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カテゴリ:子供の話( 61 )
やさしいおかあさんがほしい
涙子供への愛情について考えさせられた。
この世の中には、子供を虐待する母親がいる。手をあげなければ、つまり肉体的な傷を負わせなければ虐待ではない、と思っている母親もいる。
下の子ばかりを可愛い可愛いと抱きしめ、上の子にはおまえは失敗作だとののしる行為は、母親にあるまじき虐待行為だ。しかも下の子の可愛がりようを当てつけるかのようにわざと見せつけ、上の子の悲しみを誘うなど陰湿なイジメ。これを虐待と言わずして何と言おう。

子供は優しい母親を望んでいる。母親の愛情に包まれたいといつも思っている。「この子は変だ!」「産みたくて産んだんじゃない!」他人のどんな人に言われる悪口よりも、母親のそれは何倍も辛く悲しいものだ。しかも言われるのが5、6歳の幼児となれば、その受ける悲しみは想像を絶する。まさに精神的な虐待だ。

私は、子供に悲しみを与える親の存在が許せない。子供を幸せにする気がない人は子供を作る資格なし。ましてや子供によって差別する人は人間として最低である。
母親が下の子を可愛がっている姿を、涙を流しながらうらめしそうに見ている上の子。「おかあさん、ボクも可愛がってよ、ボクを好きになってよ...」そう目で訴えている子に対し、心の痛みを感じないのか? 2人の子をどちらも幸せにしてやろうという気がないのか? なぜ5、6歳の幼児の「ごく普通の」ワガママやミスを許さず、大人なみの厳しさを要求するのか? なぜ子供の当たり前の行動を、当たり前として見てやれないのか?

「子供を育てたことのないアンタには分からない事だよ」と言い張る人もいるだろう。だがそれは子供に愛情を与えない理由にはならない。ましてや子供にイジメまがいの態度を示したり、脅し口調で恐怖を与える理由にもならない。
いくら子育てが大変だとはいっても、それが我が子への憎しみや恨みに発展する母親は大いに問題あり。それにたとえ何人の子を育てようと、子供とはどういうものなのかさえ分かっていないのなら、私よりも知識が少ないと言わざるを得ない。

大人は、子供が本来持っている大らかさと天真爛漫さを押さえ込んではいけない。しつけとは、子供が子供らしい日々を送る中で学んでいくもの。恐怖と威圧で押さえ込むものではない。
だが恐怖で子供に言うことをきかせている母親ほど、それをしつけだと思い込んでいる。そしてそんな母親ほど、子供の精神への悪影響よりも、そのとき自分がいかに困らないかを優先するのだ。「この子が将来困らないために」という表向きの理由をあげてはいても、子供を精神的に押さえ込んでいてはまともに育つかどうかも疑問だ。いつか痛いしっぺ返しをくうことにもなりかねない。

そしてもうひとつ言いたいこと。子供が親戚や知り合いの家に行ったときに限ってワガママになるのは、その時に甘やかしたからではない。普段の生活で親がその子の精神と行動を抑圧しているからだ。
某国で独裁者によって、恐怖と抑圧の日々を送っている人々がいることを思いだしてほしい。もしその人が民主的な他国に逃れたとしたら、きっと今まで不自由だった分、タガが外れてしまうこともあるだろう。それと同じ。

世の中のルールを教え込むのは大切だ。しつけるために叱ることも大切だ。だがその子が自主的に考え行動する、悪事ではないことさえ押さえ込んでしまうと、結局は親の前だけで良い子ぶるような子になってしまう。
大切なのは、相手の気持ちになって考えることを身に付けさせること。相手の気持ちが理解できたために相手の言うことをきく、これが理想だ。
ところが幼児期に恐怖と威圧感で言うことをきかせていると、相手の気持ちを理解する能力が育っていかない。つまりは自分勝手な人間ができあがるというわけだ。

私は子供の頃、他人の家で言うことをきかなくなったりワガママになったことが少ない。これは私の母親がいつも優しさで育てていたからだ。だがこれは断じて甘やかしではない。悪いことをしたときは、その優しさの中で叱ってくれたものだ。
母親は子供に好かれていれば、その子をどのような子にもできる。子供も母親に好かれようとするからだ。

