子供大好きRUKAの雑記帳
by RUKA
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子供画像の正しい使いみち
子供の写真いろいろなサイトを見てまわると、ときどき「これは良い写真だなぁ」「絵になるなぁ」と思う画像に出会うことがある。ほとんどの人は風景や動物写真でそう感じるのだと思うが、私の場合は子供写真でそう思うことが多い。
その画像がまた見たくなったらそのサイトを訪れれば良いわけだが、サイトはいつ消滅するかわからない。気に入った画像は保存しておけばいつでも見ることができる。だからブラウザには、ページ上の画像を保存する機能がある。(右クリックして画像を保存...というやつ)

サイトを丸ごと保存したり、大量の画像をまとめて保存したいときは、WindowsもMacも通常はダウンローダーと呼ばれるソフトを使う。しかしダウンローダーを起動するまでもない、今そこに見えている数枚の画像を保存したいときは、ブラウザで画像保存の手順を実行すればよい。
Windowsの場合はたいてい画像や画像へのリンクを右クリックし、「名前を付けて画像を保存...」や「名前を付けてリンク先を保存...」(ブラウザによって名称が多少異なる)を実行すると、保存場所を指定するダイアログが現れて、そこで保存ボタンを押せば保存される。

1、2枚の画像ならこれで良いが、何枚も続けてとなると、そのたびに保存ダイアログが開くのでは手間がかかり過ぎる。そのため画像をクリックしてつまんで、フォルダやデスクトップにドラッグ&ドロップしたくなるときがあるのだが、Windowsの場合はこういう使い方を想定していないのか、結局は保存ダイアログが開いたり、引っかかるような挙動があったり、いちいちフォルダが前面に出てきたりと、手早くおこなうことができない。
そのてんMacは、もともと各アプリをウインドウ状態で使うことが前提になっているせいか、画像をマウスでつまんでフォルダやデスクトップにドラッグすればそれだけで保存が完了する。挙動に影響することもなく、数枚の画像も手早くパッパッと保存できる。2枚の画像なら1秒もあれば十分だ。

このように手軽に画像を保存できるMacを使ってきたせいか、サイトを見ていて気に入った画像を見かけるとすぐにフォルダにドラッグして保存する癖がついてしまった。そのため私のMacのお気に入り画像フォルダには、この十数年間にネットで見かけたお気に入り画像が大量に保存してある。
風景写真に動物写真、CG画像もあれば貴重な報道写真もある。だが一番多いのはやはり子供画像だ。写真家が撮ったアーティスティックなものから一般的なファミリー写真まで、個人的に「絵になる」と思った子供画像はなかなか捨てられない。

そんな保存の仕方だから、過去に保存したものはどのサイトにあったのかさえもわからない状態。当然、著作元が不明な画像も多い。いざ自分のサイトで紹介したいと思っても、詳細不明で著作者に連絡がつかない。
だからうちの「子供画像掲示板」では、著作元が不明な画像は他の画像掲示板やフォーラム等ですでに公開された画像に限定し、もし著作者から削除の要請があればすぐに対処する、というスタンスでおこなっている。
これも現在の著作権法が親告罪だからできることであって、これがもし非親告罪となれば、著作が不明なものは一切紹介できなくなってしまう。だがこれは仕方がない。

しかし近年は世界的にも「画像共有」という概念が認知されてきており、Flickrをはじめとして画像共有サイトがたくさん現れた。これにより多くの秀逸な画像を自分のサイトに転載したり、素材として加工したりが合法的におこなえるようになった。
とくにライセンスが「クリエイティブ・コモンズ」にある画像は、利用にあたって著作者の承諾を得る必要もないのでじつに手軽。紹介したいと思う画像を見つけたら、利用規約に則りさえすればすぐに掲載できる。

しかし著作権的にクリアだとしても、著作物にはもうひとつ大事な権利がある。「著作者人格権」というもの。
ライセンスがクリエイティブ・コモンズであり、誰でも自由に複製、頒布、展示、実演が許されている画像でも、著作者が意図しない扱い、あるいは著作者に不利益が生じるような扱いをした場合は、著作者人格権を侵害したことになる。
もっとも分かりやすい例では、アダルト掲示板における子供画像の扱いだろう。

子供の画像をネットで検索してみるとよくわかるが、エロチックでもなんでもないごく普通の子供の写真が18禁の掲示板に掲載されていることがよくある。
掲示板には注意事項として「児童ポルノなど違法な画像の投稿を禁止」と書いてあり、たしかに貼られているのはみなワイセツ性のない子供画像ばかりだが、その掲示板にはアダルト広告が掲載されており(投稿された記事ではなく、掲示板そのものに置かれている広告)、明らかに大人のみを対象とした掲示板であることがわかる。

