子供大好きRUKAの雑記帳
by RUKA
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カテゴリ:子供の話( 61 )
新聞の暮らし・家庭欄でも...
c0039181_23223537.jpg私は9月1日に書いた『子供に何を与えよう Part3(無邪気さを奪わない)』と題したコラムの中で、「子供の品のない発言や行動に関しては、他人に迷惑をかける行為でなければ大目に見よう」ということを述べましたが、驚いたことに本日の読売新聞朝刊に同じテーマの特集記事が載っていました。(写真クリックで拡大)

記事の内容は、私が述べたこととほぼ同じです。子供が「ウンチ」や「オチンチン」などと言ったときは頭ごなしに叱るのではなく、子供の気持ちを探りながら対応すべき、との内容。
この記事に書かれていた対処法の『「お母さんはそんな言葉好きじゃないよ」と諭したりするとよい。「オチンチン」などふざけて言ってきた際は「おしっこに行きたいの?」などさらりとかわすとよい。』という内容には共感しました。特定の言葉を使わないでほしいと親が思うのなら、この対応が非常に有効でしょうね。

世界一の発行部数を誇る新聞紙面で、このような子育て情報が取り上げられることは、正しい子育てを伝えていきたいと思っている者にとって、大変有り難いことです。
しかし記事中、一カ所気になる文章がありました。
『幼児は成長とともに多くの言葉を吸収していく一方、「バカ」「ウンチ」など、"悪い言葉"も口にするようになる。』という文の、「ウンチ」を"悪い言葉"としているところです。

「バカ」「マヌケ」「死ね」などは、たしかに「悪い言葉」です。誹謗、中傷、罵り、差別的な意図による発言など、いわゆる悪口は言わないようしつける必要があります。
しかし「ウンチ」「オシリ」「オチンチン」などは、これはモノの名前であって、悪い言葉ではありません。発言して他人を困らせることが悪いことなのであって、言葉そのものが悪ではないのです。これが悪い言葉だと言うのなら、オムツのCMの「やわらかウンチも大丈夫」というナレーションさえも良くないことになってしまいます。

『うんちっち』という絵本をご存知でしょうか。どんなときにも「うんちっち」としか答えないうさぎの子のお話です。今、全国の幼稚園で、この本の読み聞かせが流行っているそうです。子供たちはウンチやオナラという言葉に目を輝かせて聞き入っています。

「汚い物を表す言葉」と「汚い言葉」、「恥ずかしい物を表す言葉」と「恥ずかしい言葉」などをゴッチャにしてはいけません。それらをひっくるめて「悪い言葉」としてしまうと、下手をすると子供への言葉狩りや、悪影響を取り違えた不毛な教育論にも繋がりかねません。

何が「悪い言葉」で何がそうでないのか、大人たちはそれを把握しておく必要があるでしょう。この基準については、9月1日の『子供に何を与えよう Part3』にて述べているとおりです。
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by rukachas | 2005-09-05 23:26 | 子供の話 | Comments(0)
子供に何を与えよう Part3(無邪気さを奪わない)
与えるもの子供に与えるべきものとして、Part1では『子供の建設的な意欲を伸ばす環境を』、Part2では『物の価値を意識しやすい状況を』ということを述べてきましたが、最後のPart3は『子供の無邪気さを奪わない対応を』というお話。

先日の盆休みに私の甥っ子姪っ子たちが集まったときのこと。2階の部屋で幼い甥っ子がふたりで遊んでいるとき、ひとりが「チンコ☆☆☆~!」と言いました。(☆☆☆の部分は忘れてしまいましたが、たしか物の名前だったような?まぁよくある、クレヨンしんちゃん的なおふざけ発言です)
するともうひとりの子が「あ~、そういう言葉使っちゃいけないんだぁ~!」と、たしなめるように言ったのです。ふたりはいとこ同士なので親が違うのですが、このへんは普段のしつけの違いといったところでしょうか。
さて、このふたりのやり取りで危惧すべきところがあるとすれば、どこか分かりますか?(。・_・。)