悪いことをしたら愛情をもって叱ればよい。そして抱きしめてあげればよい。親のほうから、子供の身になって考えるようになればよい。
キッとにらみつける母親の表情や、脅迫するような脅し文句の中では、たとえ言うことをきく子にはなっても良い子にはなれない。親と子の笑顔のコミュニケーションによってのみ、良い子は作られるのだから。
by rukachas | 2005-05-02 06:12 | 子供の話 | Comments(0)
子供に対する立場の違い
名札私はL.O.S.を起ち上げた当初「懐かしのTVCF」というコーナーを作り、古いテレビCMをキャプチャしたムービーファイルをいくつか掲載していた。320×240ピクセルで2MBくらいのMPEG1ムービーだった。
恥ずかしいことだが、当時の私は著作権に対しての意識が甘く、今では放送していない古いCMなら問題ないだろうと思っていたのだ。だがレンタルサービス側から警告が来て猛反省。すぐに全削除し、その後CMムービーは一切載せていない。

タレントの安達祐実さんが3歳の頃に出演したCM「白雪姫のホワイトシチュー」のムービーを掲載したときのこと、私は何気なくタイトルに「安達ゆみ」と書いたのだが、後日熱心な安達祐実ファンからうちの掲示板に「なぜ名前をひらがなで書いたのか?」というような書き込みがあった。私はこれまた何気なく「イメージ的にはユミのほうが合ってたかなぁ?」などと書き込んだら「勝手に人の名前を変えないで!」とお叱りを受けてしまった。ここでようやく私は、名前を漢字で書かなかったことについて彼が怒っているのだと気が付いた。
すぐにタイトルの「安達ゆみ」を「安達祐実」に直して謝ったが、私としてはこの感覚の違いに正直驚かされた出来事だった。(この時の様子は、うちの掲示板の過去ログにかろうじて残ってます)

当時も今も思うことだが、これは子供タレントをどう見るかという立場の違いだ。たとえばCMやドラマで活躍していた頃の小学生の安達祐実ちゃんが目の前にいたとして、その横にごく普通の小学生の子がいたとする(性別は関係なく)。私はこの2人に価値の差など感じないし、同じように話し、同じように接するだろう。そしてもし自分が安達祐実ちゃんの親だったとしたら、持ち物に「あだちゆみ」と書くかもしれないし、私が親戚のおじさんだったら、手紙の宛先に「ゆみちゃんへ」と書くかもしれない。
つまり私にとっては(あるいは大部分の親にとっては)「祐実ちゃんとゆみちゃん」「真理ちゃんとまりちゃん」「恵理ちゃんとえりちゃん」は同じことなのだ。

しかしそれはファンにとっては耐え難いことなのかもしれない。安達祐実ちゃんのファンは、安達祐実という名前をひとつの商標として大切にしている。だから安達ゆみでも安達ユミでも、別人になってしまうのだろう。「キャノンはキヤノンと書くべきだ」「iTunesをアイチューンと言うな」という人がいるのと同じことかな。
だが人の場合は、愛情を伴わなければ正式名称も単なる記号に過ぎない。私は子供にも見てもらえるサイトを作っている以上、名前にはひらがなやカタカナも織り交ぜ、これからも愛情をもって記していくつもりだ。
by rukachas | 2005-04-16 23:19 | 子供の話 | Comments(2)
体は現実、心はフィクション
その先に見えるもの先日、鹿児島市内の防空壕跡で、探検ゴッコをしていた中学生4人がCO中毒で死亡するという痛ましい事故があった。通気性の悪いこんな場所で焚火をすれば危険であることぐらい小学生でも分かるはずだが、彼らにその認識は無かったのだろうか?
いや、危険だと分かっていたはずだ。危険であるからこその「探検ゴッコ」なのだから。

では彼らに足りなかったものは何なのか?それは「先を見越す力」だ。彼らに限らず、現代の子供たちはこの力が極めて希薄であると思われる。自分の行動によって結果的にどうなるのかを予測した時、正確な答えを導き出すことができないのだ。亡くなった4人の中学生も、危険であることは分かっていながら、具体的にどのような事が起こるのかが分からなかったのだ。

現代の子供たちが正しく先を見越せないのは、単なる経験不足だけではなく、幼少期から思春期にかけて触れる、ある情報に原因があるのではないかと私は思っている。
それは「占い」「超能力」「宗教」「霊」など、不思議現象的な話題だ。それらをフィクションとして理解している者ならば映画のように楽しむこともできるだろう。だがそれを子供たちに、さも真実であるかのように伝えてしまうと、子供たちは現実社会での法則性や物事の連鎖が正しく認識できなくなってしまう。つまり現実で起きる現象に、心情を重ねてしまうのだ。

