子供大好きRUKAの雑記帳
by RUKA
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技術者は夢の実現で神になれるか?
セグウェイ
昔、テレビが一般の目に初めて触れたとき、人々はブラウン管に映し出される動く映像に大変驚いた。今では考えられないことだが、中に小さな人間が実際に入っていると思った人もいたそうだ。
数百年前の写真機もそうだ。魂を吸い取られると本気で思っている人も多かった。

当時の人々にとっては、きっと魔法のような装置だったに違いない。仕組みは単純でも、それを最初に発案し作り上げた開発者(技術者)と、科学のかの字も知らない一般人との間には、天と地ほどの「知識差」があったのだから。
ここで言う知識差とは学問のことではなく、頭の良さという意味でもない。その夢の実現を現実のものとして考える発想の差だ。

だが人々がラジオに慣れ、テレビに慣れ、様々な家電が生活に浸透し始めると、人々は科学技術をより身近なものとして感じるようになった。そして映画「メトロポリス」(無声映画のほう)のアンドロイドや、漫画「鉄腕アトム」の未来社会など、様々な夢を近未来のこととして楽しんできた。
こうして数十年数百年と、人々の生活(生き死にも含めて)がテクノロジーの発展とともに歩んできた結果、先ほど言った、技術者と一般人とのあいだの「知識差」が縮まってきたと言える。そして今やとうとう、逆転するにまで至ってしまった。

セグウェイという一人乗りのバイクのようなものがあるが(上の写真)、それがまだ発表されておらず、夢の発明品という言葉とジンジャーというコードネームだけが一人歩きしていた頃、世間ではまだ見ぬ夢のマシンに期待を寄せるあまり妙な噂が飛び交っていた。
「世の中を根底から覆す大発明!」「空中に浮かぶ乗り物では?」「タイムマシンかもしれない!」

ところがいざ発表されると、予想が過度な期待だったことを思い知らされる。「これが大発明?」と思った人も少なくなかった。
技術者にとっては最先端技術の塊であり、その発想さえも絶賛されて然るべきものなのに、一般の人々はそれ以上の技術を求めてしまった。つまり一般人が思う「驚きの商品」という発想が、すでに現代の科学技術を超越してしまっているわけだ。
どんなに不思議なマジックを見ても、決してそれを魔法だとは思わないのも、人々が科学技術に慣れてしまっていることによる。

こうなると現代の科学者・技術者はとても神にはなれない。
青色ダイオードを発明した日本人がいたが、現在様々な分野で活用されておりその功績が非常に大きいにも関わらず、一般の人たちにはどこがどう凄いのかイマイチピンとこない。
こういう、崇められることのない神が、現代はとても多いことだろう。

そこで考えてみた。いったいどんなものが発明されれば、写真やテレビが発明されたときと同じレベルの驚きを現代の人々に感じさせることができるだろうか?
遠くの映像を目の前に映し出すテレビはもうお馴染みだから、遠くの物を実際に目の前に出現させる「物質転送装置」はどうだろう?これが発明されれば流通に革命が起こる。なにしろ物を送るのに輸送機関は必要なく、ネットのダウンロードのように商品が届くのだから。

さらに、丸いタイヤがクルクル回って走る自動車はもうお馴染みだから、タイヤのない「自由に空中に浮かぶ自動車」はどうだろう?飛行機と違い滑走路は必要なく、かといってヘリのように強風が起きることもない。ふわりと浮かび空を飛ぶマイカー。
さらにもうひとつ、プログラムどおりに動くロボットはもうお馴染みだから、自分で考え自分で行動する「意思(感情)を持った家庭用ロボット」はどうだろう?人間同士の付き合いさえ上手くいかないこの世の中、ロボットとのあいだに友情や愛情が芽生えれば、そのうちロボットとの結婚もあり得るかも。

しかし科学の発達した現代でも、これらはすべて映画の中でしかありえない。物質転送装置といえば映画「ザ・フライ」、空飛ぶ車といえば「バック・トゥ・ザ・フューチャー 2」、感情のあるロボットといえば「アイ・ロボット」を思い出す。
あの「ドラえもん」の道具でさえ、実現が可能になった"こと"はあっても、実際に実現された"道具"はひとつもない。

科学技術に不可能は無い、ということはおそらく無いだろう。この世に物理的電気的な法則がある以上、まだ頭打ちではないにせよ、その発展は段々と緩やかになっていると思う。
しかし人間の夢(願望)には際限が無い。携帯電話の中身がどうなっているかなんて知りもせず使っている人に、中身うんぬんを説くのは野暮なこと。