そこに投稿されたジュニアアイドルや一般人のスナップ写真が、18禁サイトで使うことを想定している画像だとはとても思えないし、そもそも、18禁サイトで子供の画像をコンテンツにするというのは、その子供画像をアダルト画像と同じように扱っているということになる。
これはすなわち、子供を「大人の性的嗜好品」として見ていることに等しく、画像の著作者や被写体となった子供たちが人格権を侵害されたと感じる可能性も高い。

また中には、違法な画像は投稿禁止と書いてありながら、盗撮写真の投稿を許している掲示板もあった。そこの管理人にとっては、違法な画像とは見た目にワイセツかどうかだけなのだろう。
海水浴に来ている少女や、店の中にいる少女の写真なのでたしかにワイセツ写真ではないが、明らかにカメラを持った手を下にさげた状態で、被写体はおろか周りの人間にも気付かれないように撮ったと思われる写真。こういう撮り方はスナップ写真とは言わない、盗み撮り、盗撮という。

最初にも言ったとおり、私はネットで「絵になる子供画像」を見かけるとつい大切に保存してしまうタチなのだが、いわゆる児童ポルノに類するような画像は、もし見かけたとしても一切保存はしていない。
私の保存フォルダにある画像は、子供が見ても良いものばかり。中にはヌード系もあるが、アートやファミリー写真など、どれもワイセツな意図のない、閲覧に年齢制限のないものばかりだ。

今、日本ユニセフが推し進めているのが児童ポルノや子どもポルノの規制強化。私は児童ポルノには反対なので、規制強化は大いに結構だと思っている。だが、それをするならポルノの定義を諸外国並にまともなものにしてほしい。
ワイセツ性のないヌード作品、たとえば母親が撮った子供の成長記録や、写真家が撮ったヌードアートまでもをポルノとしたり、あるいは逆に、明らかに子供の性被害を容認(または推奨)する内容であるのに、マンガだからとなんの規制もしなかったり、そんなことの無いようお願いしたい。

私はずっと子供たちにこう教えてきた。「人を愛することは素晴らしい、だが人の”姿”も愛することができれば、それはもっと素晴らしい」
子供を本当に大切に思う人なら、この言葉の意味がわかるはずだ。
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by rukachas | 2009-02-07 19:02 | 子供の話 | Comments(0)
子供画像の野菜畑
子供画像掲示板うちのサイトに「子供画像掲示板」を設置してから、今月6日でちょうど11ヶ月になる。
なのに相変わらず利用者が少なくて、管理人としては歯痒いやら切ないやら・・・。
この場合の「利用者」とは、見たり読んだりしている人ではなく、文章や画像を投稿して他の人との交流に使う人のこと。
定期的に書き込んでくれる常連さんは数人いるのだが、もっとたくさんの人に使ってもらわなければコミュニティとしては意味を成さない。何気なく立ち寄った人も気軽に書き込めるような、気さくな雰囲気を心掛けてはいるのだが・・・。

今のところ1日に100人近くの訪問があるが(ユニーク数)、私が質問や呼びかけ的な書き込みをしてもほとんど反応を示さない。ほとんどがROMさんだ。(ROM:リード・オンリー・メンバー:読むだけの人)
子供の画像を探している人はシャイな人が多いのだろうか?それとも「子供の話などしたくもないし、興味もない」という人が多いのだろうか?

しかしそれだとどう考えてもおかしい。子供に関するキーワードで検索してやって来て、その後も繰り返し見に来ているのは、それは子供に興味があるってこと・・・じゃないのかな?
「子供の画像を見るのは好きだが、子供には興味がない」こんなことがあり得るのだろうか?

