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老樹よさらば
c0039181_2164414.jpg近所の農家の庭にこのような大樹がある・・・というか、このあいだまではあった。
どうも去年の暮れか今年の初めに伐採してしまったようだ。最近散歩をしていて、この見慣れた樹がなかったので驚いてしまった。
今はこの写真からこの樹を消去した風景になっている。

写真の右下に写っているのがトラクターを収納している納屋だが、これと比べてみても、いかに立派な樹だったかが分かる。
私が一昨年この街に越してきて一番初めに感動した樹だったので、この樹のない風景はとても寂しく感じた。

伐採されてしまった理由は分からない。幹が古くなり、倒れる危険性があったからだろうか?
鳥たちの見晴台になっていたひときわ高い真っ白な樹。何百年もこの街を見据えてきたんだろうね。お疲れさま。(*^‐^)_且~~
by rukachas | 2005-02-08 23:58 | 動植物の話 | Comments(0)
ネットはトイレか?食卓か?
トイレ家族にせよ他人との共同生活にせよ、複数の人間が暮らしている家の中では、最もプライバシーを保てる場所はトイレだ。(風呂は必ずひとりで入るとは限らないからね)

では逆に、最も自分をさらけ出す場所というとどこだろう?
それは食卓。人は食事をしているときにこそ、最もその人らしさが表れている。食事中に家族ひとりひとりを眺めてみよう。そのときのそれぞれの態度、言動が、それぞれの人となりだ。もちろん自分も含めてね。

「トイレは自分の本性を見せない所」「食卓は本性を見せている所」と考えると、はたしてインターネットはどっちのようなものなのか?・・・ということを、今日は考えてみた。(゜へ゜)

個人で情報を気軽に発信できるネットには、2つの側面がある。
ひとつは、匿名性を活かして(ネットに完全な匿名性は無いが、いちいち身元を詮索されないという意味で)普段の自分はさらけ出さず、ネット専用のキャラとなって発信すること。
そしてもうひとつは、自分の思いを伝えられる公共性を活かして、普段通りの自分として発信すること。
これは名前が匿名かどうか、身元を明かしているかどうかは関係ない。ようするにネット上の自分と現実社会の自分とで、キャラクターが同じかどうかということだ。
さらに、本音か嘘かという面を考え合わせると、次の数パターンがある。

[1] ネットの自分と現実社会の自分ではキャラが違うが、ネットの自分のほうが本性である。
[2] ネットの自分と現実社会の自分ではキャラが違うが、現実社会の自分のほうが本性である。
[3] ネットの自分と現実社会の自分ではキャラが同じで、どちらも本性である。
[4] ネットの自分と現実社会の自分ではキャラが同じだが、どちらも本性ではない。

あなたはどれに当てはまるだろうか。
私は完全に3番。そうでなければ、6年間も一貫して同じテーマを扱うなんてできないし、ボロもでるだろう。
私はこのブログやメインサイトであるL.O.S.を、家族や兄妹、甥姪、親戚など多数の知り合いに知らせている。オフクロや妹たちはよく見てくれているようだ。だから私は、ネットでのRUKAと現実社会での私とに差異はないと自信を持っている。もしあれば親戚中から信頼を無くすようなものだからね。第一カッコワルイし。

ウェブサイトや掲示板等で、悪を臭わせる発言や卑猥な発言をする者がいるが、その人はそれを自分の家族や子供に見せられるのだろうか?またそれが自分のしわざだと堂々と話せるのだろうか?
いつだったか、ある女性が書いた子供への虐待日誌が話題にのぼり、テレビニュースにまで採り上げられたが、結局はネットで鬼母を演じていただけだった、ということがあった。他人に伝わるのがフィクションの姿で、それで本当に満足なのだろうか?
セキュリティの観点から、身元を明かすことはしなくても良いが、偽善、偽悪はかえって滑稽だ。

だが、本性の発信という側面と演じられるという側面の両方があるからこそ、ネットは普及してきたのだろう。
さて、あなたのネット生活は、トイレの中?それとも食卓?
by rukachas | 2005-02-07 22:15 | Net&Webの話 | Comments(0)
デッカイデッカイ飛行船
c0039181_17582297.jpg今日の午後、市内のスポーツセンターの周りで散歩&ジョギングをしていると、犬を連れている初老の男性がポカンと上空を見上げているのが見えた。
鳥でもいるのかと思って私も上を見上げたら、なんと真上にはデッカイ飛行船。
雲ひとつない青空だったので写真ではイマイチ大きさが分かりにくいが、とてつもなくデカかった。とにかくデカかった。( ̄0 ̄;)ポカ~ン...