産業革命、ロボット、コンピューター、アポロ計画・・・昔は科学の発展により人の夢の幅が広がった。今は人の夢が、本当に夢物語になってしまっている。
ハイテク商品に慣れた頭ではなかなか難しいかもしれないが、普段当たり前に使っているモノに驚いたり感動することも、たまには試みてみようではないか。技術者たちに敬意を表して。
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by rukachas | 2007-05-14 21:45 | モノの話 | Comments(0)
Winの強みは取り巻く環境
Macのデスクトップ前回は「何故Windowsしか使ったことのない人は、Macの良さを信じないのか?」という疑問で終わったが、今回はそれについて考えてみた。

Windowsオンリーのユーザーには、Macに対してある種の偏見が芽生えやすい。「Macなんて大した事ない」「Windowsより優れているはずがない」「シェアの低い使えないパソコン」などなど。
使う前からそう思うのは何故なのか?第一の理由として考えられるのが、やはりWindowsの圧倒的な普及率によるものだろう。

Apple社以外のどのメーカーのパソコンもWindowsを採用しているのだから、そりゃあ一般の個人ユーザーからすれば「一番良いから採用されている」と思ってしまうのも無理はない。
しかし多くのメーカーがWindowsを採用している理由は、事実上これしか選択肢が無いからだ。AppleはMac互換機のライセンスを他のハードメーカーに認めていないし(昔はUmaxやPioneerなどからMacOS搭載機が発売されていた)、かといってUNIXやLinuxなどは、ショップで組んだりユーザーがあとからインストールする分には構わないが、ハードメーカーが初めから一般向けとして搭載することは、売れ行きを考えるとあり得ない。
結局は「Windows搭載!」が売り文句になるが、決して一番使いやすいから、一番安定しているから、一番ウィルス感染の心配が無いから採用した、というわけではない。

また、企業にしても個人ユーザーにしても、ソフトウェアやそのソフトに依存するファイルの互換性を考えると、一度決めたプラットフォームを変えるのは容易ではない。
中には東京大学やあおぞら銀行のように、セキュリティやメンテナンスのしやすさを優先してMacを大量導入、または全面移行した企業もあるが、やはり莫大な費用がかかってしまうし、個人レベルにおいても、ソフトを使いまわせなくなるのが困るという人も多いことだろう。

こうしてその数が決して揺るがないWindowsだからこそ、使っている人には妙な安心感がある。たとえウィルス対策に追われても、操作が解りにくくても、トラブルが生じても、多くの人がやっていることと思えば苦にもならない。
良いモノだから皆に使われている、という思い込みから、使っている人が少ないMacは質が悪いのだと思い込んでしまうのではないだろうか?

第二の理由は、最近ビデオや音楽の配信ページでよく目にする「MacOSには対応しておりません」の文字によるもの。
多くの配信サイトは、MicrosoftのDRM(デジタル著作権管理)を採用している。これも結局は、数が多いプラットフォームが採用されるという理由と、もうひとつ、MicrosoftのDRMはAppleのそれよりコピー制限が厳しいからだ。(つまり配信側に有利)

たとえば、動画配信サイトのGyaO(ギャオ)のFAQには「Macintoshでの動作補償を行っておりません」とあるし、音楽ダウンロードサイトのListenでは視聴しようとすると「当サイトをご利用いただくにはWindowsが必要です」と表示されてしまう。
まぁ動画はYouTubeやGoogleVideo、音楽はiTunes Storeがあるのでべつに困りはしないが、Macでは見れませんWindowsでしか見れませんと表示されれば、そりゃあ「Macはダメだな~」と思ってしまう人もいるだろう。

だがそれこそとんだ誤解。Macがそのサイトに対応していないのではなく、そのサイトがMacに対応していないのが原因。だからサイトがMacを弾いているからといって、Macに非があるわけではない。

じつはMacでGyaOを見る方法があるらしいのだが(私は知らない)、なるほど確かにFAQには「Macでは見れません」とは書かずに「動作補償を行っておりません」と書かれている。
ユーザー登録を受け付けないので事実上見れないのと同じことだが、そこまでしてMacを弾いているのは、Macで見られると困るからだ。
これは前述したDRMの関係でそうなっているのだが、機器を壊すとして散々な評価だったCCCD(コピーコントロールCD)の注意書きに「Macintoshには対応しておりません」と書かれていたのと同じ。CCCDはMacではコピーできてしまうことがあるのと、代替用として入れてある低音質ファイルがWin用なので、Mac非対応と記述していただけのこと。