だがあり得るとすれば、それはまるで「農作業が嫌いなベジタリアン」みたいだなとも思った。
『私は野菜が大好き。色も形もキレイだし、とても美味しくてヘルシー。でも育て方なんて知らないし、育てたくもない。土が付いたら汚れるし虫だっているかもしれないじゃない。野菜の話にも興味な~し。えっ?野菜の気持ち?そんなの知ったこっちゃない。私は食べごろの野菜を見たり食べたりできればそれで満足なの!』
こんなベジタリアンばかりだったら野菜も育ち甲斐がないし、なにより野菜のためにならない。

畑は画像掲示板、畑の管理人は私、生産者は投稿者、通りすがりは通りすがり、イイ野菜だなぁと眺めに来る人はたくさんのROMさんに例えることができる。
だが中には、無料の野菜を収集することだけが目的の人もいるだろうし、あるいは刺激的な野菜を求めてやって来て、「つまんね~のばかりじゃね~か!」と帰っていく人もいるだろう。

「子供画像掲示板」は子供の画像を収集するための板ではなく、画像を交えて子供について語り合う「コミュニケーション板」。
主役である子供たちが好んで訪問するようにならないうちは、まだまだ活性化には程遠いのかもしれない。

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注:「子供画像掲示板」はメインサイト「The Light of Smile 笑顔の灯り」の終了にともない、2013年8月に終了しました。
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by rukachas | 2008-09-03 20:34 | 子供の話 | Comments(0)
さようなら2007年
クピドとプシュケ今年もあと4日で終わり。ここらで、昨年はできなかった総評でもしておきましょう。

2007年の「The Light of Smile 笑顔の灯り」は子供好きさんとのコミュニケーションがビミョ~に復活した年でした。新規の相互リンクが増えたり、私が甥っ子の家庭教師(もどき)になったり、「子供画像掲示板」を設置して新たな子供好きさんと知り合えたり・・・。
ミュージシャン平沢進さんが歌詞掲載を許可してくださるという、嬉しい出来事もありました。

しかしその反面、相互リンクしている方で音信不通となった方が多かったり、年明け早々に設置した「子供好き掲示板」が不評だったり、子供相撲の写真の作者から偏見のある見方をされたりと、多少ガッカリする出来事もありました。
しかしそれも良い糧になったような気がします。一種の気付け剤ですね。道路上にある眠気覚ましのデコボコみたいなもんです。考えようによっては有り難いことです。

RUKA個人としては、今年は子供の喜怒哀楽が痛いほど感じられた年でした。子供のことを深く知れば知るほど、子供を嫌う大人の声にもぶつかります。今年の私は双方を取り持つ、必死な鎹(かすがい)でした。
これはネットにも言えることで、子供に対しある一方向の感情のみを持つ者同士で集まっていればそれで良いのか?それで子供の被害が減るのか?平和な世の中になるのか?善い子が育つのか?と常に考えていました。

来年は、子供にも子供に興味を持ってもらえるくらい、今まで以上に子供の素晴らしさを伝えていきたいと思っています。
では良いお年を。(゚∀゚)/
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by rukachas | 2007-12-27 22:25 | Net&Webの話 | Comments(0)
子供の姿は大人を変える 大人が変われば子供も変わる
子供画像私のサイトに子供の写真を投稿する画像掲示板を設置して1週間が経った。
今のところ私が9割以上投稿している状態だが、これが呼び水となって次第に賑わってくれることを願っている。あまり管理人ばかりが投稿していると利用者が受け身になりやすいので、その加減が難しいところだが。

画像掲示板の管理人には、文字だけの掲示板よりも強い管理意識が求められる。うちは健全なサイトだが、ワイセツな画像を貼られることもあるかもしれない。
もちろん発見しだい削除するし、関係者から警告があれば即座に従うつもりだが、日々の管理が面倒なのは確かだ。今までこういった画像掲示板を設置してこなかったのはそれが理由。だが今回は思うところあり、思いきって設置してみた。

うちのサイトは子供の笑顔をテーマにしており、子供たちの笑顔写真を見て心を癒そうというのが主な趣旨だ。だがそれはサイトの用途であって目的ではない。私がこのサイトを長年続けているのは、「子供好きな人を増やそう」という明確な目的があるからだ。

10年間ネットをやってきて、今まで様々な子供好きさんたちと交流してきたが、その結果多くの人の子供を思う気持ちには偏りがあり、真の子供好きはとても少ない、ということを実感した。
たとえば我が子を十分に愛し、子育てをしっかりやっている親でも、自分の子も他人の子も含めて子供そのものに惚れる(心惹かれる、夢中になる)という人は少ない。
逆にそういう、子供に惚れてしまう人たちの中には、ただ惚れているだけで(アイドルのファン的な感覚)その子の将来や家族まで気にかける人は少ない。また多くの場合、好むのは少年か少女どちらか一方である。

どちらも子供を好きな人には変わりないが、真の子供好きとは言えない。子供好きとは、性別に関係なく子供を愛し、思いやり、大切にし、なおかつ子供の姿に感動し、子供にぞっこん惚れる人のこと。子供の姿を見るのが三度の飯より好きで、子供と関わることに生き甲斐を感じる人のこと。
「それって保育士のことじゃん!」そう、まさに嘘偽りない気持ちであるなら、真の子供好きとは保育士のことなのだ。ただし、まったくの無給でも構わないと思うほど、子供に尽くしたいと思う人であるならばだ。

