子供大好きRUKAの雑記帳
by RUKA
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
カテゴリ
タグ
以前の記事
2018年 06月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 11月
2015年 08月
2015年 05月
2015年 02月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 07月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 07月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月
2005年 06月
2005年 05月
2005年 04月
2005年 03月
2005年 02月
2005年 01月
「子供好き」という言葉について考える
子供子供が「お馬さんが好き」と言ったら、それはぬいぐるみにしろ本物の馬にしろ、馬というものに好意を持っているということになる。
ところが大人が「私は馬が好きだ」と言った場合は、馬に好意を持っているという意味だけでなく、食材として馬肉が好きという意味にも取れるし、競馬に興じるのが好きという意味にも取れる。
人間にとってはすべて馬に関係している事柄でも、馬にとってみれば優しく世話してくれるのか、食べられてしまうのか、競争させられるのか、その違いは大きい。

これと同じような事例がもうひとつある。私が自分のサイトのテーマにもしている「子供好き」という言葉だ。
じつは私は当初、サイトの説明でこの言葉を使うかどうか大いに悩んだ。
しかし「すべての子供たちを大切にする人」という意味を端的に表した言葉がこれ以外に見つからなかったので、今でも「子供好きサイト」と称している。

何故悩んだのか。それは最近、いやもうずっと前からなのかもしれないが、この言葉がとんだ誤解を持って使われているからだ。

元々「子供好き」は褒め言葉だった。子煩悩な人、子供のことを親身に考える人には敬意を持って「あなたは子供好きですね」と褒め讃えた。
またそのような人も、自ら十分に人に誇れることだった。
ところが子供をただ好んでいるだけの人たちも自らを「子供好き」と称し始めた。
子供を好むから子供好き。文字通りに捉えればたしかに間違いではない。
しかし最初に述べた馬好きの例と同じく、「好き」にも様々な感情があるので注意が必要だ。

「子供好き」という言葉が悪しき誤解を受けやすいひとつの要因となっているのが、子供が犠牲となった事件のニュース報道。
たとえば幼い女の子がイタズラや痴漢の被害に遭い、犯人が逮捕されたというニュースが流れることがよくある。
その中で「犯人は”以前から幼い女の子が好きで犯行に及んだ”と話しています」というナレーションが流れれば、多くの視聴者は「これは”子供好き”による犯行だ」と思ってしまうだろう。
しかしこれも馬好きと同じく、好意を持ち世話をする人、食べてしまう人、私欲のために◯◯する人、と玉石混淆であることを人々は知らなければならない。

このような犯人は子供が好きと言いながらも「子供の◯◯が好き」だったり「子供に◯◯するのが好き」だったりと、子供をモノのように見ているか、あるいは自分の欲求(精神的欲求を含む)を満たすための手段として見ているかのどちらかだ。決して子供そのものを愛しているわけではない。
過去のコラムでも書いたことだが、水族館で魚の世話をする「魚好き」と、魚料理を食べる「魚好き」との違いに等しい。

このような、子供に被害をもたらす「エセ子供好き」から子供を守るのは、立場はどうあれ「子供好き」の人たちでしかない。
人類の明るい未来のためには、子供を愛する感情を地球上のすべての人が持たなければならない。

ただし勘違いしてはいけないのは、これは個人の好みまでは限定しないということ。
子供好きな人たちの中にも、自分の子だけが好き、男の子が好き、女の子が好き、幼児が好き、中学生が好きなどと、明確な好みを持っている人もいるだろう。
だがこれはちっとも悪いことではない。リンゴとバナナどっちが好きというのと同じく、対象が子供であっても人にはそれぞれ好みがあって然るべきだからだ。

だが、そこに「差別心」があっては子供好きとはいえない。
子供が行方不明になったというニュースに対する書き込みで、女の子なら心配だが男の子ならどうでもいい(またはその逆)とか、美人な子は貴重だがブな子はいらんなどの意見を見ると、この人の感情は前述した犯人に近いな、とさえ思える。

年齢、性別、容姿、その子の立場に関係なく、どのような子でも同じように愛し、差別心を持たないのが本当の子供好き。自己犠牲にも近いボランティア精神を持って子供に接することができる人こそ、本当の子供好き。子供という存在そのものを愛している人こそ、本当の子供好き。
保育士や教師には、そんな人になってもらいたい。
[PR]
by rukachas | 2006-03-01 22:56 | 子供の話 | Comments(0)
<< 切手のお店と無線のお店 MacOS9.2.2のダイエット >>