どちらもMacがWindowsよりも劣ることにはならないが(むしろ有利?)、しかしそのサイトを利用したいMacユーザーにとっては、Windowsのみ対応というのは痛手だ。Mac未経験者がそんな話を聞けば、「Macダメじゃん!」という印象を持ってしまうだろう。これが二つ目の理由。
それにしても、AppleはWindowsユーザーにもiTunesやiTunes Storeを提供しているのに、他の配信サイトはWindowsオンリーでは、フェアではないね。

第三の理由だが、私はWindows95、2000、XPと使ってきてつくづく感じるのは、Windowsのデザインと操作方法にはどこか「統率」というイメージが付きまとう、ということ。
言ってみればOSによるユーザーの導き。「ここはこうしなさい」「このように作られている」と常に感じさせるような雰囲気。同じ形のボタンが並んだアプリケーション、やたらと説明文が多い画面、ウィザードという設定の手引きなどはその典型だろう。

質実剛健、ビジネス的、管理社会の最適OSとも言えるが、だからこそ「これを使っていれば間違いない!」とも思わせてくれる。頻繁におこなわれるWindowsアップデートも、バグや脆弱性を積極的に改善しているという良い印象を与えるし(初めから無いに越したことはないが)、決められたとおりに操作しているような使用感も、確実に作業をこなしているという安心感がある。つまりWindowsに対する(Microsoftに対するではない)絶対的な信頼だ。

とりあえず以上3つの理由があるのではないかと、私は思った。
世界中で9割以上の人が使っていて、このOSでないと使えないサービスも多く、確実に作業をこなしている印象を与えるデザインと操作感。それがWindows。
Mac未経験のWindowsユーザーに「Macはイイよ~」と言っても、そりゃあ信じてもらえないはずだ。

しかし、じゃあMacユーザーはどうなんだ?というと、Windows未経験のMacユーザーは「Windowsはもっと使いやすいのかなぁ?もっと便利なのかなぁ?」という気持ちが常にある。「Windowsなんて大したことない」と、使いもしないで思っている人は少ないのである。
前述した3つの理由の最初の2つで「やっぱりWindowsのほうが良いのでは?」という気にもなるものだ。

だからこそ、両者を使い比べてみないと分からない。ぜひ使い比べてみて、Win→Macの人はMacの良さを知ってほしいし、Mac→Winの人はMacの良さを再認識してほしい。
だがそれはWindowsがダメなOSだと言っているのではない。OSの出来として、Macのほうが一歩抜きん出ているという意味。Windowsには「◯◯というソフトが使える」「◯◯というサービスが利用できる」という利点があるのだし、だからこそMacユーザーも、Windowsを使う意味は大いにあるわけだ。

Macも今やIntelプロセッサを採用し、MacOSとWindowsの両方をインストールして切り替えて使えるようになった。
普及率の有利さを活かして、Windowsでしか使えないソフトやサービスはWindowsでおこない、使いやすさの有利さを活かして、主要な作業はMacでおこなうというのが、賢い使い方かもしれない。
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by rukachas | 2006-12-01 23:35 | Mac&Winの話 | Comments(0)
ストレス発電
カミナリくん激しい雷雨。カミナリがゴロゴロと大きな音を立てている。
聞くところによると、カミナリのエネルギーはたった一回のピカッ!で、東京都の1日の電気使用量に匹敵するらしい。もしこれを溜めておくことができたならエネルギー不足は即解消。全国の原発もかなり減らせることだろう。

私は子供の頃「身の回りの物にかかる物理的な負担をエネルギーに変えられないのだろうか?」と考えていた時期があった。
たとえば電線や吊橋の突っ張りや、ビルの真下で地面が受けている重さ、標識を止めているボルトとナットの締め付けなど、とにかく物にギシギシと負担がかかっていれば、その負担を何らかのエネルギーにできないか?・・・という子供っぽい発想だ。

重力をエネルギーに換える反重力エンジンという発想はすでにあるが、私が思っていたのは物質にかかるストレスを利用すること。
まぁ実際には物理的なストレスは物理的に処理するしかないわけで、どう取り出すかという問題もあり、現実的にはあり得ない。