私がなぜそういう人間を増やしたいのか、それは、世の中の不幸な子供たちを救いたいから。歯が浮くようなセリフだがウソではない。
虐待されている子、痴漢やイタズラの被害に遭う子、暴漢に襲われて命を絶つ子、生まれてすぐに捨てられる子、満足な生活を与えられていない子。
子供を攻撃(虐待)したり、無視したり(ネグレクト)、身勝手で自分のことしか考えない大人のなんと多いことか。これを改善するには世の大人に子供の素晴らしさを解ってもらうしかない、というのが私の考え。

真の子供好きが増えれば、結果的に不幸な生い立ちの子供が減ることになる。これはひいては犯罪を犯すようなモラルの欠如した子供の減少にも繋がる。たっぷりの愛情と思いやりのあるしつけの中で育てば、他人を攻撃したり迷惑をかけるような人間にはならない。
少年犯罪をゼロにすることはできないだろうが、少なくとも無情な環境や不幸な生い立ちによって悪心が芽生えてしまう子の数はかなり減少するはず。子供たちにとって本当に必要なことは「良い子」を強制されることではなく、「愛情」を与えられることなのだから。

子供好きな人を増やしたい・・・サイトを開設して8年間、この思いを胸にあれこれ試行錯誤してきたわけだが、今回の子供画像掲示板の設置は、子供の姿に目を奪われたり感動するような、そういう人間の隠れた部分を引き出すためのひとつの手段だ。

親にある我が子への愛、少年好きにある少年愛、少女好きにある少女愛、どれも足りない部分がある。それらを補って完全な子供愛を世の大人たちが持てば、相手を思いやる優しい子供たちが育つはず。そしてそれを人間愛へと昇華できれば、この世はいつか必ず平和になるはず。

理想論?ウソっぽい?ありえない?
いやいや、まずは子供の画像を見て癒されることから始めてみよう。結果はおのずと付いてくる。

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注:「子供画像掲示板」はメインサイト「The Light of Smile 笑顔の灯り」の終了にともない、2013年8月に終了しました。
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by rukachas | 2007-10-13 16:46 | 子供の話 | Comments(0)
子宝
赤ちゃん子を得ることを「子宝を授かる」と言うくらい、昔から子供は宝物のように大切だとされている。
だがこの大切だという感覚にも、大きく分けて二通りのパターンがある。

ひとつは「財産」としての大切さ。いつか、親である自分のためになってくれるであろうという、つまり将来のための備え、蓄えという意味での宝物。この場合は熟成されるまで長い目で見る必要がある。

もうひとつは「作品」としての大切さ。子供そのものに価値を感じる、愛着を感じるという意味での宝物。庭先の花を大切に育てたり、自分の描いた絵を大切にしていたり、そういうこと。
たとえば綺麗な富士山を見て、この景観を大切にしたいと思うのと同じ。

私は子供がいないのでもちろん前者の感覚は無い。子供が好きなのも甥や姪を可愛がっているのも、後者の感覚が強いからに他ならない。
秘められた能力、あるいは能力を発揮するであろう将来性、精神的な純真さ(良い子という意味ではない)、身体的な新鮮さなど、多くにおいて子供は大人以上の価値を秘めている。
「財産」という意味では大人以上の宝とは言えないが、「作品」という意味では子供はこの世で最高の宝と言えるだろう。

だが、宝物は得てして管理が面倒だ。突然現れたこの宝物に手を焼いて、捨てたり壊したりする者。他人の宝物を拝借し、御用になる者。たくさんの宝物の管理を任され、気が休まらない先生方。宝物を磨いているつもりで、じつは曇らせていることに気付かない大人たち。
そして宝物同士で傷つけ、傷つけられ、挙句の果てに自らをゴミ溜めに投棄する宝物たち・・・。

子供というものは大人のミニチュアでもなければ、大人の未熟なものでもない。虫や蛙が変態するように、子供は子供として完結しており、大人とは違う対応が求められる。
今まで大人が、子供の心や身体を「大人への成長過程」とみなし、未来の財産としての価値しか見出してこなかったツケが、宝を曇らせる者の出現や、宝自体の質の低下として表れてきているのではないだろうか。