猥褻な牧師が逮捕された事件があったが、信者は「地獄に堕ちる」と言われた時点で、この牧師が真実を語っていないと気付くべきだし、その点では最近テレビによく出る占いオバさんの「しかし地獄行く」という発言も、思想的には同じだと言えるだろう。
占いは予言であるかのように思いがちだが、昔から「当たるも八卦、当たらぬも八卦」というとおり、結局はその発言が当たるか当たらないかなのだ。信じるか信じないかではない。あくまでも発言した後にそれが実際に起こるか起こらないかだ。だから情報が多ければ、それだけ自信を持って発言できるわけだ。
また、写真が何故写るのかさえも知らない人が、写真を見ただけでやれ自縛霊だとか怨念がどうとか語っているテレビ番組もあるが、子供たちには「なりきりショー」か「私はこう思い込んでますショー」だと説明したうえで見せないと、とんだ勘違いをさせてしまう。

何がフィクションで何が真実であるか、親と子でジックリと話し合ってみるべきだろう。だが時に大人は、子供への情報をシャットアウトすることがある。子供にとって有益な情報を大人が勝手に有害情報と思い込み、知ることさえも規制することがある。この世の真実の姿を知らぬまま、思春期に真実のふりをしたフィクションに出会う子供たち。

未成年者の自殺が相次いだ時期があった。小中学生が殺人を犯したこともあった。これもある種、フィクションを真実だと思ってしまったことが、根底にあるのではないだろうか?
自分の行動の先に何があるのか?・・・子供たちに先を見越す力を付けさせるためには、フィクションはフィクションとして伝えなければならない。メディアの責任は大きい。
by rukachas | 2005-04-13 23:59 | 子供の話 | Comments(0)
子供で我が家も活性化
甥っ子くん今、学校は春休み。私の甥や姪たちも泊まり掛けでこぞって遊びに来ていた。
私も子供の頃、親の実家へ行って親戚の子らとはしゃぎ回って遊んだものだが、子供たちのドタバタを見ていると、あの頃の私の叔父さん叔母さんたちの目にはこう映っていたんだなと、いつの間にか立場が変わったことにも軽いノスタルジーを感じる。

唯一あの頃と今で違う点は、亡くなった私のおじいさんは、ドタバタ騒ぐ孫たちをあまり怒らなかったことだ。たしかに子供というのは、1人と2人では騒がしさは2倍ではない。1人増えただけで数十倍にもなりうる。だが人が寝ているのでなければ、子供たちには家の中でも思いっきりはしゃがせてやりたいものだ。

私もここ1週間以上、夜は甥っ子が寝るまで相手をしてあげている。お話をしたり、何かを作ったり、組んず解れつはしゃいだり・・・。そのためこの4日間はブログを書くヒマがなかった。今日からまた、不定期ではあるが何かしら書いていこうと思っている。
ほとんどの子は昨日帰っていったが、先週からずっと泊まっている5歳の甥っ子は明後日に帰る予定だ。そして私はまたいつものように、子供のいない日々を過ごし始める。

大人が一喜一憂できるのは子供がいるからこそ。年寄りと中年だけではカビも生えやすくなるというものだ。こうして子供たちが好んで来てくれるのも、ひとつの果報だと考えるべきだろう。5月のゴールデンウィークになればまたドヤドヤとやってくるので、その時を楽しみにしている。
だが私のように子供好きな人ばかりではない。妹に託児所のように思われては困る。ゴールデンウィークはぜひとも家族みんなで来るようにと、妹に言っておこう。
by rukachas | 2005-04-04 23:38 | 子供の話 | Comments(0)
子供好きとして...
子供と地球このブログももう3ヶ月近く、毎日何かしら書いてきたわけだが、私の文章に共感できる人もいれば、分厚い壁を感じる人もいるだろうし、住む世界が違うと感じる人もいるだろう。
だがそれらを感じてもらった時点で、このブログ、というよりもこのサイトの目的の一部が達せられたと思っている。共感であれ違和感であれ、まず知ってもらわないことには始まらないのだから。

どんなに裕福でも、どんなに偉かろうとも、どんなに能力が優れていようとも、子供への愛情が無ければその人は動物にも劣る愚か者。自分がそんな人間であることに気付かず過ごしている人は、昨今の児童虐待数を考えると、結構多いのかもしれない。