ではあり得ないついでにさらに飛躍させて、人間のストレスからエネルギーを取り出すという発想はどうだろう。
この世の中、どこもかしこもイライラしている人でいっぱいだ。このイライラはときに人の命を奪ったり、ときに歴史を変えてしまうことだってある。そんな精神的ストレスを、たとえば電気エネルギーにでも換えられるなら、毎月の電気代もかなり浮くだろう。
もしかしたら「今月光熱費ヤバいからさぁ、しばらくオレをイライラさせてくんない?」なんて会話があるかもしれない。電気代が浮いてストレスが減るという弊害(?)もありそうだが。

怒りっぽい人ほど得をするイライラ発電。もしあれば、私はどのくらいの電気が作れるだろう。
毎日使うパソコンの電気量はさすがにまかなえないだろうなぁ。シェーバーの充電くらいかな?寝るときに点けている小さな豆電球くらいかな?

なんてくだらないことを考えているうちに、カミナリは遠ざかっていった。
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by rukachas | 2006-05-24 22:03 | Comments(1)
XPで◯◯ができましぇ~ん(T^T)
c0039181_23461377.jpgこのところパソコンのことばかり書いているが、今回も使い始めたWindowsXPについて。
あれからさらにいじってみた。あまり代わり映えはしないが、画面解像度を1152×864にし、右端にウィジェットをいくつか置いてみた。(写真クリックで原寸大)

しかし、使っているうちに不便なところも目立ってきた。Macでは当たり前にできることが、Winではできないか、できたとしても手間がかかってしまう。私がやり方を知らないだけかもしれないので、やり方を知っている方はぜひ教えてください。<(_ _)>

不便その1。
メモ帳で文章の途中にカーソルを合わせて文字を挿入するとき、新たに打ち込んだ文字でそれ以降の文字が隠れてしまい、Enterで確定するまで文章のつながりが確認できない。
Macのテキストエディットは、文字を打ち込んだ時点で、それ以降の文字が後ろにずれていくので挿入しやすい。

不便その2。
ブラウザのアドレスバーなどで、文字列の途中から前全部を、または途中から最後までを選択状態にするとき、マウスをその文字の分、横に動かさなくてはならない。
Macではクリックしてちょっと斜め前にずらすとそれより前を、ちょっと斜め後ろにずらすとそれより後をすべて選択してくれる。

不便その3。
フォルダのウィンドウがアプリケーションのウィンドウに隠れたとき、そのフォルダウィンドウを前面に出すのに、いちいちタスクバーから該当するボタンを探してクリックしないと出てこない。ボタンをグループ化する機能を使っているときはさらに面倒で、クリックしてメニューを出してそこから選んでと、ただウインドウを表示するだけなのに手間がかかりすぎる。
MacではDockのFinderアイコンをクリックするか、デスクトップのどこか好きなところをクリックするだけで、フォルダウィンドウが前面に出てくる。

不便その4。
ごみ箱のプロパティで「削除の確認メッセージを表示」のチェックを外していても、ごみ箱を空にするときに必ず確認メッセージが表示されてしまう。ごみ箱を空にする行為は、その中身がいらないから空にするのであって、メッセージが出てもOKを押すのだからメッセージが出なくても同じこと。
Macではゴミ箱を空にするときに確認メッセージを表示するかしないかを、自由に選択できる。

不便その5。
スタートメニューなどで、フォルダの中身が階層表示されているとき、そこを辿るときにマウスポインタが他のフォルダアイコンに少しでも乗ると、そのフォルダの階層表示に切り変わってしまう。つまり、辿るときにポインタを真横→縦→真横→縦、と動かさなければならない。
Macはマウスが縦移動なのか斜め移動なのかを検知し、縦移動の場合はポインタが乗ったフォルダの階層をすぐ表示するが、斜め移動の場合はポインタが他のフォルダアイコンに乗ってもすぐには表示せず、現在開いているメニューを維持する。そのため、かなりアバウトな(斜めな)マウスさばきでも楽に目的のアイコンに辿り着ける。

不便その6。
タスクバー右端の時計をカスタマイズするソフトはあるが、標準で12時間表記にしたり曜日を表示することができないのは残念。
Macでは標準で12時間24時間表記の切り替え、AMPM表示、秒表示、曜日表示、アラーム設定ができる。
(訂正:Winはコントロールパネルの「地域と言語のオプション」で12時間表記にできました)