あたかも居間に飾った絵画より、財産として倉庫にしまいこんだ絵画のほうが、より狙われやすく、傷みやすいように。
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by rukachas | 2006-12-23 20:50 | 子供の話 | Comments(0)
「子供好き」という言葉について考える
子供子供が「お馬さんが好き」と言ったら、それはぬいぐるみにしろ本物の馬にしろ、馬というものに好意を持っているということになる。
ところが大人が「私は馬が好きだ」と言った場合は、馬に好意を持っているという意味だけでなく、食材として馬肉が好きという意味にも取れるし、競馬に興じるのが好きという意味にも取れる。
人間にとってはすべて馬に関係している事柄でも、馬にとってみれば優しく世話してくれるのか、食べられてしまうのか、競争させられるのか、その違いは大きい。

これと同じような事例がもうひとつある。私が自分のサイトのテーマにもしている「子供好き」という言葉だ。
じつは私は当初、サイトの説明でこの言葉を使うかどうか大いに悩んだ。
しかし「すべての子供たちを大切にする人」という意味を端的に表した言葉がこれ以外に見つからなかったので、今でも「子供好きサイト」と称している。

何故悩んだのか。それは最近、いやもうずっと前からなのかもしれないが、この言葉がとんだ誤解を持って使われているからだ。

元々「子供好き」は褒め言葉だった。子煩悩な人、子供のことを親身に考える人には敬意を持って「あなたは子供好きですね」と褒め讃えた。
またそのような人も、自ら十分に人に誇れることだった。
ところが子供をただ好んでいるだけの人たちも自らを「子供好き」と称し始めた。
子供を好むから子供好き。文字通りに捉えればたしかに間違いではない。
しかし最初に述べた馬好きの例と同じく、「好き」にも様々な感情があるので注意が必要だ。

「子供好き」という言葉が悪しき誤解を受けやすいひとつの要因となっているのが、子供が犠牲となった事件のニュース報道。
たとえば幼い女の子がイタズラや痴漢の被害に遭い、犯人が逮捕されたというニュースが流れることがよくある。
その中で「犯人は”以前から幼い女の子が好きで犯行に及んだ”と話しています」というナレーションが流れれば、多くの視聴者は「これは”子供好き”による犯行だ」と思ってしまうだろう。
しかしこれも馬好きと同じく、好意を持ち世話をする人、食べてしまう人、私欲のために◯◯する人、と玉石混淆であることを人々は知らなければならない。

このような犯人は子供が好きと言いながらも「子供の◯◯が好き」だったり「子供に◯◯するのが好き」だったりと、子供をモノのように見ているか、あるいは自分の欲求(精神的欲求を含む)を満たすための手段として見ているかのどちらかだ。決して子供そのものを愛しているわけではない。
過去のコラムでも書いたことだが、水族館で魚の世話をする「魚好き」と、魚料理を食べる「魚好き」との違いに等しい。

このような、子供に被害をもたらす「エセ子供好き」から子供を守るのは、立場はどうあれ「子供好き」の人たちでしかない。
人類の明るい未来のためには、子供を愛する感情を地球上のすべての人が持たなければならない。

ただし勘違いしてはいけないのは、これは個人の好みまでは限定しないということ。
子供好きな人たちの中にも、自分の子だけが好き、男の子が好き、女の子が好き、幼児が好き、中学生が好きなどと、明確な好みを持っている人もいるだろう。
だがこれはちっとも悪いことではない。リンゴとバナナどっちが好きというのと同じく、対象が子供であっても人にはそれぞれ好みがあって然るべきだからだ。

だが、そこに「差別心」があっては子供好きとはいえない。
子供が行方不明になったというニュースに対する書き込みで、女の子なら心配だが男の子ならどうでもいい(またはその逆)とか、美人な子は貴重だがブな子はいらんなどの意見を見ると、この人の感情は前述した犯人に近いな、とさえ思える。

年齢、性別、容姿、その子の立場に関係なく、どのような子でも同じように愛し、差別心を持たないのが本当の子供好き。自己犠牲にも近いボランティア精神を持って子供に接することができる人こそ、本当の子供好き。子供という存在そのものを愛している人こそ、本当の子供好き。
保育士や教師には、そんな人になってもらいたい。
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by rukachas | 2006-03-01 22:56 | 子供の話 | Comments(0)
子供好きな有志を募る
天使の質問箱今日の記事はコラムでも日記でもなく、ちょっとした募集の告知。
このブログは私のサイトのコンテンツの一部として置いているんですが、Exciteブログのカテゴリ欄や、検索で来る方も多いと思います。そこでL.O.S.を知ってる方、知らない方ひっくるめての告知なんですが・・・