ボディには「EXPO 2005 Aichi Japan」の文字と、キャラクターのイラスト。
今年の3月から愛知県で開かれる「愛・地球博」の宣伝だったんだねぇ。
調べてみたら、どうやら世界最大の飛行船をドイツから輸入したらしい。
迫力があるのはいいが、ボディがあまりに大き過ぎて肝心の宣伝部分が小さく見える。
もうちょっと大きく書けなかったもんかなぁ。

両脇とお尻に小さく付いているのがプロペラだろうね。動力はなんだろう?
愛・地球博なんだから、もちろん無公害飛行船だよねぇ?
by rukachas | 2005-02-06 18:00 | Comments(0)
私が泣いてしまった映画ベスト5...Part2
ムービー悲しみには、覆いかぶさってくる悲しみと、締めつけてくる悲しみがある。
昨日紹介した5位と4位は、覆いかぶさってくる悲しみだ。圧迫感というか抑圧感というか...。
だが次の3作品は、まさに締めつけてくる悲しみ。主人公の辛さが痛いほどに心に突き刺さってくる。涙があふれ、胸の奥がギリギリと痛み、下っ腹のあたりにドーンとした重苦しさを感じる。映画を見ながら何度「痛たたたっ!」と胸を押さえたことか。(他人が見たら具合が悪いのかと思うかもね)
べつに意識したわけではないが、上位3作品はどれも子供が主役の映画になった。やはり私の場合、子供が辛い思いをしているのが一番辛い。(×_×)

★個人的第3位
【A.I.】2001年/アメリカ

1月12日にも書いたが、スティーブン・スピルバーグ監督のA.I.が最近では最も泣いてしまった映画だ。
アンドロイドのデイビッド役を演じるハーレイ君の、とても演技とは思えないほどの悲しみの表情と、見ている者にこの子の心情を悟らせる、スピルバーグならではの心理的演出が見事。

モチーフとなっているのは「ピノキオ」だろう。最後の最後まで人間の子になりたいと願い続けたデイビッド。人間の子になればママに愛してもらえる、そう思ったからだ。ピノキオは最後には人間になれたが、デイビッドの運命は過酷だった。見ようによってはハッピーエンドにもバッドエンドにも思えるラストシーンが、この子の複雑な運命を物語っている。

この映画を見て感動するかどうかは、この子に感情移入できるか否かにかかっていると思うが、女性よりも男性のほうが理解しやすいのではないだろうか。私にとってはあまりにも悲しすぎるスピルバーグ作品だった。(TдT)

★個人的第2位
【火垂るの墓】1988年/スタジオジブリ

もうこれは説明するまでもない、言わずと知れた日本アニメの大名作。戦争の被災地を舞台にした幼い兄妹の話、というだけで悲しみが湧いてくる。
巨匠 高畑勲氏の見事なまでの人物描写。節子の声を演じた5歳の女の子の名声優ぶり。さくま式ドロップ、おはじき、防空壕など、キャラクター並に強い存在感を見せるモノたち。そして要所要所で流れる心にしみるメロディ・・・。悲しみを通り越して、もはや鑑賞に苦痛さえ感じる映画だ。

兄の清田が14歳で妹の節子が4歳。私にも9歳半違いの妹がいるので、妹のために一生懸命つくす清田にはもう感情移入しまくり。しかもこの節子ちゃん、私の妹が幼い頃にそっくりなのだ。

母親が亡くなったとき、しゃがみ込んで泣く節子の横で清太が黙々と鉄棒をし続けるシーンがあるが、私はそこから最後まで涙が止まらなかった。悲しいシーンでなくても、常に涙が流れていた。それは、戦争という過酷な状況下での、この子たちのあまりにも無邪気な(言ってみれば要領の悪い)生き方に、切なさ、やるせなさを感じていたからかもしれない。(TдT)

★個人的第1位
【禁じられた遊び】1951年/フランス

結局1位も戦争映画、それも在り来たりなものになってしまったが、これを置いて他には語れないだろう。ナルシソ・イエペスの名曲が心に残る、悲劇映画の世界的名作。
空襲で両親を失った5歳の少女ポーレットが、ミシェルという少年と出会い、彼の家で暮らすことになる。そこで憶えたお墓造りの遊び。しかしそれもつかの間の安らぎだった・・・。
描かれているのはフランスの片田舎での日常。ただ、戦時下であることと、ポーレットが孤児であることが悲しい別れを生む。戦争によって運命を翻弄される幼い子の、あまりにも悲しい物語。