不便その7。
ショートカットアイコンの本体(オリジナル)を探したいとき、アイコンを右クリックしてプロパティを表示し、「リンク先を探す」のボタンを押さないと表示されないのでちょっと面倒。
Macではアイコンを選択して、キーボードのコマンドキーとRキーを押せばすぐに本体が見つかる。

不便その8。
アプリによって、ファイルメニューの一番下が「終了」となっていたり「閉じる」となっていたりと統一性が無い。ファイルメニューの「終了」と右上の閉じるボタンの挙動の違いも曖昧。
そのため終了せずにウィンドウだけを閉じようと思って(最小化だとタスクバーが狭くなるから)、右上の閉じるボタンをクリックし、結局終了させてしまうことがある。こうなると、使うたびに起動しなおさなければならない。
Macは終了させるまでもないアプリは、起ち上げたままウィンドウだけ閉じておくことができる。また、複数のウィンドウを開いていても、起ち上げるアプリはひとつで済む。

不便その9。
ファイルをCD-Rに焼くとき、CD-Rのウィンドウにファイルをドラッグ&ドロップでコピーしてから焼くが、このときディスク容量よりもファイルサイズのほうが大きいとサイズ過多のアラートが出る。しかしアラートが出るのが焼き直前なので、これではコピーに要した時間が無駄になってしまう。
Macは挿入したディスクに応じて容量が確保されるので、もしファイルサイズが大きければコピーする段階でアラートが出る。また、残り容量も表示されるため、複数のファイルをコピーするときにファイル選択がしやすい。

不便その10。
サイズが数ギガあるファイルをごみ箱に捨てるとき、ごみ箱の容量をプロパティで100%にしているにもかかわらず「ファイルが大きすぎます」とアラーとが出て移動できない。
さらに、たとえば10個のファイルをごみ箱に捨てたとする。ところがごみ箱を開くとなんと中身が7個や6個に減っていたりする。勝手に消すなよ・・・。

不便その11。
ファイル名を変更しようとすると、このファイルは使われていますとかなんとか出て、変更できないことがあまりに多い。(実際には使われていない)
Macは、たとえ使用中のファイルであってもファイル名を変更できる。

以上が、私がWindowsXPを使って不便だと感じたこと。標準の設定で簡単に改善できることなのか?それとも何かユーティリティソフトを使えば可能なのか?あるいはシステムをいじる必要があるのか?
今までどおりMacをメインで使っていけば何の問題もないが、同時に使うこともあるWinだからこそ、「おや?」の数をなるべく少なくしていきたい。
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by rukachas | 2006-03-31 23:46 | Mac&Winの話 | Comments(0)
あなたはだぁれ?
想像音楽を止めて、目を閉じてじっとしてみる。
かすかに遠くを走る車の音が聞こえてくる。

ブオォ~~ン・・・少し間があいてまたブオォ~~ン。
この音の主は、いったいどこからどこへ向かっているのだろう? どんな人なのだろう?
目を閉じてただ想像するのみ。

こうして文章を書いていても思ってしまう。
このブログを読んでいる人は、いったいどんな人なのだろう?
普段どんなことをしているのだろう?
幸せな人なのか? 不幸せな人なのか?
答えなど出るわけがない。ただ想像するのみ。

駅前に出かけた帰り道。
店で買い物をしてレジに並ぶと、私の前には2つのカゴいっぱいに商品を詰めた女性。
案の定、会計にかなり時間がかかっていた。
待っている私を気遣ってか、パートの女性店員が慌てているのがわかる。
客である女性も、時間がかかって申し訳なさそうな表情をしている。

私はこれがつらかった。
「私は全然急いでません。焦ってもいません。怒ってもいないんです。どうかごゆっくりなさってください!」
この気持ちを伝えたくてしょうがなかった。

世の中には、人の意識が無数に散らばっている。
だが悲しいかな、人は自分の意識しか感じることができない。
自分の記憶しか持つことができない。

この人はどう思っているのだろう? 何を考えているのだろう?
そして、どんな人なのだろう?