「チンコ」などという下品な言葉を使ったこと?・・・いいえ、その言葉を、言ってはいけない言葉だと理解している点が問題なのです。「チンコ」とはご存知のとおり男性器を示す幼児語ですが「ウンチ」「ウンコ」などと同様、子供同士で遊ぶうえでこの発言には何の問題もありません。幼児や小学校低学年の子が下ネタや汚いことをあえて言うのは、この時期の成長過程における特徴でもあり、ごく当たり前の感情表現です。
(注意:世間一般に知られている女性器の通称の場合は、これは幼児語ではなく使われ方にワイセツ的な背景がありますので、子供だからといって無闇に発言して良いということはありません)

ワースト番組と言われながらも高い人気を誇っている「クレヨンしんちゃん」というアニメがありますが、これを笑いながら(ときに真似しながら)楽しく見ている親子もいれば、下品なので子供には絶対に見せない!としている親もいます。どちらが子供のために良くない行為なのかといえば、じつは後者です。
たしかに自分の子がこのアニメを真似て、下腹部にゾウの絵を描いて見せびらかしたり、人前でお尻を出すような子になったら困ってしまいますが、それは親が「恥ずかしさ」としてしつけるべきことであり、品がないから低俗だからと情報をシャットアウトしてはいけません。

同じような例ですが、このあいだ幼稚園児の甥っ子と夜に歯磨きをしたとき、少しでも楽しくしようと、最後に水で口をゆすぐときに、流しの端に小物を置いて「これを倒せるかな~」という遊びをしました。
私と甥っ子は口を水鉄砲にして、流しの端っこに向かってピュ~!(^з^)- - - - - ☆ もちろん周りには飛び散らないようにし、最後にはタオルで飛沫を拭きました。
しかしこんな行動も、中には「何やってるのっ!」「歯磨きでふざけないのっ!」と怒るお母さんもいるでしょう。ですがこれも怒るべきことではありません。周りが水浸しになったとか、せっかく乾かした食器が濡れてしまったとか、実際に困ることが発生した場合にだけ叱ればよいのです。

しかしある基準を設けなければ、親としてもしつけし難いですよね。では、親が子供の言動に対して「これはダメ!」と叱る場合の、最も大切な基準は何でしょうか?
それは「その発言や行動が、他人に迷惑をかけているかどうか(かけることになるかどうか)」です。
親が行うべきしつけや教育の基本はこれです。逆に言えば、子供の言動が誰の迷惑にもなっていないのなら、それを止めさせる理由は全くないということ。
また迷惑といっても、親がただ「下品だ、恥ずかしい、みっともない、ふざけるな」と、そう思うだけならそれは迷惑行為ではありません。子供の言動を抑え込む理由にはなりません。

しかし親からすれば、こんな意見もあるわけです。「普段自分の家でやって(言って)いると、外でもやる(言う)子になってしまう」
たしかに、自分の家ではチンコ発言も歯磨きのあとの口鉄砲ピュ~も問題なしとしても、友だちの家でやったら、そこの母親に「しつけがなってない子」と思われてしまうかもしれませんね。
でも私は思うのです。子供にプログラムでもしようとしているのですか?子供は知っていることはやってしまう、知らなければやらずに済む、そんな単純なものですか?・・・と。

親は自分の子を「低俗な言動をしない子、考えもしない子」にではなく、子供らしい下品さを持ち合わせたうえで「時と場所と場合、そして他人の感情を考慮できる子」に育てるべきなのです。それを教えることこそがしつけであり、子供の言動そのものを規制することがしつけではありません。

子供だけで遊んでいるときの下品な発言は構わないが、大人の人がいる場では言わないようにしようとか、図書館や店など、公共の場では迷惑になるので静かにしようとか、お母さんが恥ずかしがるから道路を歩くときは大声で歌わないようにしようとか、そういう、場所や他人の感情を考慮することを学んでいくには、まず普段の家庭内において、子供の無邪気さを奪わない環境が必要なのです。
どんなにおぼっちゃん的に育てようと、低俗な言動を一切させずに育てようと、子供たちは思春期にもなれば自ずと情報の波の中を泳ぎ始めます。そこでタガが外れるか、正しい選択ができるかは幼児期の育て方しだい。無邪気に発言したり行動できる環境で育った子こそ、自分の言動の意味や、それに対する他人の感情も理解できるようになるのです。

