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RUKAの雑記ノート(現在休止中)

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インターネットと道具パソコン

パソコン購入私のノートパソコンには小学生用の学習ソフトが入っている。それは甥っ子の家に行ったときに勉強を教えるために入れてあるのだが、甥の家はまだインターネット環境がないので、せっかくパソコンを持っていってもネットで調べるということはできない。(モデム非内蔵なのでダイヤルアップもできない)
しかし少しでも多く活用しようと、小学生向けの学習サイトやデータベースサイト、そしてフラッシュゲームサイトをいくつか丸ごとダウンロードし、オフラインでいつでも見れるようにはしてある。
ディスク容量をくうのであまり大きなサイトは保存しておけないが、普段データベースとして使っているサイトなら、こうしてオフラインで閲覧するのもアリだ。(突然消滅の対策にもなるしね)

私がサイトの丸ごとダウンロードに使ったのは「GetHTMLW」というフリーソフト。ちょっととっつきにくい操作性と解りにくい設定、愛想のないデザインがマイナスだが、取得したページをちゃんと閲覧できるという基本性能の良さでこれにした。
現在のバージョンは接続先への負担を考えてか、同一サーバに対して1ファイルずつしか取りに行かないので(しかも1秒のWaitが入る)、コンプリートするのにメチャ時間がかかってしまうのがチト難点。

常時接続のネットが当たり前の今では、ウェブページをローカルに丸ごと保存してから閲覧することにあまり意味はないが、その昔ダイヤルアップ回線だった頃は、このてのウェブページ取得ソフトは必要不可欠とも言えるほどだった。
なにしろ画面の文字を読んでいるだけでも電話代がどんどん課金されていくのだから、まとめてダウンロードしてサッサと電話回線を切りたくなるのも当然。私はその頃、Mac版の「PerMan Surfer 波乗野郎」というソフトを使い、ニュースサイトなどを取り込んではオフラインでじっくりと読んでいた。
情報を閲覧できるだけでなく、それを自分のパソコンにも保存しておけるというのが、インターネットを使い始めた頃の醍醐味だったように思う。フリーソフトを簡単に入手できるのもオンラインの強みだ。

では、パソコン通信を含めネットが普及する前のパソコンや、1996年以前の私のようにスタンドアロン(ネット非接続)で使っていた当時はどうやってソフトや情報を取り込んでいたのかというと、購入したCDやフロッピーからだ。
今ではネットで簡単に調べられる鉄道の乗り換え案内や路線図、日本中の道路地図、衛星からの地上写真なども、当時はそれ用のデータベースソフトを買う必要があった。つまりその後のネットのサービスによって、パソコンは使い勝手とコストパフォーマンスを何倍にも飛躍させたわけだ。

「じゃあ当時のパソコンて、何ができたの?」と知らない人は思わず言いたくなるだろう。パソコンはもともと何かを作り上げる道具だった。会社での経理事務にしても文書作成にしても、それは「結果」というデータを作っているわけだし、個人で映像・音楽作品を作り上げることもパソコンを駆使した結果だ。
私も当時は簡単なMIDIソフトで音楽制作にハマっていたし、スキャナとタブレットを使って写真の修正にもハマっていた。画面サイズは小さいながらも動画の取り込みや編集もしていたし、ハイパーカード(Macに付属していたオーサリングソフト)を使って甥っ子用のインタラクティブ絵本まで作っていた。
当時はインターネットなどなくとも毎日十分楽しかったし、ソフトを使いまくって何かを作ろうという意欲に満ち満ちていた。(少なくとも私は)

しかし、もし現在のパソコンからネット機能が失われたなら、あるいはネット環境のない現場で使うことになったなら、昔ほどエンジョイできるだろうか?
今のパソコンはOSやアプリケーション自体がかなりネット依存であり、ネットが出来ないのではまるでクリープを入れないコーヒー、炭酸の抜けたコーラ、時速50kmしか出ないスポーツカーみたいなもんだ。(違うか?)
ほんの10年前までは、インターネットはパソコンでできることのうちのひとつだった。今やインターネットはパソコンの主目的になってしまった。

私は常々、ケータイの普及によって依存型の人間が増えたと感じている。依存というと聞こえが悪いが、要するに著作者になりたがらない者が増えたということ。インターネットという情報の宝庫を活用しているがゆえに退化しつつある創作意欲、というのは確かにあるかもしれない。(完全オリジナルの創作において)
最新パソコンのウリはどれも「ネットがサクサク、地デジが見られて簡単録画、DVD焼きが高速」そんなんばっか。ネットはある意味「パンドラの箱」であり、キレイなテレビ録画や簡単DVD作成はある意味「禁断の果実」。後戻りはできない。

今後インターネットが消滅することはおそらく無いと思うが、ワープロが淘汰されパソコンで執筆する作家が増えたあの頃や、パソコンで打ち込み作曲する音楽家が増えたあの頃のような、オリジナル作品を作る道具としてのパソコン。ネットなんか無くても十分楽しめるパソコン。(初期のMacintoshのように)
そんなことが再評価される日が、そろそろ来てもイイんじゃないかな・・・と思った。
by rukachas | 2007-09-29 00:29 | Net&Webの話