子供大好きRUKAの雑記帳
by RUKA
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やさしいおかあさんがほしい
涙子供への愛情について考えさせられた。
この世の中には、子供を虐待する母親がいる。手をあげなければ、つまり肉体的な傷を負わせなければ虐待ではない、と思っている母親もいる。
下の子ばかりを可愛い可愛いと抱きしめ、上の子にはおまえは失敗作だとののしる行為は、母親にあるまじき虐待行為だ。しかも下の子の可愛がりようを当てつけるかのようにわざと見せつけ、上の子の悲しみを誘うなど陰湿なイジメ。これを虐待と言わずして何と言おう。

子供は優しい母親を望んでいる。母親の愛情に包まれたいといつも思っている。「この子は変だ!」「産みたくて産んだんじゃない!」他人のどんな人に言われる悪口よりも、母親のそれは何倍も辛く悲しいものだ。しかも言われるのが5、6歳の幼児となれば、その受ける悲しみは想像を絶する。まさに精神的な虐待だ。

私は、子供に悲しみを与える親の存在が許せない。子供を幸せにする気がない人は子供を作る資格なし。ましてや子供によって差別する人は人間として最低である。
母親が下の子を可愛がっている姿を、涙を流しながらうらめしそうに見ている上の子。「おかあさん、ボクも可愛がってよ、ボクを好きになってよ...」そう目で訴えている子に対し、心の痛みを感じないのか? 2人の子をどちらも幸せにしてやろうという気がないのか? なぜ5、6歳の幼児の「ごく普通の」ワガママやミスを許さず、大人なみの厳しさを要求するのか? なぜ子供の当たり前の行動を、当たり前として見てやれないのか?

「子供を育てたことのないアンタには分からない事だよ」と言い張る人もいるだろう。だがそれは子供に愛情を与えない理由にはならない。ましてや子供にイジメまがいの態度を示したり、脅し口調で恐怖を与える理由にもならない。
いくら子育てが大変だとはいっても、それが我が子への憎しみや恨みに発展する母親は大いに問題あり。それにたとえ何人の子を育てようと、子供とはどういうものなのかさえ分かっていないのなら、私よりも知識が少ないと言わざるを得ない。

大人は、子供が本来持っている大らかさと天真爛漫さを押さえ込んではいけない。しつけとは、子供が子供らしい日々を送る中で学んでいくもの。恐怖と威圧で押さえ込むものではない。
だが恐怖で子供に言うことをきかせている母親ほど、それをしつけだと思い込んでいる。そしてそんな母親ほど、子供の精神への悪影響よりも、そのとき自分がいかに困らないかを優先するのだ。「この子が将来困らないために」という表向きの理由をあげてはいても、子供を精神的に押さえ込んでいてはまともに育つかどうかも疑問だ。いつか痛いしっぺ返しをくうことにもなりかねない。

そしてもうひとつ言いたいこと。子供が親戚や知り合いの家に行ったときに限ってワガママになるのは、その時に甘やかしたからではない。普段の生活で親がその子の精神と行動を抑圧しているからだ。
某国で独裁者によって、恐怖と抑圧の日々を送っている人々がいることを思いだしてほしい。もしその人が民主的な他国に逃れたとしたら、きっと今まで不自由だった分、タガが外れてしまうこともあるだろう。それと同じ。

世の中のルールを教え込むのは大切だ。しつけるために叱ることも大切だ。だがその子が自主的に考え行動する、悪事ではないことさえ押さえ込んでしまうと、結局は親の前だけで良い子ぶるような子になってしまう。
大切なのは、相手の気持ちになって考えることを身に付けさせること。相手の気持ちが理解できたために相手の言うことをきく、これが理想だ。
ところが幼児期に恐怖と威圧感で言うことをきかせていると、相手の気持ちを理解する能力が育っていかない。つまりは自分勝手な人間ができあがるというわけだ。

私は子供の頃、他人の家で言うことをきかなくなったりワガママになったことが少ない。これは私の母親がいつも優しさで育てていたからだ。だがこれは断じて甘やかしではない。悪いことをしたときは、その優しさの中で叱ってくれたものだ。
母親は子供に好かれていれば、その子をどのような子にもできる。子供も母親に好かれようとするからだ。

悪いことをしたら愛情をもって叱ればよい。そして抱きしめてあげればよい。親のほうから、子供の身になって考えるようになればよい。
キッとにらみつける母親の表情や、脅迫するような脅し文句の中では、たとえ言うことをきく子にはなっても良い子にはなれない。親と子の笑顔のコミュニケーションによってのみ、良い子は作られるのだから。
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by rukachas | 2005-05-02 06:12 | 子供の話 | Comments(0)
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