答えなど出るわけがない。お互いただ、想像するのみ。
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by rukachas | 2005-10-11 23:27 | Comments(2)
犬と子供のそっくり写真
c0039181_165777.jpgだいぶ前にネットで見つけたこの画像。どこにあったのか、誰がスキャンしたのかさえも分からないが、とりあえずオモシロカワイイのでご紹介。
6組の犬と子供がそれぞれペアルック(?)で写っているが、何かの広告だろうか?それともアパレル系のカタログ?子役の写真集?
まぁなんにしても、よくここまで似せたものだと関心する。髪形や髪の色だけでなく、ジッと見ていると顔立ちまで同じに見えてくるほどだ。

私はこの写真の中では左上の金髪ペアが一番似ていると思ったのだが、子供たちにはどう見えるのかと思い、私の甥っ子と姪っ子の3人に「この中でどれが一番似てると思う?」と訊いてみた。同時ではなくひとりずつ訊いたのだが、何故か3人とも同じ答えが返ってきたので「へぇ~子供にはそう見えるのかねぇ?」とちょっと不思議な気がした。3人とも、中段右側の赤ちゃんと犬のペアを指差して、コレが一番似ているという。

たしかによく似ている。しかしメイクなどで意図的に似せている部分が無いし、肉のだぶつきが似ているといった程度だろう。他のペアに比べて取り立ててそっくりというわけではないような気がするのだが、子供たちが3人ともこれを選んだのは何故なのか?・・・と、ちょっと考えてみた。

この写真をよく見ると、みな髪形や髪色を犬と揃えて、男の子はメイクまでして似せているが、このブルーのパンツの赤ちゃんだけはいっさい手を加えず素のまま。つまりこの違いが大きいのではないだろうか?

大人は人を見た時にそれがどうであるか?似ているか?好きか嫌いか?良いか悪いか?といったことを、装飾で判断しがちなのだ。外部から手を加えればどうにでもなるようなことで事を判断しすぎなのだ。
その反面子供たちはそこからかもし出される雰囲気を感じ、それで判断する。たとえば子供は母親を見たときに、化粧品が変わったことよりも、髪型が変わったことよりも何よりも、母親の精神面での変化をより明確に感じる。それと同じ。

大人は建て前社会の中で生きているから、心の内を外観の着飾りで隠してしまい、そしてそのほうが楽だと感じているうちに、いつしか外観でしか物事を判断できない人間になってしまう。
子供たちの「素を感じる力」を大人たちももっと持つべきだろう。私も甥や姪にあやかり、人の内面を見通せる伯父さんでありたい。
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by rukachas | 2005-03-25 23:59 | 子供の話 | Comments(0)
動きは人間 見た目は人形
ホラーキャラクターテレビでプレイステーション2用の新作ソフトのCMが流れた。まるで実写のような滑らかな動き、派手なアクションをとるキャラクターたち。まるで人形が動いているようなリアルさだ・・・そう、人間ではなく。

いつもゲームのCMを見る度に思うのは「何故TVゲームのキャラクターは、未だにこうもイラスト臭いのだろう?」ということ。現在のTVゲーム機はかなり緻密な描画が成されるようになった。モニタ画面に映っている写真も広義ではCGといえるわけで、つまり現在のゲーム機の性能を以てすれば、実写並のキャラクターを表現することができるはずだ。
ところがどんなに写実的なゲームも、ことキャラクターに関しては「エアブラシで描いたようなイラスト」という域を脱していないのは何故なのか。格闘モノにしてもバイオハザード系のアドベンチャーにしても、実際に役者を撮影したようには見えず、言ってみればマネキンが動いているような絵だ。(一見してCGだとわかるという意味で)

本当にリアルさを目指しているのなら、実写をカメラで取り込むのが一番。ところが動きはモーションキャプチャーで役者の演技を取り込んだとしても、その姿や顔まで取り込むことは稀だ。
それは技術的な問題だったり経費の問題だったり、ゲームなりのキャラクターを創造する必要性があったりと、理由はいくつかあると思うが、一番の理由はキャラクターが実写では売れ行きが落ちるからではないだろうか?

過去の例でも、たとえば「同級生」など、同じゲームのCG版と実写版では実写版のほうが人気がなかった。海外のゲームによくある、実写の人間が動き回るアクションゲームも、日本ではあまり振るわない。
脚本も構成も優れた良いソフトであっても、実写版というだけで距離をおかれてしまうケースもある。サターンとプレステで発売されたチュンソフトのサウンドノベルゲーム「街」などは、実際に「実写なので買う気が起きなかった」という意見もいくつか目にした。「かまいたちの夜」はあれほど売れたのに。

