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ご飯をかき混ぜていて思ったこと
ごはん夜中、小腹がすいたので台所へ。茶碗にご飯をよそい、冷蔵庫から卵をひとつ取り出す。割ってご飯にかけ、味の素と醤油をかけて混ぜる。いわゆるタマゴぶっかけごはん。
茶碗のフチにそって箸を滑らせながら、周りのご飯を中央に寄せる。うまく混ざっていない白い部分に、黄身と白身を被せるように寄せる。クルックルッと輪を描くように、サクッサクッと掘り起こすように、二本の箸でまんべんなく混ぜる。

薄暗い台所に立ってこんなことをしていると、ふと子供の頃を思い出した。
私は小学校低学年の頃、この「箸でご飯を混ぜる」という行為がとんでもなく下手だった。食事時、卵も納豆もふりかけも自分で混ぜてみたいのに、やると決まって下にボロボロとこぼれてしまう。混ぜ終わったご飯の量は半分、残り半分はひざの上・・・。
だからオフクロは横から手を伸ばし、私から茶碗を取り上げてさっさと混ぜてしまう。キレイに混ぜられたご飯をハイッと手渡されてもちっとも嬉しくない。自分の力でキレイにこぼさず混ぜたいからだ。だから半ばカンシャクを起こしながら、ベソをかきながら混ぜていた。

しかし頑張ってはみるものの、どうしてもひざの上にボロボロとこぼれてしまう。親父はそれを見て「何やってんだっ!」と怒鳴りだす。私は「なんでこぼれちゃうのっ!」「どうやるのっ!」と顔をクシャクシャにしながら訴える。だが親父は教えてはくれない。子供に解るように上手く教えることができないからだ。いやそれ以前に面倒くさいからだ。

上手くできない悔しさ、方法が見つからない悲しさ。幼い子供にとっては気がおかしくなりそうなくらい辛いこと。大人はそれをわかってやらなければならない。
当時の私が欲したのは、代わりにやってくれるオフクロのような行為ではない。どうすれば上手くできるのか、ヒントやコツを優しく教えてくれる人だ。こうだよと知識を与えてくれる人だ。

だがそんな人は私の身近にはいなかった。何でもやってあげる人は子供のためにならないが、何でも教えてくれる人は、子供の良き指導者となる。知識は新たな知識への道しるべとなるからだ。
今の私が、甥や姪のために尽くし、時間を惜しまず相手をしているのは、あの頃の私が、そんなオジさんを欲していたからかもしれない。
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by rukachas | 2007-08-30 06:12 | 子供の話 | Comments(0)
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