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RUKAの雑記ノート(現在休止中)

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ひとつ貶して二歩下がる

色、いろいろ人間の中には、他人を貶す(けなす)ことで自分の体裁を保っている人がいる。
自分は偉いんだ、あるいは常識人なんだと思い込み、自分とは違う意見の者を変人扱いし、自分がしないことをしている者を頭のおかしな人間だと見下し、議論・討論は好きだが口を突いて出るのは筋の通らない反論ばかり、そんな人はよくいるもの。

他人を罵ったり貶したりする人は、じつは自分のほうが上手くいっていない人であることが多い。自分に不満がなく順風満帆な人生を送っている人は、いちいち他人に腹を立てたりはしないものだ。

他人がしたことで自分が迷惑を被ったのなら、相手に対しての批判は大いに結構。しかし批判と貶しはまったく違う。
貶しは差別の心がさせるもの。すなわち他人を貶している者は、多かれ少なかれ差別的な心も持ち合わせているということ。気に入らないという感情は被害ではない。

人はなぜ人を貶すのか?
生活なり夢や希望なりが上手くいかず、自分のランクが落ちてきたと感じたとき、一部の人間はまず他人のせいにし始める。やれ政治が悪い、社会が悪い、家族が悪い、家柄が悪いなどと。
そして次に、他人を貶すことで自分の心の中で相対的に自分のランクを上げようとする。たとえ落ちぶれても、他人を馬鹿にすることで「自分は馬鹿にされる側ではない、する側だ」という意識を保とうとするわけだ。

しかしこれは哀れだ。他人を貶して自分の体裁を保つなんて、第三者から見てこんな哀れなことはない。
人はみな十人十色。色はそれぞれ他の色に影響を与えないし、他の色が不満に思うこともない。赤は「赤であるべきだ」と青に主張はせず、緑はピンクを変だと笑いはしない。

他人の色が気に入らないという人は、自分の色を客観的に見ることから始めよう。さあ、輝いているだろうか?鮮やかだろうか?思い描いたとおりの色だろうか?
もし自分の色が輝いていないのなら、それはそこに毒素が含まれているからだ。自己中という毒素が。

みんなが混ざれば白になる。他人の色を認め合い、そして自分の色をさらに輝かせよう。
by rukachas | 2009-10-18 22:52