バイオ系のホラーアドベンチャーも、人形を動かしているようではなく、実際の人間が動いているように見えれば、それこそ下手なホラー映画よりも一体感があって楽しめると思うのだが、どうだろう?やっぱり売れ行きは落ちるのかな?
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by rukachas | 2005-03-21 23:59 | 電気製品の話 | Comments(2)
ドリーム&ドリーム
夢の世界「夢」という言葉には、寝ている時に脳内で見る映像と、将来こうなりたいという願いの両方の意味がある。
英語でも同じようにこのふたつをDream(ドリーム)と言うが、かたや睡眠中脳内に勝手に流れる映像、かたや将来への希望、願望。あまり共通点のないこのふたつの事柄に、同じ名前を割り当てているのは何故なのだろう?
寝ている時に見る夢は、人の願望をあらわすことが多いということか?それとも、一攫千金やアメリカンドリームのような夢を持っていても、所詮は睡眠中の夢のように儚いということなのか?

私にとっては願望としての夢よりも、普段の睡眠中の夢の方がより身近に感じる。というのも、私の見る夢はとにかくリアルだからだ。
色のある夢を見たことがないという人もいるが、私は子供の頃から総天然色。しかも色だけでなく、明るさも音も匂いも味覚も触覚もある、ほとんど現実と変わらない夢ばかりだ。あまりに現実的なので、夢の中でこれは夢なのかどうか悩むことさえある。「これって全部夢だったりして、なぁんて、まさかね~」なんて思ってたらハッと目が覚めて「なんだよ、夢かよ~」って思ってるような夢を見ている、という夢を見ていたり・・・。ちょっと極端だがそんな感じ。「エルム街の悪夢」というホラー映画があったが、それに近い感覚がある。

もう随分と前だが、こんなことがあった。その日、夜遅くまでMacに向かっていたら、スウッと吸い込まれそうな眠気に襲われた。たまらずMacの電源を切ってすぐさまベッドに倒れ込み、そのまま眠ってしまった。
しばらくしたら目が覚めたので、そうっと薄目を開けてみたら、消したはずのディスプレイが点いたままになっている。「あれぇ~おかしいなぁ?消し忘れたのかなぁ?」と思ってベッドからムクッと起き上がり、机の前まで行ってディスプレイのスイッチに指をかけて、今度こそ電源をOFFにした。
・・・と、まさにその瞬間、もういちど眠りから覚め、自分はベッドの上。目を開けて机のほうを見たらMacもディスプレイもちゃんと消してあった、というわけ。もうどこからどこまでが夢だったのか?実際にした行動を夢として記憶してしまったのか?とにかくわけがワカラン出来事だった。
子供のころからデジャブーも何度もあったので、感受性が強いのかもしれない。

しかしこんな私でも、夢では未だかつて一度も見たことのないシチュエーションがある。それは、自分を客観的に見ている夢。つまりビデオで撮った映像のように、自分自身の姿を見ている夢だ。これはさすがに経験が無い。
これを現実に当てはめると「自分を客観視できない人」ということになるが、私は逆に、いつも人がどう感じているかを考えてばかりいるので、もしかしたら夢と現実の姿は正反対な関係にあるのかもしれない。

ということは、睡眠中の夢が超リアルな私は、願望としての夢は現実感が希薄ということか。
なるほど、このままではいけないな。映画「マトリックス」のネオのように、夢の世界でリアルな自問自答でもしてみようか・・・。
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by rukachas | 2005-02-25 23:55 | Comments(0)
数字と色の関係
色、いろいろ唐突だが「あなたにとって1は何色? 3は何色? 6は? 8は?」
いきなりこんなことを訊かれたら誰だって戸惑ってしまうだろう。
今日はイメージのお話。

イメージや印象というのは不思議なもので、何の理由も無いのに(あるいは意識をしないのに)頭の中で勝手に関連づけてしまうことがある。パッと人を見て、この人は頭良さそうだな~とかケチそうだな~などと思ったり、この服にはこの靴が似合いそうだな~とか。
人はイメージがあるからこそ、人や物により興味を持てるのかもしれない。

人や物体に関しては実際に目でフィードバックできるので、自分の好みや性格、記憶や体験などを踏まえて自分なりのイメージを掴みやすいけれど、物体として存在しないもの(音や色など)に明確なイメージを感じられる人は、いったいどれくらいの割合でいるのだろうか?
というのも、私の周りでも漠然としたものに対するイメージがハッキリ感じられる人と、あまり感じられない人とがいるからだ。そこで最初に「この数字は何色?」という質問をしたわけ。あなたはどう?