でももし、他人の前でも品のないことをしてしまったとしても、それはそれでイイじゃないですか。それも子供の無邪気さなんですから。それを許すのは大人の大らかさです。

ここをご覧のパパママさん方にも、公共の場での自分の子の発言に思わず赤面、という経験は幾度かあると思いますが、発言そのものを叱るのではなく、親を含めた周りの人の感情を考えなかったことを叱ってください。そして多少の品のなさは、他人をバカにしたり迷惑をかけるのでない限りは、大目にみてやってください。
そのかわり他人に迷惑をかける行為をしたときは、厳しく叱ってあげてくださいね。
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by rukachas | 2005-09-01 23:59 | 子供の話 | Comments(0)
子供に何を与えよう Part2(物の価値を感じさせる)
与えるもの子供(幼児)を連れて買い物に行ったとき、スーパーのお菓子売り場などで子供にお菓子をねだられることがありますが、このとき「買うのは1個だけ」と言い聞かせている親御さんも多いと思います。
しかし、このようなときはぜひ「1個だけ」ではなく「いくらまで」としてください。スーパーでもコンビニでも20円くらいのお菓子も売っていますから、80円まで、あるいは100円までとするのが良いかもしれません。

なぜ個数ではなく値段で制限するのかというと、店に並ぶものが商品という個別の価値を持ったものであることを、イメージとして理解させるためです。
買うのは1個だけと決めると、当然子供は自分が食べたいお菓子から、どれをより食べたいか(欲しいか)で買うものを決めるでしょう。しかしこれだと「一番食べたいものを選ぶ」という思考しか成り立ちません。つまり、物の価値という感覚が絡んでこないのです。

ところが、たとえば100円までと決めると、100円のお菓子を1個買うのも、60円のお菓子と20円のお菓子を2個買うのも自由なわけです。幼児自らおこなうこの選択は、目の前に並ぶ物が商品であるということを自然とイメージさせます。
計算できない子には親が「これなら2つ買えるけど、これだと1つしか買えないよ」などと指示してあげましょう。

これは幼児期の買い物ごっこのようなものですが、お金のやりくりの学習になるだけでなく、欲しさと価値(値段)のバランスを意識することによって、物を買うということを体感的に理解し、さらに買った物に対する思い入れも高まってくるのです。たかがお菓子でも、この感覚はとても大切なものです。

普段買うお菓子を1個だけと決めているお母さんは、ためしに一度、値段を決めてその範囲で自由に選ばせてみてください(ただし、普段と同じ価格帯で)。
きっと普段よりも、お菓子をダラダラと食べ続けることが少なくなると思います。一度に全部食べず、とっておくこともあるでしょう。

私は店で甥っ子にお菓子をせがまれたときは、必ず「◯◯円まで」という制限を作り、その範囲で自由に選ばせています。また、選び終わるまでは決して急かしません。コンビニで30分以上も待ったこともあります。
もちろんお母さん方が普段の買い物で、子供のお菓子選びにそんなに時間をかけられるはずもありませんが、5分は待つくらいのゆとりは持って欲しいですね。

お菓子は欲しがるたびに買い与えていてはいけませんが、おやつとしてどうせ買うのであれば、その買い方を工夫することもしつけのひとつです。
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by rukachas | 2005-08-28 21:28 | 子供の話 | Comments(0)
子供に何を与えよう Part1(退屈を感じる子感じない子)
与えるもの退屈を楽しむ。あるいは逆に、自分に退屈さを与えない状況を作りそれを楽しむ。現代において、これができる子はどれくらいの割合でいるのでしょうか。
大部分の児童にとっては、退屈は大人が思う以上に辛いものです。家の中で「つまんないよぉ~!」を連発したり、休日にお父さんに「どっか連れてって~!」とせがんでいる子も多いことでしょう。

何も面白いことがなく、退屈さで息が詰まりそう。悲しいほどにつまらない。これは子供にとってごく当たり前の感情ですが、じつは私はこの「子供の退屈さ」が、唯一共感しがたいものなのです。(理解はしていますが)
というのも、私は幼い頃から退屈さを知らない子だったからです。常に自分で何かをして、暇を作らない子でした。もし何もやることが無く暇だったとしても、それならそれで暇を楽しむことができる子でした。
だから私は、現代の子供たちの中に「つまらない」を連発しながら自分で何をするわけでもなく、ただ他人が面白いことをしてくれるのを、あるいは何か事が起こるのを待っている子を見ると切なくなります。何もせずつまらないと愚痴るのは、依存型の性格の表れです。