この映画は私が産まれる前の作品なので、小学生の頃にテレビで見たのが最初だった。子供心にも可哀想で泣きながら見た記憶があるが、ストーリーそのものはあまり理解していなかったようだ。
2度目に見たのは15歳の時。今度はビデオに録画してジックリと見た。そして見た後、数日間は魂が抜けたような状態になった。夜ふとんの中でこの映画を思い出しただけで嗚咽がもれるほどだった。
とくに、ポーレットが孤児院へと連れていかれるとき、ミシェルの名を叫び続けていたポーレットが群衆の中に亡きママを見つけ(むろん人違いだが)、小さく「ママ...」とつぶやいて追いかけていき消えていったシーンは、私にトラウマのようなショックを与えた。

1980年の「ラ・ブーム」という映画に出演した30代の女性が、このポーレット役を演じたブリジット・フォッセイだと知った時、ホッと安堵感のようなものが湧き上がったことを憶えている。こんなにも長期に渡り登場人物の安否が気になった映画は他にはない。役者なんだと分かってはいても・・・。(TдT)

・・・以上、「私が泣いてしまった映画 ベスト5」でした。
泣いた映画で「火垂るの墓」と「禁じられた遊び」じゃ、当たり前すぎたかなぁ。( ̄‐ ̄*)
これはあくまでも「もっとも泣いた映画」ね。感動した映画となると、また違ってくるよ。

追記
もしあなたが子供好きな人だったら、「The Light of Smile 笑顔の灯り」も見てくれるとウレシ。
by rukachas | 2005-02-05 20:07 | 映画の話 | Comments(2)
私が泣いてしまった映画ベスト5...Part1
ムービー私も中年になってから涙もろくなってしまった。ちょっと悲しいドラマを見ただけで胸の奥がギューッと痛んだり、なにか込み上げてくるものがあったり。(べつに胃腸が悪いわけではない)
若い頃なら「フッ!こんなもの所詮・・・」と鼻で笑うようなことでも、今は深く感動し、涙を流すことさえある。
これは心が軟弱になったからだろうか?・・・いや違う。物事や人の心を深く理解できるようになったからだ。若い頃は、心が動じないことこそ強さであると思っていた。しかしそれは間違いだった。それは強さではなく、ただの無知と鈍さだ。総称して愚かという。

・・・と前置きはこのくらいにして、私が思わず泣いてしまった映画をいくつか思い出してみた。ベストテンと言いたいところだけども、とりあえずパッと思い付くベスト5を選出。見ていない人にはネタバレになるので、ストーリーは省略。ヾ(*'-'*)

★個人的第5位
【さよなら銀河鉄道999】1981年/東映動画

主人公の鉄郎が旅を通じ様々な体験をし、最終的にメーテルと永遠の別れをする最後の話。
「これそんなに泣ける?」と思う人もいるかもしれないが、劇場用の前作とテレビシリーズを見ていて、なおかつ当時鉄郎と同年代だった私としては、ストーリーよりも、これで本当に最後なんだな~という、そういう悲しみのほうが大きかった。同じ松本零士氏の「宇宙戦艦ヤマト」は、完結かと思ったら続編が作られ、数年後また作られと多少歯切れの悪さを感じたが、銀河鉄道999はこの「さよなら...」が本当に最後だった。

世界で最も美しい別れの言葉、それは「さようなら」
グッドバイ、ツァイチェン、アディオス・・・世界のほとんどの別れの言葉が『また逢おう・再会しよう』という意味を持つ。だが日本語の「さよなら・さようなら」は『左様ならば(そういうことならば...)』が語源。悲しいけれど別れざるを得ない、そんな心情が表れている。

999シリーズは続編を望む声も多いかもしれないが、私はこの「さよなら...」で、さよならであるべきだと思う。エンディングで流れる思い出の名シーンと、メアリー・マッグレガーの歌う主題歌「SAYONARA」が涙を誘う。(TдT)

★個人的第4位
【シザーハンズ】1991年/アメリカ

奇才ティム・バートン監督のファンタジー映画。
両手がハサミになっている人造人間エドワードと人間の女性とのラブロマンス。こう書くとなんだかコメディのようだが(たしかにコミカルなシーンもあるが)漂っているのはティム・バートン監督らしい重い空気と、何ともやりきれないような孤独感。