私も0~9全ての数字にイメージを感じるわけではないが、私にとっては2は赤、3は緑、5は茶色、7は黄、8は紫かな。これは子供の頃から当たり前のように感じてきた。
もちろん人によってまるで違うし、またそう感じる理由も違うだろう。無意識のうちに数字の形から連想しているのかもしれないし、「さん」とか「なな」といった言葉の響きの影響かもしれない。まぁなんにしても、それぞれの脳の個性とも言えるかもね。
「え~3が緑ぃ?3はどう考えても青じゃん!」「何言ってんの?3はピンクでしょ!」なんて感じで人それぞれが当たり前だけど、同じ色をイメージする者同士で集まったら、他に共通点があったりして、無かったりして・・・。

数字と色はひとつの例ではあるけれど、こういうイメージをまったく感じない、というか理解できないという人もいる。
人の脳のうち一般に左脳は言語脳といわれ、言葉の理解や数学的な計算をこなす脳。反対側の右脳は音楽脳といわれ、音楽や絵、空間認知などのイメージ的な処理をこなす脳。実際にはどちらも片方だけで行われているわけではないが、その人の得意分野によって左脳派、右脳派と分けることはできそうだ。漠然とした物に漠然としてではなく明確なイメージを感じる人は、やはり右脳派に多いのかもしれない。私はおそらく右脳派なのだろう。

こういう問題が小中学校でテストとして出たらきっと面白いだろう。あまり答えの無い問題ばかりだと性格診断や適性検査のようになってしまうが、「ソフトクリームの性別は?」「ビックリという言葉は何色?」なんていう問題があったら、子供の頃の私ならきっとテスト用紙の裏にまでビッシリと答えを(考えを)書いたろうなぁ。( ̄ー ̄)y-~~~~

ところで・・・知っている人は知っていることだが、じつは数字と色の関係はある規格ですでに決められているのだ。
電気製品の基盤をみたことがあるかな?小さなパーツがハンダ付けされている緑色のボードだ。そこに米粒のような「抵抗」と呼ばれるものが付いているが、その抵抗にはカラーコードと呼ばれる色の線が描かれていて、この色で抵抗値が分かるようになっている。
描かれている線の左側2本が数値、3本目がその数値の後ろに付く0の数、4本目が制度(誤差)を表している。日本工業規格(JIS)が定めた数字と色の関係は次のとおり。
0=黒、1=茶、2=赤、3=橙、4=黄、5=緑、6=青、7=紫、8=灰、9=白

私は子供の頃から電気関係が好きだったので、カラーコードも中学生の頃には知っていたが、私がイメージする数字と色の組み合わせとはまるで違うので最初はなかなか憶えられなかった。
イメージに縛られてしまうと、かえって真実が見えてこなくなることがある。政治、社会、宗教、教育、その他もろもろすべてに言えることだろう。
偏った見方、人はそれを「色メガネ」という。
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by rukachas | 2005-02-20 22:00 | 言葉の話 | Comments(2)
ウェットティシュー
c0039181_21223549.jpgウェットティシューがそろそろ切れそうなので買いにいった。
私はウェットティシューは掃除用品だと思っていたので、洗剤とかガラスクリーナーとか、そういうところばかり見ていたのだが、これがなかなか見つからない。
妹に言ったら怒られて(呆れられて?)しまった。ウェットティシューって手を拭くものだったんだねぇ。
だって部屋の掃除にしか使ったことないし~。ヽ(´・`)ノ

やっと見つけて買おうとしたら、今まで使っていた70枚入りがアルコール入りで、少し大きめの150枚入りがノンアルコールとなっている。
結局少しお得な150枚入りのほうを買ったのだが、アルコールのとノンアルコールのと、実際どっちが良いのだろう?

まぁ正直どっちでもいいんだろうけど、以前パソコンのモニタ(CRT)をノンアルコールので拭いたとき、表面に白っぽい膜が張ったようになってしまったことがあった。(すぐに濡れ布巾で拭いたら取れた)
妹が言うには、ウェットティシューの湿りの成分は化粧水のようなものらしい。だからノンアルコールとは言っても、ただの水ではないんだね。
蒸留水のようなクリアな水で湿らせてあるだけのウェットティシューって、売ってないんだろうか?あればモニタやCDの表面も拭けて、便利なのにね。

ところでティシューとティッシュって、どう違うんだ?
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by rukachas | 2005-01-14 22:08 | モノの話 | Comments(0)