幼い頃の私なら、休日に何もすることがなく、友達とも遊べず暇なとき、一体どうしたでしょう。きっと外に宝探しに行ったことでしょう。もちろん本当の宝なんてあるはずがありません。周りを細かく観察したり、珍しい虫や草木を見つけたり・・・。自分が「おっ!」と思うことがあれば、その発見こそが宝探しの成果であり、十分に楽しめました。
でもこれは、なんでもない素朴な物事に感動する、ワクワクするといった心の土壌が無いことには無理な話でしょうね。退屈だと愚痴を言う子に「じゃあ何か作ってみたら」と言っても「めんどくさい」、「じゃあ外で遊んできたら」と言っても「面白いものが無い」と言われるのがオチ。

身近なものにワクワクし、自分であれこれ調べたがる子は、退屈で辛いなんて事はありません。考えてみれば、誰しも物心ついた頃はこうだったはずです。
では、育つにつれ退屈しやすい子とそうでない子ができる違いはなんでしょう?まぁ持って生まれた性格もあるでしょうが、ひとつの要因としては、子供が所有する物の量と、それを手に入れる頻度が関係していると思います。オモチャやテレビゲームなどを豊富に所有したり、買ってもらう頻度が高い子ほど、身近な生活周りに楽しさを感じない(見つけられない)子が多いようです。そしてこれが、飽きやすい、退屈しやすい、自分で事を起こさないということにも繋がるのでしょう。

ではこれを防ぐために、親は子供に対しどう接したら良いのか?
一番良いのは、誕生日やクリスマスなど、特別なイベントのとき以外はオモチャを買い与えないことです。おじいちゃんおばあちゃんが孫可愛さのあまり、頻繁にオモチャを買ってくるというケースもありますが、この場合も相手にハッキリと話をし、分かってもらう必要があります。ようは、本当に欲しい物のみ、我慢のあとにようやく手に入るという状況を作ることです。
また親も、たとえ安い品物であっても衝動買いはなるべく避け、必要のない物は極力買わないようにしましょう。物が無さすぎるのも考えものですが、家の中が無用な物であふれていると、子供たちの創造性を奪いやすくなります。

部屋には家族の手作り品を置き、物作りの楽しさを示すのが良いでしょう。そして、子供たちが身近な物ひとつひとつに目を配ることができるようなシンプルな配置と、それに関する親子の会話も大切です。
また、親が料理や物作りをする姿を子供に見せることも、子供の建設的な行動を促す意味で大切なことです。

全国のお母さん。買った物に頼らずとも我が家が楽しい、そんな家庭を作ってあげてくださいね。
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by rukachas | 2005-08-27 18:01 | 子供の話 | Comments(0)
夏休みに子供たちは...
夏休み昨日は上尾市の夏祭りだった。駅前のロータリーには、町内各地の神輿やパレードの一群が所狭しと集まって、威勢の良いかけ声をあげていた。沿道のギャラリーには浴衣を着ている女の子や、ハッピや半天を着ている男の子も多かったが、祭りの参加者に子供の数が少なかったのがちょっと残念。

ところで、もうすぐ全国の子供たちは夏休みに入る。おそらく8月頃には、私の甥や姪たちもやってくるだろう。6歳の甥っ子5号くんの妹はまだ赤ちゃんなので長期のお泊まりはできないが、5号くんと9歳の4号くん、そして4号くんのお兄ちゃんお姉ちゃんは、イナカへのお泊まりを楽しみにしていると思う。
私にとっての甥や姪、親父とオフクロにとっての孫たちは、私たちの活力源になっている。来たら来たで決して楽ではないのだが(気が抜けないという意味で)、子供たちの元気な姿が見られ、コミュニケーションがとれるからこそ、こちらも元気でいられるのだ。