私のサイトでは、子供たちが書き込んだ質問や悩みに対して大人たちがコメントを返す「天使の質問箱」というものを設置しています。
もともとはゲストブック用だったフリーのCGIスクリプトを一部書き換え、決められた複数の者のみがレスできる質問箱として、2001年にスタートしました。

コメンテーターというかアドバイザーというか、答える方たちは私を含め5人いたんですが、1人減り、いや、今ではほとんど私と市会議員のクリクリさんの2人だけで答えているような状態です。子供たちの質問はたまにしか無いとはいえ、これではちょっと・・・。
ジャンルによっては得手不得手もあるし、全員がいつも答えられるわけではないので、やはりあと2、3人は欲しいところ。

というわけで「子供たちの質問に答えてあげよう!悩みにアドバイスしてあげよう!」という心優しい方が居りましたら、私まで連絡ください。メールでも掲示板でも、ここのコメント欄でもいいので。
ただし、謝礼や報酬は出ませんよ。あくまでもボランティアですからね。

できれば20代の女性がイイなぁ。いや、変な意味じゃなくてね、20代のママさん。現在は20代の方がいないのと、女性がひとりだけなので、子育て真っ最中の20代の女性なら、母親の立場からコメントしてあげられるので良いのではないかと。
そして65歳以上の女性もいればなお良しですね。おばあちゃんの知恵袋から、ちょっとひとつまみ子供たちに分けてあげたい。さらに、現代の中高生の気持ちを理解できる二十歳くらいの方もいればイイな。これは男性でも女性でも構わないと思いますが。

たまにしか書き込まれない質問箱なので、肩肘張らずやっていただけたら嬉しく思います。
おっと、もちろん子供好きな方限定ですよ。気を長~くしてお待ちしております。<(_ _)>
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by rukachas | 2006-02-04 21:56 | 子供の話 | Comments(0)
今年の締めくくりに一言
子供の笑顔今年はもうブログは更新しないつもりでしたが、約1年間続けてきた締めくくりということで、年明け前に一言。「The Light of Smile 笑顔の灯り」(以下 L.O.S.)の2005年の総評でもしておきましょう。

今年のL.O.S.の更新は「アミューズ」の荒らし対策から始まりましたが、やはり私にとってはブログを始めたことが一番大きな更新でした。自分の思いを他人に伝えるためには、ブログは最もベストなツールです。
私の場合トラックバックもコメントも少なめなので、通常のコラム書きと大差はないんですが、カテゴリ別に表示したり過去の記事にすぐ飛べたりと、見る側にとっては便利ですね。これからも、その便利さに見合うだけの記事を書いていきたいものです。

ブログ以外のコーナーに関しては、今年は更新らしい更新ができなかった年でした。ほとんど文章の加筆や修正、相互リンクの追加程度にとどまり、目新しい更新はほとんど無し。これは当サイトが発展途上なのか、それとも円熟した証なのか。
しかしこのまま頭打ちにはしたくないので、これからも子供たちと子供好きさんのために、良かれと思うものを提供していきたいと思っています。

今年は、いや今年「も」ですが、子供が犠牲になる事件が多かったですね。栃木で起きた女児殺害事件では未だに犯人が捕まっていませんし、日本各地で子供を狙った通り魔のような事件も多発しています。
子供は家庭では保護者が責任を持って保護し、学校では教師が責任を持って保護するという原則に変わりはありません。しかし通学路では、休日の街では、公園では、繁華街では、人気のない路地では、誰が守るのでしょう。
親と教育関係者だけでは、子供を守りきれない時代になってしまったのです。死角をなくすために住人が木を伐採した地域や、お年寄りがボランティアで通学路に立っている地域もあります。たくさんの大人が、子供の安全のために協力し合わなければならない時代になってしまったのです。

しかし子供を守る光景も、子供嫌いの人間からすれば失笑に値することでしょう。性犯罪を犯す「エセ子供好き」の中にも、子供の安全や思いやりなどという意識は毛頭ないでしょう。これら子供を大切にしない者がいる限り、子供への悲劇は繰り返されます。
そうならないためにも、子供を思いやる気持ちをすべての人が持ってほしい。そして今の子供たちは、子供を思いやる大人へと育ってほしい。その気持ちをいだかせるものは、何にも増して「子供たちの笑顔」だと思います。笑顔は感情に直結しているからです。

