閉じようと思って(最小化だとタスクバーが狭くなるから)、右上の閉じるボタンをクリックし、結局終了させてしまうことがある。こうなると、使うたびに起動しなおさなければならない。
Macは終了させるまでもないアプリは、起ち上げたままウィンドウだけ閉じておくことができる。また、複数のウィンドウを開いていても、起ち上げるアプリはひとつで済む。

不便その9。
ファイルをCD-Rに焼くとき、CD-Rのウィンドウにファイルをドラッグ&ドロップでコピーしてから焼くが、このときディスク容量よりもファイルサイズのほうが大きいとサイズ過多のアラートが出る。しかしアラートが出るのが焼き直前なので、これではコピーに要した時間が無駄になってしまう。
Macは挿入したディスクに応じて容量が確保されるので、もしファイルサイズが大きければコピーする段階でアラートが出る。また、残り容量も表示されるため、複数のファイルをコピーするときにファイル選択がしやすい。

不便その10。
サイズが数ギガあるファイルをごみ箱に捨てるとき、ごみ箱の容量をプロパティで100%にしているにもかかわらず「ファイルが大きすぎます」とアラーとが出て移動できない。
さらに、たとえば10個のファイルをごみ箱に捨てたとする。ところがごみ箱を開くとなんと中身が7個や6個に減っていたりする。勝手に消すなよ・・・。

不便その11。
ファイル名を変更しようとすると、このファイルは使われていますとかなんとか出て、変更できないことがあまりに多い。(実際には使われていない)
Macは、たとえ使用中のファイルであってもファイル名を変更できる。

以上が、私がWindowsXPを使って不便だと感じたこと。標準の設定で簡単に改善できることなのか?それとも何かユーティリティソフトを使えば可能なのか?あるいはシステムをいじる必要があるのか?
今までどおりMacをメインで使っていけば何の問題もないが、同時に使うこともあるWinだからこそ、「おや?」の数をなるべく少なくしていきたい。
[PR]
by rukachas | 2006-03-31 23:46 | Mac&Winの話 | Comments(0)