エドワード役を演じるジョニー・デップの、あどけなくも悲しみに満ちた表情に心が痛む。同時に感じる人間のあくどさと浅ましさ。ラブロマンスとはいっても、ラストは決してハッピーエンドではない。
彼の境遇や身に起きた出来事が悲しいだけでなく、彼をもてあそぶ人間の愚かさを目の当たりにし、人間であることの悲しさをも感じてしまう。
私にしては珍しい、ロマンスものでの大感涙。(TдT)

ベスト3は明日にします。
なぁんか悲しくなってきちったなぁ~。(ノ◇≦。)
by rukachas | 2005-02-04 23:55 | 映画の話 | Comments(0)
「死なせた」と「泣ける」
悲しみの天使もう随分と前からだが、テレビ、新聞の事件報道でひとつ気になる表現がある。児童虐待などのニュースでよく聞く「死なせた」という言い方だ。
たとえば『頭を数回殴りつけ死なせた罪で...』『我が子を虐待し死なせた母親が...』と、このように表現していることが多い。

暴行して死なせた、放置して死なせた、熱湯をかけ死なせた・・・事件報道として、本当に「死なせた」という言葉で良いのだろうか?なぜもっと率直に「殺した」「殺害した」と言わないのだろう?
「死なせた」では、まるで子供が自ら死のうとしていて、そうさせたみたいではないか。あるいは全く予期しないところで、さも事故のように死に至ったかのようではないか。

もし「殺した」という言葉が直接的でお茶の間には耳障りだから、というのが理由だとしたら、マスコミは本来の役割を全うしてはいない。報道は、それが善いことであればその善さを、悪いことであればその悪さを十分に伝える必要がある。それがひいては同じ犯罪の抑止になったり、埋もれた犯罪を表に引き出す切っ掛けにもなるのだから。
子供を死に至らしめた背景に、食事を与えない、暴力を振るうなどの虐待があったのなら、それは「死なせた」ではなく、まぎれもなく「殺した」「殺害した」だ。こういう肝心なところは、オブラートに包んではいけないと思う。

そしてもうひとつ、こっちはちょっと砕けるけど、これも違うんじゃなぁい?と思ったこと。
『これは泣ける映画だ』とか『あなたにとって泣ける映画は?』なんてことをよく言うけれど、この場合「泣ける」って言い方、おかしくないかな?
「泣ける」というのはつまり「泣くことができる」ということだが、感動や悲しみによって心身に表れる現象が「泣く」であり、その時の精神的状態とも相まって結果的に起こるもの。だから「泣く」を目的にすることも、可能かどうかを決めることも何となくおかしい・・・と思う。(゜へ゜)

「泣ける(泣くことができる)映画」じゃなくて「泣いてしまった映画」って言うのが正解じゃないかなぁ。
明日はそんな、私にとっての「泣いてしまった映画 ベスト5」を書いてみるぞー。◎_(゜▽゜*)
by rukachas | 2005-02-03 22:55 | 言葉の話 | Comments(0)
リモコンカオス
c0039181_21455512.jpg去年の12月に買った国産(二流メーカー)の14型テレビ。
格安だったとはいえ画質も受信感度も悪くはないし、まぁそこそこ満足している。(このクラス相応だけどね)
ただ、ひとつだけどうにも気に入らない点がある。リモコンだ。このリモコンだけは、買って1ヶ月経った今でも使いづらくてしょうがない。
写真をクリックして大きい写真を見てほしい。どこが不満点か、パッと見て分かるかな?

そう、音量とチャンネルのボタンの配置が変なのだ。ど~考えてみてもこれは逆だろう。音量は基本的に、いや絶対的に、左右ではなく上下であるべきだ。
(音の)大きさを変えるという目的に対しては、上下という概念で行動するほうがイメージとしては自然であるし、またチャンネルは上下よりも左右のローテーションのほうが新聞のテレビ欄の列びと相まって、こちらもより自然である。つまり十字に配置したボタンであるならば、ごく自然に上下が音量、左右がチャンネルとなるはずだ。

ところがこのリモコンは逆。14型だけではなく、このメーカーは29型テレビのリモコンも同じ作りになっていた。もしかしたら全機種そうなっているのかもしれない。どこか意図的なものを感じるのだが、もし設計者がなんの意図もなくこう配置したのだとしたら、それこそマイナーメーカーたるゆえんだと言わざるを得ない。

それと、現在使っている某メーカーのビデオデッキのリモコンも、やはりボタン配置に難がある。22センチほどもある長身のリモコンなのだが、再生や一時停止は下に配置されたボタン群で行い、コマ送りや逆再生は上に配置されたボタン群で行う。つまり映像を細かく見ていこうとすると、リモコンの上で指を大きく動かさなければならないか、両手の指で行う必要があるのだ。これも使いづらいリモコンのひとつ。