自分を中心に地球が回っていると思っているような、そんな身勝手な人はどこにでもいるものだが、自分を中心に家族が回っていると感じている親も、決して少なくはないだろう。
だがそうではない。組織の最小単位である家族も、社会も、現時点での最大単位である国家も、すべて子供を中心に大人たちが回っているのだ。理想としては、子供に興味を持たない者は遥か外側に追いやり、子供に害を与える者は完全に駆逐し、優しい大人のみが子供たちを守るように回っているのが、本来の地球の姿だろうね。

いつか「子供好き」というジャンルが当たり前になるその日を夢見て、私はこのサイトとブログをもう少し続けてみようと思っている。
by rukachas | 2005-03-29 23:59 | 子供の話 | Comments(0)
犬と子供のそっくり写真
c0039181_165777.jpgだいぶ前にネットで見つけたこの画像。どこにあったのか、誰がスキャンしたのかさえも分からないが、とりあえずオモシロカワイイのでご紹介。
6組の犬と子供がそれぞれペアルック(?)で写っているが、何かの広告だろうか?それともアパレル系のカタログ?子役の写真集?
まぁなんにしても、よくここまで似せたものだと関心する。髪形や髪の色だけでなく、ジッと見ていると顔立ちまで同じに見えてくるほどだ。

私はこの写真の中では左上の金髪ペアが一番似ていると思ったのだが、子供たちにはどう見えるのかと思い、私の甥っ子と姪っ子の3人に「この中でどれが一番似てると思う?」と訊いてみた。同時ではなくひとりずつ訊いたのだが、何故か3人とも同じ答えが返ってきたので「へぇ~子供にはそう見えるのかねぇ?」とちょっと不思議な気がした。3人とも、中段右側の赤ちゃんと犬のペアを指差して、コレが一番似ているという。

たしかによく似ている。しかしメイクなどで意図的に似せている部分が無いし、肉のだぶつきが似ているといった程度だろう。他のペアに比べて取り立ててそっくりというわけではないような気がするのだが、子供たちが3人ともこれを選んだのは何故なのか?・・・と、ちょっと考えてみた。

この写真をよく見ると、みな髪形や髪色を犬と揃えて、男の子はメイクまでして似せているが、このブルーのパンツの赤ちゃんだけはいっさい手を加えず素のまま。つまりこの違いが大きいのではないだろうか?

大人は人を見た時にそれがどうであるか?似ているか?好きか嫌いか?良いか悪いか?といったことを、装飾で判断しがちなのだ。外部から手を加えればどうにでもなるようなことで事を判断しすぎなのだ。
その反面子供たちはそこからかもし出される雰囲気を感じ、それで判断する。たとえば子供は母親を見たときに、化粧品が変わったことよりも、髪型が変わったことよりも何よりも、母親の精神面での変化をより明確に感じる。それと同じ。

大人は建て前社会の中で生きているから、心の内を外観の着飾りで隠してしまい、そしてそのほうが楽だと感じているうちに、いつしか外観でしか物事を判断できない人間になってしまう。
子供たちの「素を感じる力」を大人たちももっと持つべきだろう。私も甥や姪にあやかり、人の内面を見通せる伯父さんでありたい。
by rukachas | 2005-03-25 23:59 | 子供の話 | Comments(0)
可愛い笑顔は待ってくれない
c0039181_23535771.jpg今日の朝刊に、キヤノンのデジタル一眼レフカメラ「EOS Kiss Digital N」の一面広告が載っていた。
4人の可愛い子供たちが、有名なロックバンド「キッス」に扮している。

キッスは、そのクールなメイクと奇抜なコスチュームで洋楽ファンにはお馴染みの、1973年に結成されたロックバンド。とくにコウモリメイクのベーシスト、ジーン・シモンズはオドロオドロしいわ、舌が異様に長いわ、ステージで火は吐くわで、ホント悪魔を地でいくようなアーティストだった。日本でも悪魔チックなバンドがこういうメイクを真似していたが、やはり本家の似合いっぷりにはかなわない。
ジーン・シモンズは1985年のアメリカ映画「未来警察」にも素顔で出演し、迫力満点の悪役を演じている。

キッス最大のヒット曲となったのが、1976年の「ラヴィン・ユー・ベイビー」 折しもディスコブームと相まって、日本でも大ヒットした曲だ。キッスのファンには曲風がキッスらしくないと嫌う人もいたようだが、地響きのようなベース音とノリの良い旋律はまさに名曲。私は当時12歳だったが、宮城県の田舎に行ったとき、この曲をラジカセでガンガン鳴らして、いとこたちと踊り狂ったことが昨日のことのようだ。