私も盆休みまではゆっくりできないが、子供たちが来たら連れて行こうと、予定していることが2つある。ひとつは、みんなで遊園地に行くこと。ママの話だと、5号くんは小さな頃ディズニーランドで怖がって大泣きしたことがあるらしいが、もう6歳なのでたぶん大丈夫だろう。それに、大人の中に子供が自分だけだったときと、子供たちが複数いるときでは、楽しみの度合いも違ってくるはず。3つ上の4号くんとともに、また新しい経験を積んでいくことだろう。

そしてもうひとつの予定は、丸一日公園でゆったりとピクニック気分で過ごすこと。公園といっても遊具しかないような小さな公園ではなく、芝と木々が広がっている広い自然公園。上尾市だと、荒川沿いにある丸山公園が良さそうだな。そこで一日、自然を満喫しながら色々なことを学ぼうじゃないか!というイベント。
まぁこちらは遊園地と比べてかなり安上がりだが、楽しいことは山ほどある。頭の中に詰め込める思い出の量はハンパじゃないぞと。(^-^)
丸山公園には大きめのジャブ池と滝、長い水路があるので、夏場はたくさんの子供たちが入って遊んでいる。5号くんと4号くんのお母さんには、来るときに子供たちの水着を持ってくるようにと言っておこう。

アウトドアに長けた人がひとりでもいれば、川辺で釣りしたり山でキャンプしたりもできるんだけど、まぁとりあえずは遊園地と自然公園かな。
ただ、自然のあるところで一日のんびりと・・・という過ごし方は、都会に住んでいる妹や妹のダンナにはツライかもしれない。時間がもったいなく感じてしまうかもしれないね。いちおう退屈しないように、ビーチボール、テニスラケット、フリスビー、水鉄砲、虫取り網、その他もろもろ、駅前のデパートでそろえておこうとは思っている。あれも楽しそうこれも楽しそうと、いっぱい買ってしまうかも。

でも本当に大切なのは持っていくモノの量じゃなく、頭に詰め込んで持ち帰る、思い出の量だよね。(^-^*)
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by rukachas | 2005-07-18 20:59 | 子供の話 | Comments(0)
性善説と性悪説
天使?人は生まれながらにして善であるという「性善説」と、生まれながらにして悪であるという「性悪説」がある。たしか性善説は中国の孟子、性悪説は荀子によって唱えられた説だが、この相反する思想、はたしてどちらが正しいのだろう?

何が善で何が悪か、という解釈によって意見が分かれてしまうだろうから、ここでは他人を思いやる気持ちを善の心、他人を蔑んだり陥れたり、困らせようとする気持ちを悪の心とする。さて、産まれたての赤ん坊にあるのは善の心か、悪の心か?

私は若い頃は「人間は善悪どちらでもない完全無垢な状態で産まれてくる」と思っていたが、今ではどちらかというと性善説寄りではないかと思っている。
たとえば、ある赤ん坊が産まれた時から自分以外の人間との接触を一切断たれ、人の愛情を得ず、何の教育も受けず、ただロボット的に衣食住を提供されるだけの環境で育ったとする(昔、オオカミに育てられた少年の話があったね)。当然言葉も話せないし、野生の哺乳動物なみの行動しかできない子になるだろう。
そんな子がある日暴れまわったとしても、他人の姿を見て襲いかかってきたとしても、はたしてそれは悪心によるものだろうか?

たとえ自分を守る本能的な行為だったり、精神面から起きた行動だったとしても、そこに相手を蔑む感情(利害関係を理解するだけの知識)がなければ、いわゆる悪心とは言えないのではないだろうか。ちょうど、ライオンがシマウマを襲っても、それが悪事ではないのと同じように。

また、もし人間が映画「オーメン」のダミアン少年のように本能的に悪心を持つ生き物だとしたら、それは自らの生命自体を危うくすることにもなる。これは生物学的にもおかしい。よって、赤ん坊に悪の心は無いと、私は思ったわけだ。