家電もより多機能になり、液晶パネルやテレビ画面に表示して設定するものが増えた。だがそれがかえって、一つの事を行うのにいくつもの手順を踏まなければならないという弊害も生んだ。
また、目の悪い人には見えにくい小さな文字、お年寄りには押しにくい小さなボタン、手順を無視したボタン配置など、弱者切り捨ての姿勢は昔よりもむしろ今のほうが目立ってきているように感じる。

パソコンのOSと同じように、家電もUI(ユーザーインターフェイス)の良し悪しが製品の質を左右する。たかがリモコン、されどリモコン。
by rukachas | 2005-02-02 21:51 | 電気製品の話 | Comments(0)
iPod shuffleでお仕事ガンバ!
iPod shuffle先月Appleから発売された iPod shuffle(アイポッドシャッフル)が、世界中でバカ売れしているそうだ。
いや、品薄でまだ手にしていない人が多いから、バカ売れじゃなくてバカ予約かな。(表現が...(^_^;))

消費者のニーズに合わなければ、どんなに良い商品でも売れはしない。
この iPod shuffle を待ち望んでいた人、あるいは予想もしていなかったが目から鱗、という人がいかに多かったかってことだね。じつは私もその一人。見た瞬間「これは買いだっ!」って思った。
本当はiPod miniが欲しいけど、現時点での必要性と3万円近い値段を秤にかけると、どうしても踏ん切りがつかなかった。しかしこの iPod shuffle なら値段も約1万円とお手頃だし、機能をかなり削った簡易型とはいえ、普段シャッフル再生ばかりしている私にはピッタリ。

ということで私も1つ、512MBのほうを買ってみることにした。
某パソコンショップで一応は予約してみたが、どの店も次の入荷がいつになるか分からないほど品薄状態なので、私もいつ手にできるかはさっぱり分からない。入手できたら、ここで使用感や使い勝手なんかを書いてみることにしよう。
とはいっても普通に感想を書いても面白くないので、私はRUKAなりに、RUKAっぽいレポートをしますので乞うご期待!ヾ(*°▽°)ノ・・・してないね、誰も。

ところでこのようなポータブルプレーヤを買う人は、どんな目的で使う人が多いのだろう?
まぁいつでも音楽を聴いていたいから買うわけだから、どんな目的もなにもないんだけど、それなりに生活に役立たせたいなって気もするんだよね。そこで私の場合、仕事用として買ってみた。(まだ予約しただけ)
仕事用とはどういうことかと言うと、こういうのは通勤中だけじゃなくて、たとえば営業とか外勤であちこち歩き回っている人の中には、その移動途中で使っている人も多いだろうし、音楽もある種の栄養剤、気付け剤として仕事の役に立っていると考えられる。だから製造業の私としては、自分の士気を高めるためと、作業ペースを上げるために使おうと思っているわけ。(もちろん時と場合を選んでだけどね)

昔、カメラマンのアシスタントとして小さな写真スタジオに勤めていた頃、そこの暗室には有線放送が取り付けてあった。自分で曲を選ぶことはできなかったが、好きなジャンルの曲を絶え間なく流しておけるので、長時間の暗室作業も集中してそつなく行えたものだ。
その後勤めたある会社でも常に音楽が流れていたのだが、それが演歌ばかりだったためかなり辛かったことを憶えている。どうしても作業が遅くなってしまい、なおかつ疲れやすい。成績が思わしくないぞ!と上司から小言を言われたこともあった。私もさすがに「音楽のせいです」とは言えず、ただただ平謝り。m(_ _)m

人によって好きな音楽は違うのだから、職場にただ音楽を流せば活性化されるとは限らない。会社によってはラジカセなどでそれぞれが好きな音楽をかけて良いところもあるみたいだが、現在の私の職場はそんなに融通のきくところではない。そこで、ポータブルプレーヤの出番というわけ。
とくにガムのパッケージほどの大きさしかない iPod shuffle は、アッチャコッチャと動き回る人にも、手が離せないほどの高速作業の人にも、操作の煩わしさを一切感じさせない。

会社にも自分にもプラスになる iPod shuffle。こういうのは会社で支給してほしいなぁ~!ゞ( ̄∇ ̄;)
さぁ皆さんご一緒に! 3、2、1、シャッフルシャッフル!
by rukachas | 2005-02-01 23:30 | iPod&iPad&iPhoneの話 | Comments(0)