それはさておき、この「ラヴィン・ユー・ベイビー」が久々にテレビで流れることになった。キヤノンの「EOS Kiss Digital N」のテレビCMで、先ほどの4人の子供たちが熱唱している。(替え歌になってるけどね)
CMはキヤノンのサイトでも見られるよ。↓
http://cweb.canon.jp/camera/kissd/cm/index.html

とくに「メイキングムービー 60秒」がイイね~、メッチャ可愛いよ。さて、あなたはどの子がお好み?私は新聞広告の写真でいうと左下の子がいいなぁ。キュートでキュ~ッ!(≧∀≦*)

コホン・・・まぁとにかく、キヤノンのEOS Kissが登場して約12年。いつかこの伝説のバンド「キッス」と絡めた宣伝をするんじゃないかと思っていたが、そうきたか、まさかチビキッスとはねぇ。
EOS Kissといえば、もともとは女性をターゲットとしたエントリーモデルだった。それがキッスの「ラヴィン・ユー・ベイビー」で世のお父さんを振り向かせ、可愛い子供たちの台詞が「きれいに撮って」ときたもんだ。
すそ野を広げたな、キヤノン。(@ ̄ー ̄)y-~~~~
by rukachas | 2005-03-17 23:54 | 子供の話 | Comments(0)
あなたは子供が好きですか?
スナップ今日は私のサイトについて一言。
このブログには毎日何かしら書き込んでいますが、サイト本編である「The Light of Smile 笑顔の灯り(以下L.O.S.)」は最近更新が滞り気味。なにしろ投稿コーナーは皆さんの投稿待ちだし、ギャラリーはそうそう追加できるものではないので、ユッタリマッタリとやっていくしかないんですけどね。(学習コーナーの「知識と心のDNA」にある「IQマスター」は、毎週日曜日に欠かさず更新してるよ~ヾ(*'-'*))

思えば開設当初は、子供が出演した懐かしいCMムービーだとか、子供がモデルの写真集や子役の紹介など、バラエティー的なページもあって結構盛り上がりましたが、著作権的にマズイと分かり削除してからはお客がグッと減りました。(最初の1年間で15万アクセスもいくほうが異常だけど)
でも、投稿作品とオリジナル写真&文章で占めてる今のほうが、よりL.O.S.らしくなったんじゃないかな。私は当初から、ファンサイトとは違う意味での「子供好きサイト」を目指していたし。

うちは子育て系サイトの中でもかなり異例でして、おそらく世界でも唯一だろうと思っています。同じようなコンセプトのサイトとリンクしようと思い、過去何度も海外サイトを含め検索してきましたが、未だかつてひとつも見つかっていません。(探し方が悪いだけ?)
要するに、子供たちの笑顔をテーマにした写真と、子供に関するコラムなどを掲載して、子供も大人も独身も子持ちもみんなが一緒に観覧(利用)でき、多方面から子供のことを考えるそんなサイトが、他に見つからないということ。独身男性が制作しているというところが、かなり珍しさを増しているかもしれません。
子供の可愛らしさや大切さを幅広い視野で伝えることで、児童虐待や愛情のない子育てを少しでも減らし、それがゆくゆくは少年犯罪の減少にも繋がるのではないか・・・というのが私の考え。

子供関係のサイトというと大きく分けて3種類あって、1つは子供たちが集まる(使う)子供向けサイト。2つめは子育てについての情報が載っている、大人の方を対象としたサイト。育児や教育関係サイトがこれにあたります。そして3つめは、子育てとは関係なく子供の話題で盛り上がっているサイト。子供アイドルや子供モデルのファンサイトがこれにあたります。

子供向けのサイトの多くは、当然の事ながら子供だけを対象としています。子育て系のサイトは独身者が惹かれる話題がなく、もちろん子供たちが使うサイトでもない。独身者が集うサイトには子供への偏見が漂い、親たちや子供自身の意見は届かない。
要するにそれぞれに壁があるわけです。これではイカンと、L.O.S.というみんなが集えるサイトを1999年に作りました。実際には集うというよりも、情報を得るために使っていただいているという感じですが、この前は現役の小学校教諭から、L.O.S.内の写真と文章を授業で使いたいというお言葉を頂きまして、何かしら役には立っているんだなと、嬉しく思っとります。(^-^*)