では反対に、赤ん坊に善の心、つまり他人を思いやる気持ちはあるのかというと、これはあると思う。
10年以上前にあるテレビ番組で、何かの実験だったのかただのバラエティーショーだったのか忘れてしまったが、まだやっとお座りができるようになった程度の赤ん坊を10人ほどスタジオに集めたシーンが映っていた。大泣きしている子もいれば、キョトンとおとなしくしている子もいる。
そんな中、お座りして哺乳瓶をくわえていた赤ん坊が、となりで大泣きしている赤ん坊にその哺乳瓶を差し出したのだ。しかも明らかに「これあげるから泣かないでね」とでも言っているかのようなしぐさで。
私はそれを見て、こんな赤ん坊でも泣いている子を慰めようという気があるんだなと、番組の進行とは全く関係ないところで感心していたものだった。

こんなところが「産まれた時には悪の心は無いが、善の心は少しはあるかもしれない」と私が思う理由。
孟子が唱えた性善説とは意味が若干違うかもしれないが、少なくとも人間は育つにつれ、得てして善心よりも悪心のほうが身に付きやすい。善は学ぶものではなく、悪に染まらないことで保てるもの。そう考えると、環境って大事だね。

そういえば、今日は私の6番目の姪っ子の満一才の誕生日。きっと今頃は家族で誕生会でもやっていることだろう。
この子のお兄ちゃんも、早いものでもう6歳。今年も夏休みにはお泊まりにくるだろうが、とても頭の良い子なので、来るたびにその成長ぶりに驚かされている。
性善説もそうだが、子供が生まれながらにして持っている能力や特徴は、一生ものの財産ではないだろうか。
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by rukachas | 2005-06-25 21:25 | 子供の話 | Comments(0)
ようこそ子供たち
リョウとカラス金曜の夜に小学生の甥っ子4号くんと高校生の姪がやってきて、二晩泊まり日曜の夜に帰っていった。(母親が車で送り迎え)
週末になると突然この子らから「行ってイイ?」と電話がかかってくることが多いのだが、さすがに私もオフクロも親父も暇ではないので、予定が無いときにしかOKは出せない。今回は、夏休みまで待てないこの子たちの、先々週からの約束の日だった。

4号くんはいつも私と遊ぶのを楽しみにしていて、高校生の姪は、私やおじいちゃんおばあちゃんと話をするのを楽しみにしている。遊ぶといっても、公園でボール遊びや虫取りをしたり、家でテレビゲームをしたりアニメのビデオを見たりするだけで、遊園地やアミューズメントなど、いわゆるレジャー施設に行くわけではない。
そのうちこの子たちの両親、つまり私の妹夫婦らも交えて、みんなで一緒に東京ディズニーランドにでも行きたいなとは思っているが、とりあえず週末にやってきたこの子らに言えることは「田舎でノンビリしていきなさい」ってこと。

ドイナカではないが、おじいちゃんおばあちゃんのいる親の実家なのだから、普段とは違う生活を楽しんでもらいたい。近くに山も海も川も無い住宅地なので自然を満喫することはできないが、テレビやゲームの時間を制限して、大人と子供が一緒にいる時間を増やしたいし、何らかの共同作業も増やしたい。ともすれば食生活がジャンクフードに染まりがちな現代の子供たちに、おじいちゃんが育てた野菜でおばあちゃんがこさえた素朴な和食を味わってもらいたい。そしてなにより、しがらみを解いてリラックスしてほしい。

4号くんは普段人に絡みつくことはあまりないが、私にだけはベッタリと絡みついてくる。これは私が絡みつくせいでもあるのだが、スキンシップをタップリととることで、私に対し絶対的な安心感を得ている。だからこそ私が怒ったときには、相当なショックを感じるようだ。

じつは昨日の日曜日、3人で公園で遊んだあと帰ろうとしたら、4号くんがまだ帰りたくないとダダをこね、反抗心のあまり私の前で悪態をついた。その悪態が目に余るものだったので、私はその場で激しく叱咤した。
4号くんはうつむいて黙ったまま、涙を流して泣いた。私は少し突き放すように離れて歩いていたが、しばらくして待ち伏せするように立ち止まり、4号くんを引き寄せた。「もう困らせないでくれよ...」ジックリと言って聞かせると、素直にウンウンとうなずいていた。そのうちまた同じようなダダやカンシャクはあるかもしれないが、イイ意味で蓄積していくべきショックというのも、あると思う。

