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RUKAの雑記ノート(現在休止中)

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必要と不要

必要と不要_c0039181_11235795.jpg毎日報道される事件のニュース記事を見ていて、こんなことをふと思った。

もし本当に神というものがいたとして、ある日、神がこの世の悪人を一掃したとする。
神が気合とともに念を放つと、地球上のありとあらゆる悪人が一瞬にして消え去った。

もしそうなったら、はたして人間の数は何分の一になるのだろう?
最も減少率の多い国、少ない国はそれぞれどこだろう?

ただこの場合肝心なのは「悪人」の定義だ。
自分勝手な理由で他人に損害や危害を与えた者は当然、悪人だろう。
やってはいけないことを、そうとわかっていてわざとおこなう者も悪人だろう。

だがこの世の中、良いことと悪いことどちらか一方しかしないという人はほとんどいない。
犯罪を犯さなくても、他人に迷惑をかけてしまうことは誰にでもある。

だからこれまでに他人にわざと迷惑をかけた数が、他人のために尽くした数よりも多い人を「悪人」とする。
他人にわざと迷惑をかけ続けていれば悪人。

このような定義で神が大掃除を決行すれば、地球はある程度は平和になるのかもしれない。
しかし残った人間からすぐにまた悪人が生まれるだろうし、気休め程度にしかならない。

この世の中、まったく他人の役に立っていない人がいる。
そういう人は自分で自分のことをゴミ・クズと自虐したり、他人からゴミ・クズ呼ばわりされることもある。

しかし役に立っていないだけなら、生きているだけでもそれは価値あることだ。決して不要ではない。
命を途中で終えることなく全うすることは、この世に生まれた者としての道理だから。

この世に本当に不要なのはゴミやクズではない、毒だ。
他人に迷惑をかけている人間は、毒を吐いているとも言える。

そういう意味では先ほど言ったような神による悪人一掃は、掃除ではなく「消毒」といったほうが良いのかもしれない。

私もいつかゴミやクズになる日が来るだろうが、それはそれで仕方がない。
だが毒にはなりたくない。なってはいけない。
だからやるべきことを見極める。
無害なゴミクズとなるために。
by rukachas | 2017-03-25 11:28 | ニュースの話