2005年は今までの惰性で流れてきた感のあるL.O.S.ですが、2006年は新しいコンテンツや試みなども交えて、今まで以上に子供の素晴らしさ、大切さを訴えていきたいと思います。
しかしそれには見ている皆さんのご協力があってこそ。写真や作品の投稿がありがたいのはもちろんですが、掲示板での書き込み、情報提供なども、気が向きましたらぜひお願いします。

来年も「The Light of Smile 笑顔の灯り」を宜しくお願いいたします。
それではみなさん、良いお年を。(*^-^)ノ
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by rukachas | 2005-12-28 22:19 | Net&Webの話 | Comments(0)
親のように兄のように
男の子女の子子供が犠牲になる痛ましい事件が立て続けに起きているため、全国で子供を守る本格的な対策が早急に求められている。
通学路に防犯カメラを設置したり、ガードマンを配置したり、親が送り迎えをしたりと、まるで街中が厳戒態勢を敷いたかのようだ。こんなピリピリした社会で子供がまともに育つのか心配になってしまうが、背に腹は代えられぬといったところか。
私も警備を強化することには大賛成だ。今の子供たちを犯罪者から守るには、それしか方法がないのだから。

子供に対する犯罪は最も卑劣なものだ。だが「くさい臭いは元から絶たなきゃ」というCMが昔あったが、犯罪者を生み出している土壌を何とかしない限りは同じことの繰り返しだろう。
今回の女児殺害事件では、ロリコンという、少女に恋愛感情を持つ者の犯行ではないかと言われている。日本にはロリコンが多いらしいが、テレビや雑誌、芸能界も行き過ぎた面を反省する部分があるのではないだろうか?

このあいだテレビで、11歳の少女タレントの水着DVD発売&サイン会の様子が放映された。来ていた客は同年代の子ではなく、イイ歳をしたオッサンばかり。少年の心を持ち続けている、と言えば聞こえも良いが、発売元は水着姿や大人っぽさをセールスポイントにしており、成人男性をターゲットにしている印象は拭えない。マスメディアなどによって子供が大人の恋愛対象として形作られている状況を、このまま黙認して良いのだろうか?

私は子供好きだがロリコンではないので、少女に恋するという感情がイマイチ理解できない。もちろん好くほうも好かれるほうも悪くはないし、こういう方たちが犯罪を犯しやすいと言っているのでもない。
だが、これだけ悲惨な事件が立て続けに起きているのだから、政府はマスメディアでの少女タレントの扱われ方を含め、なぜ子供が被害に遭うことが多くなったのかを、総合的に考えてみる必要があるだろう。
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by rukachas | 2005-12-07 07:50 | ニュースの話 | Comments(0)
楽しい会話は葉っぱがいっぱい
語り部べつに自慢するわけではないが、私は子供の心を捉えた話し方をするのが上手いようだ。私が子供たちと話をすると、大抵の子は私の話を食い入るように聞いてくれる。

それは甥や姪だけではなく、去年親戚の結婚式に行ったときに出会った、いとこの子供たちもそうだった。さらに思い起こせば、若い頃、撮影を通じて知り合った多くの子供たちもそうだった。みんな私の話を、楽しそうに目を輝かせながら聞き入っていた。
年少の甥っ子ふたりに至っては、うちにお泊まりしたときは、私の話を聞きながら寝るのを楽しみにしているし、中学生の甥と高校生の姪も、私と話がしたいがためにわざわざやってくることもあるくらいだ。

私は子供に話をするとき、無意識のうちに話すテンポが8割ほどに遅くなり、一音一音正確に伝えようとしていたりする。身振り手振りも大きくなっていき、まるで語り部(かたりべ)だ。
だが食い入るように聞いてくれる子が多いのは、きっとそれだけが理由ではないはず。そう思って客観的に考えてみると、2つほど理由が浮かんだ。

ひとつは私の声質。じつは私は非常に通りにくい声をしている。といっても、こもっているとか野太いとかダミ声というわけではない。多分これといって特徴の無い声だろう。
しかし距離に対する減衰率が大きい声だということは、学生の頃からわかっていた。授業中、教師に何度「聞こえねぇぞ~!」と言われたかわからない。卒業式の予行演習で、名前を呼ばれた時のハイと言う返事が小さいと、何度も反復させられたこともあった。
目の前の友人が言うには、声の大きさは決して小さくないらしい。ただ、どんなに大声を出しても、数メートルも離れるととたんに減衰してしまう。つまり言ってみれば、空気に溶け込みやすい声だということ。