だが叱られた状態がいつまでも長引いてはいけない。まるで歌舞伎の早変わりのように、私もすぐにいつもの優しいオジサンに戻る必要がある。そして再びスキンシップ&コミュニケーション。こうして子供を笑顔に戻して、そこで初めて「しつけ」の一区切りとなる。

普段家でもしていることだろうが、スキンシップと笑顔のコミュニケーションをたっぷりと味わって、甥と姪は帰っていった。
「夏休みにまた来るからね~」と、笑顔で手を振りながら。
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by rukachas | 2005-06-13 23:02 | 子供の話 | Comments(0)
子供の姿に癒されて
男の子たち先週今週と仕事がキツかったせいか疲れが残っていて、このブログの更新もおろそかになっていた。
だがブログを始めたころに思っていた「毎日書こう!」から「伝えたいことを書こう!」に、目標というか目的を変えてからは、多少は気も楽になったような気がする。
頭に浮かんだことを書いていれば毎日だって更新できるけど、なにも水増ししてまでも記事を増やすこたぁないし、もともと数行の文章書いて終わりにできる性分じゃないし...。

残っているのは体の疲れだけではない。私にだって心のストレスくらいはある。仕事のストレス、人間関係のストレス、家族兄妹とのストレス、自分に対するストレス、そしてRUKAとしてのストレス。
人は定期的にストレスを解消して心を癒しているわけだが、癒しにも「動の癒し」と「静の癒し」がある。ある人はカラオケという動の癒しで溜まったストレスを発散し、週末の魚釣りという静の癒しを満喫している。またある人はスポーツジムで汗を流し、その後の食事を楽しんでいることだろう。これも動の癒しと静の癒しの組み合わせだ。

私にとっての動の癒しは、ユーロビートを聴いて体を動かしながら、物を作ったり掃除をしたりすること。そして静の癒しは、毎日子供たちの写真を見ることと、週末の散歩。
子供たちの写真を見る。これは一見何でもないことのように思えて結構癒し効果が高い。私が見るのは甥や姪の写真ばかりではなく、世界中のどこかにいるであろう(あるいはいたであろう)たくさんの子供たちの写真。それは写真集でも雑誌でもネットでも何でもいいのだが、とにかく楽しそうな表情と子供らしい姿を眺めることが、なによりのストレス解消だ。

本当は実物を目の当たりにできれば一番良いのだが、いつも私のそばに子供はいない。だから部屋に子供の写真を飾って、いつでも眺められるようにしている。パパさんが定期入れに我が子の写真を入れているのと同じことだね。
この写真はべつに自分が子供のころの写真でもいい。自分も他人も関係なく、人種も性別も関係なく、子供を子供として見ること扱うことができる人こそ、本当の子供好きと言えるんじゃないかな。
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by rukachas | 2005-06-04 21:58 | 子供の話 | Comments(0)
子供を知ろう!
泣く子5月16日付けの読売新聞朝刊に「手をあげなくても伝わる」と題した、子育てに関するコラムが載っていた。その一部を引用します。

---------------- ここから引用 ----------------
子どもをたたいたことのある親が多いことは、各種の調査からもうかがえます。(中略)育児相談などを行う社会福祉法人「日本家庭福祉会」理事長の波多野ミキさんは「子どもはたたかなくても、しつけられます。」(中略)たたけば、その時点ではやめるかもしれません。でもその後は口でしかっても言うことを聞かず、もっと強くたたくという悪循環に陥ることにもなりかねません。
---------------- ここまで引用 ----------------

これは私がずっとネットでも実社会でも、口が酸っぱくなるほど言ってきたことと同じだ。軍隊式子育ては百害あって一利無しということ。
私が言うと「しょせん子育てをしていない人の言うことだ」と、意に介さない人もいるかもしれないが、同じことを育児の専門家も言っているのだから、これは正しい教えなのだと認識してほしいものだ。

たしかに私のように子供のいない者は、子育ての体験から得られるノウハウを知る由もない。その点では、私は全国のパパさんママさんにかなわないと思っているし、いつも一目置いているつもりだ。
だがここが重要なのだが、子供を育てている方が詳しいのは「子育て」についてであって「子供」についてではない。子供についての知識は、未婚既婚、子がいるいないは関係ない。