子供の話題は、育児やしつけや教育の話だけではありません。医学的にも精神的にも芸術的にも、はたまた子供とはなんぞや...という哲学的にも、考えさせられることはいくらでもあります。子供が好きな方はぜひ掲示板ででも、子供について多角的に話しをしていきましょ~。ヾ(*'-'*)
by rukachas | 2005-03-05 23:18 | 子供の話 | Comments(2)
長男と末っ子
独り遊び金曜の夜から甥っ子5号くん(5歳)がうちにお泊まりしていたんですが、残念なことに土曜日はかなり強い風が吹き荒れており、一日中家の中で過ごしていました。同年代の子がいるわけでもなく、オモチャがあるわけでもない。小さな子供は他人の家ではさぞや退屈でしょうね。

ところが5号くんは極めて建設的な子。自分から「何か楽しいことをしよう!」という気を起こす子で、私やオフクロが忙しくて遊んであげられないときでも、そこにあるものを使って自分で何かしら独り遊びをしています(大人が目を離しているわけじゃないですよ)。退屈だからといって人に依存ばかりはしていない子。
幼い頃の私がそうでした。今でもオフクロがよく言うのは、ひとりで遊んでいる私に「つまんない?」と訊くと「つまる~」と言ってもくもくと何かをしている子だったそうです。
私も5号くんも妹がいる長男。たしかスポーツチームの監督には長男が多いという話を聞いたことがありますが、自分から物事を統率したり、あれやこれやと試行錯誤する人は、長男長女に多いのかもしれません。

5号くんは、今日の昼にパパが迎えにきて、東京へと帰っていきました。しかしバトンタッチをするかのように、今夜もうひとりの妹が甥っ子4号くん(8歳)を連れてきました。明日どうしても用事があるため、オフクロたちにみていてほしいとのことで・・・。

4号くんは、退屈さへの反応に関しては5号くんとはまるで正反対。いつも人が遊んでくれるのを待っている子で「つまんないよ~」と言って泣いてしまうことさえありました。つまりは独り遊びができない。
4号くんは4人兄弟の末っ子ですが、私の末の妹も幼い頃はそんな子でした。物心ついたときから兄や姉がいて、遊びも上から提供されることが多い中で育ってきたため、ひとりになったときにどう遊んで良いのか分からなくなってしまうのでしょう。まさに末っ子らしさですね。
もちろん長男だから末っ子だからといって、必ずしもこうだとは限りませんが。

4号くんは先ほど私とお風呂に入って、ガンダムのオモチャで大はしゃぎ。10時半頃ふとんに入り、しりとり遊びをしているうちに眠ってしまいました。(^-^)
どちらの子も私と遊ぶのを楽しみにしているので、来たときは極力時間を作ってあげるようにしています。個々の性格の違いがよく分かるし、子供と遊ぶのって色んな意味で面白いですね。(〃゚▽゚〃)
by rukachas | 2005-02-27 23:54 | 子供の話 | Comments(0)
我が子だったら手も出す口も出す
オニ連休中の3日間、甥と姪が泊まりにきていた。
節分はとっくに過ぎてしまったが、私もたまには鬼の顔で苦言を呈す。

世の中にはこんな子がいる・・・。
自分のモノは大切にするのに、他人のモノは気にも留めない子。
モノの扱いが粗雑で、力を加えることや汚すことに躊躇がない子。
思考範囲が距離的にも時間的にも狭く、現時点の自分しか認識できない子。
他人の心情を推し量らず、自分を客観視できない子。
理解できない事柄に関して、運任せや神懸かり的な思考をする子。
自分に対する要求が、すべて要求する人のワガママだと思う子。
自分に対する規制が、すべて規制する人のイジワルだと思う子。
やる、やらないを損得で決め、他人の得は自分の損と考える子。
自分自身の欲求に対しても、他人への依存心で対処しようとする子。
自分の欲求を他人が迷惑と感じる場合、その他人を異端視する子。
欲求と抑制のバランスがとれず、それがストレスになる子。
不都合、不具合を他人のせいにし、自分を被害者として哀れむ子。
他人のことは気になるのに、他人がどう思うかは気にしない子。

この中のいくつかは私の甥っ子にも当てはまる。これは子育ての問題。
そして私の親父にも当てはまる。これは人間性の問題。
その差62歳。ジイチャンと孫で似た者同士とは...。(*ー"ー)

あなたのまわりではどうかな?
by rukachas | 2005-02-13 22:58 | 子供の話 | Comments(0)