まずこの声質が、子供たちを聞く気にさせるのかもしれない。幼稚園の先生などがよく使う手だが、騒いで注目しない子の注意を引きつけるため、わざと声を聞こえにくくしてしゃべるのと同じ効果があるのかもしれない。

2つ目の理由は、私の話す、妙に説明的で回りくどい文章にある。本題をストレートに伝えず、他のモノに例えたり、主題をわざと逸らしたりまた戻したり。
たとえばショートケーキを食べたことを伝えるとする。簡単に言えば「イチゴのショートケーキを食べた。とても美味しかった」と、これだけで済む。
しかしこれでは食べたことしか伝わらない。そこでイメージをたくさん付けるわけだ。「目が痛くなるほど真っ赤な色をしたイチゴ」「クリームで飾り付けられたスポンジが女王様のベッドのよう」「カチャカチャと音を立てるお皿」「スプーンには何が映る」
さらに「あまりの美味しさに思わず・・・」とくれば、次の句が気になりもする。

子供は言葉を聞くと、すぐにそのイメージが頭に浮かぶ。よってこのようにイメージがちりばめられた話ほど、気を引きつけられやすい。もっともただの無駄話なら「結局何が言いたいの?」と飽きられてしまうが。

会話に限らずブログにしてもメールにしても、言いたいことはできるだけ簡潔な文章で伝えるのが良いとされている。もし物書きのプロが私の文章の校正をしたら、きっと半分以下に縮められ「無駄な言い回しが多い」とかなんとか言われるだろうね。
だが肝心なことを忘れてはいけない。簡潔な文章で伝えたほうが良いのは相手が大人の場合。そのような文章は、木に例えるなら枝の無いまっすぐな大木だ。幹(話の本筋)がしっかりと通っていれば良い。

ところが幼い子供を楽しませる会話となるとちょっと勝手が違ってくる。幹は多少細くても良い、まっすぐじゃなくても良い。その代わりたくさんの小枝(分岐)があり、たくさんの葉っぱ(イメージ)が付いているような会話が、子供たちの心を引きつけるのだ。

ついでにもうひとつ。私は子供たちと話をするとき、最初に質問から入ることも多い。「宿題は何だった?」とか「最近なんか映画見た?」とか何でもいいのだが、それに対して返ってきた返事を、次の会話のテーマにすることがよくある。
これはその子の嗜好から会話が的外れにならないための手立てでもあるのだが、相手の返事に含まれる言葉を頼りに会話を移り変えていくというのは、会話をだらけさせないひとつの手法でもある。

つまり、楽しい会話の基本は「言葉の連鎖」だ。連鎖があるから自分がしゃべるだけじゃなく相手の話もきちんと聞くし、意外な本音が飛び出すこともある。妙に説明的だったり回りくどかったとしても、そこには不思議の国のアリス的な楽しさがある。

子供たちが私の話に聞き入る理由として、最初に言った声質うんぬんは思い込みかもしれないが、「イメージの葉っぱ」をたくさん付けた文章と「言葉の連鎖」をふんだんに使った会話というのは、あながち見当違いでもないだろう。これらを全部ひっくるめて、子供を引きつける話術というのかもしれない。
私が文章を書くとき、1、2行で済む内容で10行も20行も書いてしまうのは、このような子供たちに対する会話がすっかり癖になってしまったからだ。

去年、私のいとこの子である小学2年生の女の子は、初対面の私に色々と悩みを打ち明けてくれた。内容については明かせないが、最初に出会ったとき、寂しそうな表情がとても印象的だった。
私はこの子と公園のブランコに座りながら話をし、月の満ち欠けの例え話でこの子を笑顔にすることができた。この月の話も、たくさん葉っぱを付けた何気ない会話から、連鎖で生まれたものだった。
教訓めいた話も、ただ聞かされるだけでは納得しづらい。いや、それ以前に共感しづらい。だが会話の中で自然に流れるように生まれた例え話なら、小さな子の不安感をも和らげてあげることができる。

思春期の子を持つ親の中には、子供とほとんど話をしない人も多いと聞く。子供も、すぐに言い合いになるからと、親との会話を避けるようになる。
だがそれは、互いに話がストレート過ぎるからだ。太い幹だけの大木をぶつけ、用件だけ伝えれば良いというものではない。七夕の笹の葉のように、たくさんの葉っぱが付いたそよそよとした話をたくさんしてみるべきだ。
伝えなければいけないことは、たんざくにでも書いて吊るしておけば、自分で手に取るだろうから。
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by rukachas | 2005-11-12 21:54 | 子供の話 | Comments(0)