私は以前、掲示板であるママさんから「独身なのに子供のこと、育児のこと、いろいろ知ってて、毎日育児をしている母親にとってみたら不思議な感じがします」と言われた事がある。だがこれは全然奇妙なことではない。
ほとんどの親にとっての子育てとは、子育てを「する」立場、つまり親として如何なる子育てが理想か、という考えのもとに成り立っている。しかし私の子育てに関する知識の大部分は、子育てを「される」立場、つまり子供にとってどのように子育てされるのが理想か、ということを前提として成り立っている。
これは立場の違いだが、子供を一個の人間として立派に育て上げることを目的とするなら、私のように子育てを子供の立場から考えていくことが、ほとんどの親に必要であろう。

「育児は育自」とも言うように、子育ての知識は体験がものを言う。だが、人の心を理解しない子供や若者が目立つ現状を考えると、子供そのものについて勉強不足である親は、意外と多いのかもしれない。
親になり子供を育てていると、それだけで自分は正しい子育てをしているのだと錯覚してしまう人が多いが、多種多様な人と接し、多方面から意見を聞かなければ、子育ての本質など見えてこない。少なくとも、普段大人の立場でばかり子育てをしている親は、視点を変えてみる必要があるだろう。

子供の立場からものを見る。子供の立場を尊重する、これは決して甘やかすということでも、大人と同じに扱うということでもない。子供の自主性を伸ばすということだ。そして人間的に立派な大人を作り上げるということだ。
怒りに任せて子供を叩いてしまったとき、目の前にある鏡で自分の姿を見てみよう。きっとそこに親の姿はない。
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by rukachas | 2005-05-17 01:49 | 子供の話 | Comments(0)
軍隊式子育ては是か非か
怒り子供は甘やかして育ててはいけない。そのとおりだ。決めごとを作ってルールを守らせる。それも正しい。そんなことぐらい私もわかっている。問題はそのルールが子供のためになっているのか?ということだ。
そこで全国のお母さん方にお訊きしたい。

子供に厳しい親が、その厳しさを親戚の者にまで強要する、つまり情けをかけさせないのは正しいことなのか?
店に行ったときに買うお菓子は1個だと良くて2個だとダメなものなのか?(量に関係なく)
幼児が品のないセリフを言うことは許されないことなのか?
幼児が人前でふざけた(はしゃいだ)行動をとることは許されないことなのか?
外を散歩しているときに子供が歩きながら歌うのはおかしな行為なのか?
人前ではしゃぎ、踊って、おどけて、おバカな真似をする子は、頭のおかしな子なのか?
子供が一度口にしたことは、絶対に守らせないといけないものなのか?(子供は心情がコロコロ変わるものなのに)
幼児が事を上手くできなくてカンシャクを起こしているとき、なだめるのではなく、怒鳴りつけるべきなのか?
子供が5,6歳になり反抗気(反抗期ではなく反抗気。反抗心ほどかたくななものではない)が起きた場合、母親はその子を忌み嫌うものなのか?

あるママさんはこんな勘違いをしていた。いつも家にいるときは親の言うことをきいている子が、実家へ来ると言うことをきかなくなるのは、そこで甘やかされるからだと。
だが実際の原因はそうではない。その子の行動は、普段の軍隊式生活からここに逃れてきたことを意味する。すなわち外で言うことをきかなくなる理由は、普段の親の厳しさにあるのだ。
さらにその人は、親の言うことをハイ!ときいて大人しくしているのが普通の子で、ふざけたりダダをこねたりする子はおかしな子だと思っているようだ。(実際にはまったく逆で、後者がごく普通)

このような母親の勘違いから、正常なのに嫌われる子や、心を閉ざしているのに良い子だと思われる子が生まれるのである。
さらに言うと、これら子供特有の理不尽さや融通の利かなさ、スムースに事が運ばないもどかしさの中で子育てをこなしていくのが、ごく普通の母親の姿だ。

幼児になって自分の意見を言い出すのは当たり前のこと。親に反発してもむしろ心の成長と捉えるべきだ。悪い行動ならば、叱りつけて直せばよい。世間一般に悪いことではないならば、その自主性を尊重するがよい。
子育ては誉めるも叱るも愛情であるということを忘れずに。
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by rukachas | 2005-05-04 06:08 | 子供の話 | Comments(0)